「君はじっとしていると死んでしまうのかな?鮪か何かなのかい?」
「鮪、美味しいですよね。俺は好きです」
「なら綺麗に捌いてあげようか?」
「待って。アンタが言うとシャレにならん」
7月29日。
ベッドで横になる前原将貴は、呆れたカエル医の説教に、居心地悪そうに目を逸らした。
「君の最優先は怪我の治療だよ?数日前に死にかけたんだからね?」
「サーセン」
「支部の人からも、『どうしてそんなにバカなんですの』って注意がきてるよ?」
「あの野郎、ついにバカって言いやがったな……」
「君の行動を鑑みれば当然だけどね?」
まったくその通りである。
俺は昨日、久々に177支部に顔を出し、所要を済ませていた。一昨日に『学舎の園』近辺に行ったことを考えると、俺は2日連続で病院を抜け出したことになる。
もし知らない人がそんな行動をしていれば、少なくとも近寄りたくはない人であろう。
「まあ、色々とあったんです」
「君はそれで良いだろうけど、知り合いはそうじゃないだろう?いたずらに心配をかけて良いとは、僕は思わないけどね?」
……まあ、そりゃそうですけどね、
こっちにも用事が――限りなく無意味に近い用事があるのだ。それが無価値かどうかは、これから分かることである。
「……先生。仮に、ですけど」
「うん?」
「俺が入江を外出させたい、って言ったらどうしますか?」
「別にどうもしないね?」
「えっ」
カエル医の軽い言葉に、俺は思わず聞き返した。言った本人は、とりわけ大した事でもないように続ける。
「君という人間を少しでも知っていれば、その発想になるのは予想通りだね?別段驚くことでもないさ?」
「いやあの……え、何もしないんですか?」
「うん。
「………」
……なるほど。
つまりカエル医は、邪魔はしないが協力も一切しない、と。やるなら自分の力で、入江を
「(……いや、おかしくないか?)」
なぜ邪魔をしない?
入江を外に出すなど、今まで匿ってきた努力を全否定するに等しい。
そもそも、俺を止める策なんていくらでもある。何もしないと宣言する理由が分からないし、カエル医は一体何を考えているんだ?
「……まぁ、分かりました」
「とてもそうは思えないけどね?」
「そういう事にしてください」
しかし、邪魔――してるのは俺か。カエル医が邪魔しないと言うなら、入江を盛夏祭に連れ出すのは楽になるだろう。
発言の真偽はさておいて、悪いという事は特に無いはずだ。
「(……だからといって良い事でもない、か)」
俺が取ろうとする行動は、リターンに対してリスクが大きすぎる。なにより、それに対する俺の覚悟が、足りていない。
「……先生」
「何だい?」
「入江の部屋、行かせてください」
〜〜〜
物事が推測から確信に変わるには、大小問わず『きっかけ』がある。誰かに会うという行為は、その典型と言えるものかもしれない。
「………」
「―――」
入江を囚える鳥籠は、白と静寂のみに支配され、その光景はまるで100年の間そうであったような、驚くほどの現実感の薄さがあった。
とくっ、とくっ、という鼓動以外は、音すらも聞こえないほどに。
「―――」
「(……やっぱり、そうだ)」
静止画のようなその姿を見て、俺は確信した――いや、きっと初めから分かっていた。
俺は、
「(俺という奴は、本当に……)」
入江明菜と中村涼乃。
どちらか片方しか助けられないなら、俺は絶対に涼乃を選ぶ。何度やっても、どんな状況でも、確実に。
「………」
「―――」
もちろん、それは最悪の場合だ。可能な限りどちらも助けるし、そんな状況にも追い込ませない。
だがもし、万が一にもそうなれば、俺は涼乃を選ぶ――つまり入江を切り捨てる。
そんな中途半端な覚悟で、入江に干渉していいのだろうか――2人に何かある前に、俺がどうにかできるのだろうか?
