とある風紀委員の日常   作:にしんそば

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第42話

 

 

 

 

 

「落ち着いた?」

「あぁ……ごめん、心配かけたな」

「ううん、むしろ嬉しかったよ。あんな将貴初めて見たし」

「そ、それは忘れろよ」

 

広い個室の病室で、2人の男女が言葉を交わしていた。ベッドで休む前原将貴は、中村涼乃の胸で泣きに泣いて泣き疲れて、ようやく平静を取り戻したところだ。

 

「ていうか、名前……」

「あ、うん。何となく将貴って呼ぶことにしたんだけど……いいかな?」

「……別にいいけど」

 

何気ない会話に、胸の奥がじんわりと温かくなるのが分かる。しかし何故か気恥しさを感じ、ぷいと視線を逸らしてしまった。近くから聞こえる嬉しそうな声は、まるで耳元をくすぐられたみたいだった。

 

……名前、か。

 

「……涼乃」

「えっ」

「え?」

「……名前」

「……え?」

 

……うん?俺、今何て言った?

名前?名前を言ったのか?

誰の?涼乃の?いや待て涼乃って。

 

「……あ、その、すまん。何か呼びたくなって……気にしないでくれ」

「別にいいけどさ……えへへ」

「……ッ!?」

 

……な、何だこれ?何かこう、おかしいぞ。

まだ完治してないのか、気を抜くと口元が緩んでしまいそうだ。心臓も変に昂り、鼓動が早くなっているのが自分でも分かる。

 

「えと……す、涼乃」

「うん」

「涼乃」

「……う、うん」

 

涼乃の返事が何故か小さくなる。恥ずかしいなら頼まなきゃいいのに、とは思うが、俺も謎の気恥しさを感じ、中村の……涼乃の顔がまともに見れなくなってしまう。

 

互いに言葉に詰まり、ちらちら覗くように相手の顔を伺う。ふと目が合うが、何故がどちらとも逸らそうとはしない。

そんな中で響いたのは、病室に軽やかに鳴るノックだった。

 

「入るよー」

「はーい……って奏ちゃん?」

「おはよーすずのん。久しぶりー」

 

そのまま入ってきたのは、身長150に満たない小柄な少女だった。

肩にかかるミディアムヘアは金糸を編んだようで、それを後ろで結んだリボンは鮮やかな深紅だ。釣り目がちの蒼氷玉(スイスブルー)の瞳は、制服の常盤台中学らしからぬ活発そうな印象を抱かせる。

 

「第七学区、177支部の前原将貴だね?」

「あ、ああ。君は?」

「八月十日事件の担当、松浦奏だよ。よろしくねー」

「お、おう」

 

少女──松浦奏は挨拶もそこそこに、手元の薄っぺらい鞄を漁り始めた。常盤台のイメージとは裏腹に、その口調は随分と軽めだ。

 

しかし、事件の担当……つまり風紀委員(ジャッジメント)か。しかもこの規模の事件の担当なら、それなりに高位の人間なのだろう。

なら、来たのは事件処理の報告と俺の弾劾、といったところか。

 

「将貴、奏ちゃんは私をあの橋に連れてってくれた人……つまり将貴の恩人だよ」

「……そうか。松浦さん、ありがとう」

「うん。無事ならそれで良かった。あと奏でいいよ、しょーくんの方が年上なんだし」

「しょ、しょーくん……?」

「とりあえず報告していくねー」

 

妙な呼び名に戸惑ううちに、松浦──奏は数枚の書類を取り出し、何事も無かったように俺と向き合った。

改めて見ると、可愛いと綺麗が見事に調和したその顔は、どちらともとれる不思議な魅力がある。

 

「結論から言うと、事件はほぼ完璧な形で終結したよ」

「完璧、ねぇ」

「人質は全員無傷で保護、犯人グループは壊滅、おまけに立役者のしょーくんも無事。なら完璧って言ってよくない?」

「……ほぼ、ってのは?」

「誘拐を手引きした依頼人を捕まえれなかった、ってトコかなー」

 

まぁ初動が遅れたのもあるけどね、と何でもないように奏は言う。しかし、それは俺としては見過ごせない脅威だ。

また涼乃が危険な目に遭うかもしれない、と思うだけで、何かどろどろした感情が出てきそうになる。

 

「そんな顔しなくても大丈夫だって。実験は永久凍結されたし、特力研も解体させた。それにこうして明らかになった以上、再起するのは難しいと思うよ?」

「……それもそうか」

「あと八月十日事件に関して、統括理事会から緘口令が布かれたんだー。だから他言しないようにね」

「…………は?」

 

……統括理事会って、あの統括理事会?学園都市の最高機関の?

え、何でわざわざそこが動くの?そこまでして揉み消したい事件なのコレ?ていうか、奏は何をどこまで知っているんだ……?

