7月26日。
真夏の日差しはギラギラとして、炙るように学園都市を照らしていた。しかし屋内、しかも病院となればそんなのは関係なく、快適に過ごすばかりである。
この時期になるといつも思うが、エアコンを作った人は、世界で最も偉大な人物ではなかろうか。名前も知らないが、個人的にはノーベル賞を送りたいものである。
「……こんなもんか」
病院の休憩スペースの片隅で、パソコンを弄る前原将貴は呟いた。
入江が生み出す『反物質』のことを調べて、1時間が経過した。ゼロから知るのは苦労したが、ある程度は理解できた。
「ふー……」
反物質とは、『通常とは反対の電荷を帯びた粒子から構成される物質』だそうだ。
そもそも電荷とは、物体が持つ電気の性質のことである。原子核がプラス、電子がマイナスの電気を帯びているのは俺も知っている。
だが、反物質はその反対――即ちマイナスの原子核、プラスの電子で構成されているらしい。
そして物質と反物質がぶつかると、
「………」
カリカリとシャーペンを走らせ、カエル医やネットから得た情報を整理し、繋げていく。
そうやって自分なりの答えを出して、俺は一息ついた。かなり大雑把だが、入江の能力はこんなものだろう。
能力名は
触れた物質の電荷を反転させることで、通常の物質を反物質に
威力は不明。さすがに街は吹き飛ばせないと思うが、俺の
「(……しかし、だ)」
だからこそ、おかしいのだ。
そんなに強力な能力に対して、
俺はてっきり、部屋は戦地のような惨状になっていると思っていた。しかし蓋を開けてみれば、そこは衛生的すぎて逆に不衛生的な部屋。
それがもうおかしい。
規格外の破壊力をその身に宿す者がいて、周りに何も起きない、なんてことがあるだろうか?
触れれば空気すら否定する者がいて、あの小さな鳥籠がそのまま、なんてことがあるだろうか?
入江が能力を完全に制御してるならいい。
だが入江は、それを考えることが、思いつくことができるだろうか?思いついたとして、そうしなければならない理由が理解できるだろうか?
「(……もしかしたら)」
もしかしたら入江は、
「………」
仮にカエル医が事細かに説明したとして、今の入江が理解できるはずがない。そして当然、人は知らないものを行使できない。
……だが、それが結果的に『安全装置』になっているのも事実だろう。だからこそ、今日まで暴走せずに済んだのだ。
言うならば、それは『呪い』に近い。
「………」
背もたれに寄りかかり、ふと上を見る。白い天井は視線を泳がせ、焦点を1つに定めることが出来なかった。
もちろん、入江が人格を取り戻し、能力を制御するのがベストだ。だが、その道を阻む障害が余りにも多すぎる。
しかし現状を維持するだけなら、少なくとも今より悪化することはない……が。
「……それじゃダメなんだ」
現状維持は、緩やかな衰退に他ならない。いつか皺寄せが来て、気付いた時にはもう手遅れ、なんてのはごめんだ。
進む事は今を失う事であるが、別のものを手に入れる事でもある。それが悲劇か喜劇かは誰にも分からない。
なら俺は、その手助けをしよう。
露払いでもなんでもいい。自らの『正義』を貫くために、出来る事は何でもしよう。それが
「……〜〜♪」
立ち上がって、ゆっくりと息を吐いた。あまり上手くない歌を口ずさみながら、広い廊下を1人進んでいく。
病室までは、まだ遠い。
*
「お・か・え・り♪」
「お、おぅ……」
病室を無断で抜け出した
将貴の顔は引き攣っているようだが、私はそんなに怖い顔してるのかな?
「いや、あの。これは……」
「……はぁ。別に聞かないよ。今更ってカンジだし」
「え、俺ってそんなに信頼ない?」
「そーゆー訳じゃないけどさ」
大怪我してるのに勝手に出歩くなど、見舞いに来た者からすれば、気が気じゃない。特に将貴は無理する事が多いし、心配するのも当然だろう。
「……?何その本?」
「ん?あー、参考書だよ」
「『消えた反物質の謎』……?」
反物質って確か、反対の電荷を帯びた粒子、だったかな?将貴ってそういうの好きだったっけ?
