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『完璧な
夏休み明けの柵川中学。生徒や教師が抱いた前原将貴の印象は、それがほぼ全てだった。
学力も体力もすこぶる優秀。どこまでも自分に真っ直ぐで、友人はもちろん、教師からの信頼も厚い。おまけに能力は
「おめでとう」
「前原の努力がついに実ったんだ」
「奇蹟だ」
そんな彼を出迎えたのは、溢れんばかりの歓呼の嵐だった。内容はもちろん、彼が渇望していた能力の開花。男女問わず、囲うように彼を祝福するその姿は、いかに慕われているかの証左でもある。
しかし彼は浮かれることなく、平静そのものといった様子だ。淡々と感謝を述べるその姿は、吹寄制理が見慣れた『前原将貴』のそれだった。
「前原」
「ん?どうした制理」
「その、さ……無理してない?」
「……?いや、別に?」
不思議そうに私を見上げる前原の顔に、嘘は無い。無理をしている訳でも、強がっている訳でもない。
前原はいつものように、自分の意思とは関係なく、ただ笑っていた。私が好きだった、眩しくてまっすぐなあの笑顔で。
「……そう」
前原はよく笑う。
どんな時も、誰に対しても、全く同じ笑顔を向ける。だって、そうするよう強いられてきたから。それ以外の振る舞い方を知らないから。
能力が開花しても、それは変わらなかった。もうずっと、人生の半分以上も世界との齟齬に晒されてきたんだ。今更能力が目覚めた程度で、それが埋まるはずもなかった。
いつからだろう。
前原の笑顔が変わらなくなったのは。
いつからだろう。
それに違和感を抱かなくなったのは。
いつからだろう。
『特別扱い』するようになったのは。
「(……ああ、気持ち悪い)」
耳をすませば、前原を讃える声ばかり。
誰も彼もが、それこそ取り憑かれたように前原を担ぎ上げる。『ヒーロー』にすることで、前原との間に壁を築く。壁の向こうに追いやって、1人にする。
そんなの、いじめと何が違うのか。
「………」
頼ってくれ、なんて言えない。
弱さを見せろ、なんて言えない。
今更前原の本音を知ったところで、それが何だと言うんだ。その苦しみを分かってあげられると言うのなら、何故あの時そうしなかったのだ。
壁によって隔てられたのは彼だけじゃない。私達もだという事を忘れたか。
「(……これならいっそ、本気で怒鳴られた方がまだマシだったわね)」
ふと頭に、とある少女の顔が思い浮かぶ。
私の親友であり、前原の同僚であり、そして前原が唯一、心から笑い合える少女が。
以前私は、病院から出てくる彼らを偶然見かけた事がある。詳しくは知らないが、夏休みで涼乃が抱えるようになった、トラウマの治療か何かだろう。
私は声をかけようとして、止まった。
前原のあんな顔、見たことがない。
涼乃のあんな顔、見たことがない。
「………」
私にとって2人は、とても大切で、ずっと仲が良い友人だった。過ごした時間で言えば、まずは涼乃、次点に前原で間違いないだろう。
それでも、あんなに楽しそうな表情、見たことがない。あんなに弾んだ声、聞いたことがない。
「(よりによってあの2人が……はぁ……)」
良いな、と。一瞬でもそんな事を思った自分が、どうしようもなく嫌いだ。自分の無知を棚に上げて、大切な親友にさえ嫉妬して……なんと情けないことか。どうやら私は、自分が思っている以上に乙女だったらしい。
「………」
しかし、だからと言って目を逸らす訳にもいかない。無知な自分を責めても何の意味もない。
こうしてる今も、2人は前に進んでいるんだ。だったら私も強くならなければいけない。同じ失敗を……あんな気持ちをもう一度味わうなど絶対に御免だ。
「……前原」
「ん?どうした?」
私は変わってみせる。
過去は変えられないけれど、そんなのは未来の決定とは何の関係もない。半端でもいいから一生懸命にならなければ、私達はずっとこのままだ。その方がよっぽど怖いじゃないか。
