「――では君は、この事件での前原将貴の行動に罪は無いと?」
会議室のような部屋に、貫禄ある声が響いた。それに同意するように、周りには頷く影がちらほら見える。
第一学区に位置するそこは、学園都市の治安維持組織、
「彼の行動の全ては人質救出のためです。事実、彼は人質全員を無傷で救出し、事件を解決に導きました。なので彼は賞賛はされど、罪に問われる謂れはありません」
「その際多くの犯罪に及んでいるが、それを不問にしろと?」
「情状酌量の余地は十二分にあるでしょう。彼がそうした行動に出たのは、そうせねば自分が殺されていたからです」
言葉を紡ぐのは、わがままボディを持て余す大人のお姉さん、黄泉川愛穂だ。普段の特徴的な口調は鳴りを顰め、その分眼光は鋭くなっている。
厳粛な空気の中で1人立つ姿は、裁判で弁明する被告人のようだ。
「事件前、彼は『スキルアウト狩り』として20名以上負傷させているが、それは?」
「現場に居合わせた常盤台中学の生徒の証言や、監視カメラからも分かる通り、彼がやってきた事は全て正当防衛です。一方的に彼が悪いと言うには無理があります」
「……此度の件で、彼は30人近くを相手取り、勝利したそうだな。しかも彼はただの
「彼の判断力と行動力、精神力がスキルアウトを上回ったのです。長年訓練で培ってきた賜物でしょう」
……しかし、それだけで勝てるような状況でもなかった。彼の射撃と格闘術の腕は優秀だが、それにしても限界がある。
あれは状況、行動、時間など、様々なものが集まり完成した、それこそ奇蹟のような戦いだ。
「その並外れた才能は脅威になりうる。万が一を考え、こちらで保護すべきだと思うが」
「…………失礼を承知で申し上げます。今回、彼にそこまでの事が出来たのは、彼がそこまで積み重ねてきたからに他なりません。射撃も格闘術も、それらは後天的な技術──それこそ血反吐を吐いてようやく手にしたものです。それを才能の一言で済ますのは止めていただきたい」
「………」
「……松浦君。君はどう思う」
私は部屋の隅に座る少女──
彼女は驚いた様子もなく、無感動に
「そうですね。まず、問題の着眼点を変えてみましょうか」
「……着眼点、とは?」
「重要なのは彼の処遇より、彼が置かれている状況ではありませんか?」
ゆっくりと立ち上がり、松浦は私の隣に並んだ。金糸を編んだようなミディアムヘアと、深紅のリボンが小さく揺れる。
平均よりやや低いその身長は、滲み出る異質な存在感に対して明らかに不釣り合いだ。
「ご存知の通り、前原将貴は現在、第七学区の病院で眠り続けています。しかし先日、奇妙な反応があったそうです」
「それは?」
「注射針が弾かれたそうですよ。まるで跳ね返されたように、ね」
「なっ……ま、松浦!それは本当か!?」
「ええ」
思わず目を見開き、隣にいた少女を問い詰めようとする。しかし松浦は興味が無いのか、視線がこちらに向く事すらなかった。
しかし、それが事実だとしたら。
注射針が何の理由も無く弾かれるはずがない。
だから、それはつまり──
「……つまり、前原将貴に能力が発現した、と言う事か?」
「それ以外に考えにくいかと。しかし、その能力に少々問題があります」
「めでたい事じゃないか。何が問題なんだね?」
「
「………」
物体を弾く……つまり『反射』する。
それが出来る存在を、私は1人しか知らない。
学園都市の最高峰、
「……彼が、そうだと?」
「まだ判断はつきませんが、可能性は十分あります。加えて、皆さんもご覧になりましたよね?特力研のあの惨状を」
思い出すのは、私達が駆けつけた時の、あの異様な光景。巨大な鎌で切り取られたような、上下に分断された研究所。にも関わらず、瓦礫1つ見つからなかった現場。
……まさか、あれをやったのが前原だと?
