必殺を謳う炎の十字架。そこにあるだけで空気を焦がし、苦痛をもたらす灼熱の剣である。
ステイル=マグヌスはその炎剣を4本も使い、全力をもって振り下ろした。仮に避けたとしても、その爆発力から逃れることなど出来ないだろう。
しかし黒い少年はあろうことか、その炎剣が重なった所を掴み取り、横に受け流したのである。
「──ッ!!」
ドバッッ!!と、爆弾のような衝撃が橋を揺らした。遅れて響いた轟音と共に、ついに橋の一角が悲鳴を上げて崩れ始める。
なんとか逃れるが、機動力に欠ける『
「失せろウスノロが」
黒い少年はそう言って、落ちまいと穴の縁を掴む『魔女狩りの王』の手を踏み潰した。ばちゅん!!という弾ける音の後、今度こそ暗い底へと吸い込まれていった。
「……逆に
「何?」
「僕の『魔女狩りの王』は水で消えるほど弱くないのさ。それに、もし消えたとしても復活する。君を焼き尽くすまでね」
しかし、それでも僕は笑った。こんなことは想定の内──いや、予想通りだ。
「『魔女狩りの王』に命は無い。無いものを奪うなどできない。違うかい?」
「………」
「うん?分からないか?つまり君がいくら倒した所で無意味なんだよ。炎を殴ってどうにかなると、本気で思っていたのかい?」
その言葉を飾るように、足元で轟音が炸裂した。穴に落ちた『魔女狩りの王』が小規模な水蒸気爆発を起こしたのだろう。
それを聞き、懐からルーンを取り出す。それは炎の起点となり、摂氏3000℃を超える炎が僕の周囲で踊り始めた。
「炎。その本質は創造。プロメテウスの炎が人類を生み出したように、ルーンさえあれば『魔女狩りの王』は何度でも蘇る」
「………」
「試してみようか。君の全身が焼けるのが先か、君が炎を消すのが先か……ああ、雨乞いでもしてみるかい?それくらいの時間はあげるよ」
夜空を舞台に踊る真紅の炎が、橋の瓦礫を焦がしていく。それは一点に集約し、やがて人の形を成していった。
そして最後、顔となる部分がうねり、引き裂いたように口が生まれて────ふわり、と跡形もなく消滅した。
「…………え?」
間抜けな声が漏れる。構えていた炎剣も消滅したが、それにはすぐに気付けなかった。
黒い少年はそんな僕を見て、やれやれと呟く。
「……意味が分からんって顔してんな。そんなに不思議なことか?」
「な、に?」
「燃えるものがなければ火は消える。小学校の理科で習うことだぞ、『魔術師』」
少年の声から、殺意が消える。代わりに宿ったのは、酔っ払いに話しかけるような呆れだった。
「どう、して」
「いちいち説明すんのは面倒だ。そのへんの教科書でも読んでろ」
「違う!!僕の『魔女狩りの王』は勝手に消えることなどありえない!!そこにルーンがある限り──」
「
黒い少年がわざとらしく溜息をつく。本来なら怒りを覚える行動に、しかし1歩も動けない。
代わりに、その言葉の通り振り返った。
眼前に広がるのは、あちこちが焼けて、崩れて、抉れて────そしてルーンが失われた橋だった。
「…………ありえない」
「ん?」
「ありえないありえないありえない!!いくら普段より少ないと言っても、ルーンの数は軽く千枚を超えていたはずだ!!それを剥がすなんて、しかも戦闘の合間になんて──」
「そんな面倒な事してたまるか」
少年がぴしゃりと切り捨てる。
さすがに全てのルーンを剥がした訳ではないのか、よく見れば街灯や欄干にちまちまと残ってはいた。しかしほとんどが剥がされたのは事実であり、『魔女狩りの王』は召喚すらできないほど弱まっている。
「お前のその魔術?があのカードを利用してるのは最初から分かってたよ。つーか、あんなに分かりやすくばら撒いておいて、気付かないはずがないだろ」
「……ッ」
「ご丁寧にラミネート加工までしてるし。1枚1枚やってるとしたら大したもんだな」
少年がルーンの1枚を摘み、目の前でひらひらと揺らした。力が失われているのか、何度念じても炎は出なかった。
「距離を取っても追ってこないあたり、あの巨神はカードが貼られてる領域だけで動かせる、って感じか?カードが多ければ多いほど強くなるんだろ、多分」
「……違う。そんな事は聞いていない!!どうやってあれだけの数を、それも1人で──」
「ああ。俺1人じゃ無理だった。だから
…………剥が、させた?
