とある風紀委員の日常   作:にしんそば

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第35話

 

 

 

 

 

8月10日。

第七学区のとある路地裏は、真夏の暑さに支配されてはいなかった。所によって薄暗く涼しいその空間は、様々な小道が絡み合い、まるで自然に出来た迷路のようだ。

 

「次はどいつにすっかなー」

「真剣に考えろよ。リミットはまだだけどよ、早くしねぇと金貰えねぇんだぞ」

「んなモン知ってるっつーの。だから探してんだろーがよ」

 

中層ビルからそこを見下ろすのは、学園都市の不良集団、スキルアウトだ。彼らは窓枠や床に座りながら、どうでも良さそうに言葉を交わしている。その1人の右手には、黒く輝く拳銃が握られていた。

 

「クソッ。あの野郎、めんどくせぇ仕事押し付けやがって」

「報酬良いんだから我慢しろよ」

「うっせぇ、分かってるよ」

 

悪態をつきながら、その1人がくるくると黒い凶器を弄ぶ。知る人が見たら色んな意味で慌てそうな光景だが、そんな事は関係ない。

 

彼らはただのスキルアウトじゃない。

『裏』から何度も依頼を受けている、少々特別な不良グループだ。資金も武器もある程度揃っており、組織力は暗部のそれと大差ないと自負している。

もっともそれは自負であり、実際の所はどうなのか、彼らは知らない。

 

「ん、そろそろ来るらしーぞ」

「うし、今度はどんな奴だ?」

「女だ。しかも風紀委員(ジャッジメント)だってよ」

「へぇ、いいじゃねぇか」

 

口元を卑しく歪めながら、わざとらしく拳銃を握り直した。

今回彼らがやっているのは、一言で言えば人攫いである。標的は学園都市でも稀少な能力者、空間移動系能力者(テレポーター)だ。それを1週間以内に10人、指定の場所に集めれば1000万。というが今回の依頼の全容である。

 

「さて、いくか」

「へーへー。つってもすぐ終わるけどな」

 

溜息と共に立ち上がり、怠そうに外に視線を移す。すると、暗く伸びる路地裏の真ん中に、1人の少女が歩いていた。薄茶色の髪は肩まで届き、右腕に光る緑色の腕章は、誇り高き風紀委員の証左でもある。

それを見たスキルアウトは、今まで以上に酷薄な笑みを浮かべた。

 

「さて、今度は俺だな」

「外すなよ。空間移動(テレポート)で逃げられたらどうにも出来ねぇんだぞ」

「相手は気付いてないんだ。外したら笑いモンだぞ」

「うるさいな。余計なプレッシャーかけんじゃねぇよ」

 

言いながら、ゆっくりと照準を合わせる。その軽い口調と、構えている武器は明らかに不釣り合いだ。

死角にいるからか、銃口を向けられた少女の足取りは変わらない。こんな所にわざわざ来るのは、風紀委員として外回りをしているからか。

 

「……さて」

 

軽口もそこそこに、スキルアウトは照準を合わせ切り、ゆっくりとセーフティを外す。

そうして、何の躊躇もなく。

引き金を、引いた。

 

 

 

ぱしゅ

 

 

 

「よぉし!当たった!」

「腹か。肩ならもっと良かったんだがな」

「さっきから何でそんなに偉そうなの?」

 

数秒後、少女が音もなく崩れ落ちた。

やがて、どこからか現れた別の仲間が少女を担ぎ、停めてあった車に連れ込んでいく。彼らも喋りながら階段を下り、ビルから撤収していく。その時間は5分に満たなかった。

 

そして後には、何も残らなかった。まるで、初めから何も起きていないとでも言うように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分が何なのか考えた事がある。

もちろん俺は前原将貴だ。だが、そうじゃない。

 

気になったのは、『前原将貴』と()()()()

その違いはどこで生まれたのか、という事だ。

 

「………」

 

それが知りたくて、俺は第七学区の寮へと帰ってきた。ビルの隙間を縫うように夕影が指し、部屋にはちらちらと光が入り込んでいる。

 

ここで俺は自分を探した。

日常に埋もれた記憶を掘り下げて、根底にある事実をもう一度探した。大切に仕舞おうとして、いつしか埃を被ってしまったものを手に取って、ようやく気付いた。

 

本当は、違いなんてどこにも無かったんだ。

 

「………」

 

初めはほんの些細な強がりだった。

今は能力が無くとも、いつか何かしらの力を開花させ、操ってやると。当時の()()()()は本気で思っていたのだ、自分は何でも出来ると。

そう、思っていた。

 

……でも、いつからだろう。

 

そう『思い込ませる』ようになったのは。

その強がりを保つために、勉強や訓練に明け暮れるようになったのは。

 

「……………」

 

