吹寄制理がどんな人物かと聞いたら、大抵の人は真面目で厳しい少女だと答えるだろう。
少なくとも、こんな時間に、こんな学区に、不必要に来るような人物ではなかったはずだ。
「制理……?」
「やっと……見つけた……ッ!!」
突然現れた少女の名を、『少年』は心底驚いたように呼んだ。
耳に引っ掛けるように分けた長い黒髪に、大きく出したおでこ。気の強そうなその瞳は、間違いなく俺のクラスメート、吹寄制理だった。
その後ろからは、元春や当麻、黒ピといった友人達が続いている。彼らは俺を見つけるなり、前原前原と喧しく問いかけてきた。
「……何だお前ら。揃いも揃って」
「……何を言っとるんや、ハラショー」
「呑気な事言ってんじゃねぇぞ、前原」
「今までどこに……私が、私達がどれだけ心配したと思ってんのよ……!!」
すまないが、俺は聖徳太子じゃないんだ。発言者は1人に絞ってくれないだろうか。
そんな事を思って腕を振るが、思った以上に力が強く、制理の腕は払えなかった。むしろ逃げよう思われたのか、力がより強まった気さえする。
……痛くはないが、鬱陶しい。
「……何なの?」
「何なのじゃない!!アンタこそ何やってんのよ!!」
「は?」
「学校には来ない!寮にはいない!電話にも出ない!!今までどこほっつき歩いてたってのよ!!」
「………」
「何とか言いなさいよ!!!」
そう叫ぶ制理の眼光は鋭く、しかし何故か涙が浮かんでいた。そこに秘められた感情など、俺には分からない。
「……別にいいだろ。俺の勝手だ」
「はぁ!?何いい加減な事――」
「五月蝿い」
「……ッ!?」
鬱陶しそうに睨むと、制理は一瞬怯えたようになり、その手を離した。後ろに控える当麻達も、信じられないものを見るように俺を見てくる。
何だお前ら、そんなに俺が怖いのか?
「……前原?」
「何?」
「どうしたの、その怪我。ボロボロじゃない」
「………」
「……何とか言ってよ。でなきゃ何も分からないじゃない」
スキルアウトと喧嘩をした結果だが、素直に言う義理は無い。面倒事はごめんだ。
死んだような空気にしびれを切らしたのか、後ろで閉口していた黒ピが口を開いた。
「まぁまぁ、別に今聞かんでもええやん?とりあえず帰ろうや!夜も遅いことやしさ!」
「……そうだな、とりあえず戻るか。こんなトコまで来ちまったしな」
「俺ぁ腹が減ったぜい、どっかメシでも行くかにゃー」
「……そ、そうね。話はそこで……ね、前原。帰りましょ?みんな学校で待って――」
「――何の為に?」
ぴしりと、もう一度空気が死んだ。
茶番じみた流れが完全に断ち切られ、気持ち悪い静寂だけが残る。
「何で戻る必要がある?」
「え……?何でって、そりゃあ――」
「何で学校に行く必要がある?その結果、何が得られるんだ?」
学校に行って、俺が今まで得られたもの。
友人。協調性。学力。
思考力。判断力。体力。射撃術。格闘術。
そして、信頼。
「
「……な、何を言ってるの?」
制理の言葉を聞こうともせず、俺は口角を歪に釣り上げた。その表情が何を示しているのか、自分でもよく分からない。
「俺はあと何回、敗北を重ねればいいんだ?」
「……前原は負けてなんかないわよ。それに、もしそうだとしても、みんなで頑張れば――」
「みんなで頑張って、ねぇ。じゃあ聞くけどさ」
「……?」
「その『みんな』は、どうして能力の話をしないんだ?」
「――ッ!!」
かつて会話の中で覚えた、小さな違和感。
加えて、友人からの謝罪。
当時は気にしていなかったが、今ならその意図も簡単に分かる。それはだまし絵に似て、一度分かればもうそれ以外には見えなくなるのだ。
「結局、お前らは俺を下に見てるんだよ」
「なっ……そ、そんなはずないじゃない!!」
「今更取り繕ってんじゃねぇよ」
同情。
字面や響きは確かに美しい。
だが、それは何をどう言ったところで、相手の事を下に見ないとできないことだ。
戦争や飢餓で苦しむ人々を可哀想だと思うことは何も間違いじゃない。
だが、それは自分の生活が――自分自身が保証されているからこそ思えることだ。
「わっ、私は、そんなつもりじゃ……」
「へぇ、お前が言い始めたんだ」
悪意が無いことなんて分かってる。
制理もクラスメートも、レベルが上がらない俺に気を遣ってくれただけに過ぎない。そこにあるのは間違いなく優しさだ。
だからこそ、俺は抵抗も反撃もできない。
「優しいな。でも酷ぇよ」
「………」
「俺だってお前らと一緒に進みたかったよ。でも、お前らがそれを許してくれなかった」
「……違う」
「違わない」
どうせ言うなら、真っ向から『才能無し』と言ってくれた方がまだ楽だった。鋭利な刃物で切られた方が、まだ傷の治りは早いだろうから。
「私は前原が心配なだけで……」
「心配、ねぇ。随分上から目線じゃねぇの」
「違う!!そんな――」
「俺を『心配しなきゃいけない存在』だって決め付けたのはどこのどいつだよ」
「そんな、つもりじゃ……」
『そんなつもりじゃなかった』
何と独善的で、無価値な言葉だろう。自分を正当化する事以外に、その言葉に何の意味がある?同じ台詞を吐いた犯罪者がどれだけいると思ってる?
