「前原将貴です。よろしくね」
「吹寄制理よ。よろしく」
それが彼との出会いだった。
進学先の中学校で知り合っただけの、どこにでもいるクラスメート。容姿は普通で、性格も普通。学力が優れている訳でもなく、テストで言えば私の方が上だ。
しかし何故か、彼は男女問わず多くの人から慕われていた。
「何でハラショーを頼るかやって?」
「ええ。何か理由でもあるの?」
「んー、別に無いで。ハラショーやから聞いてるだけやしなー」
「前原君だから?」
「そうそう。フッキーにもいずれ分かると思うでー」
的を得ない答えに疑問符が湧いたが、まぁいい。これからゆっくり知っていこう。まずは私の勉強だ。
……ハラショーって、前
「すごいわね。『開発』が得意なの?」
「まぁね。まだ
「それでもすごいじゃない」
授業を通して、私は『開発』における彼の理解力に驚いた。各教科の中でも、取り分け難解な『開発』をここまで理解するなんて、きっと長い間勉強してきたのだろう。
「前原君?うん、訓練もすっごい真面目だよ。それに射撃のセンスもあるんだって」
「へぇ、訓練でもそうなんだ」
「うん。それよりフッキー、前原君のこと気になるの!?」
「何でそんなに嬉しそうなのよ……」
ある日、彼が
「あれ、前原君?まだ残ってたの?」
「ん、吹寄か。まぁもう少しな」
「大変ね。下校時刻までには帰りなさいよ?」
「はいよ」
テストが近いある日、教室に残り勉強する彼を見つけた。周りには計算に使った裏紙やノートが置かれている。
どうやら、彼はあまり要領が良くないらしい。しかし、その堅実さはいつか実るだろう。私も見習わなければ。
「クソ、マジで上がんねぇな」
「……そうだな」
「なにしょぼくれてんだよ。まさか諦めんのか?」
彼は
しかしそこには、自分よりまず他人を励まし、鼓舞する彼の姿があった。彼の周りにいる友人達も、きっとこの姿に励まされたのだろう。
みんなが彼を頼る理由は、ああいった所なのかもしれない。
「前原は今日も残って勉強するの?」
「ああ。何なら吹寄も一緒にやるか?」
「うーん、ならご一緒しようかしら」
今日は彼と共に、数名のクラスメートで勉強会を開いた。色んな勉強法を惜しみなく教える彼の姿は、まるで親しみやすい先生のようだった。
前原のおかげだろう、その日はいつも以上に勉強が捗った気がする。またやりたいものだ。
「まったく、無茶するからよ」
「痛ッ……いいだろ別に。勝ったんだしさ」
「そーゆー問題じゃないの。仕事に支障出たら困るでしょ?……っと、ハイ終わり」
「ん、サンキュー」
学園都市の大規模体育祭、
彼はそれで頑張りすぎた結果、足を怪我してしまった。まぁあまり深くはないだろう。
やる気に満ち溢れてるのは良いが、怪我をしてしまっては元の子も無い。彼を心配する声も少なくないのに。
「あれ、前原?」
「ん?吹寄?」
「どうしたの?こんな所で」
「いや、暇だから勉強してた。吹寄は?」
「えっと、私は本を返しに来たのよ」
「そっか」
「……あの、私もここで勉強していい?」
「え?別にいいけど」
冬休みのある日、私は図書館で彼を見つけた。課題は既に終わったのか、彼が見ているのは知らない参考書だ。
どうやら彼は、休みでも勉強と訓練ばかりやっているらしい。上条や土御門と幼馴染だと聞いたが、彼らにも少しは見習ってほしいものだ。
「はっ、はっ、はっ……」
「あれ、前原?」
「はっ……あ、吹寄。今帰りか?」
「……え、ええ」
「そうか。気を付けて帰れよ」
「………」
ある日の帰り、私は校庭で訓練している彼を見つけた。走りすぎたのか、足元はふらふらで今にも倒れそうだが、しかしその瞳はまっすぐだ。
前原は本当にすごい。彼はどこまで進む気なのだろうか。ぜひ近くで見届けたいものだ。
「前原、ここの問題なんだけど……」
「ちょい待ち。これ解いてからな」
「ん、分かった」
2年生になり、彼とはまた同じクラスになった。
