第26話
「それじゃ、今日はこれくらいにしましょうか」
黒髪眼鏡の
既に荷物をまとめていた少年と少女は、みんなよりひと足早く席を立った。
「それじゃ、先に失礼します」
「お疲れっしたー」
「ええ、お疲れ様」
2人は話し合うことなく、それが当然であるかのように、並んで帰路についた。
その流れるような光景に、遊びに来ていた御坂さんと佐天さんが苦笑いを浮かべる。
「……いやー、流石ですねぇ。なんかもう、何も言えません」
「わたくしはもう慣れましたけどね」
「慣れたからって何も思わない訳じゃありませんけどね」
初春さんの言葉に、みながうんうんと頷く。
過度な接触が無いとはいえ(最近はそれも怪しいが)、あれでまだ、2人は付き合ってすらいない。
あんな光景をずっと見せられて、 私は何度砂糖を吐きそうになっただろう。糖尿病の新しい治療法にならないだろうか。
「でも、やっぱりお似合いですね」
「いいなー、私もああいう相手が欲しい……」
「あはは……今度馴れ初めでも聞いてみます?参考になるかもしれませんよ?」
「面白そう!明日聞こうかなー」
そういった話題には興味があるのか、白井さんと初春さんも食いついてきた。
しかし盛り上がっているところ悪いが、それを叶えさせる訳にはいかない。
「あー、明日は2人とも来ないわよ?」
「え?そうなんですか?」
「ええ。それと、そういう話もあまり聞かないようにね。彼らも良く思わないでしょうし」
「うーん……そうですか」
彼女達は渋々納得してくれたが、それでも好奇心には逆らえないのか、話題が変わることはなかった。
やはり中高生にとって、2人の在り方というのは興味をそそるものらしい。私だって興味が無くはないくらいに。
「それにしても、あの2人ってホントにいつ付き合うんですかねぇ」
ふと、初春さん、がそう言った。
すると、それを聞いた佐天さんの顔がみるみる変わり、食いかかるように初春さんに詰め寄った。その勢いに。御坂さん含めた全員が若干たじろいだ。
「……え、え!?ちょっと待って初春。前原さん達ってまだ付き合ってないの!?」
「あ、あれ?言ってませんでした?」
「言ってないよ!!っていうか嘘でしょ!?仲良いってレベルじゃないよ!?」
佐天さんには珍しい、本気の驚き方だった。
しかし無理もない。少なくとも支部にいる間、彼らは常に一緒だ。そこに割り込んだ人はいないし、割り込める余地は無いと思ってる。
それに、2人が話している時の表情は、事情を知らない人でもひと目で分かるほど幸せそうだ。
しかし前原君は、決してその先の関係になろうとしない。
「(……ま、中村さんは素で気付いてないみたいだけどね)」
適当に思考を終わらせ、部屋にある液晶時計を見た。
そこには現在の時刻と共に、『8/9』と表示されていた。
8月9日――つまり、明日は8月10日。
「……ほら!早く出ないと部屋閉めるわよ!」
「あ、待って固法先輩!まだ聞きたい事が!」
「帰って話すか明日聞くかにしましょう?とりあえず出なきゃ」
「えー!じゃあ初春、明日!明日また詳しく聞かせてね!」
この話は、彼らが言い出さない限り、決して話すべきではない――話してはならない事だ。御坂さん達を信頼していない訳じゃないが、それとこれとは話が違う。
この件については緘口令が敷かれているし、当事者の在り方にも関わることだ。
ましてや、後輩を見殺しにしてしまった私に、口を出す権利なんてどこにも無いのだから。
*
「それじゃ、お風呂入ってくるね」
学園都市のほぼ中央に位置する、広大な第七学区。
その片隅の女子寮に、中村涼乃は戻ってきた。隣には、本来いるべきでない少年がいる。
「ああ。溺れんなよ」
「うん。もし溺れたら助けてね」
「当たり前だ」
思ったより力強い言葉に、私は笑ってしまった。
将貴が外している緑の腕章には、一筋の縫い目が走っている。る
「……ふふっ」
私は白い髪留めを外して、数秒間だけ見つめてバスタオルの上に置いた。
次に黒を基調としたブレザーをするりと脱ぐ。続いてリボンとボタンを外して、シャツや下着を脱いで浴室に入った。
……家族以外の異性がいる状況で、一糸まとわぬ姿になるなんて、さすがに羞恥心が欠落してると言わざるを得ないだろう。
まあ将貴以外には絶対しないって分かるけど。
「ふー……」
蛇口を捻ってシャワーを浴びると、自然と長い息が漏れた。熱いお湯は私の体にまとわりついて、溜息と共に排水口へと吸い込まれていく。
「んー……」
いつも通りヘアケアをして、身体を洗ってから湯船に浸かった。疲れが溶けていくような解放感と、僅かな倦怠感に身を委ねた。
ゆっくりと目を閉じて、開ける。
白い湯気で覆われた天井は朧気で、ひどく不明瞭だった。
「(ちょっと怖いなぁ……)」
湯船に浸かっているのに、全身に鳥肌がたってきた。
何故だか分からないが、例のトラウマが刺激されているようだ。
「……もう出よ」
普段とは異なる衝動に駆られ、すぐに湯船を出て身体を拭いた。スキンケアもそこそこに、私は水色のパジャマに袖を通すなり、将貴がいるリビングに勢いよく飛び込んだ。
「将貴」
「ん、早いな。どーした?」
「いや、あの……何でもないの」