「彼の力は未知数です。ともすれば
「………」
「加えて、1対30の戦いにも身を投じる意志……仮に保護したとして、我々で彼を御し切るのは難しいのでは?」
……言い方は良くないが、その通りだ。
彼を丸め込み懐刀にするには、不確定要素が多すぎる。彼の反骨精神は凄まじいものがあるし、万が一力の矛先がこちらに向いた時、我々はそれを防ぎ切る自信が無い。
「……君なら、それが可能なのかね?」
「断言は出来ませんが、手段を示す事は可能です」
「…………よろしい。前原将貴を『条件付きの保護観察処分』とする。期間は1年。監督役は……そうだな。黄泉川君、頼めるか」
「……分かりました」
まぁ、そうなるのも当然だろう。
松浦は風紀委員の中でも高位の人間だ。まだ学生の身であるが、こなす仕事は専門家のそれと変わらない。その仕事量と年齢を考えても、まだ私の方がやりやすいとの判断だろう。
「条件について伺ってもよろしいですか」
「うむ……週に1度、訓練と称して彼を近くから監督してくれ。訓練の内容は君に任せる。何かあったらすぐに報告するように」
「分かりました」
「彼が風紀委員への復帰を希望した場合、どう致しましょうか」
「…………それで彼の手綱を握れると言うのなら、聞かないこともない。その判断は松浦君、君に任せよう」
「分かりました」
……つまり、復帰後に彼が問題を起こしても、その責任は松浦が負え、と。中学生の少女に対して大人気ないにも程がある。
しかし当の本人は、気にしていないどころか不敵に笑みを浮かべた。計画通り、とでも言うように。
「では、これにて審議を閉会とする。後ほど報告書を提出するように」
「分かりました。失礼致します」
*
前原将貴が目を覚ました。
それは事件が終息して13日目の朝だった。
その報告を受けた中村涼乃は、仕事を放棄して病院に向かった。
様々な感情が混ざる中で、唯一見つけた確かなもの──彼に会いたい、という思いが私を病室へと導いた。
「将貴ッ!?」
「……あ?」
「──ッ!!」
引き剥がすように扉を開くと、そのベッドには見慣れた少年がいた。それを見た私は泣きそうになり、思わず将貴に抱き着いてしまう。
──ああ、良かった。良かった!!
頭も、体も、呼吸も、体温も、心臓の音もある。
将貴は無事だ。生きているんだ。
ああ、こんなにも温かいなんて……!!
「良かった……本当に良かった……!!」
ぽろぽろと、あれだけ流した涙がまた溢れてくる。しかし拭いたいとは思わない。
何の抵抗も無く胸元に収まった将貴も、何も言わず動こうともしない。あまりにも無反応なので、私はふと視線を落とし、問いかけた。
「……将貴?」
「…………久しぶりだな。中村」
「──ッ」
そこにあったのは、再会を喜ぶ顔とはかけ離れた──絶望を塗り固めた、空虚な笑みだった。
「無事だったんだな……良かった……」
私を見た将貴は、薄い笑みを浮かべながらそんな事を呟いた。そしてそれを最後に、気味が悪いほどの静寂が生まれる。風に揺れるカーテンの音が、遠い世界の事に聞こえた。
「……うん。私は大丈夫……他の人達もね、みんな無事だったよ」
「……そうか」
「うん。この事件……あ、八月十日事件って言うんだけどね、無事解決したよ。それもこれも、全部将貴のおかげだよ」
「……そうか」
その後も、私は懸命に説明を続けた。
実験の事、それが永久凍結された事、『裏』が関わっていたため、この事件を隠匿される事など、出来る限りたくさん話そうとした。
しかし将貴は何の興味も示さない。それどころか、返ってきたのはこんな言葉だった。
「……中村を助けたのって、本当に俺なのか?」
「……どういう事?」
「
「………」
「あの状態で俺に何か出来るとは思えない。だからきっと、中村を助けたのは別の奴だ」
……気になった事ではあった。
体を何ヶ所も撃たれた状態でどう動いたのか、何十倍もある戦力差をどうひっくり返したのか……しかしそれを確認する術は無い。
何故なら、
それでも断言しよう。
「私を助けてくれたのは将貴だよ。その事実は変わらない」
「……違うよ。俺はそんな事しない」
