ガヤガヤとした喧騒と、軽快な音楽が聞こえてくる。道行く人はみな笑顔で、歩く方向もまた同じだ。
夏の風物詩、花火。それが空に打ち上がるまで、あと数時間を切っていた。
「⋯⋯ごめん、先行っててくれる?」
「先輩?どうしたんですか?」
「ちょっと足が痛くて⋯⋯すぐ追いつくから先行ってて」
「大丈夫ですよ。ゆっくり行きましょう」
かこかこ音を鳴らし、5人の少女が歩を進める。先頭を歩くのは、黒髪ロングのスレンダー少女、佐天涙子だ。その後ろに中村涼乃、初春飾利、御坂美琴、白井黒子と続いている。
纏った浴衣は整った容姿に相まって、道行く男子の視線を独占していた。
「下駄が慣れないんですかね?靴に履き替えます?」
「うーん、でもせっかく浴衣着てるし」
「中村さんは深く履きすぎですの。下駄は踵が少しはみ出るくらいで丁度いいんですの」
「あ、そうなの?」
スズさんの浴衣は水色を基調として、巻き付くように白い朝顔が咲いていた。真紅の帯は大人っぽいがどこか柔らかく、純朴な彼女によく似合っていた。
「あ、そうだ。スズさん、ちゃんと言った通りにしてきましたか?」
「?」
「ほらアレですよ、ちゃんと可愛い下着、履いてきました?」
耳元でそう囁くと、スズさんはみるみる顔を赤くし、私を睨みつけた。こうも初心な反応をするのは彼女か初春くらいで、イジっていてすごく楽しい。
「⋯⋯ま、まあ一応。でも何で?」
「そりゃまあ──」
「佐天さーん?スズさーん?行きますよー?」
おっと危ない、これ以上はアウトだろう。御坂さんファインプレーです。
にしても、前原さんがあれだけ楽しみにしていたのに、スズさんは何も分からないのだろうか。何か不憫に思えてきた。
「えっと、確かこの辺よね。集合場所って」
「そのはずですが⋯⋯あ、せんぱーい!」
「あ、前原さ、ん⋯⋯?」
初春が手を振り、私がその先を見て──みんな言葉を失った。
黒を基調とした、シンプルだが清涼感のある沙綾形の浴衣。流れるように咲く白い蓮華草は、粋であり上品さがあった。引き締まった体もサイドに流した髪も、凛としているのにどこか色っぽい。
「(き、気合いの入りようが違う⋯⋯!)」
随分楽しみにしてるんだなぁ、とは思っていたが、ここまでバッチリ決めてくるとは予想外だ。
隣を見ると、案の定スズさんは頬を朱に染めている。初春や御坂さんも思わず見惚れたのか、立ち止まったまま動かない。
「──来たか」
「お待たせしましたの前原さん。今日は随分とマシな格好をしてますわね」
白井さんが前に出て、いつも通り悪口7割褒め3割の会話を叩き合う。喧嘩するほど仲が良いとはこのことか。
やがて前原さんは私達──正確にはスズさんを見て、ぷいと視線を逸らした。
「⋯⋯涼乃もまぁ、何だ⋯⋯いいと思う。よく似合ってる」
「そ、そう?将貴も格好良いよ?」
「お、おう⋯⋯そうか」
「⋯⋯⋯」
「⋯⋯⋯」
⋯⋯私は何を見せられてるのだろう。会って数秒でこうとは、年上なのに2人ともピュアすぎる。
その様子に、初春と御坂さんは呆れ、白井さんは吐き捨てるように溜息をついた。私も同じような顔をしてるに違いない。
「じゃあ行きましょうか。あまり時間もありませんし」
「そうですね!回り切るには時間かかりますし!」
「えっ。初春さん、まさか全部回る気?」
「当たり前じゃないですか!」
リミッター解除モードの初春に、御坂さんが苦言を呈している。しかし今回ばかりはそれでいい、と私は思った。
私が自分に与えた使命は1つ。
どんな形であれ、スズさんと前原さんを2人きりにする!!