「………」
将貴は何も言わず、ゆっくりとソファーから立ち上がり、洗面所へ向かった。
将貴を見て安心できたのか、鳥肌は既に収まっていた。少し経って戻ってきた将貴の手には、ドライヤーとタオル、白い髪留めと櫛が握られている。
「涼乃、ここ座って」
「……な、なんで?」
「……そんなに警戒すんなよ。髪を乾かそうと思っただけだ」
「え、髪?」
薄茶色の髪に手を当ててみると、確かに髪は濡れている。拭くのを急ぐあまり、髪まで手が回らなかったようだ。
でも、それで将貴に髪を乾かしてもらえるなら、嬉しい誤算だったかもしれない。
「じゃ、じゃあお願いします……」
「あいよ」
私が椅子に座ると、将貴のそのすぐ後ろに立った。
直後に、タオルの柔らかい感触があった。将貴はそのままドライヤーを当てて、効率よく水気を吸い取っていく。
根元から丁寧に乾かすのも含め、その手つきは随分と手慣れていた。
「……〜〜♪」
将貴がよく口ずさむ歌が、すぐ後ろから聞こえてきた。どこか歪んでいて、しかし優しいその旋律に、思わず笑みがこぼれてしまう。
「どーっすか、お客さん?」
「すっごい幸せー……」
「……お、おう。そうか」
気を抜きすぎたのか、みっともない声が出てしまった気がするが、今は何も思わない。
良くも悪くも、今日の私は少しおかしいみたいだ。それに、将貴に心を許すなんて、今に始まった事じゃない。
「はい、これでおしまい」
「ふぁ、ありがとー」
「おう」
髪に触れてみると、今までと少し違う触り心地がした。
下手すると、将貴は私より髪を乾かすのが上手いかもしれない。料理も上手だし、家庭力は並の女子より高いのではなかろうか。
…………なんか悔しいね、それ。
「……将貴、今日は私がご飯作るよ」
「え?何だ突然」
「さっきのお礼みたいなものだよ。将貴に頼りっぱなしじゃ悪いし」
「んー……なら頼むよ」
「うん、任せて!」
〜〜〜
夕飯を終え、歯磨きまで済ませた私は、やることがなくなった私は、用も無いのに将貴のもとに向かっていた。
時刻は既に11時前だが、疲れはあまり無い。将貴はイヤホンで音楽を聴いていたが、私の声にすぐに気付いてくれた。
「ん、どうした?」
「んー。いや、別に」
「……そうか」
イヤホンを片付けた将貴は、ソファーに寄りかかって大きな欠伸をした。幻想御手事件の英雄とは思えない無防備な姿だ。
それだけ信頼してくれて、嬉しくないわけがない。
「……♪」
「?」
私は白い髪留めを外し、ソファーで将貴の隣に座って、そのまま寄りかかった。深夜テンションもあるのか、私は少し大胆になっているのだろうか。
……いや、違う。
これはただ、臆病になっているだけだ。
「……あのさ」
「ん?」
「今日、一緒に寝ていい?」
この言葉も、甘えではなく、怯え。
その真意はきっと家族でも分からない、私だけのSOS。
しかし将貴は何も言わず、微笑みながら受け入れてくれた。
「……涼乃がいいなら、いくらでも」
「……ごめん」
「いいって」
将貴と添い寝という、とんでもない約束を取り付けた私だが、緊張はしない。今の私は、羞恥より恐怖の方が強いからだろう。
「……それじゃ、来て」
「お邪魔します、と」
「んっ……」
ギシリと、私のベッドが軋んだ。シングルベッドは2人で寝るには少し狭くて、互いが横になるには密着する他にない。
将貴の体温が、鼓動が、その心強さが、麻酔に侵されるように全身から入ってくる。
「……電気、消すね」
「……ああ」
リモコンを操作し、部屋の電気を豆電にする。
その瞬間、小さな虫が全身を這い回るような、凄まじい忌避感が駆け巡った。
「――ッ!!」
「大丈夫だ」
「……うん」
そんな私を、将貴は優しく抱き締めてくれた。
頭を撫でる手は私を労るようで、慈しむようで、普段とは少し違う気がした。
「………」
「………」
落ち着いてから顔を上げると、至近距離で目が合った。あと少し顔を出せば、唇が触れてしまいそうだ。
しかし私の鼓動は変わらない。
将貴の鼓動も、また同じ。
「…………ねえ、将貴」
「なんだ?」
「私って、弱いよね」
自嘲げに笑って、私はついそんな事を言った。
他人の否定の上に自分を示すなど、そこに何の意味があるのだろう。分からないし、分かりたくもない。
「……そうかもな」
「もう、そこは嘘でも強いって言ってよね」
「俺の嘘なんざすぐ見抜くだろ、涼乃は」
「……そりゃ、ね」
将貴がもう一度、私の髪を撫でた。淡い光の中、小さな笑い声が2つ。
暗い感情はいつの間にか消え失せて、私の中は、別の何かに満たされていた。
その感情の名前は、まだ分からない。
「(あったかい……)」
抱き寄せる力を強めると、将貴もそれに応えてくれた。
互いの存在を確かめ合うように、互いの『弱さ』を認め合うように。
そんな心地よい微睡みに攫われて、私の意識は別の世界に沈んでいった。
「ぐー……」
「すー……」
めいいっぱい長い夢を見た。
それはこの上なく忌々しくて、私に消えない傷跡を残した暗澹の過去。
それは絶対に忘れられなくて、私の人生を決定づけた栄光の過去。
それは心の1番奥底。
私の最も大切な所に眠っていた、1つの記憶。