「……ううん、何でもない」
「……?」
だから待ってなさい、
いつかあなたが、本当の笑顔を向けてくれるまで。
いつかあなたに、追いつける日が来るまで。
待っててね。
*
「ふんっ!!」
第二学区の訓練所に、軽快な声が響いた。直後、少年が宙を舞い、そして投げた張本人──黄泉川愛穂に受け止められる。
何をされたか理解出来ていないのか、少年──前原将貴は未だに虚空を見つめていた。私はその手からゴム製のナイフを奪い、汗を拭って立ち上がる。
「よし、一旦休憩にするじゃん」
「……まだ、です。まだいけます!もう1回お願いします!!」
「……いや、私も疲れた。いいから休むじゃん」
起き上がり、立ち塞がった前原を無理やり休ませる。軸が完全にぶれていたため、座らせるのはひどく容易だった。
私は持ってきたクーラーボックスからスポーツドリンクを取り出し、前原に放り投げた。
「やる時はやる。休む時は休む。それも出来ないようじゃいくらやっても無駄じゃん」
「……分かりました」
「ならいい。ほら、さっさと飲め」
壁に寄りかかり、私もスポーツドリンクを一気に飲む。火照った体が冷やされ、細胞が喜んでいるのが体で分かった。呼吸が早くなっている事にふと気が付き、自分でも少し驚く。
「……なぁ、前原」
「何です?」
「その、なんだ。学校は順調か?」
保護観察者更生訓練。
今やっている訓練はそれだ。上層部の秘密協議の結果、前原に下された処分である。訓練の名目でより深くまで観察・矯正することで、彼を効率的に更生させようという訳だ。
ここまで軽い罰で済んだのは、結果的には前原の行動が多くの人を救い、事件を解決に導いたからだろう。また、下手に罰を重くして、事件がリークされるのを恐れたのかもしれない。
「順調ですよ。友達も祝ってくれましたし」
「ならよかった。大切にするじゃん」
「分かってます。これもそのための訓練ですからね」
担当官となった私は、ひとまず体を鍛えて自信をつけることで、精神的成長を促そうと思った。そのために色々な──普通の警備員でも音を上げるような──訓練を用意したのだ……が、ここで少々予想外な事が起こった。
この少年、以前より格段に強くなっている。
「『開発』はどうだ?」
「初めこそ騒がしかったですが、今はそうでもないですね」
「初めは研究者が学校に押しかけてたらしいな。大人が迷惑かけたじゃん」
「贅沢な悩みですよ」
人は普通、力を手にすれば何かしらの油断が生まれる。慢心とは言わずとも、気の緩みのようなものがあるはずなのだ。
しかし前原は、慢心どころか以前にも増して強くなろうとしている。それこそ力に飢えているかのように。
先ほどの白兵戦訓練も然り。何度倒されようと実力差を見せつけようと、前原は幾度となく立ち上がり、挑んできた。対人格闘術と違い、全くの素人のはずなのに。
「だからさ、たまにはゆっくり休むじゃん」
「………」
「ただでさえお前は……本当に、ずっと無理をしてきたんだ。体を労るのも大切な修行じゃん」
「……そんな時間、ありませんよ」
明確な否定の言葉に、ふと隣を見る。そこにはスポーツドリンクを持ったまま、鋭い視線を投げかける前原の姿があった。しかし見つめる先には何も無い。
「……僕はもっと強くならないといけないんです。時間なんていくらあっても足りません」
「……こんな言い方は嫌だが、お前はもう誰もが認める能力者じゃんよ」
「だから何ですか」
前原は何の逡巡もなく切り捨てる。人生の目標そのものだったはずの『能力』を、ここまであっさりと。そんな前原の心情など、私には到底推し量れない。
「先生。僕の能力はあの時、突然得たものです」
「ああ、知ってるじゃん」
「ならある時、突然失うかもしれません。そうじゃなくても、何か起きて能力が使えなくなった、なんて事もあるでしょう」
前原の目が僅かに細くなる。何かを睨むような、しかし慈しむような、不思議な表情だった。
