今回の話に政治、思想的主張はありません。
また原作を基準にしているため、史実とは異なる点がいくつかあります。
本章における『』は、基本的に英会話であることを示しています。
夜に沈むテムズ川、そのほとりに位置するのはウィンザー城。
現在でも
しかし王室の居住空間ということもあり、一般には立ち入りを禁止している部屋もある。
応接間と呼ぶに相応しい豪奢な部屋だった。深紅とゴールドを基調とした内装は、見る者をひと目で圧倒するだけの威厳がある。
だからこそ、英国第二王女・キャーリサは満足していた。目の前にいる少女の、あまりにも落ち着いた様子に。
『いかがなさいましたか、キャーリサ様』
『何でもない。こーやって本音で話し合うのは久しぶりだから楽しいのだ』
『なら良かったです』
流暢な英語を話す少女──松浦奏が視線を落とし、静かに紅茶を飲む。
金糸を編んだようなミディアムヘアと、それを後ろで結んだ深紅のリボン。それは部屋を体現したように輝いていたが、少女の前にはそれすら霞んで見える。
『(部屋には見向きもしないのだな。慣れているのか興味が無いのか、いずれにせよ珍しい反応だし)』
ここは1000を超えるウィンザー城の中でも特に豪奢な部類に入る。かつての王が他国の有力者に対し、ひと目でその権威を分からせるよう造らせた産物である。
そのため食器ひとつとっても桁違いの値段なのだが、カナデに緊張の色は無い。
『私はこの部屋が好きだ』
『そうなのですか?』
『ああ。赤という色合いもそうだが、内装が気に入っていてな』
カナデが音もなくティーカップを置き、ゆっくりと部屋を見渡す。その何でもないような仕草にすら気品があのは才能だろうか。
しかしその
『カナデには驚かされてばかりだし』
『なんでしょうか』
『見ての通り、ここには至高の品しかない。それを見てこーも平然とできる者は少ないし』
『食器や家具は使われるものです。眺めているだけでは気の毒でしょう』
『勘違いするな。私に高級品を愛でる趣味など無いし。ここが気に入ってるのは、自身の立場の再認識に丁度いいからだ』
王位継承はまだ先だが、私は紛うことなき『王族』である。それを忘れず、気を引き締めるためにここに来るのだ。
第三王女であるヴィリアンすら、ここに『慣れる』までに歳月を要した。しかし、この少女は入った瞬間に『調和』したように見える。
『失礼ながらキャーリサ様は、自身が国家元首になる未来を確信しているように見えます』
『初めからそう考えぬ者など暗君に過ぎるだろう。女王の座はそんなに安くないし』
『遠い未来を明日のように思う者こそ、君主に相応しいということですか』
『……そーゆーことだ』
とても中学生の口から出たとは思えん言葉だ。それに早い。『王』としての在り方を自分の中にきちんと持っているのだろう。
……本当に妹に見習ってほしいものだ。背丈も年齢も遥かに小さいのに、既にその素質が滲み出ている。
『……カナデ。仮にだが、お前はイギリスの将来をどう考える』
『私は異邦人、それも学生の身です。他国の国政に口を出せる立場ではありません』
『構わないし。若く新しい意見を取り入れたいだけだ。ああ、言っておくが変な建前はいらんからな』
その程度の話は外相レベルのサミットで十分である。この底知れない少女には、そんな小さな器で囚えるべきではない。
『分かりました。ではよろしいですか』
『頼む』
『結論から申し上げると、イギリスという国の価値は下がる一方だと思われます』
カナデはティーカップを置き、平然とした口調でそう告げた。あまりにも無礼な、ともすれば学園都市との同盟に支障をきたしかねない発言である。
思わず目が丸くなるが、カナデは無視して言葉を続ける。
『現状、EUの議場はイタリア──いえ、ローマ正教に牛耳られています。20億の信徒を持つローマ正教の庇護下に入れば、ひとまずは甘い汁を吸えますからね』
『……その通りだし。東欧諸国がいい例だな。ローマ正教という『多数派』にいれば、少なくとも立場が悪くなることもないだろう』
『事実バンカークラスターをはじめ、イギリスの主力兵器が次々と禁じられています。挙句、近年は核兵器の保有も禁じられた*1そうですね』
……核に関しては極秘のはずだが、なぜ知っているのだ。まあいい、学園都市がその気になれば、どんな機密も無に等しいのだろう。
