とある風紀委員の日常   作:にしんそば

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第39話

 

 

 

 

 

人間にとって最も恐ろしいのは何だろう。

ひどく抽象的な問いだが、今の中村涼乃は明確な答えを示す事ができた。それは『慣れ』であると。

 

例えば、それは痛み。

初めこそ辛いが、それがずっと続くと、そのうち人はその痛みに慣れてしまう。そしてその痛みに疑問を抱かなくなり、やがて自然と受け入れるようになってしまう。

そのように、自分が知らないうちに自分が壊されていく事が、ただひたすらに恐ろしい。

 

「………」

 

私は今、能力が使えない。

BGMのように延々と流れる音が、能力の演算を遮断しているからだ。その副作用か、脳を炙られるような強烈な痛みも、演算の阻害に一役買っている。

 

だが私は、その痛みに徐々に慣れつつあった。現に今も、こうして現状確認できるくらいには落ち着いている。音量が大きい訳ではないので、その気になればスキルアウトの会話も聞く事が出来る。

 

「(今何時かな……どれだけ時間経ったのかな……)」

 

誰が私を攫ったのか、何故私なのか、これからどうなるのか……なんて事を、力無く転がったまま考える。

その間も痛みは絶え間無くある訳だが、今更悶えるような事はしない。その時点で、自分の中の何かが徐々に壊れつつあるのが分かる。

 

「(やだよ……私が何したって言うの……)」

 

いくら落ち着かせようとしても、やはり本当の意味での安心は得られない。視界に広がる闇は、私の行く末を見ているように真っ暗だ。

 

ふと、笑いそうになった。

でも、それだけは絶対に駄目だ。今笑ってしまうと、私はもう二度と元に戻れない。何故だか分からないが、そういう確信があった。

 

「(助けて……助けてよ……)」

 

泣きたい。泣きたくない。

笑いたい。笑いたくない。

諦めたい。諦めたくない。

 

対極にある感情が混ざり、頭の中がぐちゃぐちゃになる。

その中にふと浮かんだのは、少年の顔。かつて共に働き、戦い、頼りにしてきた、見慣れた少年の優しい笑顔。

 

「(……だめ。ここで笑ったら、もう将貴君に顔向け出来ない……でも……)」

 

自らを鼓舞しようとするが、それも徒労に終わりそうだ。私はそろそろ限界なのかもしれない。

もう、全部諦めて楽になりたいなぁ……

 

 

 

………あはっ。

 

 

 

「(────違う!違う!!違うッ!!!)」

 

何を諦めようとしているんだ。

精一杯頑張ったから仕方ない、だと?私はアスリートじゃない、私は誉れ高き風紀委員(ジャッジメント)だ!!

助けはきっと、いいや必ず来る。それまで折れてなるものか!!

 

一瞬でも音が消えれば即座に空間移動(テレポート)を使い、離脱して反撃してやる。

理想論だろうと知った事か。希望を見い出せない者に勝利の女神が微笑むものか!!

 

「(大丈夫。私は大丈夫だ)」

 

決意を新たに、痛みに耐えるよう身構える。それに応えるように痛みは勢いを増したように思えたが、それでもまだ耐える事は出来た。

そして、そのまま時間だけが過ぎていって。

 

『区切り』は、唐突に訪れた。

 

「……よぉ」

 

聞こえたのは扉の音と、聞き慣れた声。先ほど頭に浮かんでいた、とある少年の声だ。

視界は真っ暗闇だけど、誰が来たのか私には簡単に分かった。

 

「(将貴君!?え、うそ何で!?)」

 

パニックになる私を横に、私を攫ったであろうスキルアウト、そのリーダーらしき男の声が続く。

 

「……まずは褒めてやろう。素直に驚いた。処分場でとっくに死んだと思ってたからな」

「生憎、俺にはまだやる事があるんでね……」

「その姿でまだ動けてる事にも驚きだ。お前、本当に人間か?」

「さぁ、な……」

 

……何か様子がおかしい。言葉が途切れ途切れだし、呼吸も変に荒い。

 

しかも『その姿でまだ動ける』って何?