ふと頭に、とある風紀委員の顔が思い浮かぶ。
先日の事件の被害者であり、こうして前原を変えた1人の少女が。
「能力が無ければ女の子1人守れないようじゃ意味がありません。『能力が無かったから』なんて言い訳にもならない」
「それはそうだが……」
前原は軽く聞き流し、持っていたスポーツドリンクを口に運んだ。しかし、それを眺める私の胸中には妙な引っかかりがある。
前原の考えは、聞く限り素晴らしいものに思える。自分ではなく他人のために、それでいて自分の力に胡座をかかない。この歳でそれが実行出来る人間が、果たしてどれだけいるだろうか。
……しかし、何故だ。
何故お前は、そんなに寂しそうに笑うんだ。
「だからもっと、もっと強くならなきゃいけないんです」
「……それで誰よりも強くなって、その後はどうするつもりじゃん」
「さぁ」
興味無さげに前原は言った。思わず視線を戻すと、ひどく歪んだ笑顔を浮かべた少年はこう続けた。
ただ純粋に、そして盲目的に。
「でも、それで良いんです。俺が誰よりも強くなれば、誰も涼乃を傷付けようとはしない」
「──!」
「そうなれば、もう二度とあんな思いをしなくても──」
「ふざけんな馬鹿野郎」
私は思わず叫び、前原の言葉を遮った。割り込みに驚いたのか、前原はこちらを向いたまま動きを止める。
力が争いを生み、1人の少女を傷付ける。
ならば、戦う気も起きなくなる程の絶対的な存在になればいい。そうすれば守れる、傷付けずに済む。
前原将貴は、本気でそう思っている。
とても純粋で、優しくて、そしてあまりにも偏執で、身勝手な願いを本気で信じている。
「能力を得たからって何様のつもりじゃん。中村はお前の所有物じゃねぇんだぞ」
「………」
「いいか。お前がやろうとしてんのはただの押し付けだ。中村からしても迷惑以外何でもないじゃん」
「え……」
前原の瞳が、より大きく見開かれる。何を言っているのか分からない、と言外に示すその瞳に、私の神経が昂るのが分かった。
やがて応じるように、前原の瞳が鋭く、より明確な怒りに染まっていく。
「……強くなりたい、守りたいって願う事のどこが悪いんですか」
「目ぇ逸らすなド阿呆が。私にはむしろ、お前が率先して中村を傷付けてるようにしか見えないじゃん」
「そんな訳──」
「中村を『守らなきゃいけない奴』って決めつけたのはどこのどいつじゃん」
いつにも増して口調が荒くなるが、そんなのは気にならない。私がすべきは別にある。
断言してもいい。このまま放っておくと、前原はいつか中村を傷付ける。それも致命的で、修復不可能なほど深い傷を。
「そんな、事……」
「お前は中村を見ようとせず、向き合おうともしてない。そんな奴に背中を預けようなんて誰も思わないじゃん」
「………」
「現実を見ろ前原。お前は、かつて自分がされた事を中村にするつもりか」
周りからの、慈悲にも似た善意の押し付け。反撃できない一方的な気遣い。
それがいかに温かく、惨めなものか、前原ほど知る奴もいないだろうに。
「お前は周りからの気遣いに耐え切れず、結果的に自分を追い詰め、殺そうとした。忘れたとは言わせないじゃん」
前原が何か言おうとして、しかし何も言えていない。目を逸らそうとするが、私は逃がさない。
私は前原の胸倉を掴み上げ、半ば持ち上げるように視線を交わせた。抵抗もなく持ち上がった前原は、当然のように抗議の声を上げる。
「っ、なに、するんですか……!」
「いいか。お前のそれはただの強がりだ。中村の『強さ』とは違うじゃん」
「……なら、『強さ』って何ですか」
胸倉を離し、前原を地面に座らせる。立ち上がろうとはしないものの、私を捉える前原の瞳は鋭く、暗かった。とても中学生のそれとは思えぬほどに。
『強さ』とは、きっと言葉に出来るものではないのだろう。仮に出来ていれば、前原はこうも傷だらけにはならなかったはずなのだから。