「(……なら逃げるのか?助けないのか?ここまで知っておいて?)」
知らなくて助けれないのは、まあ仕方ない。だが、知ったうえで逃げるのは話が違う。
ここで逃げれば俺は、入江に対する裏切りを一生背負うことになるだろう。
ここで逃げねば俺は、入江にかかる脅威と一生戦うことになるだろう。
「……うん」
「―――」
白い
「……俺はお前の味方だ。一緒に戦わせてくれ。
*
人工の光が降り注ぐ、学園都市のとある部屋。
いつもの白衣ではなく、リクルートスーツに身を包んだ木山春生は、不機嫌そうに携帯電話に話しかけていた。
「それで、あなたが私を呼んだのですか?」
『ええ。勝手に話を進めてしまい申し訳ありません』
「構いません。素直に刑期を全うするより楽でしょうし」
『つれないですね。
電話口の女はそう言いながらも、声に熱は感じられない。本気で面倒とは欠片も思っていないようだ。
「こちらから頼んだ覚えはありません……それより、貴女の目的は何ですか?」
『特にありませんが、安心してください。悪いようにはしません』
「私がそれを素直に信じると?」
『それはご自由に』
どうでもよさそうに女は答える。
私が信じなかったところで、どうにでもできるのだろう。いまや私のすべては、この人に握られているのだから。
「……私に選択肢はありません。今更どうこうするつもりもありません」
『よくご存知で。では、1つ質問を』
「……何でしょう?」
『なぜ、入江明菜を前原将貴に託したのですか?』
……なぜ、この人が知っている?
前原君に話したのも、ほんの数日前の話だ。その僅かな時間で……いや、この人のことを考えれば、不自然ではないのかもしれない。
「……何が言いたいのですか」
『そのままの意味ですよ。託すのはともかく、それがなぜ前原将貴なのか、気になりまして』
「………」
『彼に拘る必要はなかったはずです。あの時、あの場所に駆けつけたのが彼だっただけで、彼女を救える人間は他にもいた。例えば、御坂美琴とか』
それはそうだ。
その気になれば、他にも頼れる実力者はいた。ぽっと出の前原君に託すのは、半ばヤケとも言える選択に見えただろう。
「……賭けてみたくなったんですよ」
『賭け?』
「この街は歪んでいます。それは明菜を取り巻く状況も同じです。故に、真っ当な方法で明菜を救うことは出来ない」
『それで?』
「ご存知かは分かりませんが、
前原君が間違ってる、とは言わない。だが彼を『秩序に燃える正義のヒーロー』と呼ぶには、どうにも違和感があるように思う。
もちろん、彼なりの正義はあるし、それは社会に正しく作用しているように見えるが。
『ええ、存じていますよ。でも、それだけが理由ではないでしょう?』
「はい。あなたの言う通り、きっと前原君である必要はないでしょう。この先いつか、もっと上手いやり方で明菜を救う『ヒーロー』が現れるかもしれない」
『ふむふむ』
「しかし私は、それが前原君であって欲しいと、そう思いました。だから賭けたんです」
前原君の隣で、明菜が笑っている。
私は、その光景が見たいと思った。色々考えて、その光景が1番似合っていると思えたのだ。
「言ってしまえば、直感ですね。科学者らしくないですが」
『おや、直感を疎かにしてはいけませんよ。夢の中で数式を思いつく数学者*1もいるのに』
「あいにく私は、信じてる神などおりませんので」
『神を否定しながら『
上手い返しだ、と思わず笑ってしまう。
どうせならこれも聞いておこうか、と思った私は、特に意味もなくこう問いかけた。
「こちらも1つ質問を――貴方にとって、前原将貴とは?」
『――私のもの、ですね』
「……ほう」
『話は以上です。では後ほど』
一方的に電話を切られ、私は暗くなった携帯の画面を見つめた。
意外な回答だ、と素直に思った。
恋愛というより、所有物として疑っていないような、そんな口ぶりだ。この人が、そんな感情を持っていたこと自体に驚く。
「(この人も『先生』も、なぜ前原君に拘る?彼はただの『
浮かんできたその疑問に、答える声はどこにもなかった。
*
「ふー……」
明菜の部屋を後にした前原将貴は、病院の休憩スペースにて。炭酸飲料を飲んでいた。炭酸特有の、喉の奥で一気に弾けるような感覚は、他では味わえない爽快感がある。
「(ビールってこんな感じなのかなー……)」
「前原様」
「んー?」
味も知らない黄金色の液体に思いを馳せていると、聞き慣れない声が聞こえた。つい先日聞いたばかりの、記憶に新しい声だった。
「泡浮か、昨日ぶり。どうしかしたか?」
「指定された病室にいらっしゃらなかったので、少し探しておりましたの」
「あー。ごめんね」
昨日出会った常盤台の少女、泡浮万彬は、小さく頭を下げてソファーに座った。紺色の髪が柔らかく揺れ、フローラルな香りが僅かに鼻を撫でる。
その一連の流れが恐ろしく自然で、俺には流麗な演舞のように見えた。
「(なんつーか、さすが常盤台……)」
「本日伺ったのは、これをお渡ししたかったからですの」
そう言うと泡浮は、手元の薄っぺらい鞄から2枚の紙を取り出した。名刺サイズの黄色い紙には、『常盤台中学女子寮盛夏祭』と上品に書かれている。
一見普通だが、隅に偽造防止用のホログラム処理が施されているのが流石である。
「おお、これが……ありがとな」
「あと、もし前原様がよろしければですが、当日はわたくし達と一緒に回りませんか?」
「……俺からしたら渡りに船だが、何かあったのか?」
「いえ、昨日わたくしのお友達に、前原様の事をお話したのですが、そしたらぜひ一緒に回りたいと申されまして……」
……いや、何で?