自分は何もしていない、と言うのか?だとしたら協力者──あのフードを被った女に命令したのか?いや待て、そうだとしても気付かないなんてありえない。ならどうやって。
「まだ分かんねぇのか。ならもっかい橋を見渡してみろよ」
言われて、もう一度振り返る。少年に無防備な姿を晒すことになるが、そんな事は頭から抜け落ちていた。
視線の先にあるのは、焼けて、崩れて、抉れて、見るも無惨な橋────そこでふと、気付いた。
いや、見えた。焼け焦げた欄干に貼られた、ルーンの残骸のようなものが。
「…………あ?」
脳内で点と点が結ばれていく。意識とは関係なく繋がって、さらに別の点が見えてくる。
もともと頭は悪くない。条件とヒントが与えられれば、答えに辿り着くのは時間の問題だ。
少年はなぜ、距離を取ったのにまた近付いたのか?なぜ攻撃を控えて、ただ避けることを優先したのか?無駄だと分かっている戦闘を、なぜ続行したのか?
──いや、答えはもう分かっていた。ただ、これに気付いてしまえば、僕はとんだピエロになってしまう。
しかし現実を受け入れなければ、これ以上どうすることもできない。
「僕を────僕の炎を、利用したのか」
「そゆこと。ラミネートごと燃やしてしまえば、いちいち剥がすまでもない。炎が強いおかげで一瞬で燃えたしな。簡単な話だろ?」
「……だから橋全体を走り回って、攻撃を躱し続けたのか」
「予想通り動いてくれて助かったわ。橋は遮蔽物も無いから動きやすかったしな」
うんうんと頷く少年の声が、急に遠くに聞こえる。
利用された、少年の手のひらの上だった。その屈辱的な事実に、黒くてドロドロしたものが重油のように胸に広がっていく。
「────ふっ、ふざけるなァァァッ!!!」
「わりーな、『魔術師』」
激情を露わに、残ったルーンを総動員して、かろうじて1本の炎剣を生み出す。それを全力で、それ以上の力をもって振り下ろした。
しかし、黒い少年は不敵に笑うだけだった。
笑って、そしてこう言った。
「1対1の殴り合いなら負ける気しねぇんだわ」
*
───
─────
───────
─────────
「今日は手足を失った時の訓練をするじゃん」
「……はい?」
東京西部に位置する学園都市。その第二学区の訓練所にて、前原将貴は思った。
急に何言ってるんだこの人、と。
「どういうことですか?」
「言っての通りじゃん。もし片腕、片足を失った時の立ち回り方を教えてやる」
「なんですかその物騒な状況」
今日は黄泉川師匠との特別訓練の日である。
保護観察処分者としての罰だが、そんなのは名目だけだ。そもそも八月十日事件自体、何故か記憶がほとんど無い俺からすれば、そこまで大した話でもない。
涼乃を守るという誓いを立てた事さえ忘れなければ、あんな事件はどうでもよかった。
「お前の
「はあ。なるほど」
「気の無い返事してんじゃねぇ。また40キロ走らせるぞ」
「はいっ!よろしくお願いしますっ!!」
師匠が近付き、上着らしき布を俺の右腕に巻き付けてきた。思いっきり固く結んだのか、動かそうにもびくともしない。
「……これでどう戦えと」
「逃げれるなら逃げた方がいいじゃん。しかし、守るべき者がいた場合はそうもいかん」
「………」
「まあ習うより慣れじゃん。とりあえずその場でジャブでも打ってみろ」
残された左手でジャブを打つが、動き辛いことこの上ない。踏み込みも上手く利用できず、情けないパンチしか打てない。
「何となく分かったと思うが、腕を失えば重心が一気に狂い、結果的に腕1本以上の攻撃力を失う。とどのつまり、今日はその重心変化に慣れる訓練じゃん」
「何を意識すればいいですか」
「やる事は大して変わらないじゃん。より腰を下げて、より力強く踏み込めば攻撃力はキープできる。特にお前の場合は……だろ?」
「慣れさえすれば、そこまで問題にはなりませんか」
「そうだ。とりあえず一度組んでみるじゃん」
「お願いします」
─────────
───────
─────
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「(まさかあの時の訓練が、こうして役に立つとはねぇ)」
迫り来る炎剣を前に、悠長にもそんな事を思った。炭化した右腕は相変わらずで、動くどころか痛みすら感じない。もっとも、痛みがあればまともに動くことなどできないだろうが。
「──ッ!!」