『イギリス製兵器の使用禁止に、核の独占。ローマ正教によるEU支配も時間の問題でしょう』
『それを防ぐにはどうすればいい?』
『民主主義を謳っている以上、完全に防ぐのは難しいでしょう。最も手っ取り早い対抗策はEUの脱退です』
『ふむ。移民、拠出金、条約のことを考えても効果はあるだろーな』
実際のところ、現国家元首である母上も考えた策である。昔はともかく、今のEUはイギリスにとって不利益の方が多いからだ。
移民は増えて治安も悪化するばかり、日本やアメリカとの貿易もEU──つまり多数派であるローマ正教の都合の良いように改変され、そして兵器までもが独占される。
民主主義の名のもとに、イギリスという国そのものが貶められているのだ。
『しかし、だからと言ってすぐ脱退、という訳にもいきません』
『だろうな。下手に脱退すれば通貨価値の下落は避けられん。シティ*2が暴落でもすれば、その影響は世界に及ぶだろう』
『加えて、脱退か残留かで世論が二分されます。移民の影響を強く受けている南部は脱退、逆に北部は残留を支持するでしょう。そうなれば独立問題が再燃します』
こうなるのではないか、と漠然と抱いていた考えを見事に当てられた。半ば確信めいたその結論は、確かな情報と推測があってものだろう。
『なるほど。国民投票をするにせよ、決定的な打開策がなければ泥沼化するという訳か』
『そもそも国家の命運を左右する選択を、たった一度の投票で決める方がナンセンスです。少数を尊重すると嘯く現代の民主主義なら、なおのことです』
『ほう。ではひと昔前の王政にでも戻れというのか』
『専制政治は国家形態のひとつであり、絶対悪ではありませんよ。歴史が否定したためそう見えるだけです』
……民主国家の王女に対してよく言えたものだ。これが専制主義者なら引っ捕らえるところだが、カナデは気にせず紅茶を飲んでいる。
カナデは誘導している訳でも、ましてや敵対している訳でもない。ただ道を示しているに過ぎないのだ。
そして言外にこうも言っている。可能性は示した、だから後は自分で選べ。選ぶのならば、その責任を背負う覚悟をしろ、と。
『………』
『いかがなさいましたか、キャーリサ様』
『……カナデ。重ねて質問するが、ローマ正教がイギリスを陥れるなら、まずはどうすると思う』
ティーポットに伸ばした少女の手が止まる。身長差の関係で、上目遣いのように見えるその目が僅かに大きくなった、ように見えた。
性格からしても、立場からしてもおかしな質問だと思う。極東の街の小さな少女に、こんな事を聞くなんて。
『……いや、すまない。変な事を聞いたし』
『いえ、構いません。国の趨勢を案ずるのは当然のことです。キャーリサ様が憂いているのは、近年ローマ正教の動きがエスカレートしている点でしょう』
『あ、ああ。まあそーなるな』
少女はカップを置き、ゆっくり目を閉じた。
今、その小さな頭の中ではどれだけの知識が動き、どんな戦略が広がっているのだろうか。
やがて目を開いた瞬間、その蒼く鋭い視線に思わず身構えてしまう。
『考えはまとまったか?』
『はい。初めに断っておきますが、これはローマ正教が選ぶ可能性のひとつです。頭の片隅に置いておく程度の認識でいてください』
『分かっている。与えられた情報を鵜呑みにするような私ではない』
『では──まずはユーロトンネルの爆破が考えられます』
いきなり物凄い言葉が飛んできた。ある程度の覚悟はしていたものの、さすがに予想外すぎる。何とか動揺は見せないようにしたが、この少女には見破られているかもしれない。
『……続けてくれ』
『はい。ユーロトンネルはイギリスにおける貨物輸送の要所です。それが機能不全になれば、イギリスの物流は滞るでしょう』
『海と空があるだろう』
『港も空港も、ユーロトンネルの利用を前提に数を減らしたでしょう。キャパシティに対し過剰な供給をしても飽和するだけです』
『ふむ……なら冷戦期のベルリンのように大空輸作戦を──』
『そこで航空機事故を起こします』
遮るようにカナデが言った。言われて、ようやく気付いた。
冷戦期は連邦という強大な『敵』がいたからこそ、西欧諸国は協力できた。合衆国という強力な後ろ盾があったからこそ、勝つことができた。
しかし今回の『敵』は?