 

「……ま、まぁ分かった。情報統制はそっちがやってくれるのか?」

「まぁね。ちょうどいい当て馬もあったし」

「当て馬ってお前な……で、何があったんだ?」

「『88の奇蹟』」

 

短い一言に、隣の涼乃があっと声を上げた。それを見る奏も、腰に手を当てながら何故か得意げな表情を浮かべている。

何がなんだか分からない、という顔をしていると、涼乃が1つずつ話してくれた。

 

「事件が起こったまさにその夜、ある飛行機事故が起きたんだよ」

「事故?」

「学園都市の飛行機が、上空でスペースデブリと接触したらしくてね。それでエンジンが壊れちゃって、操縦不能になったんだよ」

「……大事故じゃねぇか。どうなったんだ?」

「ちゃんと帰還したよ。乗客88人、全員無事にね」

「……すごいな。それで『奇蹟』か」

「おかげでニュースとか大盛り上がりだよ。奇蹟だ奇蹟だーって」

 

確かに、それなら話題性も十分だし、世間への印象も良いだろう。事故に遭われた方々には悪いが、この事件の隠れ蓑にはもってこいだ。

 

……さて、そろそろ本題に入るか。

 

「奏」

「んー?」

「話を戻そう。事件に関係して、俺にまだ言う事があるんじゃないか?」

「おお、分かるんだね。さっすがー」

 

特に驚いた風も無く、奏は佇まいを正した。その動きは何故か優雅で、根本はお嬢様であることが垣間見える。

しかし蒼氷玉(スイスブルー)の瞳は変わらず、俺をまっすぐ捉えていた。

 

「そんじゃ、辞令を伝えるねー」

「………」

「本日この時間をもって、前原将貴を風紀委員から正式に免官し、その全権限を剥奪します」

 

えっ、という呟きが隣から聞こえた。

だが奏は気にも留めず、書類を捲る手を止めようともしない。予想していたため、俺も変に反応することはない。

 

「資料は読ませてもらったよ。スキルアウトに対する暴行や傷害、そして脅迫。銃の所持に発砲、器物損害に不法侵入、その他諸々……と。よくもまぁここまでやったねぇ」

「なっ……ちょ、待ってよ!!意味分かんない!!何で将貴が辞めなきゃいけないの!?」

「さっき言った通りだけど?」

「だからって納得できる訳ないでしょ!!」

「すずのん、大事なのは事情より事実だよ。特にこの風紀委員ではね」

 

噛み付くように声を荒らげる涼乃だが、しかし奏は受け流すだけだ。奏の言い分が全面的に正しいが、それでも涼乃の口は止まらない。

 

「涼乃、落ち着け」

「これが冷静でいられる!?だっておかしいじゃん!!将貴は私達を助けてくれた!!将貴がいなかったら事件解決なんてしなかったよ!!」

「文句があるなら上に言ってよ。私が決めた訳じゃないんだし」

 

余りに淡白な奏の言葉に、涼乃の眼光がより鋭くなる。唇を噛み、拳を握るその姿からは、内心に燻る怒りが滲み出ているようだった。

 

……心配してくれる人がいるって、こんなに嬉しいものなんだな。

 

「……もういい。もしそんなのがまかり通るっていうなら、私も辞──」

「涼乃。もういい」

「……でも」

「いいんだ」

 

腕章を引き千切ろうとする涼乃の手を掴み、首を横に振る。すると涼乃は動きを止め、悔しそうに顔を歪めた。

その様子に満足したのか、奏は書類を鞄に仕舞い、代わりに冊子のような物を取り出した。

 

「俺は風紀委員を辞めて、犯罪者として少年院に入る。それでいいか?」

「……さぁ。詳しい事は後から来る警備員(アンチスキル)に聞いてね」

「そっか、分かった」

「……ああ、あとこれ。私から差し入れ」

 

わざとらしく話を切りながら、奏は持っていた冊子を差し出した。そこにはこう書かれていた。

 

風紀委員冬季公募要項、と。

 

「……えっ」

「え……か、奏ちゃん、これは……?」

「見ての通り、公募要項だけど?」

 

あっけらかんと言う奏に、涼乃も戸惑いを隠せないようだ。先ほどの怒りもどこへやら、冊子と俺を交互に見つめている。かく言う俺も同じだ。

 

……奏は一体何を言っているのだろう。

俺は犯罪者だ。復帰なんか出来るはずがない。仮に出来たとしても、世間がそんなの許さないだろうに。

 

「一度辞めた風紀委員が、風紀委員に戻ってはいけない、なんてルールは無いよ?なら良いって事じゃん?」

「待て待て落ち着け。戻れる訳ないだろ」

「事件そのものが揉み消されるんだから、辞める方が不自然なんだけどねぇ」

「………」

「ていうかさ」

 

俺の言葉を切り、奏は楽しそうに顔を寄せてきた。一片の淀みも無いその瞳で見つめたまま、挑むように口を開く。

ただ正直に、簡単に、まっすぐに。

 

()()()()って事はさ、()()()()とは思ってるんでしょ?」

「……えっ」

「ならそれでいいじゃん。素直にそう言えばいいのに」

「………」

「もっかい聞くよ。しょーくんは風紀委員に戻りたい?戻りたくない?」

 