「……私はお前が正しいとは言わないし、信じろとも言わない。だが、誰かを守りたいなら、まずはそいつを信じて、向き合うほかないじゃん」
「……簡単に言ってくれますね。俺にはそんな資格──」
「思った事を、思ったままに言えばいい。特別にする必要なんてないじゃん」
前原の頭に手を置き、わしゃわしゃと荒っぽく撫でる。嫌そうに顔を歪めた前原だが、手を払う気は無いようだ。
前原は大切なモノが出来る事を恐れている。だって、その『大切』がいかに壊れやすいか、よく知っているから。
だから大切なモノを作らない。平等に接することで、自分とは違うんだと思い込ませる。
だが、そんな事出来る訳がない。
どんなに自分も誤魔化しても、誤魔化しきれない。どんなに嫌おうとしても、嫌いになることなんて出来ない。
だって、どんな言葉を吐いたって、結局は。
「中村が大切なんだろう?他がどうでもいいと思えてしまうくらい」
「………」
「ならそれでいい、難しい事なんて何もないじゃん。視野なんて狭くていいんだ」
他人のために動くことが悪いとは言わない。だが、自分を犠牲にした救いとなると、それは行き過ぎたものになる。
どんなに強くても、結局は前原も中村もまだ子供なのだ。周りの事より、まずは自分の事を1番に考え、生きるべきなのだ。
「その結果失敗しても良い。それを助けるのが私達、大人の仕事じゃん」
「……他人任せじゃないですか」
「1人で生きていこうなんて傲慢じゃん。ましてやお前みたいな子供が」
「………」
前原が何かを呟こうとしたが、失敗する。目元を前髪が覆っており、視線の行先はよく見えない。
しかし何か納得できたのか、やがて前原は呆れたように、ゆっくりと息を吐いた。溜息をつくようなその仕草に、今までのような強ばった様子は無い。
そして、どこか清々とした笑みを浮かべ、こう呟いた。
「……仕方ないなぁ」
「よし、そんじゃそろそろ再開するじゃん。今以上にビシビシいくからな、覚悟しとけ」
「お手柔らかにお願いしますよ、
「いいぞ、かかってこいバカ弟子」
その後の訓練はさらに白熱し、前原が幾度となく宙に舞ったのをよく覚えている。要領が良い訳じゃないが、倒れる寸前まで立ち上がるやる気は流石と言えよう。
なお、私が全勝したのは言うまでもない。
「お疲れさまでした」
「お疲れさん。気を付けて帰るじゃん」
「はーい」
そうして訓練が終わり、下校時刻も近くなった頃。
閑散とした訓練場に、白い髪留めを着けた少女が現れた。手を振る動きに合わせて、肩で揃えた薄茶色の髪が揺れている。
どうやら、第七学区からわざわざ前原を迎えに来たようだ。前原は恥ずかしそうに頬を染めながら、迷いもなく少女へと歩み寄っていく。
「(……なぁんだ。お前、そんな顔もできるんじゃねぇか)」
年相応の自然な笑みを浮かべる2人に、ふとそんな事を思う。
きっと彼らは、本当の意味で『対等な関係』にあるのだろう。互いに支え合い、助け合える……あの前原に、そんなとまり木のような存在が出来たのだ。これを喜ばずして何を喜ぶ。
「………」
遠ざかっていく2人に背に、ほんの僅かに眉を寄せる。思い出すのは、あの2人が重なるように倒れていた、あの日の特力研。
巨大な鎌で刈り取られたような天井に、何かが破裂したような床。にも関わらず、荒れた痕跡の無い内装。
科学的にありえない、あの惨状。
仮に、万が一、アレをやったのが前原だとしたら、アイツは──
「(──……いいや、関係ないな)」
脳裏を掠めた懸念を振り払うように、小さくなった2人の姿に背を向ける。
何かあったとして、それが何だと言うんだ。それで私の対応が変わる訳じゃないし、前原の正義が揺らぐ訳でもないんだ。
「さて、片付けでもするか」
適当に伸びをしながら、訓練所へと足を向ける。見上げた空は鮮やかな茜色で、どこか憂愁の色を秘めていた。それを遮るような飛行船が、寂しそうにその中を泳いでいた。