「……私は前原を尊敬してるの。本当に、本当にすごい人だって思ってるのよ」
「だから?」
「……ッ、だから……だから、あの時の前原に戻ってよ!!」
「そうか」
お前は俺に、これからも無条件に挑み続けて、その度に否定され、打ちのめされろと言うのか。ここまで敗北を重ねて、まだ足りないと言うのか。
なるほど、随分と殊勝な考えじゃないか。
そんな思考をどけるように、今まで傍観を決めていた当麻が前に出てきた。
「……前原。1ついいか」
「何?」
「お前は、一体何がしたいんだ?今まで前原が積み上げてきたもの……それを壊してまでしたい事は、一体何なんだ?」
問いかける当麻の表情はまっすぐだが、しかしどこか陰りが、戸惑いが見える。
「それが分かったら苦労してねぇよ。第一、俺は元々大したモンなんざ積み上げてねぇ」
「それは周りが決める事だ。そしてその周りは前原を凄い奴だと認めて、信じてるんだぞ」
「頼んでもねぇけどな」
その人がどんな人間なのかは、自分ではなく他人が決める事だ。そんな事は分かっている。
だが、それが正しいかと問われれば、必ずしもそうとは限らないだろう。言ってしまえばそれは『思い込み』に過ぎないのだから。
本人が明言したり騙した訳でもない限り、『信じてたのに』とか『そんな人だとは思わなかった』と責めて良い理由にはならないのだ。
「だが、それでも前原を信じてる奴は……前原に救われた奴はたくさんいるんだぞ。それは今だって変わらないはずだ」
「そうか」
「なら、そいつらの気持ちは――」
「逆に聞きたいんだが」
『前原は』『前原なら』『前原だから』
そういった言葉を、俺は何度も耳にしてきた。信頼されていると感じて、気分が良かったことも覚えている。
でも、ある時思った。
「何で俺はそうじゃなきゃいけないんだ?」
常に望み、常に挑み、何度敗北しても諦めず、怠けず、弱さも見せない。
何故俺は――
「……前原自身がそうありたいからだろう?」
「それはお前の願望だよ。否定されることに『慣れ』があるとでも思ったのか?」
「………」
「何も知らねぇくせに俺を語んじゃねぇ。どう思うかは勝手だが、それを俺に押し付けんな」
憧れて、理想を抱いて、それと違ったから失望する。そんなのは勝手にすればいい。だが、それを理由に責めるのはおかしいだろう。
「それは……確かにそうかもしれない。だが、今の前原が正しいとは、俺はどうしても思えない。そんなのは、前原のためにならない」
「……俺のためって何?」
眉が歪み、俺は唸るように舌打ちした。全てを壊し、透明になった心に、僅かな陰りが生まれる。
「才能の欠片も見せねぇ俺に、何がためになるってんだよ」
「前提が違うぞ、前原。みんなが前原が信じる理由はそんなのじゃない。もっと別のモノだ」
「……何だよ、それ。分かったような口聞くなよ。俺の気持ち考えたことあんのか?」
「あるさ」
何の逡巡もなく、当麻は真正面から言い切った。いちいち考えるまでもない、と言わんばかりに。それは、これから続く言葉が当麻の本心であることの証左でもあった。
「俺も同じ
「――――は?」
それはもう、本能に近かった。
その言葉に宿るのは、先ほどの陰りを塗り潰すほど濃く、深く、そして純粋な黒いナニカ。
様々なモノが混ざり過ぎた『それ』を何と呼ぶかは知らないが、少なくとも友人に向けるものではないだろう。
「お前今、俺の気持ちが分かるっつったか?」
「ん?あぁ、それが――」
「何が?」
重力に負けたように首を折り、歪んだ視界の中で当麻を見据える。後ろにいた制理が短い悲鳴を上げたが、しかし当麻は動かない。
「教えてくれよ。お前に俺の何が分かる?」
「……?いや、だから」
「今まで何の努力もしてこなかったテメェに!!俺の何が分かるってんだよ!!!」
自分の中で、何かが弾けた。
それはかつて覚えた、未知の感情。見ないふりをして蓋をして、鎖で雁字搦めに縛り付けたもの。
その鎖が、解かれる。
蓋が開けられる。
今まで封じていたソレが、溜まりに溜まった黒い感情が、一気に爆発した。
「何が一緒だ!?何が分かるんだ!!?初めっから諦めてたテメェらによォッ!!!」
月を掴もうと、少しでも近付こうと、俺は高く険しい山を登った。でも失敗して、地上に叩きつけられた。
何度も。何度も。何度も。何度も。
何度も。何度も。何度も。何度も。
それなのに、『同じ』?
