第七学区。とある総合病院の一室に、中村涼乃は足を運んでいだ。
「それで?何か言う事は?」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯ご機嫌いかが?」
無言で圧力をかける。すると、包帯と湿布だらけの将貴が縮こまった。右手の怪我が特にひどく、見ているだけで痛々しい。
「⋯⋯⋯」
「⋯⋯⋯」
「⋯⋯⋯⋯はあ」
ビクッと将貴の肩が跳ねる。視線は合わないが、だらだらと冷や汗を流しているのは分かる。
異様な雰囲気だと思うが、ここは個室なので問題無い。なお先にいた上条君はどこかに消えていた。
「前に言ったよね。たとえ事件が解決しても、将貴が無事じゃないと嫌だって」
「⋯⋯はい」
「これのどこが無事なの。ねえ」
「⋯⋯⋯⋯すみません」
将貴の声がどんどん小さくなっていき、やがて背中まで縮んでいく。普段の自信満々な表情など、もう見る影もない。
「こんな怪我、一体どんな化け物と戦ったのさ」
「⋯⋯⋯」
「⋯⋯心配、したんだからね」
仕事に来ない将貴が気になり、連絡を取った矢先に発覚した今回の入院。本人は隠そうとしていたようだが、将貴の嘘など声で分かる。
そのため、事実関係の把握のために私が来た、という訳だ。固法先輩曰く、私が行くのが最も効果的とか何とか。
「⋯⋯ごめんなさい」
泣きそうな声で将貴が呟く。何かに怯えるような、縋るような声だった。らしくない声に違和感を抱きつつも、私は話を続ける。
「別にいいよ。その代わり、2つ約束して」
「約束?」
「怪我が治るまで絶対安静でいること。前みたいな事しようものなら⋯⋯ね?」
「お、おう⋯⋯」
将貴は
「⋯⋯2つ目は?」
「次は私も戦う」
「え?」
「将貴が危険な目に遭ったら、今度は私も戦う。それを約束して」
将貴が目を白黒させる。そこまで変な事を言っただろうか。
知らない所で1人で無理をして、病院に運び込まれる。そんな事を事後報告で伝えられて、平気でいられる訳が無い。こうしている今も、怒りと悲しみで震えているのに。
「⋯⋯⋯」
「⋯⋯⋯」
「⋯⋯分かった。約束する」
「うん。約束ね」
将貴は何度か瞬きして、明らかに渋りながらも納得した。
将貴は『約束』と言ってくれた。ならもう安心だ。私が疑う余地は無い。
「それじゃ、私はそろそろ行くね。誰かさんが休んだおかげで、仕事が溜まっててさ」
「⋯⋯うん。ごめん」
本気で落ち込む将貴を宥め、少しだけ笑う。溜まっていると言っても、先輩の協力もあるので大した量じゃない。怪我人はゆっくり休む方が大切だ。
「何かあったら遠慮なく言ってね。飛んで来るからさ」
「ああ、ありがとう」
「それじゃあね」
「……涼乃」
扉に手をかけると、ふと呼び止められた。振り向くと、やけに真剣な表情を浮かべた将貴が、絞り出すように呟いた。
「夏祭り、楽しみにしてるから」
「──うん。私も」
小指を立てて、自然と頬を緩ませる。すると将貴も、応えるように微笑んでくれた。無性に恥ずかしくなって、意味もなく早足で外に出ようとする。
それにしても、最近の将貴は夏祭りをよく話題に上げる。本当に楽しみにしているのだろう。
「⋯⋯?」
エントランスホールに出ると、フロント近くに見知った少女がいた。金糸を編んだようなミディアムヘアと、後ろで結んだ深紅のリボン。平均以上に小柄な体躯に、釣り目がちな
常盤台中学らしからぬ印象のその少女は、風紀委員の
「おはよ、すずのん」
「奏ちゃん?もしかして将貴のお見舞い?」
壁に背を預けたまま、彼女はひらひらと手を振ってきた。
副委員長という高い地位にいるのに、彼女の振る舞いは年相応に無邪気だ。演技か素かは分からないが、親しみやすいのは確かである。
「いや、今日はすずのんに用があってねー」
「用?」
「まあ一種の警告かなー」
壁から背を離し、遮るように私と向き合う。
瞬間、周りの温度が急に下がったような気がした。いつもは活発な印象を受ける瞳も、今は氷のように冷たい。身長は140程度にも関わらず、纏う空気に気圧されてしまった。
「すずのんはさ、しょーくんの事を大切に思ってる?」
「えっ⋯⋯な、なに。突然」
「どうなの?」
「えっと⋯⋯⋯⋯大切、だよ?」
同僚としても友達としても、大切に決まってる。
そう思って答えたのだが、奏ちゃんの目は依然として鋭い。何かを見極めるような、そんな視線が突き刺さる。
「──そっか。なら、ちゃんと傍にいてあげてね」
「?」
「あの子はイカロスだよ。光に魅了され、自分が高みにいることにまるで気付いてない。いや、興味が無いのかな」
⋯⋯イカロス?蝋の翼で飛び立って、最後には転落死したっていう、あの?
