第一七学区、その南東に位置する操車場。
ひどく寂れた場所だった。夜空は分厚いヴェールに覆われ、気化した泥濘に満たされている。
そこに積まれたコンテナの頂上。世界を臨むその場所に、赤い双眸の怪物はいた。
最強を冠する
もともと俺は計画に本気じゃなかった。いや、気分じゃなかった。いくら
最強と無敵に大した差などない、何度やろうと
だから変化が欲しくて、対話を試みたこともあった。情けをかけたこともあった。
しかし妹達は変わらなかった。対話など無意味、情けをかけても玉砕。どうせなら愉快な
俺はもはや計画に興味を失っていた。ただ死体を重ねて、その頂点に座していればいい────だが、今の俺には見える。
ようやく現れた『敵なりえる者』。
「──きひっ」
正直なところ、負けるとは思っていない。いかに同系統の能力者であっても、そこには絶対的な差がある。
だが『敵なりえる』。そこらの
「──、」
かつん、と後ろで足音が鳴る。馬鹿正直に挑んでくるクローンじゃないし、ましてやここは一般人が来る場所でもない。
その来訪者はしばらく間を置いた後、聞き慣れない声でこう切り出した。
「⋯⋯思ったより律儀だな。まだ実験の30分前だぞ」
「クローンがいたら目障りなンだよ。黙らせてもイイなら別だがな」
「⋯⋯あれから、1人でも
「挑ンできたバカはいたな。何人かは愉快な
「そうする必要があったのか」
「別に。ただの暇つぶしだ」
立派な大義、陰謀なんて存在しない。世界など俺とそれ以外、その程度でしかない。
こいつは、そこに現れた初めての例外。世界に突然生まれた異常。放っておくには、あまりにも惜しい。
「まァ、ンな事どォでもイイ。オマエが来てくれて安心したぜ」
「⋯⋯逃げてどうなる。『実験』を知っちまったんなら、見過ごすことなんてできない」
「立派だねェ。勝てねェって分かってンのにわざわざ挑むたァよ」
「そのくらいで俺が諦めるとでも思ったか」
今まで勘違いしたバカが、最強の座を狙って噛み付いてくる事は幾らでもあった。奴らは手足の1本でも弾けば自分の愚かさを理解して、二度と現れなかったものだが、コイツは違う。
勝てない事を理解して、なお挑む。
「ククッ、その通りだ。逃げたきゃ逃げろ。どこに隠れていようと、本気で見つけ出して潰してやンよ」
「本気の使い方間違ってねぇか」
「いーや、間違ってねェよ」
ゆらりと立ち上がり、手元の缶コーヒーを一気に飲み干す。軽く放り投げると、それはあっという間に眼下の闇に呑まれていった。
「今まで本気を出さなかった訳じゃねェ、出せねェンだよ弱すぎて。弱すぎて誰も相手にならねェ」
「⋯⋯⋯」
「ハンッ、逆に謝ってほしいぐらいだぜ。こンな雑魚ですみませンってよ」
ただの能力者、いいや、同じ│超能力者《レベル5》にも分かるまい。ただの一度も本気になれない退屈など。
そうだ。悪いのは、弱すぎるこの世界。
だから、その分──
「オマエが受け止めろ!格下ァッッ!!」
落ちた缶が、短い悲鳴を上げた。同時に、高く積まれたコンテナの1つが、だるま落としのように真横に飛ばされた。支えを失った塔が積み木のように崩れ落ちた。
「──ッ!!」
「がァッ!!」
コンテナを蹴り上げ、肉薄する。血流や生体電気を逆流させ死に誘う腕とは違う、特別なベクトルを付与した手を突き出した。
空中で身動きが取れない格下が、胸の前で腕を組みそれを受け止める。
瞬間、ぺたっ、と場違いな音がした。
「──?」
何も起きない衝突に、格下が一瞬だけ怪訝そうに眉を歪めた。しかしすぐに近くのコンテナを蹴り、安全圏へと逃れた。
並外れた身体能力だが、違う。その手に残った感触に、感覚に、俺の中でふつふつと悦びが湧き上がってきた。
「──イイね」
「⋯⋯?」
「イイねイイねェ、最っ高だねオマエ!!」
計画に乱入してきたこと?違う。
俺の一撃に耐えたこと?違う。
『反射』を跳ね返したこと?全然違う。
一度目の衝突で疑問に、二度目で疑惑に、そして今ので確信に変わった。
『
「
今の拳に付与したのは、俺自身に向けた──反射すれば逆に直撃するよう仕向けた──ベクトルだ。
なのに、失敗した。格下は間違いなく能力を使っていたのに、だ。
つまり、全反射はただ『反射』を起こしている訳ではない。詳しくは分からないが、本質は全く異なる能力だ。
「──ククッ」
──ああ、最高だ。楽しくて楽しくて堪らない。
戦う舞台と、戦う相手。これまでにない最高のプレゼントだ。雑なラッピングの中には、俺が望む以上の物が入っていた!