『トンネル爆破の直後に、ほんの1機の輸送機に手を加えればいいのです。狂信的なテロリストを送ってもいいですね。そうすれば信用は揺らぎ、各国は輸送機を出し渋るでしょう。それだけで大空輸作戦は頓挫します』
『……しかし、現代の技術があれば海底トンネルなどすぐに塞げるだろう』
『『外』の技術なら半年ほどでしょうが、それだけあれば世論は硬化しますよ』
『外』ではなく『内』──つまり学園都市に頼めばすぐに塞げるだろうが、国民性がそれを許さないだろう。旧大英帝国の王族が極東の街に媚びるなど何事だ、と。
それに、そもそもイギリスの食料自給率は7割にも満たない。直接戦わずとも、持久戦になれば先に干上がるのはこちらなのだ。
『キャーリサ様。ローマ正教最大の武器は、その信徒の数にあります。そこには狂信者もいましょう。それに少しの使命感を与えるだけで
『十字教にそんな教えは無いし』
『望むものを示せば、それを喜んで信じるのが人間というものです』
その歳で人間の何を知っているのだ──と思ったが、この少女なら何を知っていてもおかしくない。カナデには、そんな底知れない雰囲気があるのだ。
『……そんな簡単にいくものか』
『キャーリサ様、人間は噂の奴隷なのですよ。それに自分が望むような色をつけて信じてしまうものです』
『随分な言い草だし』
『何をいまさら。極端な話、教皇聖下がひとこと告げるだけで、学園都市も世界の敵になるのですよ。『超能力は主に近付き、陥れんとする行為である』とかね』
それを想像したのか、ふふっとカナデが笑う。
十字教を軽んじているのか、それとも理解したうえで笑える程度なのか判断がつかない。年相応の笑みなのに、その真意が計り知れないのだ。
『……あまり時間は残されていない、ということか』
『キャーリサ様』
『ん?』
『使命感のみに従って行動を起こしてはなりません。自らの正義と信念に従う者にのみ、ヴィクトリア*3は目を向けるのです』
自然と下がっていた目線を上げると、つり目がちの
それは今までと異なり、僅かに熱のある言葉だったように思う。いつの間にか握っていた拳が、音もなく解かれていく。
『……お前には本当に驚かされてばかりだし』
『恐縮に存じます』
『ちなみに参考だが、カナデ。そなたが他国を陥れるならどうする』
『私ですか。その国が握る全ての秘匿情報を突きつけて、大人しく降伏を迫りますかね』
淡々と放たれた言葉に、思わず声を上げて笑ってしまった。
確かにそれは、誰もが考えつくほどシンプルで効果的で、しかし実行できない強行策である。それをこの少女は、当然のようにやると言ったのだ。『やれる』と宣言したのだ。
子供と本気で喧嘩する大人がいないように、戦いは同じ次元の者同士でしか起きない。それを国家単位で出来てしまうような少女を前にすれば、もう笑うしかないだろう。
『ははは!カナデは本当に愉快だな!どれだけ私を驚かせれば気が済むのだ!!』
『恐縮に存じます』
『あまりに聡明だから、このまま王室にスカウトでもしようかと思っていたが……これはダメだな。そなたは王室に収まるような器ではなさそーだ!』
『私をからかっているのですか?』
笑いすぎて涙が浮かんでくる。カナデの歳がもう少し近ければ、さぞかし良い友人になったことだろう。王室の権力を濫用し、こうして私的に呼び出したいほどに。
落ち着こうと私も紅茶を飲むが、冷めていて全く美味しくない。カナデがおかわりを注いでくれたが、淹れ方も当然のように流麗である。
『いーや、カナデさえ良ければ本気でスカウトしたいが、どーだ?王室として最高の待遇と職務を保証するし』
『身に余る光栄ですが、ご辞退させていただきます』
『はは、そーか。カナデの目標はあの街の玉座にあるのか?』
『学園都市は学生の街です。あの街の王位は初めから
また笑いそうになる。王位は私たちにある、と面と向かって言われたのは生まれて初めてだ。
なるほどな。普段からこの意識があるからこそ、カナデは『王』たりえるのか。
『私たち、か。そなた自身は玉座に興味は無いのか?』
『あいにく、私は支配を強要するのも、されるのも嫌いです。ある程度の権力は必要ですが、自ら近付きたいとは思いません』
『……なるほどな。だから
『人を守りたいと思うことに理由は必要ありませんよ』
カナデはそう言い、ただ微笑むだけだった。底知れぬ野望を感じさせるような、しかし何も無いような、不思議な笑みである。
人を守りたい、しかしそれだけではないだろう。それを示すなら──
『──信念、とゆーやつか。なるほどな、久しく忘れていたかもしれん』
『己の信念に従い、正しいと感じた行動をとるべし。それが風紀委員の原則です』
『ははっ、よく刻んでおこう。そなたも──と言いたい所だが、さすがに夜も遅い。そろそろお開きとしよーか』
時計を見ると、既に日を跨いだところだった。楽しすぎて数時間も話し込んでいたらしい。