将貴君はどれだけ怪我してるって言うの?大丈夫なんだよね!?

 

「それで、何?」

「今すぐ人質全てを解放、投降しろ」

「嫌だと言ったら?」

警備員(アンチスキル)には連絡済みだ。誰に頼まれたか知らんが、お前らの計画は失敗だよ。大人しく従った方が身のためだぞ」

 

淡々と交わされるやりとりに、思わず歓喜しそうになる……が、ふと疑問に思う。

 

なら、将貴君は何故ここに来たんだ?

通報したのなら、将貴君はどこか安全な所で待機していれば良いはず。無論、それが分からない将貴君じゃない。

なのに何故、怪我を負ってまでここに……?

……まさか、ブラフ──?

 

「はんっ、わざわざ教えに来てくれるたぁ優しいじゃねぇか。感謝するぜ」

「動くなよ。お前も死にたくはないだろう?」

「死ににきた馬鹿が何言ってやがる」

「その馬鹿に追い詰められてる気分はどうだ?」

 

かちゃり、と小さな音が鳴る。何度か麻酔弾を撃たれてきた私は、それが銃を構える音だと分かった。

自信ありげなその声から、通報したというのはブラフではないのだろう。そもそも将貴君は、そんな簡単に嘘をつけるような器用な人ではなかった。

 

「へぇ、撃つのか?」

「さぁ。それはお前ら次第だよ」

「言っとくが投降はしねぇぞ。俺らには『裏』が付いてる。警備員がいくら来ようと無駄だからな」

「……そうか」

「さぁ撃てよ。腕には自信があるんだろう?」

「………」

 

ぱんっ、と銃声が鳴る。

思わず体が強ばるが、私の体に変化は無い。ただ聞こえたのは、遠くで何かが……いいや、誰かが崩れ落ちた音だ。

まさか将貴君は本当に撃ったのか、という問いは、最悪の形で明らかになった。

 

「はんっ、詰めが甘ぇんだよ雑魚が。後ろぐらい見てろってんだ」

「……つーか危なかったな、撃つ気満々だったぞコイツ。間に合わなかったらお前死んでたぞ」

「(────えっ)」

 

聞こえてくるのは、スキルアウトの嘲笑だけ。

なら撃たれたのはスキルアウト……じゃ、ない?

じゃあ誰が…………まさか、将貴君が?将貴君が、撃たれ──

 

「──ん゙ーッ!ん゙ん゙ーッ!!」

「うお。何だコイツ、起きてたのかよ」

「うるせぇな。また麻酔弾ぶち込んどけ」

「……っ、ま゙……待、で……やめろ……ッ!!」

 

ようやく聞こえてきた将貴君の声は、ひどく弱々しく、苦しそうだった。生きているという事への安堵と、どう考えてもおかしいという恐怖が、私の中で綯い交ぜになる。

声を出そうとするが、口を塞ぐガムテープはなかなか外れない。

 

「……まだ動けるのか。大したモンだな」

「う、るせぇ……!い……がら……止め──」

 

ぱんっ、と乾いた銃声が鳴る。

将貴君の声が急に切れる。同時に、私の思考も完全に凍りつく。空白の思考に響いてくるのは、スキルアウトの貶すような声だ。

 

「お前、知ってるぞ。最近噂の『スキルアウト狩り』だろ?仲間が世話になったみてぇだし、聞きてぇ事があったんだよ」

「………」

「誰の許しを得て俺らの邪魔をしやがる。自分の手に正義があるとでも思ってんのか?」

「……知……るがよ゙……そ……の」

 

将貴君の声が、次第に細くなっていく。しかしその後に宿る声は、明確な敵意と覚悟に満ちていた。

近くにいるはずなのに、どうなっているのか何も見えない。その事実に頭がどうにかなりそうだ。

 

止めろ。将貴君に手を出すな!