「(夏祭り、浴衣の男女、そして花火、暗がり⋯⋯何も起きないはずもなく⋯⋯)」
ふひひ、と腹の奥底から笑みが溢れ出してくる。気持ち悪いだろうが気にしない。
夏休みも終わりのため、会場の広場は学生で溢れ返っていた。ここではぐれようものなら、また会うのは難しいだろう。
「(よし、作戦開始!)」
8月28日、18時過ぎ。
花火大会、開幕。
*
「⋯⋯あれ?」
中村涼乃が振り返ると、そこに後輩達はいなかった。辺りを見ても人、人、人。前を歩く黒い浴衣以外に、見覚えのある姿は無い。
「待って将貴、はぐれたかもしんない」
「あん?」
裾を引っ張ると、前を歩いていた将貴が辺りを見渡した。しかし人混みに押され、探すどころか止まるのすら満足に出来ない。
自然と私達は人混みから逃れ、近くにあった木の陰に移動していた。
「連絡は無いか⋯⋯そっちは?」
「ちょい待ち⋯⋯⋯⋯あ、もしもし?涙子?」
『────』
「おう、お前は──⋯⋯ん?」
『──!』
「おい、じゃあ何のために⋯⋯⋯⋯は?」
将貴の声が次第に怪訝なものへ変わっていく。何か嫌な予感しかしない。
「何か言って⋯⋯なにその顔」
「⋯⋯別にいつも通りだが」
通話を終えた将貴を見ると、笑顔を引き攣らせたような、何とも微妙な表情をしていた。ぐしゃぐしゃと髪を掻き、大きな溜息をつく。
「あー⋯⋯何か忘れ物したっぽいから、先行っててくれってさ」
「忘れ物?私確認したけど」
「忘れ物だってば」
「⋯⋯⋯」
嘘だね。
将貴は嘘をつく時、それを悟らせまいと相手の目をじっと見る──正確には瞬きを減らす癖がある。僅かな変化だが、それを見逃す私ではない。
ともかく、嘘をつくって事は⋯⋯どういう事だろう?
「⋯⋯まぁいいや、なら行こっか」
「ああ」
「あ、待って。その前に髪直してあげるね」
「⋯⋯別に、いい。それより涼乃は大丈夫か?」
「何が?」
「ほら、もうすぐ夜になるから」
八月十日事件における、目隠しをされたまま受けた連続的な激痛。それを取った直後に見えた、血溜まりに斃れた見慣れた少年。
その2つが重なり、私は暗闇に対し異常な恐怖を抱くようになった。そのためこの時間帯に出歩くのは怖いし、日が完全に沈めば精神状態も危うくなるだろう。
だが、今は何の問題も無い。
「大丈夫だよ。電灯もいっぱいあるし、それに将貴がいるからね。心配なんてしてないよ」
「⋯⋯⋯」
将貴が凄い勢いでそっぽを向いた。首筋が色っぽいなあ、と思ったのは秘密である。
それはそうと、今日は本当に人が多い。夏休み最後の思い出作り、というのもあるが────と、その時、右手が温もりに包まれた。
「⋯⋯まぁ、何だ。はぐれたら困るし」
「⋯⋯うん」
⋯⋯手、あったかいな。
今まで何度も繋いだけど、それは
だから手の感触も、気にした事はあまりなかった。手汗が心配だが、まさか振り払う訳にもいくまい。
「涼乃?」
「──あっ。じ、じゃあどこ行こっか」
「とりあえずアレ食べたい。りんご飴」
「⋯⋯随分可愛いの食べるね」
「いいだろ別に」
『イチゴもんじゃ』や『七色焼きソバ』といったゲテモノを無視し、私は定番の綿あめを購入した。嬉しそうにりんご飴を買った将貴だが、食べ方に苦戦しているらしい。
「これ食べたら遊ぼっか。何したい?」
「歩けば何かあるだろ。行った先で考えよーぜ」
将貴が私の手を引き、人混みの中を流れていく。手には包帯が巻かれていたため柔らかくはなかった。それでもしっかり握ってくれる事が嬉しい。
「⋯⋯将貴は手、大丈夫なの?」
「ん?ああ、来週には包帯も取っていいってさ」
「社会見学には間に合いそうだね。でも無理しないでよ?」
