前原将貴が目を覚ますと、そこは知らない天井だった。本当に見覚えが無いが、すぐ起きる気にはなれない。眠くはないのだが、なぜか体がやたら重いのだ。
「あ、起きましたか」
声のした方に目を向けると、窓際の椅子にパーカービキニの不思議少女、烏丸府蘭がいた。
ピンクではなく青いパーカーを着た彼女は、行儀悪くも踵を椅子に乗せて、ドライバーで無線機のようなものを弄っていた。
「何してんの……つか、ここどこ?」
「近くにあったモーテルなのです。あ、宿泊費は払ってくださいね」
「モーテル?」
「日本ならラブホテルが近いですかね」
その単語に、俺は思わずベッドから飛び起きた。慌ててシーツを確認するが、変な汚れや染みは無い。しかしそれでも不安は拭いきれない。
「……本来、その反応は私がするものなのですが」
「ふ、府蘭。お前……ホントに何もしなかっただろうな……?」
「なんで私が前原ちゃんを襲わないといけないんですか。そんなの罰ゲームでもごめんなのです」
はあ、と溜息をつく府蘭に、ようやく冗談だと分かって安心する。危なかった、万が一があれば舌を噛み切るところだった。
「なら良いんだが……府蘭はなぜここに?」
「ここまで運んであげた人に随分な言いようですね。昨日のこと忘れたんですか?」
「昨日───え、あれ?」
なんとなく目を擦って、そして気付く。
俺の右手が、ある。
「腕が……?」
「腕がどうかしましたか?」
「あれ……いや、え?俺の腕は確か、あの魔術師に焼かれて……」
「は?」
何度か拳を開閉するが、調子は良いらしい。
あるべきものが、あるべき場所にある。それだけの事が、とてつもない違和感として思考を飲み込む。
そんな俺を心配したのか、府蘭がコップを片手に心配してくる。
「焼かれたって、あの橋で何があったのですか」
「それは……色々と、な」
「……まあ無理には聞きませんけど」
ほんの昨晩の事だが、その記憶が異質すぎて上手く処理できない。常識とあまりに乖離した事実に、強烈な吐き気が込み上げてくる。
「夢……な訳ないよな。ならどうして……あの人が治してくれたのか……?」
「……本当に何があったんですか?」
「えーっと……あっ、そうだあの女の子は?ちゃんと無事なんだろうな!?」
「ええい落ち着くのです!!」
「ぶはぁっ!!」
顔面に冷たい衝撃があった。府蘭がコップの水を思いきりぶっかけたのである。
府蘭の話によると、警察に保護してもらおうと警察署に向かう途中、親族らしき人に会い、その人に引き渡したそうだ。女の子は抵抗なく着いて行ったため、恐らく大丈夫とのこと。
「そっか、なら良かった。これで一安心だ」
「その女の子から伝言なのです。『次に会うことがあれば、頼みの1つでも聞いてやる』、だそうです」
「マジで何者なのあの子……」
やはり只者ではないのだろう。いい所の子だとは思っていたが、その口調はいかがなものか。
まあ無事ならそれでいい。
「それより前原ちゃんが心配なのですが……何をすれば橋があんな風になるんです?」
「それも色々と」
「色々、ねぇ……」
府蘭がもの凄い不審な目で見てきたが、事実をそのまま話す訳にはいかない。正直に魔術がどうこう言おうものなら、本格的に病気だと思われかねん。
「……まあいいのです。それより前原ちゃん。その……能力者、だったんですか」
「あー……まぁ、そうなる。驚いたか?」
「当たり前なのです。超能力なんて初めて見ましたので」
「人には話さんでくれよ?色々面倒になるから」
「ふむ、つまり前原ちゃんの情報を売れば私は大金を……」
「話聞いてたかこの野郎」
冗談なのです、と府蘭が笑った。だんだんコイツとの接し方が分かってきた気がする。それに毎度踊らされる俺もどうかと思うが、愛嬌だと思うことにしよう。