これが面白くないはずがない。これが嬉しくないはずがないだろう!!
「はは、カハッ、あはアハハハハハははははハハハハハァッッ!!」
「──っ!」
「いくぞ格下──いいや、全反射!!余所見してンじゃねェ!!」
足元のレールを蹴り起こし、思い切り殴り飛ばす。ベクトルが変換されたレールが歪み、凄まじい速度で射出された。
間を置かず近くに敷かれたありったけのレールを弾き飛ばす。しかし全反射は躱し、受け流し、それら全てを凌ぎ切った。身体能力も然ることながら、能力の使い方も抜群に上手い。
「いーい動きだ!もっとだ!!」
「──っ!?」
一度距離をとり、大量のコンテナが積まれた一角に飛び込む。その1つを殴りつけ、コンテナを高速で射出させた。
受け流すのは不可能、躱すのも困難な強力な一撃──直後、逆再生するようにそれが一直線に跳ね返ってきた。
「ラァッ!!」
ゴガッッッ!!!と金属音が鼓膜を突き刺す。別に射出させたコンテナと、跳ね返ってきたそれと衝突したのだ。
直後、そこから白い煙が広がった。よく見ると、コンテナの着弾地の至る所からそれは立ち上っている。
「⋯⋯なンだこりゃ。小麦粉か?」
コンテナの中身を一見し、舌打ちする。楽しみを隠されたようでイライラしたのだろうか。
まあコンテナ単位で小麦粉が拡散したのだから、ここまで広がるのも仕方ないが。
「⋯⋯まァいい。遠距離より直接殺り合った方が楽しそうだしなァ」
適当に呟き、白煙の中へと足を向ける。視界は不明瞭のままだが、コンテナの残骸を見る限り着弾地はこの辺りだろう。
そんな中、ふと声が聞こえた。
「──よぉ一方通行」
声の方を見ると、千切れたレールを振りかぶる全反射が、白煙のさらに上に浮かんでいた。
疑問に思う間もなくレールが投げつけられ、コンテナに衝突する。直前、こんな言葉が聞こえた。
「粉塵爆発って知ってるか?」
ガカァッッッ!!!と、轟音の前に閃光が炸裂した。白かった視界が業火に染まり、息が詰まった。酸素が急に使われたせいか、呼吸がしづらくなったようだ。
だがまあ、それが何だという話だが。
「あー、死ぬかと思った。酸素奪われるとこっちも辛いンだっつの。こりゃ核を撃っても大丈夫ってキャッチコピーはアウト──」
「──ふっ」
こんっ、と顎の先に衝撃があった。急に傾いた視界で見えたのは、いつの間にか目の前にいた全反射の、右拳を振り抜いた姿だった。
また一瞬、呼吸が止まる。遅れて、支えを失ったように視界が回った。
「──?」
急に全反射が見えなくなり、分厚いヴェールを纏った夜空が視界に広がった。自分が倒されたという事を理解するのに、だいぶ時間が掛かった気がする。
「──⋯⋯あ?」
「⋯⋯まだ意識があるのか。こっちは切り札まで使ってやっとなのに」
思考が上手く回らない。手足を動かそうとしても、地面に貼り付いたように動かせない。
全反射が俺に向かって手を伸ばし、不機嫌そうに舌打ちするのが遠くに見える。
「⋯⋯未だに
全反射の言葉もよく聞こえない。顔を動かそうとするが、砂利が乾いた音を鳴らすだけで意味は無かった。
「⋯⋯さて、一方通行」
「な、ン⋯⋯」
「大人しく降参しろ。それともさせようか」
視界の隅で全反射が拳を作り、弦を引き絞るように後ろに下げた。完全反射を以て、この戦いに終止符を打とうとしているのだろう。
──なぜ俺以外にそれが出来る?