突然なんの事だろう、と思ったが、
「しょーくんは高みを昇れる力がある。本人の望みに関係なく、あるものはあるの」
「⋯⋯なに、言ってるの?」
「いずれ分かるよ。嫌でもね」
薄っぺらい鞄を持ち直し、奏ちゃんは背を向けた。そのまま顔だけを向けて、透き通るような声で続ける。
「だから『その時』が来たら、すずのんがあの子を捕まえて。それは多分、すずのんにしか出来ないから」
「え?」
「じゃ、またね」
瞬間、奏ちゃんは花が咲くように破顔した。
ひらひらと振る手も、ぴょこぴょこと後頭部で揺れるリボンにも、数秒前の冷たさは無い。その流麗な歩調は、恐らく誰にも真似できないことだろう。
「⋯⋯?」
その場に取り残された私は、思わず溜息をついた。鞄を持ち直し、続くように病院を後にする。
⋯⋯結局、なんの話か全然分からなかったが、まあいいか。早く将貴の仕事も片付けて、お祭り用の浴衣を買いに行こっと。
*
「いやー怖かったなぁ、中村のヤツ」
「ホントにな。肝が潰れるかと思ったわ」
「第一位と正面から殴り合った奴が何言ってんだ」
はあ、と特大の溜息をつく前原将貴に、黒髪ツンツン頭の上条当麻はけらけら笑った。
当麻は俺と比べて怪我が少なく、あちこちに湿布や包帯を巻いているくらいだ。その程度で済んで本当に良かった。
「前原、1つ聞きたいんだが」
「ん?」
「前原はどうやって『計画』を止めるつもりだったんだ?ああやって戦って、勝算はあったのか?」
「⋯⋯計画?止める?」
「え、だってそのために
⋯⋯計画の事は知っていたが、そのために戦った訳じゃない。止めないと、とは思っていたが、具体的な方法があった訳でもない。
逆に当麻にはあったのか、と俺は愕然とした。
「行き当たりばったりで戦ってたのかお前⋯⋯流石は風紀委員」
「当麻も人の事は言えんだろ。何も考えず突っ込もうとしたくせに」
「ま、まぁ結果オーライってことだな。うん」
当麻がそっぽを向いて言い訳を並べる。こういう所は昔から変わらないな、と思っていると、当麻がおもむろに振り返り、ははーん、とニヤついた。
「どうした。キモいぞ」
「辛辣だなお前⋯⋯ま、俺はそろそろ帰るわ。次のお客さんが待ってるし」
「次?」
扉を見ると、そのドアが僅かに開いているのが分かった。そこから同じ制服、同じ茶髪、同じ顔を顔した2人の少女が、当麻と入れ替わるように入ってきた。
「起きたんですね、前原さん」
「おはようございます、とミサカは挨拶します」
御坂美琴と、その
見た目も声も全く同じで、例の
「おはよう。元気そうでなによりだ」
「前原さんこそ。あ、これ差し入れです」
「貴方が倒れてからについての報告に参りました、とミサカは切り出します」
御坂がくれた袋を覗くと、かの有名な黒蜜堂のスイーツ*1が5つも並んでいた。
そんな事は気にせず、ミサカは事務的に切り出した。
「一方通行の敗北、及び
「⋯⋯は、え?背反?」
「この子が勝手に武器を持ち出して、実験の最後に介入したんですよ。覚えてませんか?」
絶対従順が前提のはずの軍用クローンが背反行為など、『
「ミサカ」
「はい」
「なんでしょう」
「⋯⋯すまん、
「あはは⋯⋯なら私の事は美琴って呼んでください。それなら分かりやすいでしょうし」
小さく笑い、ミサカに感謝の意を述べる。隣に座る美琴も、疲労の色が濃く現れていたが、それでも笑っていた。
「以前助けていただいたお礼です、とミサカは理由を述べます」
「私からも改めて言わせてください。前原さん、この子達を⋯⋯私を助けていただき、本当にありがとうございました」
立ち上がり、美琴が深々とお辞儀をする。ミサカもそれに倣い、無表情のまま静かに頭を下げた。
何だかむず痒くなってきたので、俺は早々と2人を座らせる。
「⋯⋯俺はそれが『正解』だと思っただけだ。礼を言われる事じゃない」
「素直じゃありませんね、とミサカは呆れ返ります」
「やかましい。てか助けたって⋯⋯あ、ミサカってあの時のミサカなの?」
「⋯⋯、気付いてなかったのですか、とミサカは不機嫌になります」
ただでさえ無機物みたいな瞳が、さらに冷たくなっている。微妙な違いだが、怒っているのは何となく分かる。
「……すまん。見た目が同じだったから、つい」
「⋯⋯なら、見分けるための何かが欲しいです、とミサカはさり気なくプレゼントをねだります」
「と言われても」
ペンダントでもあれば良いが、ここは病室だ。あるのはせいぜい型の古いテレビと、あとは俺の制服くらい⋯⋯制服?