「分かってるって」
応えるように手の力が強くなった。ふと恥ずかしくなり、綿あめを一気に食べきった。触感の無い甘みが魔法のように口に広がる。
「おっ、射的じゃん。やろうぜ」
「射的って、将貴に勝てる訳⋯⋯いや、いいよ。ちょっと勝負しない?たくさん落とせた方の勝ちってことで」
「ほう、受けて立とうじゃないか」
将貴の目がぎらりと光る。射撃において超一流を冠する将貴に挑むなど、ただの無謀でしかない。
だが将貴の利き手は右だ。その右手を怪我をしてる今、将貴は左手で撃たざるをえない。それなら私にも勝機がある────と、思っていたのだが。
「⋯⋯さすがだね。私も上手くなったと思ってたのに」
「実際上手いと思うけど、比べる相手が悪かったな。出直して来い」
結果は私の惨敗。ふふん、と鼻を鳴らす将貴がひどく憎たらしかった。
よし、次はそこの弓矢の屋台で勝負しよう。的当てと言っても、射撃と弓矢はまるで違う────はずなのだが。
「⋯⋯もう意味分かんないんだけど。全部ど真ん中って何?」
「⋯⋯いや、これは俺も予想外。こういうのもいけるのな、俺」
「もう選手にでもなったら?良いとこまでいけると思うけど」
「生憎、
私としては割と本気で言ったのだが、将貴はぴしゃりと切り捨てた。風紀委員である事を本当に誇りを持っているのだろう。
「でもこれで良かったの?他にもゲーム機とかあったのに」
「貰ってもやる時間無いしからな。当麻にあげるのも癪だし」
「だからってこれ選ぶ⋯⋯?」
理論上最高点を叩き出した将貴が選んだ景品は、なんとディフォルメされた鹿のぬいぐるみだった。恥ずかしいのか、本人がこれを持ち歩くのを嫌がったため、今は私の腕の中にある。鹿なのになぜ真っ白なのかは謎だが、可愛いので問題ない。
だったら何故これにしたのだろう。
「(将貴ってこういうの好きなんだ。意外)」
「さて、そろそろ移動し──」
「ハラショー!!!」
「うおっ!!?」
弾けるような奇声と同時に、隣にいた将貴が前のめりになった。べちゃ、と将貴のりんご飴が地面を転がる。
見ると、土御門君が将貴にタックルしてるところだった。後ろにフッキーと青ピ君がいた。これで上条君がいれば勢揃いである。
「元春⋯⋯キサマ覚悟はいいな」
「お、今日は気合い入って──え。何、怖──」
将貴が一瞬で消え、次の瞬間には見事な足払いが決まり、土御門君が宙を舞う。フッキーは苦笑いするばかりで、特に驚いた様子は無い。慣れって怖い。
「やっほフッキー」
「やっほ涼乃。前原も⋯⋯今日は随分と気合い入ってるわね」
「察したりーや。おふたりさん今日はデートなんやから、気合い入っとるんは当然やろ」
「それに手まで繋いじゃって、見せつけてくれるにゃー」
3人の言葉に、急に顔が熱くなった。やはりこの場所とこの格好、私達はカップルに見られているのだろうか⋯⋯逆にそれ以外何に見えるのだろう。
なんて事を思っていたら、急に横から抱き寄せられた。とっさの事に思考が止まる。
「そうだよ。だから邪魔すんな」
「えっ」
「涼乃。行くぞ」
有無を言わせぬ将貴の言葉に、私を含め全員が固まった。その隙に将貴は私の手を引き、人混みをかき分けていく。目を丸くした3人の顔が雑踏で塗り潰されていく。
「もうすぐ花火だ。この辺で見ようか」
「⋯⋯あ、うん。そうだね」
どのくらい歩いたか、気が付くと私達は知らない上り坂に来ていた。穴場なのか、人は疎らにいるが混雑するほどでもない。
しかし肝心の思考は、繋いだ手から流れ込む強烈な熱に焼かれ、処理落ち寸前まで熱くなっていた。
「(⋯⋯で、でーと⋯⋯デート⋯⋯将貴