不思議そうに話す奏は、俺が何を躊躇っているのか分からない、とでも言うようだった。裏の無いその瞳の前では、嘘をつくことは出来なかった。

 

だから俺は、慣れない事に唇を震わせながら、未知の感情に恐怖を覚えながら、錆び付いた口を動かして、こう言った。

 

戻りたい、と。

 

「……ふふん、そっかそっか」

「奏?」

「なら話は早いねー」

 

何を納得したのか、奏は跳ねるように出口に向かい、扉の前でぴたりと立ち止まった。

踵を返し、遠くで向き合う少女の顔には、1人の風紀委員、という色が強く浮き出ている。

 

「しょーくん」

「?」

「今回の事件、解決できたのは間違いなく貴方のおかげだよ。ありがとう」

「……!」

 

そして奏は、その場で深々と頭を下げた。後ろで結ばれた深紅のリボンが、艶やかな髪の上で存在を主張している。

 

しかし頭を上げると、そこには先ほどの無邪気な笑顔が浮かんでいた。そのまま何事も無かったように病室を出ていく奏は、さながら突如到来する台風のそれだ。

残された俺と涼乃に、しばしの沈黙が生まれる。

 

「……将貴」

「……ああ」

「待ってるから、ね」

「…………少し、時間がかかるかもしれない。それでもいいか?」

「もちろん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第七学区、風紀委員第177支部。

そこにいるのは、所属する風紀委員のメンバーである。仕事が多い訳ではないが、支部には珍しく全員が揃っていた。

いや正確には、ようやく揃う、だろうか。

 

「そろそろ時間ね」

「ああ。準備できてるか?」

「なに堅い事言ってんの。いつも通りでいいのよいつも通りで」

「とか言いつつ声震えてんぞ、固法」

 

そんなお喋りを遮るように響く、規則正しいノックの音。少し間を置くと、向こうから部屋のロックが解除されるのが分かった。こちらは何もしていないのに、だ。

 

「失礼します」

 

そして入って来たのは、見慣れた少年。

制服、姿、髪、声、そして腕章。

どれもこれも、よく知る少年のものだった。

 

「本日より177支部に特例異動配属となりました。前原将貴です。よろしくお願いします」

 

待ち望んだその声に、所属メンバーの何人かが目元を押さえる。しかし、それを最も望んでいたであろう中村涼乃は、いつも通り優しく微笑み、ただ一言。

 

「おかえり」

 

少年は口を歪め、ゆっくりと1歩踏み出した。元々自分がいた場所に。精一杯遠回りをして、ようやく気付いたその世界に。

そして同じように口元を綻ばせ、ただ一言。

 

「ただいま」

 

 

 

 

 

─────────

 

 

 

───────

 

 

 

─────

 

 

 

───

 

 

 

 

 

「──……んぁ?」

 

まぶしい、と思った。薄く目を開けると、近くの窓か夏の日差しが存分に入り込むのが見えた。

涼乃は暗いのが苦手なため、遮光カーテンを閉める習慣が無いようだ。

 

「(……そーいや、涼乃と寝たんだったな)」

 

目を擦る前原将貴のすぐ隣には、無防備に眠る少女──中村涼乃がいた。1人用のベッドであるためか、互いの鼓動が肌で感じられる。

所謂朝チュンだが、顔も名前も事情も知っているし、もちろん情事だってシていないため、特に焦ったりはしない。

 

「(なんか、すっげー長い夢見てた気が……)」

 

しかし、その内容がいまいち思い出せない。何か大切な事のように思えたが、覚えてないならどうにもならない。

俺はベッドから体を起こし、隣で眠る涼乃の髪を撫でた。薄茶色の髪は柔らかく、柑橘系の匂いはいつもより少し薄い。昨夜は俺のシャンプーを使ったためだろうか。

 

「んぅ……」

「……涼乃」

 

撫でる手を止め、僅かに目を細める。日付が日付であるため、少し感傷的になっているみたいだ。

 

俺みたいな人間が涼乃に触れていいのか、と。

あの時の問いに、俺はまだ答えを出せていないみたいだ。でも、いつかは。

 

「………」

 

俺は、確かに間違えた。

自分のためだけに生きた結果、あまりにも大きな間違いを犯してしまった。自己本位に生きる結果を知ってしまった。

……だからもう、自分のために生きるなんて出来ないかもしれない。

 

でも、それが悪いとは思えなかった。

あの時間違えなかったら、俺は涼乃をここまで想えなかっただろう。彼女のために生きよう、戦おうとは思えなかっただろう。

 

「これからも、よろしく頼む」

 

そんな歪なジレンマに、俺は悩み、問いかけ、答えを探し続けるのだろう。

今日も、明日も、明後日も。

 

そして、これからも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──なら、もしも。

 

もしも、涼乃を守れなかったら。

 

もしも、涼乃を失うような事があったら。

 

俺は一体、どうなってしまうのだろうか──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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