「(おかしい……)」
前原将貴がそう思ったのは、倉庫に到着して少し経ってからだった。
正面から挑むのは悪手と判断し、手前のビルから屋根伝いに進むことで侵入する。そこまでは良かった。しかし進むにつれて、言いようのない違和感が浮かび上がってきたのだ。
どうでもいいが、ビルの赤レンガは外装塗装であり、本当はただの鉄筋コンクリートのようだ。景観を良くしようと努めた結果なのだろうが、廃墟になると余計に寂れるだけである。
「(警備があまりにも手薄すぎる……わざとやってんのかってレベルだぞこれ)」
屋上に見張りも着けず、こうして俺を侵入させてる時点でおかしい。それすら出来ない烏合の衆という事かもしれないが、その割には誘拐の手口が鮮やかすぎる。
しかし、ここが本拠地ではない、という事でもないらしい。申し訳程度だが、見回りらしきスキルアウトも何人か見ている。
視線の先にいる男も、恐らくその1人だろう。
「――った。あ……3……だろ。……――か?……、後で送るわ」
男は腰に手を当てながら、ケータイ越しの誰かに話しかけている。建物の薄暗さも相まってか、俺には気付いていないようだ。
……『送る』?どこに?何を?どうやって?
口調からして、話し相手は同じスキルアウトだろう。その仲間に、『送る』。金⋯⋯?いや、仲間同士なら手渡しで良いし、そんな会話は不要なはず。だとしたら、今この場にあるもの……増援や武器…………いや、そう――
「あ?」
「――え?」
ふと先ほどのスキルアウトと、曲がり角で鉢合わせた。思考に耽すぎていたのか、俺は男が戻ってくるのに気付けなかったらしい。
男も人がいるとは思ってなかったのか、視線を固定したまま目を丸くしていた。
「………」
「………」
「……てめ、誰――ッ!!」
「ふッ――」
俺は右手を構え、掬い上げるように一気に突き上げた。その途中にあった男の顎と、俺の掌底が見事に重なる。
バガンッ!!と脳が揺れる音が聞こえた。
「あっ――、が、ばぁっ……!?」
舌を噛んだのか、男が血を吐きながら吹っ飛んだ。意識ごと刈り取ってしまったのか、受身は無かった。ナイフを眼前に突き付けても、相手はぴくりとも動かない。これでは情報を聞くのは難しそうだ。
「(……まぁいい。何となくだが分かった)」
もう一度思考に入りながら、ナイフをベルトの間に仕舞う。そこにはナイフとは別に奪った拳銃があった。
先ほど言っていた『送る』のは、恐らく被害者の
そしてそれは、恐らくスキルアウトの意思ではなく、誰かからの依頼だ。でないと、返り討ちに遭う危険性が高い
「(なら、ここはただの経由地点ってことか。目的地は別にあるんだな)」
そんな依頼主がここ、『ストレンジ』という掃き溜めにいるはずがない。そこへ
しかし1人ずつでは効率が悪い。だからある程度集めてから纏めて『送る』という事だろう。
「(なら、早くその先を特定しないと……また誰かに吐かせるか……いや、もっと確実な手があるはず)」
倒れた男を隠し、そそくさと今後を思案する。今はスキルアウトの相手をする時間すら惜しい。新たな目的地へも、可能ならバイクや車を使いたいものだが……車?
「(…………そうか、カーナビ!あれの走行履歴を見れば!)」
この学園都市において、カーナビが無い車なんてまず存在しないだろう。それに、人質を連れ出すのに車以外の手段を使うとも思えない。確実に目的地まで行くため、カーナビだって使うはずだ。
となると、いち早く駐車場まで行こうか。見張りがいる中で進むのは今までより格段に危険だが、そんな事はどうでもいい。
「(思ったより簡単に来れたな。こちらとしては嬉しい限りだが)」
柱の陰に身を隠し、適当にそんな事を思う。本当に誘拐事件が起きているのか疑問になるほどのザル警備だ。このグループ、どうやら組織力は無さそうである。
「(……って嘘だろ、鍵もかかってない。
無施錠のワンボックスカーに入り、カーナビを操作する。学園都市のカーナビはエンストを起こしても動かせるよう、独立した電源を持っているのが特徴だ。
「(1番最近のは……これか。ええと、第一〇学区の……随分広い敷地だな、学校……じゃない。研究所か?)」
表示には『特力研』と表示されている。そこからさらに操作を続ける……が、少し無防備になりすぎたらしい。
自分の背後に、何者かが立っているのが気配で分かった。振り返ろうとするが、その前に背中に違和感が走る。ガキリ、と無機質な音が近くで聞こえた。