「それはそうと、どうしたんだ?」
「え、いや別に?」
「え、用があって来たんじゃないの?」
「来たかったから来ただけだよ?」
「………」
将貴が顔を逸らし、小声で何か呟いているが、よく聞こえない。頬が少し赤くなっているが、暑いのだろうか。
「前原さーん。お昼ですよー」
「ん?はーい」
声のした方を見ると、扉を開けたナースさんが、配膳車からお盆を出して立っていた。時間を見ると、ちょうどお昼ご飯の時間だ。
私はそれを受け取り、将貴のベッドに運んだ。
「あらごめんね。彼女さんかしら?」
「えっ、いや――」
「違います。同僚です」
「そうなの?随分と仲が良さそうだけど」
「付き合いが長いからですね」
おお、どっちも即答だね。もう少し悩んだり慌てたりしてもいいのに……でも、ふーん。そっかー。
「………」
「ん?涼ッ……!?」
「あらあら」
お盆に乗った箸で卵焼きを取り、私はそれを将貴の口に無理矢理捩じ込んだ。少し危ないが、何かムカついてる私は気にしない。
「っんぐ、……何だよ?」
「べっつにー」
「あのな……まぁいいけどさ」
「むっ……」
その淡白な反応にさらにムカついて、私はご飯を掬って将貴に食べさせた。今度は将貴から口を開いたので、危ないことはない。
ナースさんが心底楽しそうに笑っていたが、それにはお互い気付いていなかった。
「はい、あーん」
「……あーん」
「どう?美味しい?」
「……そーだな」
……?あんまり美味しくなさそう。返事に一瞬間があるし、すぐに目を逸らすし、あとなんか顔赤いし。
でも残すのは良くないか、と思って、私はもう一度卵焼きを将貴に差し出す。
「はいもう1回。あーん」
「あー……」
「うおっすハラショー!!遊びに来たぜい!!」
バァン!!と、突然勢い良く扉が開かれた。それと同時に、聞いたことのある声が病室に響く。
ビクリと、私と将貴の動きが止まった。
「邪魔するでー……っておお!!あれは太古に絶滅したとされる伝説の『あーん』やないか!!さすがハラショー、くたばりやがれ!!」
「静かにしなさい。ここ病院よ」
扉を開けた土御門君に続いて、青髪ピアス君と
三者三様の感想を述べる彼らに、私はようやく、自分がやってることの恥ずかしさを理解した。
「あ、あの、これはね!!その……」
「ええで、すずやん。ハラショー。俺らは全部分かっとるから何も言わんでええねん」
「黙れ青ピ。オイ、
「私に振らないでよ」
中学の同級生が久しぶりに集まり、自然と会話の輪が広がる。フッキーと将貴はクラスメートだったこともあり、挨拶もそこそこに笑い合っている。
ちょっと将貴、恥ずかしいのは私だけなの?
「ではごゆっくり〜。ほら、みんな行くぜい」
「待て元春コラ。なにしに来たんだお前」
「お見舞いに来たの。こいつらも一緒よ。はい、差し入れ」
「お、ありがと」
「俺からはこれだぜい!」
言いながら、フッキーが果物や飲み物が入った袋を差し出した。続いて、土御門君が重そうなダンボール箱をベッドに置く。
わざわざ持ってきたのコレ?
「なにこれ?」
「瀬川の課題ですたい。何か知らんけど、うちに流れて来たんだにゃー」
「あー、なるほど。サンキュー」
「最後にこれや!!ジャジャーン!!」
「静かにしなさい」
青髪ピアス君が取り出したのは、今は見る機会が減ったCDだった。パッケージには、鴇色の髪の可愛いらしい少女が写っている。
「なにそれ」
「今話題沸騰のネットアイドル、
「……知らん、なにそれ」
「甘い、甘いでハラショー。アイドルを醍醐味っちゅーんは青田買いにあるんや。特にこの時世、あっという間に火がついてメジャーになることもあるんや!!ほんま一瞬たりとも気ィ抜けへん世界なんやで!?」
「…………ん?」
CDを受け取った将貴が、パッケージを見て疑問の声を上げた。私も少し気になったので、肩を寄せて覗き込んでみる。
「どうかした?」
「っ……あぁ、いや。この子、どっかで……涼乃は見たことないか?」
「…………ある、かも」
「だよな。どこでだっけ……?」
特徴的な髪色と、水色の帽子。それに、よく整ったこの顔……結構最近見たことが……。
「……あ、あー!この子あれだよ。終業式の日、スキルアウトに絡まれてた子じゃない?」
「……あ、あー!そうそう、いま思い出したわ」
「へぇー、あの子アイドルだったんだね。そんなに有名なんだ?」
将貴と向き合い、納得するように頷き合った。
なんというか、世の中狭いものだ。まさかこんな形で、また見ることになろうとは。それにアイドルとは、そりゃ可愛いわけだ。
「なになに?もしかしてお2人さん、アリサちゃんの知り合いなんか!?」
「風紀委員の時にね。ちょっと助けただけ」
「はー、さっすがハラショーや。もう手を出してたなんてなー」
「尊敬するぜい。まさかネットアイドルにもフラグを立てるとは」
「仕事に決まってんだろ!!」
やはり彼らは見ていて面白い。遠慮が無いというか、本当に仲が良いのが分かる。
中学の時は、あの中に上条君も入ってたなぁ、今日はいないみたいだけど。
「ったく……まぁ後で聴いとくわ。サンキュー」
「ええよ〜別に。でも、なかなか手に入れるん苦労したんやからな。心して聴いてや〜」
「前原は音楽プレーヤー持ってるの?」
「持ってない。支部のパソコン使うわ」
「固法先輩に怒られるよ。今度一緒に買いに行こ?」
そう提案すると、ピタリと声が止んだ。
男の子3人は噂話をする主婦のように、チラチラと私を遠巻きに見ている。
「こんなあっさりデートの約束を……なぁハラショー。退院した後でええからさ、思いきりぶん殴ってええか?」
「鈍感なだけじゃなくて、羞恥心も欠けてるみたいだにゃー……青ピ、俺も参戦するぜい」
「受けて立つぞこの野郎」
物騒な会話をしながらも、私達5人の談笑はまだ続く。
こういう日常がずっと続いてほしい、と意味もなく思ったのは、久しぶりに見れたこの光景に、仄かなノスタルジーを感じたからだろうか。