初めから登ろうともしなかった奴と?
辛さも、怖さも、悔しさも、痛みも?
「努力だと?してきたよ。少なくともテメェらよりはなァッ!!勉強も訓練も『開発』も!!手ェ抜いたことなんて一度も無かったよ!!!」
当麻達が今まで何もしてこなかった、とは言わない。悔しがり、苦しんだ事もきっとあるだろう。
だが、俺にとって
「でも見返りなんて何も無かった!!そんなのは無駄以外何でもなかった!!!」
「ち、違う!!無駄なんかじゃない!!」
「うるせェよ!!事実何の成果も出てねェだろうが!!ならそんなもん無駄でしかねェよ!!!」
世の中は、綺麗事だけで通じるほど甘くない。
もちろん、側面が評価されることもあるが、結局は結果で決まる。結果を出さぬ者がどれだけ正論を並べようと、それは言い訳にしかならないのだ。
「ああそうだ。そうだよ!!俺もお前らみてェにさっさと諦めてりゃ良かったわ!!その方がよっぽど人生楽だったろうよ!!」
「なっ……!?お前それは――」
「1番ムカつくのはテメェだよ!!当麻!!!」
矛先が向けられるとは思ってなかったのか、当麻の表情に驚愕が帯びた。俺はそれを呑み込むように睨み付ける。正確には、向き合っている少年の右手へと。
「同じ
「ッ!!」
ありとあらゆる異能、果ては神様の
俺が欲しくてやまない、正真正銘の『能力』。
「いいよなァ、テメェは初めから能力あるもんなァ。どうとでも言えるもんなァッッ!!!」
俺が喉から手が出るほど渇望する、それこそ全てを投げ打ってでも望んだ『能力』。上条当麻は、それを生まれながらにして持っている。
なのに、彼はそれを、何と言った?
『不幸だ』
なぁ、上条当麻。
自分が何を言ってるか考えたことあるか?
「そ、それでも今の前原は間違ってる!!逃げてもどうにもなんねぇだろ!!」
「はんっ、真っ先に逃げたのはテメェらだろうがッ!!俺だけ非難される謂れはねェよ!!!」
悔しがって能力が手に入るのなら、俺は涙でバスタブを満たそう。だがそんなのは空夢もいいとこだ。
お前は知らないだろう。
参考書を全て読み終えた時の虚無感を。
お前は知らないだろう。
お前は知らないだろう。
賛同が憐憫に代わる虚しさを。
「……だ、だからって、一時の感情に身を任せるのは――」
「もう1回聞くぞ、上条当麻」
「………」
「お前に俺の、何が分かる?」
目を細め、あえて静かな口調で問いかけた。答えなど初めから期待していないあたり、これは独り言に近いかもしれない。
言いたい事を言った俺は、返事を待たず踵を返し、再び夜の街に溶け込もうとした。そこに何を感じたのか、またも制理が俺の腕を掴み、縋るように叫んだ。
「ま、待って前原!お願い、行かないで!!話を聞いて!!」
「離せ」
「今までの事は全部謝る!!これからはしないって誓うから!!だから、だからぁ!!行かないでよぉ……!!」
その時の事は、あまり覚えていない。俺は制理達の制止を振り切り、逃げるようにあの場から立ち去っていた。
そうして辿り着いたのは、街灯も名前も無い、学区すら分からない鉄橋だった。
「………」
柵に身を預けながら、銀紙を貼り付けたような瞳を泳がせる。眼下の湖は夜空を映していて、まるで黒い鏡のようだった。
そこに浮かぶ月はひどく朧気で、小石を投じれば消えてしまいそうだ。
「………」
海面に映った月を
実際に試せば分かるが、そんな事は絶対に出来ない。実体が無いのだから、それは月そのものを掴むより遥かに難しい事だろう。
もしやってる人がいたら、その姿は健気どころか滑稽に映るに違いない。
「……ふふっ」
こぼれた笑みは、何故か朗らかなものだった。先ほどまで俺を覆っていた黒い感情も、不思議と綺麗に洗い流されている。
何故だろう、体がとても軽い。
「………」
柵の上に腰を下ろし、仰ぐように上を見た。
そこに浮かぶのは、僅かに欠けながらも輝く満月だ。手を伸ばしたら届きそうだが、それが叶わないことは知っている。
だが、それでも綺麗だと思った。
「…………何で」
……何で、こうなっちまったかな。
最初はただ、あの光に憧れただけなのに。
綺麗だから、それが欲しい、手を伸ばしたいと思っただけなのに。
それなのに俺は、夢を否定し、友人を拒絶し、
……だから、俺はもう、誰でもない。
『前原将貴』という仮面はもう無い。
自分すらも、もう俺の事なんて知らないんだ。
「(でも、もういいんだ……)」
ぐらりと、体を後ろに傾ける。
その途端、腰を支店に体が揺れて、視界が逆転した。思い出したように働いた重力が、未練なく俺を黒い湖に吸い込んでいく。
遠くに見える月は、その様子を静かに見守っていてくれている。
俺は最期にもう一度、それに手を伸ばした。
でも、やっぱり届かなかった。