会話や対談において、話の主導権を握る事は重要だ。
自分のしたい話ができるし、進めたいように進められるからである。
そして、主導権を握るには、まずは自分のペースに呑み込んでみることだ。
「なに飲む?紅茶もコーヒーも、オレンジジュースとかもあるよ」
「……えっと。じゃあ、紅茶で」
「おっけ。種類は……フルーツとか好き?柑橘系のやつ」
「……えっと。うん」
「おっけー。じゃあニルギリで」
金糸を編んだような髪を軽く揺らし、松浦奏はそう返事をした。
手馴れた動きでお湯を沸かし、同時進行でマリアージュである桃のタルトを切り分け、皿に優しく盛り付ける。
うん、我ながらいい出来だ。
「あの……松浦さん?」
「んー?なーに?」
「……その、何してるの?」
「紅茶を淹れてるの」
ティーカップの温度を確認し、茶葉のしまってある棚をいじる。
うん。ニルギリは久しぶりに出したけど、変わらず良い香りだ。
「私達を呼んだのは副委員長……ですよね?」
「うん。あと奏でいいよー」
「副委員長。早く要件を言ってくれない?私達は忙しいのよ」
「まあまあ。せっかく正式に呼んだんだし、ゆっくりしていきなよー」
黒髪眼鏡の
みーちゃんが非難するように私を睨むが、私は無視して準備を進める。
高い位置からポットにお湯を淹れて、しばらくすると、ポットの中で茶葉が踊り出して、柑橘系の匂いが漂ってきた。
「おまたせー」
「ありがとうございます。それで、要件はなんでしょうか?」
「そんなに急かさないでよ。焦っても良い事ないよ?」
「無為にする時間もありませんので」
出した紅茶を一瞥もせず、みーちゃんは私を睨んだ。
私が年下とはいえ、立場では私が上だ。それでも物怖じしないあたり、よほど本気なのだろう。
しかし、みーちゃんは何か勘違いをしているらしい。
「そんなに怒んないでよ。そもそも本部に協力を仰いだのはみーちゃんでしょ?」
「みーちゃん……?」
「あ、うん。美偉のみーちゃん。嫌かな?」
「嫌ではないですが……」
にゃはは、と笑ってティーカップを傾ける。
渋みが少なく、変なクセも無い味は無限の可能性を思わせるが、それゆえどこか物足りない印象もある。ストレートでも美味しいが、ミルクやレモンを入れても良いだろう。
「あ、美味しい……」
「良かった。タルトもあるから食べてね」
「ありがとう……じゃなくて!お茶なんか飲んでる場合じゃないんです!私達は――」
「前原将貴って人を探してるんでしょ?知ってるよー」
ティーカップを置いた体勢のまま、みーちゃんの表情が固まった。
隣に座る中村涼乃……すずのんでいっか。すずのんは何も言わない。
「……ッ。そ、そうです。それで、協力してくれるんですか?」
「それはそうと、『スキルアウト狩り』の正体は掴めそう?」
「話を逸らさないでください。副委員長、前原君の捜索に協力していただけるのですか?」
みーちゃんは私の返答が気になって仕方がないのか、少し前傾姿勢になっていた。私を見る目は鋭いが、しかし冷静ではないらしい。
私はそれを横目に、机の上にあったミルクピッチャーに手を伸ばした。
「話は最後まで聞いてってば。話が逸れちゃうからさ」
「逸しているのは副委員長でしょう!前原君はどこに――」
「だからー、『スキルアウト狩り』の犯人が、前原将貴だって言ってるんだよ?」
えっ、と。
短く呟いたみーちゃんの時間が、今度こそ止まった。隣のすずのんも、ティーカップを置いた体勢のまま固まる。
私の手元では、今まで気取っていたような紅茶が、ミルクが入って優しく白んでいた。
「……副委員長。私は真面目に聞いているのです。冗談は止めてください」
「別に冗談じゃないよ。とりあえず見せるねー」
私は腕時計型端末を操作し、壁のディスプレイに幾つもの映像を並べた。その中には、彼女達が探し求める少年、『前原将貴』がいた。
それを見るなり、みーちゃんの顔が一気に喜色を帯びた。怜悧な雰囲気とは裏腹に、忙しなく表情が変わっていて面白い。
「これは先月の15日だね。ちょうど行方不明になる直前のやつだよ」
「前原君……!よかった、無事だったのね……ッ!」
「……将貴君?」
「それで、これが1番最近のやつ」
しかし、みーちゃんとは対象的に、すずのんは何か気になるらしく、どこか訝しげだ。