「……1つ、質問していいかな」
「……なに?」
「将貴はあの時、どうして戦う事が出来たの?」
それは、ずっと聞きたかった事だ。
絶望的な戦力差でも将貴は立ち上がった。先の見えない闇に突き進む事が出来た。無謀とも言える戦いに1人挑む事が出来た。その攻撃を何と呼ぶか、分からない訳ではないだろうに。
「……中村を助けないと、って思ったんだ。だから戦った」
「わたしの、ため……?」
「あそこで動かない事が、『正解』だとは思えなかった……それだけだ。お前のためじゃない」
「…………そう。でも、一歩間違えたら将貴が死んでたんだよ?」
「お前が死ぬよりマシだよ」
命のやり取りという、日常からはおよそ程遠い質問に、しかし将貴は即答する。分かりきった答えを改めて確認するように。
その目は不思議と澄んでいるのに、焦点は世界のどこにも結ばれていない。
「……俺は犯罪者だからさ、殺されても文句は言えないんだよ」
「……そんな事言わないでよ。将貴が死んじゃたら私、どうしたらいいの……」
「……それこそ中村が死んだら、俺はどうすればいいんだよ」
「………」
「俺は人をたくさん傷付けたし、殺そうともした……その時点で、もうお前とは違うんだよ」
落ち着いた声で、将貴は言う。聞き分けの悪い子供を諭すように。
「…………最後にさ、確認していい?」
「……?」
名残惜しそうに体を離し、将貴と見つめ合う。光を失ったその瞳は、あの鉄橋で見た時以上に淡く、暗く、脆そうだった。
それでも私は言いたい。知りたい。胸の奥でずっと引っかかっていた、あの質問の答えを。
「将貴ってもしかして……
仮面のようだった将貴の表情が、初めて動いた。ともすれば幼児のように目を白黒させ、口を薄く開いたまま止まる。
「なんだか将貴、自分に何の価値も感じていないみたい……それは自分が悪だと確信しているから?」
「え……」
「だからこそ、自分とは関わらないでほしい……自分を嫌ってほしいって思ってる……?」
前原将貴は犯罪者、というのは事実ではあるのだろう。しかし将貴は、それに対する罪の意識が不自然なほど大きい。
自分が悪だと自ら主張するような口振りは、自分が罰せられる事を望んでいるようだった。
「死んでも仕方ないって言うのも、そのせい?本当は誰かに糾弾して欲しかったんじゃない?」
「………」
「将貴がどうしようもなく嫌いなのは……他でもない、自分自身なんじゃないの?」
将貴は何か言おうとして、しかし何も言えず俯いてしまう。やがて小さく肩を震わせながら、怯えるようにぽつり、ぽつりと呟き始めた。
「…………そう……かも、しれない」
「………」
「俺は……良く言われたくない……大切に想われたくないんだ……俺は悪だと、自分で納得できているから……」
「……だから、フッキー達にもキツく当たっちゃったんだ?」
「……だって、分からないんだよ……何であいつらは、俺みたいな奴に構うんだ……嫌ってくれた方がまだ楽なのに……何で……」
将貴は頭を抱え込みながら、途切れ途切れに言葉を紡いでいく。その呼吸は荒く、頬には汗の筋が幾重も刻まれていた。
その頭を撫でようとすると、将貴は一瞬びくりとしたが、後はされるがままとなった。
「……ごめんね。辛い思いさせちゃって。でも、その上で言わせてほしい」
頭から頬へ、沿うように手を動かした。そうして無理やり視線を合わせ、はっきりと告げた。
彼にとっては、この上なく残酷な言葉を。
「私は将貴の事好きだよ」
*
「………………え?」
何を言われたのか、よく分からなかった。いや、脳が理解する事を拒んだ。
だってそれは、今の俺が最も欲しくない言葉であったから。
「な……なん、で……そんな事、言うんだ……」
「………」
「止めてくれよ……何で……」
喉元が痒くなり、呼吸が急に荒くなる。そんな俺を慈しむように、中村は俺の頬をゆっくりと撫でた。年相応に柔らかく、温かいその手が、何故かひどく恐ろしい。
「……自分を嫌ってほしいという将貴の願い……残念だけど、それは叶わないよ」
「………」
「将貴はきっと、これからもたくさんの人に愛されて、大切に想われる」