「それより、大丈夫なんですか?」
「ん?何が?」
「能力者ってことは学園都市の人でしょう?何か用があって来たんでしょうけど、その予定は大丈夫なのですか?」
「…………………………あっ」
ビシリ、と思考が一瞬で凍った。
俺がイギリスに来た目的、そして今置かれている状況を理解し、落ち着いて整理していく。寒くないのに、なぜか目線がぶるぶる震え出した。
「府蘭さん府蘭さん、今は何時でせうか?」
「えーと、午後1時ですが……まだ酔ってるのですか?」
「むしろ酔いたい気分だよ……」
つまり、王室見学の予定はがっつり過ぎている、と。他国の学生が王室との予定をドタキャンなど、ある意味歴史に名を残すかもしれない。
「か、奏に言えばなんとか……」
震える手でポケットを探り、ケータイを操作する。『うっかり飛行機から落としても平気』と謳ってるだけあり、あの戦いでも壊れていないようだ。しかし、どうせなら壊れていてほしかった、とも思ってしまう。
「……はあ」
「……?」
奏との個人チャットを開いて、げんなりと肩を落とす。府蘭が不思議そうに首を傾げるので、そのままケータイを渡した。
そこにはこう表示されていた。
──松浦奏──
不在着信:4件
通知:5件
最新:『21時。私の部屋』
「ひゅー。夜の部屋に誘われるなんて、前原ちゃんはモテモテですねぇ」
「勘弁してくれよ……これなら強制送還の方がまだマシだ」
「そんなに怖い人なんですか?」
「怖いというか、底知れないというか……」
学園都市の最高峰である常盤台中学。そこでもトップクラスの頭脳、教養、そして技術を兼ね備え、
それが松浦奏という少女なのだ。
「奏を怒らせたら……想像もしたくない」
「ご愁傷さまなのです。腹括るしかありませんね」
「そりゃそうだ。抵抗なんざできんからな……」
「昨日の勇姿はどこにいったんですか、もう」
冗談抜きに、奏がその気になれば懲戒処分など余裕でありえる。
八月十日事件の後、危機的立場にいた俺を引き取ったのが奏だ。その際、俺の所有権の全ても奏に委譲されてたりする。
そのため奏は、
そんな奏が声を荒らげて怒るなんて事はないだろう。むしろ笑顔のまま追い詰め、ゆっくりと潰してくるに違いない。それこそ蟻を潰す子供のように。
「……はあ。仕方ない、覚悟決めるか」
「というか、そもそもその服で王室見学は無理だと思うのです」
「え、別に制服でいいぞ?」
「いや、その服で王室なんて行けるはずないでしょう」
府蘭が呆れたように俺を指差す。不意に腕を動かすと、制服の袖がぼろりと崩れ落ちた。ベッドから抜け出すだけで、制服のあちこちがぼろぼろと崩れていった。
「……まあ、あれだけの炎を受けてれば、制服も燃えるよなーあははー……って違う!!!」
「情緒不安定ですね。またお水浴びせましょうか?」
「どうすんだよ、制服なんて1着しか持ってないのに……まさか取りに帰る訳にもいかんし……」
瀬川高校の制服など、当たり前だが学園都市でしか売ってない。そして広域社会見学は制服参加が義務である。
つまり俺は、翌日も王室見学に参加できない可能性が高い訳だ。はい詰んだ。
「……スーツでも買うか。手持ち足りるかな」
「子供にスーツを売る店なんてありますかね。というか、あったとしても似合うはずがないのです」
「だよなー……でも私服で行く訳にも……」
いかないといけないのにいけない。あははー紛らわしー言葉だねーあははー。
そんな風に現実逃避をしても、1ミリたりとも状況は好転しない。旅先で勝手に動いた代償としても、これは過酷に過ぎるだろう。
「『今日は来なくていい』か……今日どうしよっかな」
「ひとまず、外を歩ける服を揃えるのが先決なのです。その格好じゃ歩くだけで国家権力のお世話になりますよ」