質問は後で受け付けるとして、今はいっぺんに事実を話してしまおう。
「ここで注目。前原将貴……しょーくんは、とあるビルの隙間に入っていきました」
まず映ったのは、制服姿のしょーくんが、薄暗い路地裏に入っていく姿。その腕には包帯が巻かれているが、緑に輝く腕章があった。
「しかしそこは、このようにスキルアウトが潜んでいた場所でした」
別のディスプレイに、10名ほどのスキルアウトが入っていく映像が映る。ガラの悪そうな、いかにも典型的なスキルアウトといった様子だ。
「しかし怪我を負いながらも、少し経ってしょーくんは出てきました」
次いで映ったのは、先ほどとは別の痣を負いながらも出てきたしょーくんの姿。
その腕に、緑の腕章は無い。
「そこに残ったのは、的確に、しかし徹底的に痛めつけられたスキルアウト達でした」
さらに別のディスプレイに映ったのは、腕がおかしな方向に向いたり、顔に大きな痣が出来ていたり、白目のままピクリとも動かないスキルアウトの姿。
「こうしてしょーくんは『スキルアウト狩り』として確固たる地位を占め――」
「嘘よ」
ぴしゃりと、みーちゃんは遮った。
その肩はぶるぶると震え、どれだけの力が篭っているのか分からない。
しかし、そんなことで事実は覆らない。
「それじゃ、次いこっか。先月25日の第一〇学区の映像が――」
「必要ないわ。『スキルアウト狩り』は前原君はじゃない。彼はそんな事、絶対にしないもの」
「そう言われてもねー」
あまりにも真っ直ぐな言葉に、思わず笑いそうになった。それを見透かしたのか、みーちゃんは噛み付くように私を睨んでくる。
「考えてみてよ。納得できる点も多いでしょ?多人数を相手に圧倒できる技術とか、『風紀委員にやられた』っていう証言とかさー」
「………」
「それに、現場に落ちてた腕章もしょーくんのだったよ?シリアルナンバーも一致したし」
執務用の机に向かい、その引き出しから腕章を取り出す。
透明の袋に入ったそれは、薄汚れた緑の腕章だった。先日、とある常盤台の生徒から届けられたものだ。裏に刻まれたシリアルナンバーは、映像の少年のそれである。
「似たような映像や証言がいくつもあるけど、見る?」
他にも、被害者のスキルアウトからはしょーくんの指紋が検出されたし、常盤台中学の後輩も、それらしき人物に救われたと聞く。写真を見せれば裏も取れるだろう。
しかし、ここまで揃えてなお、みーちゃんは首を横に振った。
「違う……前原君はそんな事しない……」
「じゃあこの人は誰?しょーくんとは違うの?」
「……違う。前原君じゃない。絶対、違うの」
うーん。何を言っても信じてくれなさそう。
ここまで事実を見せてまだ言い切るとは、しょーくんへの信頼は、もはや信仰に近い気がしてきた。
勝手に偶像にされたしょーくんの心情は如何程か、想像もしたくない。
「そっか。とりあえず言いたい事は言ったし、みーちゃんはもう帰っていいよー。あとすずのんは残って」
「……何故、中村さんを残すのですか?」
「気になる?」
「……いえ、分かりました」
少しの逡巡の後、みーちゃんは一礼して退出した。
何ひとつ納得していないのがありありと分かるが、素直に応じてくれるあたり、一応支部代表としての矜持は覚えていたらしい。
そんな事を思っていると、残されたすずのんがおもむろに口を開いた。その口調は遅く、噛み締めながら言っているようだった。
「……奏さん。何か私に協力できる事、ない?」
「別に無いけど、どうして?」
「……将貴君がいま、どこで何をしてよるか。正直私は、どうだっていい。彼が無事ならそれでいいんです」
「そっか。じゃあ『ここ』で、大人しく待ってるといいよ。連れてきてあげるから」
正直な話、学園都市で人を見つけるだけなら、私1人の方が早い。直接迎える者も、私がひと声かければすぐに見つかる。
ゆえにこの程度なら、効率的にも経済的にも、誰かに頼る必要が無いのである。
ただし、それを覆すだけの思いがあるのなら、その限りではない。
「……私が、彼を迎えに行きたいんです」
「迎えに行って、どうするつもり?」
「面と向かって話がしたいです。聞きたい事が……言いたい事が、たくさんあるんです」
「その言葉が通じる保証はないよ?」