やるなら私をやれ!!

 

「ウザイんだよねぇ!!弱ぇくせに正義を気取る奴がさぁ!!」

 

銃声ではなく、原始的な暴力の音が連続する。

そのたびに私を覆う何かが削り落とされ、中で燻る激情が噴き出しそうになる。ぎちぎちと、口を塞ぐガムテープに私の歯が食い込み、科学製品特有の臭いが口内に広がった。

その音が聞こえなくなるまで、どれだけの時間が経っただろうか。

 

「……ぅ……ぁが……」

「……すげぇな。まだ生きてんのかコイツ」

「ゴキブリかよ気持ち悪ぃな……そろそろ死んでもいいと思うんだけど」

「せっかくだし、ここの死体処分場にぶち込んどこうぜ。そーすりゃ証拠も残らんだろ」

「あいよ……っと、まぁ安心しろ。トドメくらいは指してやるよ」

 

昼食のメニューでも決めるように告げられた言葉に、一瞬思考が止まる。

そして暗闇の中で響く、1発の銃声。

 

 

 

──ぷつんと、私の中の何かが、切れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「や゙め゙でよ゙ぉッッ!!!」

 

ふと、そんな声が聞こえた。

自らの血に溺れる前原将貴にとって、それは聞き慣れた声だった。しかし、顔を向けようとしても眼球しか動かせない。

それでも何とか上げた視界には、荒い呼吸をしながらガムテープを噛み千切る少女、中村涼乃がいた。目隠しの上からでも、その瞳が濡れているのがはっきりと分かる。

 

「お願い……もう止めてよ……」

「………」

「わだ……私の、ごとは……好きにして、いいがら!!撃っでも殴っでも……ここで殺しても、構わないがらぁ!!」

「………」

「だがら止めてよ……ごれ以上、将貴君にひどい事しないでよぉ……」

 

この身を捧げよう、あなたの奴隷となろう、望むがままに動く人形となろう。だから前原将貴を助けてくれ。

感情の一切を隠そうとしないその慟哭は、それが中村涼乃という少女の本心であり、本質であるという事実を俺に突き付けてきた。

 

「(何、言ってんだ、お前……?)」

 

それを聞いた俺は、まず困惑した。この少女が何を言っているのか、理解できなかった。

 

中村は今、体の自由を奪われ、命の選択を相手に掌握されている。おまけに能力は使えず、ただの無能力者(レベル0)にすら劣る状況だ。

 

そのうえで、中村は自分を切り捨てた。

強者の憐れみじゃない。自分より他人を救いたいと本気で願い、その人生を放棄したのだ。

家族でも恋人でもない俺なんかのために、一度は死んだ自殺志願者のために。

 

「……へぇ、面白いな」

 

その必死の懇願すら、スキルアウトは鼻で笑う。新しい玩具を見つけた子供のような笑みを浮かべ、ゆっくりと中村へ歩み寄っていく。

俺はとっさに手を動かし、その足を掴もうとした。しかし神経を炙られるような激痛を伴っても、動かせたのはほんの数センチだけだった。

 

「待ッ、やめ゙……ろ……!!なか……村に、手ぇ、出すんじゃねぇ……ッ!!」

「そーかそーか」

「……中村に、何かしやがったら……殺すぞ……死んでも、ぶっ殺す……ッッ!!」

 

それでも体を動かし、立ち上がろうとする。全身を走る激痛は凄まじく、むしろ生きている事が実感できるほどだ。

何故立とうとしたのかは分からない。そうしろと、本能が告げたのだ。

 

「オイ。そいつの目隠し、取ってみろ」

「あ?あ、あぁ……」

「安心しろ嬢ちゃん。テメェは大事な商売道具だからな、何もしねぇよ」

 

ゆっくりと手を着き、何とか膝立ちの体勢になる。明滅する視界に映る深紅の花は、思った以上に黒く、大きい。

 