ていうか誰だその子。なんでお友達はその発想になる。知り合いって訳でもあるまいし。
別に嫌ではないが、メインはあくまで明菜の外出なのだ。余計な事をする暇は無いが……
「……まあ、分かった。というか、こっちからお願いしたいくらいだ」
「ありがとうございます」
「いや、こちらこそ」
しかし、正式な寮祭とはいえ、本来は男子禁制の常盤台中学――その女子寮に行くわけだ。内部の人間と一緒にいた方が、色んな意味でいいだろう。主に俺の精神的に。
……ついでだ。これも頼んどくか。
「なぁ泡浮。重ね重ねで悪いんだが、もう1つ頼んでもいいか?」
「はい。どうされましたか?」
「その……だな。えっと……」
「?」
「……泡浮の服、貸してくんない?」
〜〜〜
「あーもー死にてーマジ」
数分後。病院のソファーで、俺は泥のように横になっていた。廊下を行く人がちらちらこちらを見ているが、全く気にならない。
いやー、泡浮の心底怯えたような表情は結構キツかった。変態じゃなくて精神的ダメージって意味で。
「はー……」
僅か数分でここまで神経が削られるとは、もはや泡浮の能力を疑うレベルだ。しかも無意識、ゆえに純度100%の恐怖の視線である。俺の言い方が悪かったのは事実だけども。
まあ、何とか頼めたので良しとしよう。
誤解より先に警戒心を解くのに苦労したが、ちゃんと理由は聞いてくれたので大丈夫だ。大丈夫だよね?
「……ん?」
ふと隣の休憩スペースを見ると、小さな子がマガジンラックに絵本を戻しているのが見えた。しかし中途半端だったらしく、ラックから絵本が落下し、そのタイトルが目に入った。
「(……『マッチ売りの少女』?)」
落ちた絵本を拾いながら、パラパラとページを捲ってみる。
あまりにも不幸な少女の、その人生を、改めて見てみることにした。
*
さむいひのあさ。
『がくえんとし』におんなのこがすてられました。
しせつにあずけられ、おおきくなったおんなのこは、とてもあかるくてやさしいこになりました。
ともだちもいて、たくさんあそんで、おんなのこはいつもわらっていました。
あるひ、ともだちが『おでかけ』をしました。
しせつにいたおんなのこは、かえってきたらなにをしようかかんがえていました。
しかしともだちはかえってきません。
おんなのこは『せんせい』にききました。
『せんせい』はなきながらおんなのこにあやまります。おんなのこはよくわからず、わらって『せんせい』をなぐさめました。
そのひから、おんなのこは『せんせい』とふたりであそぶようになりました。
あるひ、おとなのひとが『おでかけ』につれていってくれました。
ともだちにあえるとおもい、うれしかったおんなのこは、かばんにおもちゃをたくさんいれてでかけました。
くらいへやにつきました。はくいをきたおとなのひとがたくさんいます。
おじいさんが、これからみんなにあえるよ、とはなしてくれました。おんなのこはうれしくなり、わらってへんじをしました。
『じっけん』がおこなわれました。
おとなのひとは、こえをあげてよろこびました。めをさましたおんなのこは、なにもわかりません。やがて『せんせい』がかけつけて、おんなのこをつれだしました。
おんなのこは、なにかをおもうことも、はなすことも、わらうこともできなくなりました。かみのいろがぬけて、しろくなりました。
そのひから、おんなのこのじかんはとまったままです。
めでたしめでたし。