振り下ろされた炎剣を、身を捻って近くで躱す。残された左手で男の肩を掴み、男の体を強引に固定させた。
そのまま能力を全力で踏み込み、右膝を男の腹に突き上げる。膝は吸い込まれるように目標に突き刺さり、鈍い音を響かせた。
「か、はっ──」
衝撃に、2メートルを超える男の体が浮かび上がった。男は何とか堪えるが、元々溜まったダメージも合わさり、膝が震えているのが見える。最後の希望であろう炎剣も、形を失って消滅した。
即座に距離を取り、右足に全ての力を込める。そのまま弾けるように地面を蹴り上げ、つま先で男の顔面を捉えた。
足を負傷した男は避けれず、腕を交差させて防御を図る──が、反射の前にはあらゆる防御が無に帰する。
バガンッッ!!と鼻が折れた音がした。
「ぶぇ──」
「逃がすか」
浮きかけた腰を一気に下げて、左手を腰に構える。そのまま両足で地面に踏み込み、倒れかかる男に肉薄した。
足、腰、そして腕へと伝わった力は拳へと収束していき、男の横腹──柔らかい内臓のあたりに突き刺さった。
「ご、ぁっ……!」
短い吐血の後に、2メートルを超える男が膝から崩れ落ちた。声もまともに出ないのか、その場でぶるぶると体を震わせている。
拳も蹴りも、その本質は直前の『踏み込み』にあると言っていい。早い話、踏み込みが強ければ強いほど強力な攻撃が可能となる。
全反射は、その踏み込む力を反射する。そして、インパクトでかかる衝撃も跳ね返す。
倍の倍、つまり最低でも4倍になる攻撃を、ノーガードで3発。まともに耐えられるはずがない。
「どうした。もうグロッキーか?」
「ぅ……」
男の胸ぐらを左手で掴み、強引に体を起こさせる。口と鼻から出た血が顔中を覆い、その赤髪より紅く染まっていた。
未だに意識を失っていないのか、糸のような細い声だけが口から漏れている。
「魔術、だったか?あんなに強いくせに、格闘術はてんで素人だな。ウドの大木ってやつか」
「ぁ……」
「まあ、俺の腕をこんなにしたんだ。これぐらい安いもんだろ」
そうは言ったが、とりあえずこの程度で済ませてやろう。
……が、俺の左腕を使えなくしたのも事実なので、あと1発だけ殴ろう。そうだな、目標は1番痛い肝臓にしとくか。
「(倒れてるのを蹴るのも気が引けるし……1回上に投げて、落ちてきた所に叩き込むか)」
胸ぐらを掴み直し、腰をもう一度下げる。反射があるとはいえ、2メートルを超える男を投げるのは少し厳しい。
「安心しろ。あと1発で済ませてやる」
「……こ、の」
「いくぞ」
一度下げて、その反動で思い切り上に投げた。僅かに浮かんだ男の脇腹──肝臓に狙いを定めて、左手を低く構える。
男の体が落ち始めた瞬間、踏み込んで拳を放つ。訓練によって洗練された必殺の拳は、正確に目標に吸い込まれていき、直撃────しなかった。
いや、当たらなかったどころじゃない。
「……あ?」
拳が虚しく空を切る。直後、見えない壁のようなものに全身を叩かれた。
消えた?避けるでも受けるでもなく、消えた?バカな、あのボロボロの状態で動けるはずがない。なら
「ここですよ」
ゾン、と。その女はいきなり現れた。
物陰に隠れていた訳でも、背後から忍び寄った訳でもない。目の前、10メートルほど先に佇んでいた。
暗がりで見えなかったとか気付かなかったとか、そんな次元じゃない。たった一度瞬きするまで、そこには誰もいなかったはずだ。
なのに、いる。
事実として、その女は目の前にいる。
「
「……なにを、しやがった」
「大したことはしていません。宙にあったステイルを回収し、戻ってきただけです 」
聞き慣れた、純粋な日本人の声。それもまだ20もいかぬであろう、若い女だった。
その女は片方を絞ったTシャツに、同じく片足を根元から切ったジーンズという奇抜な服装だ。しかしそれより目を引くのが、腰からぶら下げた2メートル以上の日本刀である。
コイツはやばい、と。理屈よりも体が、本能が、けたたましく警告音を鳴らしている。左手に力が入るが、どれだけ込めても足りないと思った。
「そんな、ことが……」
「出来るから、ここにいるのですが」
ドサリ、と。女の近くに何かが落ちる音がした。見ると、消えたと思った赤髪の魔術師がそこに倒れている。
それこそが、今の荒唐無稽な話が事実であることの、何よりの証明であった。
「お前は、一体……」
その事を認識して、口が自然に動いた。
背筋が凍る俺に対して、女はまるで緊張を見せない。まるで世間話でもするように、こう言った。
「