──なぜ俺はこいつを見上げているんだ?
「イエスなら頷け。ノーなら好きにしろ」
見下したように全反射が──俺以外の人間が、俺の勝敗を決めようとしている。
──なぜだ?
答えは分かっている。
負けたから、弱かったから、それだけだ。だから文句も言えないし、逆らうこともできない。
「──が、は⋯⋯」
「余計な事するな。イエスかノーか、2つに1つだ」
ごほっ、と口から空気が漏れる。全身は重く、揺らされた脳は痛かった。だがそれ以上に、耐え難い苦しみが胸中に広がっていた。
──これが、敗北?
喉が乾く。喘ぐように呼吸が乱れる。顔の前にある右手は小刻みに震えていた。肉体は既に敗北を受け入れつつあるらしい。
──負けるのか。
最強を冠し、
突きつけられた現実に、俺はどうしようもない恐怖を覚えた。意識が更に混濁し、自己愛にも似た圧倒的な自信が、存在価値までもが揺らいでいく。
なのに、なぜ。
──なぜ俺は、こんなにも滾っているのか。
「──きひっ」
痛みとは裏腹に、濁り切った意識の奥底にあったのは、言葉では表現し切れないほどの歓喜だった。心臓が熱い。全身の血が踊っている。
勝利への渇望、敗北への恐怖。
一方的な蹂躙では足りない。勝つか負けるか分からない、だからこその勝負。そこでしか得られない緊張と、高揚感。
これだ。この充実感だ。久しく忘れていたこれが欲しかった。これを出せる敵が欲しかった。
そうだ。これが────これが戦いだ。
*
「──ッ!!」
轟ッ!!と吹いた颶風が、前原将貴を砲弾のように弾き飛ばした。
背中からコンテナに直撃し、高く積まれたそれが崩れ落ちる。反射の許容を超えたのか、背骨が軋む音がした。
「──ぐ、がばぁッ!!」
嗚咽と共に口から出たのは、目が眩むほど強烈な赤だった。遅れて、脊椎を刺すような痛みが突き抜けた。
咳き込みながら立ち上がり、右手で口元を拭う。べっとりと血が着いているが、今更血を見て慌てるような感性など持ち合わせていない。
「⋯⋯?」
ふと後ろを見る。外周を覆うフェンスの先にいる、御坂美琴と瓜二つの少女と目が合った。
呆然とする彼女の手には、積層プラスチックのアサルトライフルが握られている。『実験』の参加者だろう。
俺が倒れれば、狙われるのは彼女だ。
「⋯⋯⋯」
一方通行。
学園都市第一位、世界最強の
ふと奏の言葉を思い出す。
その通りだ。あんな化け物、比べるのも烏滸がましい。あの小さな体躯から放たれる殺意は、同じ人間とは思えないほど大きい。
「すー⋯⋯はー⋯⋯」
深呼吸を繰り返し、速くなる鼓動を落ち着かせる。何故か昂っている感情を抑えつける。
この衝突は、俺にとって避けられない、逃げられないものだった。なら、それを恐れる理由なんて要らない。そんなもの、邪魔でしかない。
研ぎ澄ませ。
削ぎ落とせ。
不要なものは、切り捨てろ。
「すー⋯⋯は⋯⋯──」
俺は二度も決定的なチャンスを逃した。二度も追い詰めて、倒し切れなかった。
いや、『倒す』という表現がもう甘い。
『倒す』のではなく、『殺す』。
殺してしまうかも、なんて心配クソ喰らえだ。強さには強さで返すのが礼儀。相手が殺す気でいるのなら、こちらも殺す気でいないと失礼だ。
「す──────は────────」
俺は圧倒的な格下。戦略が通じないのなら、考える余地など無くていい。
迷うくらいなら捨てろ。先の事など、最初の1歩が出せればどうとでもなる。
だから、そう。委ねればいいんだ──
────この衝動に。