「……っ、なん、で……」
……何で、そうなるんだ。
俺は1人になりたい……1人になるべきなんだ。誰とも関わるべきじゃない……周りの優しさに甘えてはいけないんだ。
……でも、自分から嫌いとは言えない。俺みたいな奴を大切に思ってくれる優しい人を、傷付けたくはない……。
「……理由、知りたい?」
「……うん」
「それはね、将貴のせいだよ」
薄い笑みを浮かべながら、中村は告げる。慈しむように、愛おしそうに。至近距離で映る中村の髪には、見た事のない白い髪留めが着けられていた。
「将貴はみんなの事を、本当に大切に想ってくれてる……みんなそれが分かってるんだよ」
「……っ」
「だからこそ、みんな将貴を大切に想わずにはいられない。優しくされたから、優しくせずにはいられないんだよ」
俺の瞳が、自分でも分かるほど激しく揺れる。長年自分を支えていた何かが、ぼろぼろと崩れていくのが分かる。
それでもなお抵抗しようと、俺は決死の思いで口を開いた。
「違う……違うよ、俺はそんなに優れた人間じゃない……」
「………」
「……今回の事件だってそうだ。終息こそしたものの、それは結果論の話だ……俺がいなくても、きっと解決はしたんだよ」
そう、俺は特別でも何でもない。俺である必要はどこにも無かったんだ。
今回だってそう。俺がいなくても、きっと八月十日事件は解決した。陳腐な言い方をすれば、『ヒーロー』がなんとかしてくれたに違いない。
『俺だから』こうなった訳じゃないんだ。
「……でもあの時、来てくれたのは将貴だった」
「……え?」
「仮に事件そのものが起こらない世界があったとして、それが何なの。実際に駆けつけたのは将貴で、助けてくれたのは将貴だよ」
俺の事をまっすぐ見つめる目が、ひどく恐ろしい。思わず下を向こうとするが、中村はそれを許さない。それどころか顔をもっと寄せ、強引にでも視線を合わせてきた。
中村涼乃の瞳には、俺しか映っていなかった。『どこかのヒーロー』の事なんか、これっぽっちも見ていなかった。
「……ま、まて……止め……」
かつてないほど近くで見る、澄んだ薄茶色の瞳。それが左右に、上下に、儚げに揺れる。胸の奥がつんと痛み、耐えきれないほどに熱くなる。
「……あなたが自分を認められないのなら、まず私が認める。自分の事がそんなに憎いのなら、まず私が受け止める。だから忘れないで」
「──ぁ」
「
──もう、限界だ。
感情を抑え込んでいた最後の糸が、ぷつりと切れた。それにより、胸の奥にずっと隠してきた何かが、奔流のように溢れ出してくる。
それが目元に達した時、俺の瞳に熱い何かが込み上げてきた。止めようとして上を向いても、もう遅い。
「え……?」
心配そうに見つめてくる中村の姿が、急に見えにくくなる。訳も分からず袖で拭うが、堰を切ったように溢れ出るそれは、視界も思考も、全てを白く洗い流していった。
「しょ、将貴……?」
中村涼乃は、俺を否定しなかった。
自殺志願者で、殺人者である俺を、正面から受け止めてくれた。
偽りの『前原将貴』じゃない。気遣いでも、哀れみでもない。ただの
それがどれだけ難しい事か。
それがどれだけ温かい事か。
俺は、何も、知らなかった。
「……大丈夫、だからね。私はここにいるからね」
「あぁ……ッ!!」
情けない姿を見せたくないと、俺は体を引き離すが、中村は俺の背中に手を回し、優しく抱き留めてくれた。それだけで、強がる事なんて出来なくなった。
学園都市に入ったあの日以来、必死に隠してきたもの──強くなるために封じ込めた『弱さ』が、ここで剥き出しになる。
「あぁ、ぁ……ぁあ……ッッ!!!」
目元から溢れるそれが涙だと、俺はようやく気付いた。止めるべきなのに、止める術が分からない。だから俺は、こうして中村に縋る事しか出来ない。
なんて情けない姿だろう。なんと愚かな行為だろう。こんな俺を、明日の俺はきっと笑うに違いない。
でも、それでもよかった。
立派な志も、崇高な思想も、どうでもよかった。
ただ俺は、己から湧き出るこの感情に身を委ねたかった。中村涼乃を少しでも感じていたいと、そう、心から思った。