私はいつしか、質問があれば自然と彼に聞くようになっていた。特に理由は無くとも、聞きたいと思ったからだ。
なるほど、これが『前原だから』頼るという事か。ようやく理解できた。
「ごめん前原!『開発』の教科書忘れちゃったみたいなの。悪いけど見せてくれない?」
「いいけど、珍しいな」
「ごめんね、私としたことが……」
「んな事気にすんなよ。らしくもない」
今日はうっかり教科書を忘れてしまい、隣の席で彼に見せてもらった。
さすがと言おうか、彼の教科書は所々皺が寄っており、読み込まれた形跡が多く見られる。何気なく口にするアドバイスは的確で、彼の理解力を物語っているようだった。
『開発』を受ける彼は本当に楽しそうだ。生き生きとしてて、格好良い。
「次は大覇星祭最大の難関、あの常盤台中学だ!!お前ら、覚悟は出来てんだろうなぁ!!?」
「前原?相手が相手だからって無茶していい訳じゃないからね?」
「わーってるよ。ほら、吹寄も!」
「もう……」
無邪気に笑う彼に釣られて、思わず私も笑ってしまう。何故か上条達が驚いているが、まぁいいだろう。
なお、結果は言うまでもない。無茶はするなとあれほど……まぁ、それが彼の魅力ではあるのだけれど。
「前原って何曜に残って勉強してるの?」
「主に金曜だけど……何だ急に?」
「私も参加したいと思ってね。前原と勉強するの、すごい集中できるし」
「別にいいよ。俺も話相手は欲しかったし」
彼の勉強に、私も加えてくれないかと頼んだ。彼の教え方は分かりやすくて、マンツーマンでは授業よりもずっと捗るからだ。
涼乃も誘ったが、ニヤニヤしながらやんわりと断られた。頑張ってねって何の事?
「前原ー」
「んー?」
「
「いいぞ。2人でか?」
「え?……あぁ、うん。2人、ね」
2人きり、という事が何故か気恥かしい。おかしいな、金曜の勉強会はいつもそうなのに。
帰り道にそれを言うと、涼乃は嬉しそうにその事をからかってきた。止めてほしいのに、頬が熱くなるのを止められない。何なんだこれは?
「期末、前原は何位だった?」
「……そう言う吹寄は?」
「私?……聞いて驚きなさい。15位よ」
「……ふはは、悪いな吹寄。13位だ」
「うえっ!?」
そして遂に、テストの順位で彼に抜かれてしまった。なのに全然嫌じゃなかった。むしろ心から祝福している私がいた。
そして私は、ようやく気付いた。
『憧れ』はいつしか『好き』に変わっていた。
教室で挨拶してくれるのが嬉しかった。
授業中、隣で勉強するのが楽しかった。
2人きりの勉強会が待ち遠しかった。
夜眠ろうとしても、思い出すのは彼の笑顔や小さな仕草だった。
前原は今何を考えてるのかな。
私の事だったら嬉しいな……なーんて。
「おはよう、吹寄」
「ま、前原……?お、おはよう」
「……?どうかしたか?」
「な、何でもないわよ。大丈夫!」
「お、おう。そうか」
「あっ……」
同時に、彼との距離感が分からなくなった。
向き合って話すと緊張するけど、話さないとただ寂しい。目が合うと嬉しいけど、そんなに見ないでほしいと思ってしまう。
矛盾した思考と行動に、私はされるがままだった。私はどうなってしまうのだろう。怖いけど、何だか楽しみだ。
「フッキーってさ、将貴君のこと好きだよね?」
「えっ……な、何を言ってるの?」
「親友だもん、それくらい分かるよ。それで、告白とか考えてる?」
「こっ、告……っ!?そんな事……」
「……将貴君、かっこいいもんねー。フッキーが何もしないなら私が獲っちゃおっかなー」
「なっ……それは……」
「にゃはは、冗談冗談。でもバレンタインにチョコはあげなよ?義理でもいいからさ」
「え。そ、そう……かしら」
やたら生き生きしてる親友に、私はいいようにからかわれてしまった。自分は気が強い方だと思っていたが、こういった事にはてんでダメみたいだ。
……私がチョコレートあげたら、前原は喜んでくれるかな。形はやっぱりハート……って無理無理!できる訳ないでしょ!!
