8月10日。
第七学区のとある路地裏は、真夏の暑さに支配されてはいなかった。所によって薄暗く涼しいその空間は、様々な小道が絡み合い、まるで自然に出来た迷路のようだ。
「次はどいつにすっかなー」
「真剣に考えろよ。リミットはまだだけどよ、早くしねぇと金貰えねぇんだぞ」
「んなモン知ってるっつーの。だから探してんだろーがよ」
中層ビルからそこを見下ろすのは、学園都市の不良集団、スキルアウトだ。彼らは窓枠や床に座りながら、どうでも良さそうに言葉を交わしている。その1人の右手には、黒く輝く拳銃が握られていた。
「クソッ。あの野郎、めんどくせぇ仕事押し付けやがって」
「報酬良いんだから我慢しろよ」
「うっせぇ、分かってるよ」
悪態をつきながら、その1人がくるくると黒い凶器を弄ぶ。知る人が見たら色んな意味で慌てそうな光景だが、そんな事は関係ない。
彼らはただのスキルアウトじゃない。
『裏』から何度も依頼を受けている、少々特別な不良グループだ。資金も武器もある程度揃っており、組織力は暗部のそれと大差ないと自負している。
もっともそれは自負であり、実際の所はどうなのか、彼らは知らない。
「ん、そろそろ来るらしーぞ」
「うし、今度はどんな奴だ?」
「女だ。しかも
「へぇ、いいじゃねぇか」
口元を卑しく歪めながら、わざとらしく拳銃を握り直した。
今回彼らがやっているのは、一言で言えば人攫いである。標的は学園都市でも稀少な能力者、
「さて、いくか」
「へーへー。つってもすぐ終わるけどな」
溜息と共に立ち上がり、怠そうに外に視線を移す。すると、暗く伸びる路地裏の真ん中に、1人の少女が歩いていた。薄茶色の髪は肩まで届き、右腕に光る緑色の腕章は、誇り高き風紀委員の証左でもある。
それを見たスキルアウトは、今まで以上に酷薄な笑みを浮かべた。
「さて、今度は俺だな」
「外すなよ。
「相手は気付いてないんだ。外したら笑いモンだぞ」
「うるさいな。余計なプレッシャーかけんじゃねぇよ」
言いながら、ゆっくりと照準を合わせる。その軽い口調と、構えている武器は明らかに不釣り合いだ。
死角にいるからか、銃口を向けられた少女の足取りは変わらない。こんな所にわざわざ来るのは、風紀委員として外回りをしているからか。
「……さて」
軽口もそこそこに、スキルアウトは照準を合わせ切り、ゆっくりとセーフティを外す。
そうして、何の躊躇もなく。
引き金を、引いた。
ぱしゅ
「よぉし!当たった!」
「腹か。肩ならもっと良かったんだがな」
「さっきから何でそんなに偉そうなの?」
数秒後、少女が音もなく崩れ落ちた。
やがて、どこからか現れた別の仲間が少女を担ぎ、停めてあった車に連れ込んでいく。彼らも喋りながら階段を下り、ビルから撤収していく。その時間は5分に満たなかった。
そして後には、何も残らなかった。まるで、初めから何も起きていないとでも言うように。
*
自分が何なのか考えた事がある。
もちろん俺は前原将貴だ。だが、そうじゃない。
気になったのは、『前原将貴』と
その違いはどこで生まれたのか、という事だ。
「………」
それが知りたくて、俺は第七学区の寮へと帰ってきた。ビルの隙間を縫うように夕影が指し、部屋にはちらちらと光が入り込んでいる。
ここで俺は自分を探した。
日常に埋もれた記憶を掘り下げて、根底にある事実をもう一度探した。大切に仕舞おうとして、いつしか埃を被ってしまったものを手に取って、ようやく気付いた。
本当は、違いなんてどこにも無かったんだ。
「………」
初めはほんの些細な強がりだった。
今は能力が無くとも、いつか何かしらの力を開花させ、操ってやると。当時の
そう、思っていた。
……でも、いつからだろう。
そう『思い込ませる』ようになったのは。
その強がりを保つために、勉強や訓練に明け暮れるようになったのは。
「……………」
……違ったんだ。
周りに強要されたからじゃない。過去の俺がそうしろと命じた訳でもない。
俺は、自分から『前原将貴』を演じたんだ。
自分自身がそうありたかったから、強くありたかったから。先生もクラスメートも、親も友人も、自分すらも騙して、俺は『前原将貴』の仮面に隠れたんだ。
