学園都市を1つの国とするならば、第一学区はその首都と言えるだろう。
司法や行政、その他公的機関、研究所の本拠地といった中枢を抱えるそこは、人は少ないものの、他学区には無い独特の雰囲気がある。
その一角に、何の変哲もないビルがあった。
それは外見だけで、強化ガラスを隔てた内部の設備やセキュリティは、並の刑務所や研究所を軽く凌駕していた。
なにより異質なのが、屋上に靡く緑の旗である。
それは、このビルの支配者が、年端も行かぬ学生であることの何よりの証明だった。
通称、『本部』。
3,000人を超える構成員、300を超える支部のすべてを束ねる、風紀委員の司令塔にして最高峰であった。
「中村さん?入るわよ?」
「あ、はい!」
ビルを見上げて、その大きさに圧倒されていた中村涼乃は、固法美偉の声で我に返った。
そこで改めて考えてみる。私はどうしてここに?
いや、それも分かっている。
私と固法先輩が、本部に招集されたからだ。
「お待ちしておりました。風紀委員長専属秘書の
「第177支部、支部代表の固法です」
「中村です」
入口近くで、綺麗な制服に身を包んだ青年が私達を出迎えた。
どうやら
「早速ご案内致しますので、どうぞこちらへ」
「ありがとうございます」
そんな私を他所に、明らか年上であろう青年は、丁寧な言動で促した。私もそれに続き、本部ビルに足を向ける。
固法先輩は慣れているのか、特に気にしている様子はなかった。
「(……すごい)」
二重扉をくぐった先の景色に、私は息を呑んだ。
高い吹き抜けの天井と、透明感を強調する明るく開放的な窓。簡易な仕分けがされた窓口がいくつも並び、1人ひとり丁寧に応対するその様は、さながら大手銀行のそれである。
「中村さん?」
「……はーい」
固法先輩に呼ばれ、私は思考を止めて後を追った。
光沢のある木目調のエレベーターの脇には、虹彩認証らしき装置とカメラが埋め込まれていた。
「………」
乗り込んだエレベーターは、完全に無音かつ無振動。将貴君の寮のそれとは、文字通り正反対。
箱の中の静けさが、やけに耳に響く。
「……えー」
箱から出た先に広がった景色に、私はもう一度圧倒された。
豪奢な成金趣味、というわけじゃない。
白く高い天井と細長い廊下は、大きなガラス窓から射し込む柔らかな陽射しに照らされていた。高く伸びた植物のカーテンはエアコンの風に揺れて、屋外以上に生き生きとしている。
最近の会社は銀行からの信用を得るために、わざと豪華な造りと強固なセキュリティにしているらしい。
しかしここの場合は、自然から溢れ出る暖かさを尊重しているようで、金銀よりよほど品があった。
「いつ来てもすごいわね、ここ」
「自慢の廊下ですからね。そう言ってもらえるとありがたいです」
秘書さんと固法先輩の会話が、私の耳を素通りする。
しかしそんな事は人知れず、秘書さんは廊下を素通りし、
コンコンッと扉を叩く音は軽く、しかし堅そうだ。
「久坂です。第七学区、177支部の方々をお連れしました」
『入ってー』
「失礼します」
秘書さんはゆっくりと扉を開き、瀟洒な動きで私達を促した。 自身は別の仕事があるのか、秘書さんが部屋に入る様子はない。
私は遠慮気味に部屋に入ろうとして、しかしそこで止まってしまった。
「(すごっ……)」
扉の先には、教室2つ分ほどの空間が広がっていた。
白と黄土色を基調とする部屋は、学校の教室を連想させ、緊張や息苦しさを和らげているようだった。壁に掛かった大量のディスプレイは、その気はなくとも異世界感が溢れ興味深い。
「待ってたよー」
しかし、それすら霞むような存在感を放つ少女が、部屋の真ん中に座っていた。
金糸を編んだようなセミロングの金髪と、それを後頭部で結ぶ深紅のリボン。明らかに平均を下回る小さな体躯だが、その顔立ちには理知的と無邪気が奇跡的なバランスで同居しており、初めて見る魅力があった。大きな
その少女は私達を見るなり、跳ねるように椅子から降りた。常盤台中学の制服である、灰色のプリーツスカートが揺れている。
目の前に立たれると、改めてその小ささに驚く。身長で言えば140cmくらいだろうか?
