第59話
よく晴れた朝だった。
空は雲ひとつ無く冴え渡り、窓から見える全てが光っているようだった。こんな日は良い事が起こるかも、と前原将貴は根拠も無く思った。
「ふぁ⋯⋯」
パンに齧りつき、ふと昨晩の事を思い出す。
昨日の祭りは楽しかった。
夏祭りという行事もそうだが、それ以上に涼乃と一緒にいれた事が嬉しかった。浴衣は可愛かったし、りんご飴は美味しかったし、花火は綺麗だった。
涼乃の天然──というか鈍感っぷりにはほとほと呆れたが、結果としてはそれで良かった。
俺が涼乃に告白など許されるはずがない。少なくとも今はそう思っている。
「(涼乃は今日はオフだったな。助かった)」
昨日の事を聞かれたら面倒だし、と独り言ちる。
歯を磨きながらケータイをいじり、『ARISA』とある再生リストを押す。この歌い手──今やアイドルの歌を聴くのは、俺にとってもはやルーティン化していた。
「⋯⋯ん?」
歌い出したあたりで、ふと違和感を覚えた。正確には声。芯は通っているものの、繊細さや艶っぽさ、言うならば『若さ』が無くなっていたのだ。
曲を間違えたか、と思いもう一度画面を見る。
そこには可愛らしい衣装を着て、キレッキレのダンスを踊る初老のおばさんがいた。それも満面の笑みで。
「⋯⋯⋯⋯うえ」
ぽたた、と口から歯磨き粉がこぼれる。並のホラー映画よりよほどショッキングだ。
しかし、そうなると逆に気になるのが人間である。聞こえてくる老いた歌声が好奇心を刺激して止まない。
「(どっかで見たことある気がするんだよな、あのおばさん。芸能人の企画か?)」
覚悟を決め、もう一度その映像を見る。
年齢は50歳前後といったところか。肌や髪などは老いの影が見え始めているが、芯や骨格といった部分は年齢より遥かに若く見えた。鼻は高く、典型的なイギリス人と言えるだろう。
というか
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯は?」
ぽたたたた、と口から歯磨き粉が流れる。その間も、女王は明らかに無理があるダンスをキレッキレで踊っている。それこそ憑き物が剥がれ落ちたように楽しそうに。
「(⋯⋯あー、動画間違えたなこりゃ)」
動画を消し、別の歌を聴こうとしたが結果は同じだった。どれだけ探しても『ARISA』は見当たらず、代わりに世界50ヶ国以上を従えるイギリス連邦の女王がいた。
「(⋯⋯下手したら国際問題じゃねこれ)」
目元を抑え、ニュースを見ようとテレビをつける。
見出しは『ロベルト=カッツェ米大統領、医療改革を大々的に進める』というものだった。『失言をもって支持率を上げる奇怪な政治家』と揶揄されているが、個人的には好印象なおっさんである。
今度は医療に手を出したか、と関心していると、画面が中継映像に切り替わった。
瞬間、はち切れんばかりに胸が膨らんだスーツの黄泉川愛穂が現れる。
『今回の改革は完全な私情だ。私の親父はガンで死んだ。だから同じ苦しみを与えないよう覚悟を決めたってだけじゃん』
「ぶふぁっ!!?」
口から歯磨き粉が噴射される。テレビや絨毯が大変な事になったが、それを気にする余裕は無い。
「し、師匠?は、え?何で!?」
目を擦って何度も見るが、師匠はいつものようにじゃんじゃん言いながら記者会見をしている。国籍も性別も違うのに、司会者やコメンテーターは当然のようにスルーだ。
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯オーケー、落ち着け俺」
テレビを切り、ちょっと考えてみる。さっきの『ARISA』といい、世界で何が起きているんだ。
可能性①、知らないうちに師匠は大統領に、エリザード女王はアイドルになった。
可能性②、素人参加型のドッキリ企画。
可能性③、夢。
「(いや③だよ③に決まってんだろ②なんて国際問題待ったナシだし①だけは天地がひっくり返っても絶対ありえねぇし!!)」
ごしごしごしごしー!!と歯磨き粉を拭き取り、もう一度ベッドに飛び込む。形だけの睡眠を取り、改めて起き上がったのは2分後のことだ。
「さて、仕事行くか」
何事も無かったようにパンを齧り、もう一度歯を磨く。普段の倍も朝食を摂ったせいか、何となく胃がもたれるのを感じた。
「やっべ、遅刻じゃん」
朝から訳が分からない行動を取ったせいか、着く頃には仕事の開始時刻は既に過ぎていた。
まあ夏休みだし特に問題無いが、涼乃曰く昨日は祭りのために仕事を押し付けたそうなので、色々言われるかもしれない。まあ俺は入院してたから仕事自体1週間ぶりだけれど。
「すみません、遅れま──」
「あァン?遅せェよ前原クン?」
「おーおー、根性ねぇなマエバラさん。まだお祭り気分のつもりかよ?」
「つーか久しいな前原先輩よぉ。元気にしてたかよ?」
1歩、2歩と思わず後ずさる。それを追いかけるように、3人の視線が俺を地面に縫いつけた。
学園都市の誇る