「誰だお前」
「………」
「見たところ中学生くらいか……まぁいい。両手上げて車から降りろ」
「(これはやばい……)」
背中に走る硬い感触に、動きが止まる。
背後を取られ、背中に銃を突きつけられ、こちらは現状丸腰。こうなるともう何も出来ない、圧倒的不利だ。
「そんじゃ、まず名前と目的を言え」
「………」
「言わねぇと心臓ぶち抜くぞ。さっさとしろ」
「……ありがとうございます」
は?という声を聞くと同時に。
拳銃を無視して、俺は勢い良く振り返った。
「なっ……」
「――ッ!!」
直後、乾いた銃声が鳴る。
さらに遅れて、左腕と耳に未知の衝撃が走った。急に回転した事で、銃の狙いが少しズレたらしい。
だがそれを無視して、勢いを乗せた裏拳を顔面に放つ。相手は対応しきれず、避けられる事なく顎を捉えた。
「げ、ぁ――!?」
「うぐ、ぅあぁッ!!」
振り抜いた拳をもう一度握り締め、バランスを崩した相手のこみかみに渾身のストレートを放つ。
ゴンッ!!という壮絶な衝撃があった。
「ごぁ……」
そう漏らし、男は背中から倒れ込んだ。顎とこめかみのコンボが効き、白目を向いてしまっている。
それを見て一安心しようとした……が、遅れて押し寄せてきた凄まじい痛みが、津波のように俺を呑み込んだ。
「ぐ、ぎッ、ぁ…………がっ、がぁァ、ぅッッ………!!」
手が痛い。腕が痛い。耳が痛い。頭が痛い。
むしろ痛すぎて、どこが痛いのか分からない。大声を上げない代わりに、俺はその場で膝を着き、蹲ってしまう。
「(大丈夫、だ……!耳はまだ聞こえる。右手もまだ、動く……左腕は軽く抉れただけ。止血すればまだ……全然、いける……ッ!!)」
気持ちの悪い汗を拭い、ゆっくりと立ち上がる。蹲ったままでは中村は救えない。
左腕の傷は浅くはないが、貫通した訳ではないので、出血はまだ軽い。紐で縛って血を止めれば、あとは我慢だ。
発砲があった以上、長居しても不利になる一方だ。『特力研』とやらにいる仲間に連絡が届き、余計に武装されても困る。今はとにかく離脱が先だ。
「ふぅぅぅ――……」
何度か深呼吸を繰り返し、強引に気持ちを落ち着かせる。痛みをも塗り潰し、書き換える。俺の痛みなんて、血なんて関係ない。そんな事より優先すべき事がある、と。
そう思うと、恐怖や絶望を消す事が出来て、俺は不思議と気が楽になった。余計な事を考えなくなった分、むしろ心地良いと思うほどだ。
「……さて、行くか」
確かめるように左腕を回し、俺は適当にそう呟いた。まるで、先ほどの痛みなど忘れてしまったかのように。
*
特例能力者多重調整技術研究所。
『特力研』と称されるそれは、第一〇学区西部に位置する研究機関だ。主に
そんな殺人施設に連れ込まれたのは、数時間前までは普通に街を歩いていた少年少女達だ。
「少し難航しとるみたいだねぇ」
目の前に転がる学生を一瞥し、『科学者』はそう言った。側に控える助手は、通信機器を片手に事務的に返事をする。
「少々お待ちを。今新たに3人がこちらに向かっているそうです」
「これで7人……まだ足りないねぇ」
「今回の被検体は学園都市に58人しかいない
「ふむ、早く試したいのにね。遠足前の子供はこんな気分なのかい」
『
『科学者』が提唱したのは、空間移動同士を強引に干渉し暴走させる事で、AIM拡散力場の変化を探るというものだ。数ある能力から空間移動が選ばれたのは、干渉という現象が最も観測しやすく、プロトタイプとして最適と判断されたからである。
そう、この実験はプロトタイプなのだ。そのために稀少な
「この中で1番強力な能力者は誰だい?」
「
「
「はい。
「そうかい。じゃあ起爆剤は彼女にしようか」
どうでもよさそうに『科学者』は言った。相手を同じ人間とも思わない、一方的な死刑宣告である。
しかし、それに異議を唱える健全な精神など、この研究所には存在しない。そんなものがある者は、そもそもこんな所まで堕ちないからだ。
「被検体が揃い次第実験を開始するとしよう。準備は出来ているね?」
「はい。明朝には開始できるかと思います」
「よろしい。
『科学者』はしわがれた声で呟き、施設の奥に消えた。その動きは貧弱で、骨と皮ばかりの体は痛ましさすら覚えた。
しかし、その頭脳からどれだけの惨事が生まれてきたのかは、想像しない方が良いだろう。それが当たり前になるぐらい深い闇に、ずっと生を成してきたのだ。
「科学の発展に犠牲はつきものだからねぇ」