酷薄な笑みを浮かべ、私は言葉を続ける。
ここで善心ある言葉が返ってくるようなら、それは善意の押し付けでしかない。
正論が万能ではないように、善意もまた万能ではない。
お互いのためにも、それが分かってない人を、今のしょーくんに会わせる訳にはいかないのだ。
「……これは私のエゴです。それでも私は、どうしても将貴君に会いたいんです」
「正直、会うだけなら私の方が早いよ。それは分かってる?」
「………」
「それでも会いたいのは、どうして?」
「それが『正解』だと信じているからです」
すずのんは迷うことなく、そう断言した。
薄茶色の瞳は、私をじっと見つめて逸らそうとしない。その中には。みーちゃんには無い『強さ』があった。
「風紀委員ではなく、中村涼乃として、私は前原将貴に向き合う。ここでそう動かないことは、明らかに私の『正解』に反していると確信します」
「………」
「しかし、私にはそれをするだけの力がありません。だから……だから、力を貸してください」
そう言って、すずのんは頭を下げた。
その姿は憂わしく、風紀委員としてはあまりにも頼りない。しかし、それ以上に優しく、柔らかかった。
数秒間そうして、やがて私から破顔した。
「分かったよ。中村涼乃、あなたに協力する。だから、私に協力してねー」
*
時間は少し遡り、8月5日。
本部の高層階にある副委員長執務室にて、松浦奏は2つの画面と向き合っていた。
部屋に1人佇むその姿は、どこか晏然と、そして悄然としている。
「………」
――――――――――――――――――――
前原将貴。
柵川中学3年。10月30日生まれ。
能力は測定不能、生粋の
中学入学と同時に風紀委員に入り、現在に至るまで177支部に所属。
遅刻や違反等なし。評価は優良。
強固な意志、向上心を持ち、訓練や授業における意欲、態度は他の模範と言える存在。
第七
判断力と対人格闘術に長け、特に射撃において卓越した才能を発揮。
――――――――――――――――――――
本部への推薦や評価を考えると、しょーくんの人物像はこんなカンジだろう。
なるほど、風紀委員の鑑みたいな人だね。
本部が欲しがるのも分かる――が。
「(能力が『測定不能』……)」
強度や性質は様々が、学園都市に住む学生は、その全員が能力者だ。
例え
つまり、
「………」
腕時計型端末を操作し、学園都市の総合データベースである
本来は管理センターの経由が必須だが、『本部』の権限下ならば、ある程度の閲覧が許可されていたりする。
「(『能力名:なし(測定不能)』っと)」
検索エンジンに打ち込み、230万人のデータを一気に篩にかける。
しかしさすが学園都市と言おうか、ひと息入れようと紅茶を口に飲んだ時には、既にデスク上のディスプレイに結果が出ていた。
『検索結果:290,525件』
「(意外と多い……かな?)」
検索結果を眺めると、顔写真のすべてが一様に幼い。時間を見ると、全員が小学校入学前の幼児だった。
なるほど『測定不能』という結果は、能力開発を受ける前の状態を指しているらしい。
「(つまり『外』の人間と同じ状態)」
学園都市に住む学生は全員が能力者、というのは、厳密には間違いだ。
『開発』の授業は、小学校入学後に初めて行われる。
つまり、保育園児や幼稚園児は『外』の人間と同じく『開発』を受けていないため、能力が発現しないのだ。
「(なら、しょーくんはどうして?)」
次いで湧いてくる、さらなる違和感。
私は新たな条件を1つ加え、再度検索をかけた。『能力名:なし(測定不能)、小学生以上』と。
「……『該当者なし』」
確かに1人いるのに、これが結果。これには実に多くの情報が含まれているだろう。
つまりしょーくんには、何かしらの『検索できない理由』があるのだ。
1つ言えるのは、しょーくんが『ただの
「(……調べてみる価値はありそうだけど、どこまで
私の中の何かが、微弱な危険信号を受信する。
目を閉じて、ゆっくりと開く。ふぅ、と息を吐いた私は、腕時計型の端末を操作して、とある場所へ連絡を送った。
彼が所属していた支部、風紀委員第177支部へと。
*
学生の街である学園都市は、夜になると急速に活気が失われる。特に深夜の第一〇学区など、ゴーストタウンと言って差し支えないほどに。
