とある風紀委員の日常   作:にしんそば

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第25話

 

 

 

 

 

「……すっげぇ」

「―――」

 

利用していたタクシーから降りると、そこには荘厳な建物があった。地中海沿岸のような街並みには少し合わないが、それを捩じ伏せる威厳を醸し出している。都会の中に世界遺産の城が聳え立っているようなものだろうか。

観光名所になってもおかしくなさそうだが、周囲の雰囲気のせいか、人目に触れることは少なそうだ。

 

「お待ちしておりました。前原様」

「おはよう、泡浮」

「―――」

 

招待状を査証してもらい中に入り、入口近くに1人いた少女──泡浮万彬に声をかける。

両手を前で合わせて佇む彼女は、相変わらずお淑やかな雰囲気を全身から滲ませていた。

 

「ん?1人なのか?」

「そうですの。申し訳ございません、着付けに手間取っているようでして……」

「着付けって、また気合い入れてんだな」

「ええ、随分と楽しみにしておられましたので。それで、こちらの方が……?」

「ああ、この子は入江明菜。喋るのは少し苦手だが、仲良くしてやってくれ」

「―――」

「泡浮万彬と申します。入江様、今日はよろしくお願い致します」

 

明菜は何も言わない。話を聞いているのかも分からないし、何を見ているかも定かではない。

しかし流石と言おうか、泡浮は気分を害することなく、穏やかに微笑んで会釈した。

 

「では早速ご案内致しますの」

「ああ、頼むよ。それじゃ行こうか」

「―――」

 

もう一度明菜の手を取り、豪奢な造りの寮へと入っていく。明菜も何の抵抗も無く、曳航される艀船(はしけぶね)のように歩を進める。

 

さぁ、天下の常盤台中学。

明菜を存分に楽しませたまえ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「泡浮。そろそろ休みたいんだが、どっか休める場所ねーか?」

「あら、お疲れですか?でしたら……あ、あちらへどうぞ」

「すまんね」

「―――」

 

そのまま2時間ほど寮を見た後、俺は前を歩いていた泡浮にそう切り出した。横を歩く明菜は変わらず無表情だが、その呼吸は僅かに早い。

あの狭い部屋に長くいた明菜が、ここまで動いたのは久しぶりなのだろう。

 

「どうぞこちらへ」

「ここは……何だ?」

「紅茶を提供する場所ですの。飲んでいかれますか?」

「そーだな。せっかくだし貰うよ」

 

あれから俺ら3人は、絵画や生け花、ステッチやシュガークラフトなど、様々な作品を見て回った。

しかし、明菜はそれらに一切興味を示さず、澄みすぎた瞳で一瞥するだけだった。少しでも興味を示してくれれば僥倖だったが、それは淡い期待だったらしい。

 

「こちらへどうぞ」

「サンキュー」

「―――」

 

泡浮に促され、洒落た喫茶店のようなスペースに向かう。そこにはマホガニーの机と椅子のセットがいくつか並べられていた。

窓に掛けられたビロードのカーテンには陽光が優しく差し、木目調の机にはつるりとした陶製のケーキスタンドが置かれている。

 

「(さすが常盤台、金持ってんなー)」

「―――」

「さ、明菜、ここに座って」

 

俺は窓際にあった椅子を引き、明菜に座るよう促す。明菜もそれに従い、精巧な装飾が施された椅子に腰をかけた。

 

「―――」

「――な、っ……」

「まぁ……」

 

――その瞬間、世界は明菜に支配された。

深窓の令嬢、と言えばそれまでだが、しかし俺にはそう言うのが精一杯だ。この明菜の美しさ全てを表現できる言葉など、俺は知らない。

 

「……素敵な方ですね」

「……ああ、ホントだな」

 

正真正銘のお嬢様である泡浮でさえ、明菜の雰囲気に圧倒されている。息を呑む声がいたる所から聞こえるが、それでも明菜から視線を外すことは出来なかった。

 

「(注目されるのは避けたいんだが……これじゃ無理だ。他んトコに移動するか……?)」

「よろしければどうぞ」

「ん?ああ、ありがとう」

 

思考を巡らしながら、近くにいた金髪のメイドさんから紅茶を受け取る。琥珀色の液体はティーカップの中で幾重もの層を生み出し、香り高いうえに見た目も美しかった。

メイドさんに紅茶を淹れてもらうとは、何だか自分が偉くなった気分だ。

 

「(……美味い。普通に金取れるな)」

「―――」

「あ、明菜。そのレモンは食べるモンじゃなくてだな……」

「――?」

「貴方が前原さんでよろしくて?」

「あん?」

 

紅茶用のレモンを頬張る明菜を注意していると、今度は後ろから別の声が掛けられる。

面倒くさそうにそちらを向くと、おでこを出した気の強そうな黒髪の少女が立っていた。

 