「『本部』中央委員会・総務役員の
*
学園都市の治安は、少なくとも良くはない。
科学の栄光を投影するように、スキルアウトと呼ばれる原始的な不良集団がいるからだ。
現に今日でも、路地裏を歩けば遭遇することもたまにある。第一〇学区が最も顕著だが、それはここ、第七学区も例外ではない。
「(確かこの辺のはずよね)」
しかし、そんな事は知らないと言わんばかりに、1人の少女が路地裏を立ち回っていた。
常盤台中学の制服に、肩に届く短めの茶髪と花飾りのヘアピン。化粧がなくとも整った顔立ちに、お嬢様らしからぬ気の強そうな瞳。
「(私が出る幕じゃないかもだけど)」
呆れたように溜息をついた私は、薄っぺらい鞄を肩に掛け直した。
つい先日この路地裏で、クラスメートがスキルアウトに絡まれたらしい。私がここに来た理由は、悪く言えばそのお礼参りだ。
今後ここを通る生徒には手を出させない。そのためには、ある程度の力を示しておく必要がある。
もっともその子は、偶然通りかかった少年に助けられたらしいが。
「(よほど暇なのね、私)」
助けてくれた少年にお礼でも言えたらなぁ、なんて事を思いながら、奥へ奥へと進む。
すると突然、遠くに汚い声が聞こえた。この場所や声色から考えるに、声の主はスキルアウトであろう。
音源を頼りに進み、ようやくその地点を特定する。
「よお。お前か?噂の『スキルアウト狩り』ってのは」
「前は後輩が随分と世話になったみてぇだなあ。感謝するぜ」
踊り場のような開けた空間で、10人ほどのスキルアウトが立っていたのだ。
見てはいらないが、能力を応用した電磁レーダーにより、彼らが1人の少年を取り囲んでいることまで分かる。バットや警棒を持つスキルアウトがいるのに対し、少年は丸腰のようだ。
足が竦んでいるのか、ぴくりとも動く気配は無い。
「(……ったく、寄って集って何やってんだか)」
能力を操作し、いつでも出れるよう準備を整える。
幸い少年は壁に追い込まれているため、手前に電撃を集中させれば、巻き込むこともないだろう。
しかしここで、電磁気レーダーが思わぬ反応を示した。
「……ッ!」
追い込まれていた少年が、突如スキルアウトに襲いかかったのだ。
窮鼠の反撃とは明らかに違う、鍛錬を積んだ者の動きだった。虚をつかれたのか、目の前にいたスキルアウトの鼻頭に綺麗な一撃が入った。
「ぶぇっ……」
「なっ……」
「て、テメェッ!!」
崩れ落ちた仲間を見て正気に戻ったのか。スキルアウトが一斉に襲いかかる。しかし少年は怯まない。
足の親指、鼻頭、顎、鳩尾、そして後頭部。
およそ人体の急所と呼ばれる所を的確に叩き、1人また1人と、スキルアウトを戦闘不能に追い込んでいく。
「(能力は、使ってなさそうね。なんというか、恐ろしいほど効率的……)」
彼は人を『倒す』のではなく、『壊して』いる。構造的な弱点を破壊することで、強制的に動けなくしているのだ。
さらに、それに対して躊躇が無い。言ってしまえば『慣れて』いた。
だが、それでも多勢に無勢。
「……っ!」
「オラァ!!死ねカスが!!」
誰かが振るった拳が、少年の腹を捉えた。少年の顔が僅かに歪み、そのせいで一瞬だけ動きが鈍くなる。
スキルアウトはその隙を逃さず、全方位から畳み掛けるように拳や能力を叩き込もうとした。
「――って呑気にしてる場合じゃないわ、ねッ!!!」
ズヴァヂィッ!!という爆音を鳴らし、私の前髪から高圧電流が炸裂させる。空を滑る雷霆は青白く、路地裏の薄闇を尽く一掃していく。
さすがに
「えッ――」
「なッ――」
直後、轟音が響き渡った。
雷霆が突き刺さったスキルアウトは、声を上げることもなく吹き飛ばされた。運良く味方が盾になった者も、吹き飛ばされた味方に巻き込まれ、壁に叩きつけられ意識を手放した。
意識が刈り取られたのか戦意を喪失したのか、そこから立ち上がる者はいない。
「ふう。こんなものかしら?」
適当に呟いて、私は少年の元へと向かった。
肩に残っていた電撃を抑え、跪くように座る少年――私より年上であろう――に声をかける。
少年は状況を飲み込めていないのか、座ったまま動かない。なぜかその頬には湿布が、その手足には包帯が巻かれている。
戦う前から既にボロボロだったみたいだ。
「大丈夫でしたか?怪我……は、してますね。痛みませんか?」
「………」
「……とりあえず表に出ましょう。ここじゃ他のスキルアウトが来るかもしれません。立てますか?」
「………」
「……あの?」
立たせようと手を伸ばしたが、しかし少年は見向きもしない。私の言葉にも一切の反応を示さないあたり、話を聞いていたかも怪しい。
私は不思議に思い、少年の目の前に歩み寄った私は、そこで息を呑んだ。
「――っ」
少年の瞳が、異様なほど綺麗だったのだ。
言うならば透明。光を失ったその瞳は、まるで魂が抜き取られたような、異様な透明感があった。
「(なに、この人……)」
「………」
「……あっ、ちょっ?」
潜在的な恐怖を抱いていると、不意に少年が立ち上がる。私の伸ばした手が
急いで振り返ると、少年は路地裏のさらに奥へと消えていくのが見えた。
「ちょっと、どこ行く……」
「………」
「……っ」
声をかけようとして、先ほどの瞳を思い出す。それだけで私の足は、地面に縫い付けられたように動かなくなった。
追うことも、言及すらも許さないと、少年のあまりに小さな背中から滲み出ていたのだ。
少年が消えるのを見届けた私は、ここに来た理由を既に忘れていた。
思考をまとめようとして目線を落とすと、寂れた路地裏に、1つの『色』が落ちているのを見つけた。。
「この腕章……風紀委員?」
頂点に立つ
その手には、薄汚れた緑の腕章ひとつ。
持ち主の行方は、誰も知らない。