それを見たリーダー格の男が、それはそれは愉しそうに口を歪める。同時に、中村の目隠しが僅かに緩んだ。

そして。

 

「だから、お前が代わりに受け止めろ」

 

胸元に、衝撃があった。

 

直後、世界が急にスローモーションになる。胸元から咲く花は、先ほどとは比べ物にならないほど赤く、大きい。

ゆっくりと傾く視界に、暗闇から解放された中村の顔が映った。

 

「────えっ……えっ、えっ……あっ、あぁぁっ……!」

 

ぐしゃり、と腐った林檎を踏み潰したように、視界が赤に染まる。自分が倒れた、という事を理解するのに時間がかかった。

中村がどんな顔をしているのか、次第に分からなくなってくる。

 

「あっ……うぁ……あぁ……ッ!!」

 

中村の言葉が途切れているのか、俺の耳がおかしくなったのか、もう判別がつかない。かろうじて見えたのは、魂が砕けたように揺れる、中村の綺麗な瞳だけだ。

 

「あぁ、あああああぁぁぁぁぁッ!あぁああぁぁあああぁッッ!!!」

 

堰を切ったように、中村が大きく口を開けた。しかし、その声はもう聞こえない。

そして中村は手足を縛られたまま、瀕死の虫のように体を捩り、俺に近付こうとした。スキルアウト達は心底面白そうにそれを眺め、俺に向けてもう一度引き金を引く。

中村の頬が、飛び散った俺の血で汚れる。ああ、また汚してしまった。

 

「…………?」

 

……本当に、不思議だ。

 

何故、お前が泣くんだ……?

何故、俺よりかなしそうなんだ……?

なぜ、おれなんかのために涙をながす……?

 

……わから、ない、なぁ。

 

なんで、かな。

 

ああ。

 

おもい。

 

ああ。

 

あたまもからだも、おもい。

 

おもくて。ぐちゃぐちゃで。とろけそう。

 

ああ。

 

これは、なんだろう。

 

わからないなぁ。

 

どろどろの、なにか。

 

きれい。

 

どんないろ?

 

あお。みどり。きいろ。しろ。それと──

 

あは。きれいだなぁ。

 

みぎがひだりで。

 

うえがしたで。

 

あれ、ちがうかな。

 

あは。まぁどうでもいいか。

 

あははははははははははははは        ははははははははははははははは     はははははは   ははははははははははは     はははははははははは。

 

ははは。

 

いまわらったの、だれ?

 

ここどこ?

 

あ。

 

このおんなのこ、だれ?

 

ねぇ。

 

どうして、このこはないてるの?

 

そっか。

 

だれかがなかせたんだね。

 

それはだれ?

 

……あ。

 

おれの、せいだ。

 

おれがよわいから。

 

よわいから。

 

よわいから。

 

おれが──俺が、弱いから。

 

中村涼乃が殺される?

 

ふざけるな。

 

そんなの許さない。

 

そんな事、あってはならない。

 

俺を見つけてくれた人を。

 

俺の名を呼んでくれた人を。

 

俺に世界を与えてくれた人を。

 

傷付けるなんて絶対に許さない

 

誰であろうと、絶対に。

 

……なら俺は、何を呑気に寝ているんだ?

 

やるべき事は決まっているだろう。

 

だが腕は動かない。足も動かない。

 

………。

 

だから、何だ?

 

俺の体など知ったことか。

 

それに何の価値がある。

 

それより先に、邪魔なものを取り除かないと。

 

剥がして。壊して。潰さないと。

 

………。

 

邪魔なものって?

 

スキルアウト?

 

学園都市?

 

それとも。

 

中村涼乃を追い込んだ、この世界全て?

 

………。

 

それも、やっぱり分からない。

 

確かめることはできない。

 

見ることだってできない。

 

壊すことだってできない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ぜんぶ 歪めて  しま   お     う

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同時刻。

第七学区に鎮座する、窓の無い奇妙なビルで。

 

 

 

『人間』が、笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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