「そんじゃ吹寄。また明日」
「……うん。ばいばい」
「おう」
「ぁ………あの……あの、まえばらぁ!」
「うお。な、なんだよ?」
「その……ほら、その、あの…………ぃ、いつも世話になってるから、お礼!はい!!」
「お、おう」
「あくまでお礼だから!じゃーね!!」
2月14日、私は彼にチョコレートを渡した。散々悩んだ挙句、結局は市販の物を。
涼乃にその事を話すと、最後の一言が余計だと怒られてしまった。うるさい、いきなり手作りとかハードル高すぎるのよ。
「なー吹寄」
「な、なに?」
「俺さ、お前を『制理』って呼んでもいいか?」
「………………え?」
「いや、さっき元春達に言われたんだよ。いい加減名前で呼んでやれってさ」
「………」
「嫌なら別に――」
「い、嫌じゃない!すごく良いと思うわよ!!」
「お、そうか」
「その……しょ、将貴……?」
「………」
「……あぅ」
「……無理しなくてもいいぞ。何にせよよろしくな、制理」
「よろしく、しょ……前原」
名前で呼ばれた時、心臓が止まったかと思った。その日の夜は全く眠れず、枕を抱えてベッドを転げ回った。『将貴』と呟いては1人悶えて、という流れを何度も何度も繰り返した。
ああ、何故私は彼を名前で呼び返せなかったのだろうか。でもいつか、いつかは……!!
「おはよう前原。また一緒のクラスね」
「おはよう制理。今年もよろしく」
「うん」
3年になり、彼とはまた同じクラスになった。同時に、たくさんの決意を固めた。
今年こそは、彼を名前で呼べるようになろう。
彼に近付けるようになろう。彼に相応しい存在になろう。この想いも、いつか伝えよう。
そして夏休みのある日、彼は自殺した。
「…………ああぁ」
結果から言えば、それは未遂に終わった。直前で涼乃が助け出し、その意思を砕いたらしい。
しかしそれを聞いた私はまず呆然とし、ついで悲しくなり、そして絶望した。
だが、過去を嘆いている場合ではなかった。
本当の地獄は、そこからだったのだ。
「ああああぁぁぁぁ……」
『何であの前原が』
そう思った自分が恐ろしかった。勝手に嘆き、悲しむ自分に吐き気すらした。
彼の輝きに憧れた私は、その影を一切見ようとしなかったではないか。
彼は強い人だと決めつけて、1人で喜んでいただけではないか。
彼に理想の『ヒーロー』を押し付けて、担ぎ上げて、勝手に憧れていただけではないか。
それを認めたくなくて、私は思考を放棄した。
同時に、好きだったはずの彼の笑顔が、急に思い出せなくなった。
「あああああぁぁぁッッ!!」
何も気付けなかった自分に嫌気がさした。中途半端に慰めて、彼を余計に傷付けた自分にうんざりした。憤り、恨み、呪いさえした。
でも、それでも足りない。
「あああああッッ!!あぁああああぁぁぁぁあああああぁぁぁッッ!!!」
何度も何度も泣いた。でも、それが何に対する涙なのか分からない。私に泣く権利なんて無いんだ。
学校に行くのが嫌になった。
会わせる顔が無かったのだ。あんなに好きだった彼にも、その彼を助けてくれた、唯一無二の親友である涼乃にも。
……でも、行くしかない。
理由なんか知らない。そんな事を考える時間なんてもう、無いんだ。
「………」
考えが纏まらないまま……いや、考えを放棄したまま私は廊下を歩き、やがて目的の病室に辿り着いた。その扉の前に立ち止まり、開けようとしたところで、私は止まった。
聞こえてきたのだ。よく知る2人の話し声が。
「なぁ、
「ん、なに?