⋯⋯どうしよう。私、多分変な顔してる。心臓の鼓動がうるさくて耳を塞ぎたくなってきた。
熱くて熱くて、私はとっさに将貴の手を振り払い、抱えていた白い鹿を両手で抱き締めた。そうしないと変な声が漏れそうだった。
「(⋯⋯だ、ダメ。どうにかしないと)」
「涼乃?」
「⋯⋯将貴、これ持って」
「え?」
「こっち見て」
浴衣の裾を引っ張り、白い鹿をぐいぐいと押し付ける。そのまま両手を将貴の頬に添え、じっと目を見つめた。
当然将貴は当惑していたが、やがてもごもごと口を動かした、逃げるように目を閉じた。
「⋯⋯⋯」
「⋯⋯⋯」
将貴の頬は硬かったけど、熱かった。周りの情報が遮断され、お祭りの喧騒すら薄れていく。呼吸音さえ煩わしかった。
私達はずっと、ずーっと仲のいい同僚だった。色んな事を相談してきたし、今でも秘密らしい秘密は無いと思ってる。同性を含めて最も信頼していると言ってもいいだろう。
でも、私があと十数センチ顔を前に出せば、少なくとも今の関係は終わってしまうだろう。
それは、怖い。どうしようもなく、怖い。
ほんの出来心で終わらせてしまうには、この関係は私にとって大きくなりすぎた。
「(──⋯⋯だから、今は駄目)」
ぐいーっと、将貴の頬を両側から引っ張った。将貴は呆気に取られたのか、面白い顔のまま固まった。
将貴が私と同じ気持ちである確信は無いし、今は何もしない方がいい。こういうのはゆっくりと、時間をかけて培っていくべきだ。
「⋯⋯⋯⋯へ?」
「えへへ、びっくりした?」
「⋯⋯⋯」
からかうような私の腕を、ぱしん、と将貴は振り払った。逃がさない、とでも言うように、そのまま肩を掴まれる。
腕から白い鹿がこぼれ落ち、一瞬の静寂が私達を包んだ。
「⋯⋯⋯⋯ろ」
「え?」
「いい加減にしろ」
「⋯⋯え?」
「お前は無意識だろうがな、こっちは毎回毎回⋯⋯これじゃ俺が馬鹿みたいじゃねぇか⋯⋯」
その呟きは、私の予想に反し悲痛そのものだった。しかし肩を掴む力は強くなる一方だ。痛い、と思うほどに。
「っ⋯⋯将貴、痛い」
「──⋯⋯ッ、ごめん」
「⋯⋯うん、大丈夫だけど⋯⋯どうしたの?」
「本当に分からないのか⋯⋯?」
将貴は苦虫を噛み潰すように顔を歪め、荒っぽく頭を掻いた。それで髪が乱れ、目元がよく見えなくなる。
やがて悲しそうな顔を上げ、ゆっくりとその口を開いた。
「──だからな、涼乃。俺は、お前の事が──
────ドォォォォオオオンッッ!!!
「⋯⋯ごめん、花火が⋯⋯何て言ったの?」
奇妙な焦燥感に駆り立てられたが、将貴は夜空を見つめたまま動かない。その先には驚くほど大きく、綺麗な華がいくつも開いている。
やがて、ふっと小さく笑った。そこに負の感情は無く、憑き物が落ちたように優しい笑みを浮かべている。
「────すまん、何でもない。ごめんな、変に怒鳴ったりして」
「それは別にいいけど⋯⋯何て言ったの?それだけ教えてよ」
「何でもねーよ。ほら、花火見よーぜ」
落としていた白い鹿を私に預け、将貴は夜空を魅入った。純粋に目を輝かせるその姿に、私も深く追求するのは止めた。
今はこの景色を楽しもう。それが将貴の望みなら、私もそれに従おう、そう思った。
「──ね、将貴。いつか明菜ちゃんにも花火を見せようよ。この景色をさ」
「⋯⋯ああ、きっと気に入るだろうな」
それだけ言って、私も空に向き直る。
柳、椰子、牡丹、冠菊と、好きなように踊る火の演舞。夜空の黒があらゆる色に化け、後には何も残らない。どんな稀代のマジシャンでも、これに敵う奇蹟は起こせないだろう。
そんな燃えるような充実感と、若干の寂しさを残して、夏休みは終わりを告げた。