……違ったんだ。

周りに強要されたからじゃない。過去の俺がそうしろと命じた訳でもない。

俺は、自分から『前原将貴』を演じたんだ。

 

自分自身がそうありたかったから、強くありたかったから。先生もクラスメートも、親も友人も、自分すらも騙して、俺は『前原将貴』の仮面に隠れたんだ。

 

……何だ。

 

自分の事を1番分かろうとしなかったのは。

自分の事を1番見なかったのは。

自分が1番憎んでいたのは。

 

1番の愚か者は――――俺じゃないか。

 

「………………でも」

 

そんな愚か者に、手を差し伸べる少女がいた。

 

その少女は――中村涼乃は、ただのバカだ。

何でもない他人を必死に探して、本人すら忘れていた落し物を拾って、挙句自分を切り捨てて他人を助けようとするほどに。

本当、救いようも無い大バカ野郎だ。

 

「本当、分かんねぇよ」

 

何度目か分からない台詞と共に、小さく出てきたのは憫笑だった。しかし、不思議と気持ちは軽くなった気がした。

 

お前が()()()()を見抜けた訳も。

血を流してまで俺を助けた訳も。

こんな俺を正面から受け止めた理由も、何一つ分からない。

分からない、けど。

 

「………ぅ」

 

とっくに消えたはずの灯火が、体のどこかに灯された。小さくて、温かい何かが。

その灯りを消したくない。消させない。

なら、戦え。

 

「やろう。もう一度だけ」

 

どれだけ反省しようと、時間は遡ったりしない。

破いてしまった絵は二度と元に戻らない。

 

なら、新しい絵を描けばいい。

自分が望む日常を、もう一度。

 

「……いや、違う」

 

薄暗い空間に、囁くような声で……それでいて深く刻み込んだ。自身の名前と、少女の言葉を。

自分の中の1番奥――――記憶よりもっと深くにある、いわゆる『心』と呼ばれるものに。

 

「何度でもやるよ。お前が待っててくれるなら」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこから先は早かった。

俺が今最もすべき事――それはつまり自首である。色々あったため忘れていたが、俺は『スキルアウト狩り』の犯人……つまり犯罪者だ。人間のクズであり、悪だ。

まずはその罪を償わないと、俺は中村に顔向けするどころか、日の下だって満足に歩けないのだ。

 

「……さてと」

 

狭いバスルームで熱いシャワーを浴び、心身に付いた淀みを削ぎ落とし、歯を思いっ切り磨いて身なりを整える。

次いで鏡でチェックして、学校指定のスニーカーを履いて、扉の前でもう一度思考に耽った。

 

この扉の先に、今までのような世界は無い。

『前原将貴』を殺した俺は、周りから非難され、足蹴にされ、後ろ指を指されるような、そんな日々が待っているに違いない。

 

だが、逃げたままでは何も始まらない。

蹲っているだけでは、月を見る事も、中村に追いつく事も出来ないんだ。

 

「いってきます」

 

宣言するように放った一言は、扉を開いた先に音もなく羽を広げる黄昏へと吸い込まれていった。オレンジと紫が音響のように入り交じり、見慣れたはずの景色はどこか幻想的に見えた。

 

「(ここから近い警備員(アンチスキル)は……第73支部、黄泉川先生のトコか)」

 

慣れた足取りで進みながら、適当に思考に耽る。ほんの一瞬、在りし177支部の記憶が浮かんだが、すぐに消した。

 

歩いているうちに日は沈み、やがて星が瞬くようになった。月の支配下でも蒼銀に輝くそれは美しく、俺は足を止めて空を仰いだ。

 

「(綺麗だな……)」

 

街中からも無機質な光が煌めいているが、そんなのは視界に入らない。ジャングルのように乱立するビル郡も存在しないのと同じだ。

 

俺はただ、驚いたのだ。

空ひとつでもこうも姿を変えるのだと。月以外にも空はこんなにも広く、美しいのだと。

 

こんな世界から目を逸らすなど、何ともったいない事か。

 

「………」

 

そんな事も分からなかった自分に、甘美にも感傷にも似た笑みがこぼれる。無意識に遠回りしていたのも、そんな感情に長く浸っていたいからだろう。

 

……だと言うのに。

 

「おい、早くしろ」

「うっさい。急かすな」

「無駄口叩くな、行くぞ」

 

視界の隅に入り込んだスキルアウトらしき男達が、それを邪魔してきた。こそこそと動き回る様は羽虫のようで、俺は無意識にそちらを睨み付けていた。

 

「(クソが。何やってんだあいつら……)」

 

自分がしてきた事を棚に上げ、俺は割り込んで来た慮外者に、心底鬱陶しそうに舌打ちした。

それが聞こえたのか、そこにいたスキルアウトの1人がわざとらしくこちらに近付いてくる……が、途中で踵を返して路地裏に入っていった。

 

「(……?何で突っかかってこない……?)」

 

予想外の反応に、俺は思わず眉を顰めた。スキルアウト狩りをしていた分、彼らがどんな人種か、ある程度は知っていたから尚更だ。

 

何をそんなに急いでいるんだ?