……何だ。
自分の事を1番分かろうとしなかったのは。
自分の事を1番見なかったのは。
自分が1番憎んでいたのは。
1番の愚か者は――――俺じゃないか。
「………………でも」
そんな愚か者に、手を差し伸べる少女がいた。
その少女は――中村涼乃は、ただのバカだ。
何でもない他人を必死に探して、本人すら忘れていた落し物を拾って、挙句自分を切り捨てて他人を助けようとするほどに。
本当、救いようも無い大バカ野郎だ。
「本当、分かんねぇよ」
何度目か分からない台詞と共に、小さく出てきたのは憫笑だった。しかし、不思議と気持ちは軽くなった気がした。
お前が
血を流してまで俺を助けた訳も。
こんな俺を正面から受け止めた理由も、何一つ分からない。
分からない、けど。
「………ぅ」
とっくに消えたはずの灯火が、体のどこかに灯された。小さくて、温かい何かが。
その灯りを消したくない。消させない。
なら、戦え。
「やろう。もう一度だけ」
どれだけ反省しようと、時間は遡ったりしない。
破いてしまった絵は二度と元に戻らない。
なら、新しい絵を描けばいい。
自分が望む日常を、もう一度。
「……いや、違う」
薄暗い空間に、囁くような声で……それでいて深く刻み込んだ。自身の名前と、少女の言葉を。
自分の中の1番奥――――記憶よりもっと深くにある、いわゆる『心』と呼ばれるものに。
「何度でもやるよ。お前が待っててくれるなら」
そこから先は早かった。
俺が今最もすべき事――それはつまり自首である。色々あったため忘れていたが、俺は『スキルアウト狩り』の犯人……つまり犯罪者だ。人間のクズであり、悪だ。
まずはその罪を償わないと、俺は中村に顔向けするどころか、日の下だって満足に歩けないのだ。
「……さてと」
狭いバスルームで熱いシャワーを浴び、心身に付いた淀みを削ぎ落とし、歯を思いっ切り磨いて身なりを整える。
次いで鏡でチェックして、学校指定のスニーカーを履いて、扉の前でもう一度思考に耽った。
この扉の先に、今までのような世界は無い。
『前原将貴』を殺した俺は、周りから非難され、足蹴にされ、後ろ指を指されるような、そんな日々が待っているに違いない。
だが、逃げたままでは何も始まらない。
蹲っているだけでは、月を見る事も、中村に追いつく事も出来ないんだ。
「いってきます」
宣言するように放った一言は、扉を開いた先に音もなく羽を広げる黄昏へと吸い込まれていった。オレンジと紫が音響のように入り交じり、見慣れたはずの景色はどこか幻想的に見えた。
「(ここから近い
慣れた足取りで進みながら、適当に思考に耽る。ほんの一瞬、在りし177支部の記憶が浮かんだが、すぐに消した。
歩いているうちに日は沈み、やがて星が瞬くようになった。月の支配下でも蒼銀に輝くそれは美しく、俺は足を止めて空を仰いだ。
「(綺麗だな……)」
街中からも無機質な光が煌めいているが、そんなのは視界に入らない。ジャングルのように乱立するビル郡も存在しないのと同じだ。
俺はただ、驚いたのだ。
空ひとつでもこうも姿を変えるのだと。月以外にも空はこんなにも広く、美しいのだと。
こんな世界から目を逸らすなど、何ともったいない事か。
「………」
そんな事も分からなかった自分に、甘美にも感傷にも似た笑みがこぼれる。無意識に遠回りしていたのも、そんな感情に長く浸っていたいからだろう。
……だと言うのに。
「おい、早くしろ」
「うっさい。急かすな」
「無駄口叩くな、行くぞ」
視界の隅に入り込んだスキルアウトらしき男達が、それを邪魔してきた。こそこそと動き回る様は羽虫のようで、俺は無意識にそちらを睨み付けていた。
「(クソが。何やってんだあいつら……)」
自分がしてきた事を棚に上げ、俺は割り込んで来た慮外者に、心底鬱陶しそうに舌打ちした。
それが聞こえたのか、そこにいたスキルアウトの1人がわざとらしくこちらに近付いてくる……が、途中で踵を返して路地裏に入っていった。
「(……?何で突っかかってこない……?)」
予想外の反応に、俺は思わず眉を顰めた。スキルアウト狩りをしていた分、彼らがどんな人種か、ある程度は知っていたから尚更だ。
何をそんなに急いでいるんだ?