「初めまして。わたくし、常盤台屈指の大能力者(レベル4)婚后(こんごう)光子(みつこ)と申しますの」

「お、おう」

「貴方がどうしてもと言うのであれば、わたくしとお友達なってあげてもよろしくてよ?」

「………」

 

畳み掛けるような言葉の雨に、思わず何とも言えない微妙な表情になる。

何と言うか、この子も典型的なお嬢様だ。

泡浮が『木陰の下で白いワンピースとつば広帽子を被り、小鳥に本を読み聞かせるお姫様』だとすれば、この子は『豪奢な宮殿でドレスを纏い、優雅に紅茶を嗜む令嬢』と言えるだろう。

 

「……あー、おう。よろしく」

「こ、こんにちは」

「こんにちは」

 

まぁ悪意は無いだろうと納得していると、今度はその隣にいた、栗色のウェーブのかかったセミショートの少女が声をかけてきた。

恐らく、泡浮が言っていた『お友達』はこの2人のことだろう。

 

「2人とも初めまして。瀬川高校1年の前原将貴です」

「は、初めまして。常盤台中学1年、湾内(わんない)絹保(きぬほ)です」

「よろしく。湾内さん、婚后さん」

「よろしくお願いしますの」

 

男と話すことに慣れていないのか、仄かに頬を染めながら少女……湾内さんは会釈した。

さすが泡浮の友人と言おうか、とても穏やかそうな子である。なんというか、本能がそう告げている。

 

「前原様は瀬川高校の方なのですか?」

「まーね。推薦だから何とも言えんけど」

「瀬川高校はとても素晴らしい所と伺いましたの。わたくしも、可能ならそちらへ進学しようと思っておりますわ」

「そりゃ嬉しいね。歓迎するよ」

「湾内さん。前原様は風紀委員(ジャッジメント)もやっておられるのですよ?」

「まあ。すごいですね」

「ははっ、よせやい」

 

対面に座るこの2人と話すと、何故かこちらも穏やかな気分になる。朱に染まれば赤くなるというか、滲み出るオーラに影響されたのだろうか。

ちなみに婚后さんはメイドでもあったため、他の席で給仕を行っている。ご苦労なことだ。

 

「おー、そこにいるのは前原かー?」

「ん?」

「ふむ。お嬢様を2人も侍らすとはやるではないか」

「って、舞夏?何してんの?」

「この料理はうちのだからなー」

 

声に振り返ると、そこには料理を運ぶメイドさんが立っていた。隣人である元春の寵愛を一心に受ける少女、土御門舞夏だ。

あの兄にこの妹ありで、年にそぐわないドロドロした漫画やアニメを好む少女である。

 

「ふむ。おねーちゃんを切り捨ててお嬢様ハーレムを取るのか。今後が楽しみだなー」

「んな訳ねーだろ。こいつらに変な事吹き込んでんじゃねーよ」

「吹き込まれて嫌なぐらいの関係ではあると」

「はっ倒されたいのか」

 

メイドと悪態を吐き合うという、なんとも奇妙な図が出来上がる。

というか、涼乃のこと『おねーちゃん』って呼ぶの止めろって前から言ってるだろ。たまに俺や当麻のことも『おにーちゃん』って呼ぶけどね。

 

「そう言えば、さっき上条を見たぞ。男同士で一緒に回ってやってはどーだー?」

「生憎、俺は明菜と用事があるんでね。遠慮しとくよ」

「……ッ!?……こ、こりゃまた凄い子を連れてるなー。どこで引っかけたんだー?」

「俺は女誑しかコラ」

「あまり否定できないと思うけどなー」

 

そこは否定してほしかったなー。

いや、美少女を3人連れてる奴が言える台詞ではないけどね。涼乃に知られたくないんでね。

 

「前原様」

「ん?ああ、悪い。友人の妹なんだよ」

「いえ、そちらではなく、入江様が……」

「え?」

 

何かあったのかと思い、急いで振り返ってみて。

 

――そして、その体勢のまま固まった。

 

「――……」

「………」

「………」

「………」

「………」

「………」

 

窓辺で微睡むその姿は、人間というより人形に近かった。この豪奢な寮そのものが、まるで明菜1人のためにあるような錯覚すら覚える。

『静』と『動』の両面を持ち、それに引き裂かれた少女には、ともすれば異様とも言える美貌があった。

 

「なんて麗しい方なのでしょう……」

「……本当、すごい子を捕まえたなー。兄貴にも見習ってほしいものだ」

「………」

 

俺は逃げるように目線を外し、ポケットにあったケータイを見る。時刻は昼過ぎで、既に3時間以上が経過しているのが伺えた。

 

……そろそろ帰るか。明菜の体力はもう無くなるだろう。寮祭も一通り回ったし、外界との不必要な接触はなるべく避けたい。

 

「すまん、もうそろそろお暇するわ」

「あら、もうですか?お食事の準備もできていますが」

「悪い、この後ちょっと用があるんだ」

 