見られたくないものでもあるのか?

 

「(……少し、気になるな)」

 

俺は方向を転換し、先ほどとは別の道から路地裏に入っていった。慣れてしまったのか、躊躇ったりはしない。

 

スキルアウトが隠れて行動するなど、そもそも嫌な予感しかしない。行きたい訳じゃないが、俺だって元は風紀委員だ。気になるのも無理はないであろう。

 

「(確認だけして、後は警備員に任せるか……にしても、随分奥に入るんだな……)」

 

そんな事を考えながら、入り組んだ道を利用し、奥へと入っていく。向かい角から声が聞こえてきたのは、路地裏に入ってから数分ほど歩いてからだった。

 

「迎えはまだか?」

「あと5分ぐらいで着くらしいぞ」

「そうか。今のトコ何人集めたんだ?」

「さぁな。半分ぐらいじゃねぇか?」

「500万ってとこか」

 

……迎え?集める?500万?

奴らは何を話してるんだ……?

 

それが気になって、俺は壁から少しだけ顔を出し、そして絶句した。

そこには、まだ小学生であろう少女が、力無く倒れていたのだ。意識を失っているのか、特徴的な茶髪のツインテールはぴくりとも動かない。

そんな少女を嘲笑うように囲むのは、先ほど見た3人のスキルアウト達だった。

 

「(……あれ多分、誘拐だよな……なら500万は身代金か?)」

 

まったく、馬鹿な事をするものだ。学園都市という閉鎖空間で誘拐事件など起こした所で、『外』ほど効果は無いし、リスクも高いだろうに。

 

まぁ、だからと言って見逃すはずもないが。

 

「とりあえず出口の近くまでいくか」

「あいよー……っと、コイツ軽いな」

「まぁまだ小学生だか――ッ?」

 

角から出てきたスキルアウトの横っ腹に、硬く握った拳を刺すように叩き込む。鈍い衝撃音が響き、内臓に多大なダメージが入った事が拳越しに分かった。

 

「がッ――、ばぁッ!?」

「え?」

 

重力に任せて腰を下げ、全体重を乗せた踵を別のスキルアウトの足――その親指の付け根に思いっきり突き刺した。乾いた音が炸裂するが、汚い悲鳴など上げさせない。

足を踏み潰され、思わず下を向いたスキルアウトの顔に、突き上げるように膝を叩き込んだ。

 

「ぶぇ……」

「――な、テメェ!!」

 

呆気に取られていた残り1人が、正気を取り戻して俺に手を伸ばしてくる。しかし、とっさに担いでいた少女を放り出したため、その分動きが一瞬遅い。

ならば――

 

「ふんっ!!」

「ごぶっ――」

 

もう一度上体を下げ、無防備になった腹にタックルの要領で飛び込んだ。相手はとっさに手を伸ばした――つまり重心が上にあったため、突進を受けた相手は呆気なく押し倒され、狭い路地裏の壁に後頭部から激突する。

抵抗を示していたスキルアウトの腕から、力が消し飛んだのがすぐに分かった。

 

「さてと……?」

 

素早く立ち上がり辺りを見渡すが、どうやらこれで全員のようだ。茶髪ツインテールの少女が、捨てられたようにそこに倒れているだけである。

 

「(とりあけず何とかなったか……)」

 

まずは通報をと思い、俺はケータイを取り出す……が、湖にダイブした時にどこか壊れたのか、ケータイは全くの無反応である。

仕方ない、スキルアウトのを借りるとしよう。

 

「(ロックは……指紋認証か。ちょうどいい)」

 

倒れるスキルアウトの指を拝借し、ロックを解除する。そのまま表示されたメッセージアプリの通知を消そうとしたが、ここで少し考える。

 

他人の会話を覗き見するのは気が引けるが、こいつらは誘拐犯だ。協力者がいるかもしれないなら、それらの事を調べてから通報した方が、より効率的に一網打尽にできるのではなかろうか。

 

そう思い、俺は先ほどのアプリを開き、とりあえず添付されていた写真を見ることにした。

 

「……?」

 

その写真の中には、何人もの少年少女達が転がっていた。手足を縛られ、目と耳を塞がれ、しかしぐったりしている彼らは、どうやら意識を失っているらしい。この様子から察するに、彼らが今回の被害者なのだろう。

しかし、()()()()()()()()()()()()()

 

「…………あ?」

 

その中の、1人の少女。

 

肩まで届くその薄茶色の髪は。

見たことのあるその制服は。

右腕に通ったその腕章は。

左膝にある、まだ新しいその傷は――――?

 

「……………………」

 

俺の中で、何かが、切れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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