「……今更だけど、ありがとな。あの時助けてくれて」
「……こちらこそ。あの時助けてくれてありがとう」
「………」
「………」
「……本当、今更だな」
「じゃあ、これでおあいこだね」
「……くくっ」
「……ふふっ」
「――!」
数日後、私は涼乃を呼び出した。
彼の事に涼乃の事。聞きたい事は色々あったが、そんなのはもうどうでもよかった。
「涼乃、本題に入っていい?」
「う、うん。いいけど……」
「…………私ね、前原の事が好きだったの」
初めて告げる、私の本心。
それを聞いた涼乃は、一瞬目を見開いて、すぐに細めた。その瞳には、明らかな困惑の色が見える。
「…………好き、
「ええ。今は何とも……思ってないわ」
「嘘だね」
「……嘘じゃないわよ」
「それも嘘だ──」
「嘘じゃないのッ!!!」
叩きつけるように私は叫ぶ。こんな風に涼乃に怒鳴るなど初めてだ。
見え透いた嘘だろうと関係ない。それに気を回せるほど、今の私は冷静じゃない。
「何でそれを私に……?」
「こんな事、涼乃にしか話さないわよ……親友、だからね」
「……?」
「話は終わり。時間とらせてごめんね」
「あっ、ちょっと!?」
後ろの声を無視して、私は静かに立ち去った。これ以上、涼乃と向き合う事に耐えられなかったのだ。
私は直感で理解できた。彼も涼乃も、ずっと近くで見てきたから、分かってしまったのだ。
彼はもう、涼乃によって救われていた。
涼乃もまた、彼によって救われていた。
その間に芽生えた、新たな感情の名前も。
「(……そっか)」
その事実を、私は意外なほどすんなりと受け入れられた。だって、私では痛みを理解し合う事も、『弱さ』を認め合う事も、私では絶対に出来なかったから。
……あーあ、負けちゃったなぁ。初恋が、まさかこんな形で終わるなんてなぁ。でも仕方ない。涼乃が魅力的なのは純然たる事実なのだ。
……私なんかとは全然違うんだ。
「……?」
あれ、何で、涙が……?
おかしいな。何で私、泣いて……?
めでたい事なのに、何で……?
わたしは、私は、涼乃の親友として、彼の友人として、この事を、祝福、しないと――
「――…………で」
…………なんで、涼乃なの?
涼乃は、なんで彼なの……?
涼乃の魅力なんて知ってる。
彼の魅力などもっと知ってる。
……なのに、なんで。
なんで?
なんで!!
「あ、おはよう前原」
「……おはよ、将貴」
「おはよう涼乃、制理」
「……涼乃?どうかした?」
「……ううん、何でもない」
遠くに彼を見つけ挨拶すると、横の涼乃が気まずそうな表情を浮かべた。
他人をよく見る涼乃だ。きっと私の本心を分かった上で、自分の気持ちと葛藤しているのだろう。
「涼乃。大丈夫よ」
「え?」
「私は後悔なんてしてない。だから、今度は涼乃が正直になりなさい」
「フッキー……」
……なんて言ったけど、こんなのただの言い訳。涼乃を理由に諦めるだけの、どうしようもない自己保身。
ねぇ、気付いてる?
彼、私より先に涼乃を呼んだよ?
彼、涼乃と話す時は、浮かべる笑みがいつもとは少し違うんだよ?
「(……本当、手のかかる親友達ね)」
まだ諦め切れた訳じゃない。この気持ちはしばらく晴れる事はないだろう。それでも、ずっと大切にしてきた気持ちだ。少しずつ思い出に変えていけたらいい。
それに、彼も涼乃も同じくらい大切な人なのだ。複雑ではあるけれど、素直に祝福したい気持ちもある。
ふと空を見上げると、先ほどまで重く落ちていた灰色の雲が、薄く広がっていくのが見えた。
「いい天気ね」
「え、そう?」
「うん。明日は、きっと晴れるわよ」