見られたくないものでもあるのか?
「(……少し、気になるな)」
俺は方向を転換し、先ほどとは別の道から路地裏に入っていった。慣れてしまったのか、躊躇ったりはしない。
スキルアウトが隠れて行動するなど、そもそも嫌な予感しかしない。行きたい訳じゃないが、俺だって元は風紀委員だ。気になるのも無理はないであろう。
「(確認だけして、後は警備員に任せるか……にしても、随分奥に入るんだな……)」
そんな事を考えながら、入り組んだ道を利用し、奥へと入っていく。向かい角から声が聞こえてきたのは、路地裏に入ってから数分ほど歩いてからだった。
「迎えはまだか?」
「あと5分ぐらいで着くらしいぞ」
「そうか。今のトコ何人集めたんだ?」
「さぁな。半分ぐらいじゃねぇか?」
「500万ってとこか」
……迎え?集める?500万?
奴らは何を話してるんだ……?
それが気になって、俺は壁から少しだけ顔を出し、そして絶句した。
そこには、まだ小学生であろう少女が、力無く倒れていたのだ。意識を失っているのか、特徴的な茶髪のツインテールはぴくりとも動かない。
そんな少女を嘲笑うように囲むのは、先ほど見た3人のスキルアウト達だった。
「(……あれ多分、誘拐だよな……なら500万は身代金か?)」
まったく、馬鹿な事をするものだ。学園都市という閉鎖空間で誘拐事件など起こした所で、『外』ほど効果は無いし、リスクも高いだろうに。
まぁ、だからと言って見逃すはずもないが。
「とりあえず出口の近くまでいくか」
「あいよー……っと、コイツ軽いな」
「まぁまだ小学生だか――ッ?」
角から出てきたスキルアウトの横っ腹に、硬く握った拳を刺すように叩き込む。鈍い衝撃音が響き、内臓に多大なダメージが入った事が拳越しに分かった。
「がッ――、ばぁッ!?」
「え?」
重力に任せて腰を下げ、全体重を乗せた踵を別のスキルアウトの足――その親指の付け根に思いっきり突き刺した。乾いた音が炸裂するが、汚い悲鳴など上げさせない。
足を踏み潰され、思わず下を向いたスキルアウトの顔に、突き上げるように膝を叩き込んだ。
「ぶぇ……」
「――な、テメェ!!」
呆気に取られていた残り1人が、正気を取り戻して俺に手を伸ばしてくる。しかし、とっさに担いでいた少女を放り出したため、その分動きが一瞬遅い。
ならば――
「ふんっ!!」
「ごぶっ――」
もう一度上体を下げ、無防備になった腹にタックルの要領で飛び込んだ。相手はとっさに手を伸ばした――つまり重心が上にあったため、突進を受けた相手は呆気なく押し倒され、狭い路地裏の壁に後頭部から激突する。
抵抗を示していたスキルアウトの腕から、力が消し飛んだのがすぐに分かった。
「さてと……?」
素早く立ち上がり辺りを見渡すが、どうやらこれで全員のようだ。茶髪ツインテールの少女が、捨てられたようにそこに倒れているだけである。
「(とりあけず何とかなったか……)」
まずは通報をと思い、俺はケータイを取り出す……が、湖にダイブした時にどこか壊れたのか、ケータイは全くの無反応である。
仕方ない、スキルアウトのを借りるとしよう。
「(ロックは……指紋認証か。ちょうどいい)」
倒れるスキルアウトの指を拝借し、ロックを解除する。そのまま表示されたメッセージアプリの通知を消そうとしたが、ここで少し考える。
他人の会話を覗き見するのは気が引けるが、こいつらは誘拐犯だ。協力者がいるかもしれないなら、それらの事を調べてから通報した方が、より効率的に一網打尽にできるのではなかろうか。
そう思い、俺は先ほどのアプリを開き、とりあえず添付されていた写真を見ることにした。
「……?」
その写真の中には、何人もの少年少女達が転がっていた。手足を縛られ、目と耳を塞がれ、しかしぐったりしている彼らは、どうやら意識を失っているらしい。この様子から察するに、彼らが今回の被害者なのだろう。
しかし、
「…………あ?」
その中の、1人の少女。
肩まで届くその薄茶色の髪は。
見たことのあるその制服は。
右腕に通ったその腕章は。
左膝にある、まだ新しいその傷は――――?
「……………………」
俺の中で、何かが、切れた。