「………」
静まり返った街の中を、頬に湿布、手足に包帯を巻いた少年が徘徊していた。
名を前原将貴と言うが、薄闇に溶けるその姿は、もはや幽鬼に近い。彷徨っているのは肉体か魂か、本人にも分からなかった。
「………」
なんとなく空を見上げる。
そこにあるのは、一面の闇を従えるように浮かぶ、黄金の月。その光は圧倒的で、松明に灯った炎はおろか、夏の星座すら消されそうなほど輝いていた。
「………」
ゆっくりと瞳を閉じる。それだけで、先ほどの路地裏での記憶が、克明に浮かび上がってくる。
あれが、
正真正銘、学園都市の――世界の頂点。
「…………すごかったなぁ」
抱いた感情は、純粋な憧れ。
そして、虚無感。
「………」
月光に照らされて、影が後ろへ伸びていく。
きっと俺は、目を開けたまま夢を見ていたのだ。いや、思い込ませていたのだ。
自分は
――――馬鹿にも程がある。
月と炎。
確かに、光源という意味で両者は似ているが――少し考えたら誰でも分かる。
炎が月に勝てるはずがない。
どれだけ炎を焚こうと、月はいつだって世界の半分を照らしている。自分が焚べた炎の火の粉が降り掛かり、熱いと喚く人間になど、耳を傾けないのだ。
「………」
俺がしてきた事など、所詮は薄氷の上の足跡みたいなものだったのだ。少し照らされても、炎を近付けても、簡単に消えてしまう――その程度のものだったのだ。
そんな事に全てを捧げてきた自分が、ひどく馬鹿馬鹿しく思えてきた。
「………」
立ち止まり、その場で天を仰ぐ。
見えたのは、黒いビロードのように分厚い夜空。そして、それを引き裂き、支配するように浮かぶ黄金の月。
それに手を伸ばそうとして、やめた。
失敗したのではない。諦めたのだ。
月を掴むなどという、珍奇で大それた絵空事を。
「………」
努力は、してきたと思う。自分が出来る事は、最大限やってきたつもりだ。
風に揺れる灯火のようなものでも、あの時の俺は輝いていたはずだ。
でも、それすら燃え尽きてしまった。
後に残ったのは、光を映さぬ灰のみ。掃いて捨てるだけの、何の価値も無い有象無象。
「……ははっ」
それを自覚した瞬間、何故か笑えた。
それを噛み殺すこともできず、切れ込みを入れたように口が歪んでいく。
ああ、俺は間違えたのだ。
そして、それに気付こうとしなかったのだ。
ああ、なんと哀れで愚かなことか!!
「ははははははははははっっっ!!!」
崩れていく。
壊れていく。
薄れていく。
笑うたびに、『前原将貴』という人間が、1つ2つと泡沫のように消えていく。
「あはははははぎゃはははははぁっっっ!!!」
不思議な気分だ。
何年もかけて積み上げたものが、全部ぜんぶ無駄だと確信した。なのに、それが全然嫌ではない。
ああ、この晴れやかな気持ちは何なのだ!!
「くくッ……、あはハハはハハハハハハハァッッッ!!!」
笑う。嗤う。……まだ哂う。
理由なんて知らない。何がおかしいのか、そんなことはどうだっていい。
もう、無理だったのだ。
『前原将貴』は、もうこの世界にいない。
俺が殺した。
今まで大切に描いてきた『日常』という絵は、俺がこの手で塗り潰した。
修復なんて、出来る訳がない。同じ絵をどれだけ精巧に描こうと、全く同じなんて事は、絶対にありえない。
俺自身、それが1番よく分かる。
「ハハハ……はハ……ハハハ……」
そして残ったのは、『少年』の抜け殻。
名前すら奪われた者の、音の無い慟哭。
それでも、涙は流れない。
『少年』は思う。この世界は歪んでいると。
神が世界を作った時、きっと神は自身の力を過信していたのだろう。
「(……もう、なにもかも無駄だ)」
俺は思考を放棄して、ふらふらと歩を進めた。
行き先は決めていない。何なら、このままヴァルハラに赴き、神と向き合うのも吝かじゃない。
そんな世迷い言を本気で考えている事実に、『少年』は違和感を抱けなかった。
「……?」
代わりに、その違和感を遮断したものがあった。
それは右手首に走った痛みだった。動くのも面倒に思った『少年』は、反撃もせず振り返る。
するとそこには、見たことのある少女が立っていた。
「制理……?」
「やっと……見つけた……ッ!!」
『少年』のクラスメイトである吹寄制理が、そこにいた。