本当はもっと話したいが、そうもいかない。なんせまだ1日目だ。社会見学はまだ2日あるし、話す機会などいくらでもある。
カナデが成人していれば、会話を肴に上等なワインでも飲み交わしたいところだが、その楽しみは未来にとっておこう。
『今日はそなたを呼んで良かった。おかげで有意義な時間を過ごせたし』
『私もです、キャーリサ様。では』
『また明日な』
握手を交わた後、美しい
その瞬間、応接間が急に広くなった錯覚に陥る。慣れたはずのその部屋に、私は寂しさすら感じていた。
右手に残った、想像以上に小さかった手の感触だけが、それを拭うように温かかった。
*
「はっ、はっ……」
ピンクのパーカーにビキニのおかっぱ少女、烏丸府蘭は夜の街を走っていた。フードについたウサミミみたいなアンテナが不規則に揺れている。
目的地は定めていない。どうすべきかも分からない。先ほどの黒い少年の言葉に従っているだけだった。
「(わ、私は何を……逃げるにしてもどうすれば……いえ、それより──)」
「おい。もういいから離せ」
背筋が凍るような声が、すぐ後ろから聞こえた。恐るおそる振り返ると、不機嫌そうな少女がそこにいた。
ブランド品の白いブラウスに黒のタイツ。肩にかかる金髪は美しく、水晶のような青い瞳によく映えていた。12歳程度という年齢も合わさり、外見だけなら良い所のお嬢様のように見える。
しかし、その手に染まった血の量を考えれば、この女を『少女』と呼ぶのはどうしても抵抗があった。
「追われるのはいいが、連れて行かれるのは慣れん。自分で走れるから手を離せ」
「な、なにを……」
「それとも何だ。私をこのまま『
握っていた小さな手が振り払われる。瞬間、猛獣のリードを手放してしまったような不安が全身を襲った。
『女』はその場で立ち止まり、ぱんぱんと面倒くさそうにスカートの汚れを落とした。襲われた事など露ほども気にしない、言わば
「ねせさりうす……?」
「惚けるならもっと早くから徹底しておくことだな。お前が魔術師であることくらいとうに分かっている」
「………」
「お前も私を知っているだろう。ならお互い様だ。見た反応でそれくらい分かる」
年に反してあまりに落ち着いた、ともすれば不遜とも言えるその態度。本気になればお前などすぐ消せる、言外にそう語っている。しかし、それが事実である事は理解していた。
レイヴィニア=バードウェイ。
イギリスで最大規模を誇る魔術結社『明け色の陽射し』のボスにして、埒外の実力を誇る魔術師であった。
「(バレたなら戦いますか?馬鹿な、この女が本気になれば、私など歯が立ちません。でも、この女を捕らえる機会なんてそうそう……)」
「戦いたいなら止めはせんが、後のことは知らんぞ。いちいち処理をしてやるほど博愛に満ちてはいない」
「──ッ!!」
「もっとも、あの少年は本当に知らなかったようだがな。ははっ、あんな扱いをされたのは久しぶりだ。笑いを我慢するのが大変だったよ」
バードウェイがけらけら笑う。込み上げるのを我慢するようなその笑いは、もはや貴族のそれに近かった。
敵の前で笑うなど傲慢そのものだが、それが許される力があるのもまた事実だ。
「しかしどうしたものかね。あの少年が無事で済むとも思えん」
「……意外ですね。あなたのような人が他人の心配をするなんて」
「多少はな。なんせ魔術のまの字も知らんような仔羊だ。少しは申し訳なくもなるさ」
「分かっていて置いていった、ということですか」
「おいおい、私は『逃げろ』という言葉に従っただけだぞ。もっとも、あの男も
……やはり前原ちゃんは能力者だったのですか。
水面を走り、10メートルを軽く飛び越え、炎を跳ね返すという異能。それを超能力という『才能』だけでやるのだから驚きだ。
「恩を売られるのは性に合わん。次に会うことがあれば、頼みの1つでも聞いてやると伝えておけ」
「………」
「何だ。お前もアイツが能力者と分かって近付いたのだろう。目的はDNAマップか?」
「そんなんじゃ……」
確かに能力者のDNAマップは貴重だ。もし能力の解析が成功すれば、魔術サイドにとてつもない利益をもたらすだろう。
しかし、なんだか嫌なのだ。
彼は能力者だが、それ以上に優しい少年である。見知らぬ女を守るために、魔術という得体の知れない力に挑める者が、果たしてどれだけいようか。
「ほう、随分と買っているじゃないか。まさか惚れでもしたか?」
「私がそんなに悪趣味に見えますか」
ふんっ、とバードウェイが笑う。わざとらしく私を見て、もう一度鼻で笑った。
明らかに私を馬鹿にしている。しかし敵対はできない。そんな事をすれば、叩き潰されるのは明白だ。負けが確定している喧嘩を買うなんて──
「……そんな格好をしている奴に、ロクな趣味の奴はいないと思うが」
「は?ぶっ殺しますよ?」
女には、負けると分かっていても引いてはならない戦いがある。