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯え?」
それを理解した瞬間、思考が完全にショートする。
まだ
しかし、実際にそれが目の前にいれば、興味以前に恐怖でしかない。言うならば核弾頭を見せられたようなものだ。
「ンだァ?さっさと入れよ。何かあンのか?」
「そーだぞ。ただでさえ仕事溜まってんだからさっさと手伝えや」
「⋯⋯⋯⋯いや待って。待って?」
その場で目元を抑え、3人を視界から外す。
ちょっと本当に意味が分からない。なぜ
そう思ってもう1歩下がったら、ふと背中に柔らかい感触があった。思わず振り返り、そして絶句する。
「っと。おー前原君。久しぶりじゃない」
「えっ────」
そこにいたのは彼らに並ぶ
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯な、なん、で」
「何でって、普通に仕事に決まってんでしょ。休むなんて言ったかしら?」
「違う!何で
「オマエも遅刻だぞ
「悪かったわよ」
第四位が困ったように、そして第一位が呆れたよう笑う。お前らそんな表情できたのか。
⋯⋯というか、『あおみ』?それは
「おら、前原クンもさっさと入って仕事しろ。じゃねェと帰れねェだろうが」
「⋯⋯⋯⋯あ、はい」
「でも入院してたんでしょ?そんなにすぐ復帰できる?」
「ブランクなんて根性で何とかできるっての。だよなマエバラさん?」
「ソーデスネ」
学園都市の頂点共が何か言ってるが、1つとして理解できない。再起動するまでだいぶ時間がかかった気がする。
「(⋯⋯あ、そっか、これは夢だった。そうじゃないなら悪夢だ。とどのつまり夢じゃねぇかやべぇ落ち着け俺)」
俺は思考を放棄し、無表情でパソコンと向き合うことにした。何か作業をしてないと頭がおかしくなりそうだからだ。
歌でも聴いて落ち着こうと思ったが、歌声がどっかの女王陛下だったため秒で切った。こんなもん聞いて落ち着けるか。
「この報告書も頼ンだぜ」
「ウイッス」
「あン?何かおかしいけどどォした?」
おかしいのはオメーだろ。先週全力で殺し合ったばかりなのに何でこう馴れ馴れしいんだ。他の人もそれを受け入れ──違った。他の人も全員おかしかった。
第一位。第二位。第四位。第七位。
何で
「まーえばーらさぁん☆」
とか思ってたら、背後から急に甘ったるい声が聞こえてきた。ゆっくり振り返ると、そこにも見た事のある少女がいる。
精神系最強を誇る
「(夢だ⋯⋯これは夢なんだ⋯⋯)」
そう思っても時間は進んでいく。
書類とにらめっこしていた第七位が急に立ち上がったと思ったら、異様に目をギラつかせて第五位に抱きついたのである。
「おうお姉様!わざわざ会いに来てくれるたぁ、黒子は嬉しいぜ!!」
「そんなんじゃないわよぉ。ちょっと退屈力があったから寄っただけだし☆」
「はっはっ、つれねぇな全く!」
第五位の胸に顔を押し付ける第七位、シュールなんて次元じゃない。
他の
「(⋯⋯考えるな考えるな考えるな。これは夢、いずれ覚めるもの。考えるほどの価値は無い。だから気にすんな!!)」
自分に言い聞かせ、第一位から受け取った報告書に着手する。仕事自体は特に変わらなかったのが幸いだ。思う存分現実逃避できる。
「(⋯⋯この写真、何でおっさんが園児服着て笑ってんの?服はち切れてんだけど?)」
捜査資料の写真に強烈な吐き気を覚えながら、何とか報告書をまとめにかかる。
もう精神は崩壊寸前だ。来たばかりで悪いが、これを書いたら今日はもう早退しよう。
「⋯⋯ん、
ふと、画面右下にあるランプが点滅しているのに気付いた。青色、つまり風紀委員本部からの着信である。
なるほど、月末に行う
「何だ前原先輩、着信来てるじゃねーか。おら、さっさと渡せよ」
「⋯⋯アッハイ」
「固法先輩、本部から着信だぞ」
「そォいやもう月末か。休みが終わンのは早ェもンだな」
第二位、なぜお前は俺を『先輩』と呼ぶんだ。
第一位、なぜお前は固法先輩と呼ばれて返事をするんだ。
とか思ってたら第一位が慣れた様子で着信を受け、支部の一角でテレビ電話が始まった。
瞬間、画面いっぱいにゴリラのような大男が現れた。画面越しでも分かる厳つい筋肉に、その辺で拾ったような安物ジャケットが見える。
『⋯⋯久しぶりだな、みーちゃん』
「おォ、先月以来だな」
『⋯⋯それ以外に会う理由が無いのだ。仕方ないだろう⋯⋯』
⋯⋯⋯。
『⋯⋯む、しょーくんもいるのか⋯⋯怪我はもう大丈夫なのか⋯⋯?』
「昨日退院したってよ。まだ万全とは言い難いンじゃねェか?」
『⋯⋯それは心配だな⋯⋯無理をするんじゃないぞ⋯⋯』
⋯⋯⋯⋯⋯⋯。
「伝えとく。じゃあ早速報告といこォか。まァワザワザ報告するほどの事件なンてねェンだけどよ」
『⋯⋯先月は
「分かってるっつの」
⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯──プツンッ。
「────つーかもう無理ぃぃぃぃぃいいいいいッッッ!!!」