軽く2人に謝り、うたた寝をしている明菜を背負う。そのせいで周りの視線が集中するが、今更そんな事は気にしない。そんな事より、明菜の華奢な体をどう労るかを気にしてしまう。

 

「……っと。そんじゃ、短い間だったけど、ありがとな。楽しかったよ」

「――……」

「いえ、わたくし達も貴重な経験をさせていただき、ありがとうございました」

「ええ、機会があればまたお越しくださいませ」

「おう。またな」

 

給仕をしていた婚后さんにも別れを告げ、俺は静かに寮を後にする。その背中には、無防備に眠る白髪の少女が1人。

 

「楽しかったか?」

「――……」

「そっか」

 

本当の意味で明菜のためになる事なんて、俺は知らない。俺もカエル医も木山先生も、そして明菜自身も、きっと分かってなんかいない。

だから、いくら考えても無駄なのだ。

 

それでも、いつかそれが分かるまで――いや、それが分かった後も。

 

「(俺は、ずっとお前の味方だからな)」

「――……」

 

新たな決意を固めて、ゆっくりと、そして大きな1歩を踏み出した。そこに躊躇や後悔など存在しない。

 

そうして、そのまま玄関を出ようとした時。

 

「あっ」

「えっ」

 

1番会いたくて、1番会いたくない人と鉢合わせたのは別の話。

 

 

 

 

 

―――――――――

 

 

 

―――――――

 

 

 

―――――

 

 

 

―――

 

 

 

 

 

「………」

「………」

 

話が終わって、既に数分が経過した。

しかし、俺の隣に座る少女――中村涼乃は何も言わない。聞いた情報を整理しているのか、別の事を考えているのか、俺には分からない。

涼乃の顔は下の方を向いており、薄茶色の髪は目にかかっていた。

 

「………」

「……それで」

「?」

「それで将貴は、私に何て言ってほしいの?」

 

小さな声で聞こえてきたのは、そんな言葉だった。俺は真意が理解できず、思った事をそのまま口にするしかない。

 

「別に、何も。無責任だと思えばそう言えばいい」

「………」

「………」

 

そして再び、静寂の帳が下ろされる。しかし今度のそれは、先ほどのように居心地の悪いものではなかった。

 

「……ご飯、食べる?」

「え?」

「オムライス。冷蔵庫にもう1個あるけど、食べる?」

「……あ、ああ。食べる」

「そう」

 

涼乃はそう吐き捨て、冷蔵庫から取り出したオムライスをレンジでチンした。それをソファー前のデスクに置き、何故か俺のすぐ隣に座る。近い。

 

「それ食べたら行こっか」

「え?ど、どこに?」

「明菜ちゃんの部屋」

「いや、この時間はさすがに……」

「いいから。行こ?」

 

おぉう。涼乃さんや、何か見えない圧みたいなのが出てますよ。抑えて抑えて。

 

……だが、正直こうなるのは予想通りだ。

多分、今の涼乃は止めても止まらないし、涼乃の望みは俺の望みだ。ならば従うのが当然であり、むしろ何よりも優先されるまである。

 

「……お疲れさま」

「……別に、疲れてないよ」

「それでも、お疲れさま」

「……おう」

 

そして、その夜。

 

「初めまして、明菜ちゃん。中村涼乃です」

「―――」

「よろしくね」

 

白い少女と、とある風紀委員が邂逅を果たした。

どんな厳重な警備網も空間移動(テレポート)の前には無意味であり、この部屋に来ることに苦労はしなかった。

 

「………」

「………」

「―――」

 

互いに見つめ合ったまま、部屋の時が止まる。深くて静かな明菜の瞳は、俺と涼乃をどちらも見ているようで、しかしどちらも見ていない。

 

この邂逅は、本来あるべきではないのだろう。

俺達は才能も境遇も全てが違う。本来なら会うことなどありえなかったはずだ。

しかし今、3人はこうして顔を合わせている。

理由はただ1つ、入江明菜を救うために。

 

「……私も」

「―――」

「私も、あなたの味方だからね」

「――?」

 

涼乃が膝をつき、静かに明菜を抱き締めた。ゆっくりと、力強く、決して離さぬように。

 

俺達が明菜に出来る事など、多分ほとんど無いのだろう。それはきっと、朽ち果てた草木に水を注ぐように、自身が善と感じているだけの、無意味で滑稽な事かもしれない。

そりゃそうだ。急に知らない人が来てじっと自分を見てるなど、俺からしても気味が悪い。

 

「―――」

「(……それでも)」

 

それでも俺は、自分の意志を曲げたくない。

中村涼乃が信じるものを、俺も信じたい。

前原将貴の『正義』を貫きたい。

 

「………」

「………」

「―――」

 

どこからか風が吹き、3人の髪を揺らす。

それは夏にしてはやけに冷たくて、部屋の外では小さな星たちが夜空にそっと寄り添っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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