「ミサカ、そこの制服のポケット見てみ」
「⋯⋯?これは何ですか、とミサカは説明を求めます」
「⋯⋯ッ!?そ、それはラヴリーミトンのゲコ太ストラップ!!しかも限定版!!?」
ガッターン!と盛大に椅子を倒した美琴が、その場でわなわなと震え出した。ミサカはそんな姉を無視して、むにゅーっとマスコットをつんつんして遊んでいる。
「ま、まままま前原さん!これをどこで!?」
「これは⋯⋯アレだ。ケータイ替えた時に貰ったんだよ」
「携帯⋯⋯前原さん。これ、もう1つあったり」
「しません」
「ぬわああああっ!!!」
美琴は頭を抱え、かと思ったらミサカを部屋の隅に連れ出して、物々交換を迫り始めた。そんな姉妹喧嘩に、仲が良さそうで何よりだ、と呑気な事を思う。
「くっ、こうなったら誰かを⋯⋯いや、それだけで契約させるには流石に良心が⋯⋯そうだ、何かの罰ゲームなら⋯⋯あの馬鹿に⋯⋯ふふっ」
ぶつぶつと部屋の隅で呟く美琴をよそに、ミサカが戻ってくる。交渉は決裂したのか、ミサカの手にはストラップが握られたままだ。
「すまんなミサカ。そんな物しかなくて」
「お姉様が聞いたら怒りますよ、とミサカは貴方のお子様に愕然としながら答えます」
「いらんなら美琴にあげといてくれ」
「⋯⋯、」
ふとミサカが眉を顰め、しばらく考えるそぶりをして、やがて不機嫌そうに俺を睨む。流石に意味が分からない。
「ミサカの呼び方はミサカなのですね、とミサカは問いかけます」
「え。もしかして嫌だった?」
「嫌です」
おーう、ここまで断言されたのは初めてだ。心情になにか変化でもあったのだろうか。
「同じ
「⋯⋯まあ確かに」
「ですので、ミサカにも名前を下さい、とミサカは精一杯のワガママを言います」
⋯⋯ん?名前を下さい、とは?ミサカの下の名前を付けろ、という事だろうか。
何故そんな発想に……そもそも名付けなんて大層な事、そう簡単に出来るはずないだろう。
「検体番号じゃダメなの?」
「10013号、なんて呼ぶ方が疲れると思います、とミサカは自身の素性に少々真剣に疑問を持ちます」
「⋯⋯まぁ、うん。そうだね」
同じミサカが並んだ時、いちいち何号と呼ぶのは確かに面倒だ。もっと短くて分かりやすい名前が欲しい、というのは道理である。
しかし名前か。ミサカらしいもの⋯⋯やっぱり10013か。いちまん、ひとまる、いちぜろ、じゅーさん、いちさん、いちみ、ひとみ⋯⋯ヒトミ?
「⋯⋯
「──ヒトミ」
「わり、やっぱり安直すぎるか」
「いえ、それでお願いします。撤回は受け入れません、とミサカは主張します」
ミサカは無表情でその名を呟き、飲み込むように反芻する。やがて整理がついたのか、改めて俺と向き合った。
「ええ、そうです。ミサカは、ヒトミです、とヒトミは宣言します」
ミサカ──ヒトミはほんの少し、ほんの少しだけ口角を上げてそう言った。それはどこか人間味があり、しかしありえないものだろう。
本来はプログラムに組み込まれてすらいない、そんな致命的エラーだったはずだ。
願わくば、それが個性とまで成長する事を祈っておこう。
*
────中心点でアイドリングを続けるコアの規定回転数を確認。
────検体名称『
────検体名称『
────学園都市第一位に並び、メインプラン主軸としての力は計画通り稼働中。