「……それもそうか。じゃあ服買いに行こうかな」
「なら私が付き合ってあげるのです。昨晩はあの変態から逃がしてくれたことですし」
府蘭が人差し指をくるくるさせて頷く。
府蘭とは昨晩会ったばかりなのに、既に気を遣うような仲ではなくなっていた。というか、そうでなければ部屋で2人きりという状況は耐えられない。
「その代わり、私にも少し付き合ってほしいのです。やりたい事があるので」
「別にいいけど……何だ?」
「そうですね。言うなら──」
向き合って、府蘭はかつてないほど嬉しそうに、本当に嬉しそうにこう言った。
「聖地巡礼、ですかね?」
*
「で、楽しんできたんだ?」
20:57。
ロンドン市内のとある高級ホテル。イギリス王室が直々に用意したスイートルームのデカい椅子に、松浦奏は足を組んで座っていた。妙な圧が全身から滲み出ているせいか、ただの椅子が玉座のように見える。
「……すみません」
「私に謝られてもねー」
「……その」
その前で罪人のように跪くのは、何故か黒いスーツを着た少年、前原将貴である。
隣には紙袋が2つ置かれており、中からは綺麗にラッピングされた箱が顔を覗かせていた。
「へえ、お土産も買ったんだ。これは……ウサギグレイ、だったっけ?」
「……よくご存知で」
「それに映画のパンフも。随分楽しんできたんだねー」
タイトルの『たけのこ星人VS宇宙キノコ職人』の文字は見ないでおく。ある意味非常に気になるが、今気にする事じゃない。
「他にどこ行ったの?」
「ストーンヘンジと、大英博物館……あとはご飯と、映画に……」
「へえ、良かったじゃん。楽しめた?」
「……すみません」
「感想を聞いてるんだけどなー」
びくっ、と床に正座するしょーくんが震えた。別に威圧してる訳でもないので、勝手に怖がられても困る。
「ところで、そのスーツは何?まさかそれもお土産だったり?」
「………」
「ねえ?」
「あっ……あのですね……その、制服が、燃えちゃいまして」
「は?」
びくりと震えたしょーくんが、近くの紙袋に視線を投げた。その中身を出すと、確かに制服らしき服の燃えカスがある。じゃりっと、強く握っただけで焦げが手についた。
「(かなり燃えてる……学園都市の制服が、ここまで……?)」
学園都市は、ほぼ全ての分野において先進技術を独占している。それは制服も同じで、標準装備で『外』の耐熱服と同等の耐熱性を持つほどだ。
そんな服が、ここまで燃えたの?
「(……火事にでも遭ったのかな)」
少なくとも1000℃以上の火に晒されないと、こうはならないはず。いや、そもそもしょーくんは
「……何があったの?」
「……えっと」
しょーくんが汗をだらだら流し、視線を床に這わせている。どう取り繕うか必死に考えているのだろう、顔を上げようともしない。
……嘘なんてつけない癖に、往生際が悪い。
「別に嘘ついてもいいよ。私を騙せると思ってるならね」
「……思いません。あの、ですね。昨晩ウィンザー城を出てから、その、お腹が空いたので」
「要点」
「あ……いや、俺は、その……魔術師と、戦いまして」
「は?」
炎を操る魔術師。炎の巨神。燃やされた腕。崩落した橋。長刀を携え、瞬きよりも速く動く日本人女性……などなど。
そこから先は、聞くに絶えないおかしな話だった。ファンタジーにしても出来が悪いし、事実ならなお意味が分からない。
「(……調べた限り橋の崩落も本当みたいだね。しょーくんの話が本当だとすれば、一応の辻褄は合う……か)」
そもそも、しょーくんは嘘をつけるほど器用じゃないし、嘘を見抜けないほど私は鈍くない。
そうだとすれば、全て本当……『魔術』というオカルトを信じろと──いや、理論が分かれば不自然ではない。『外』の人間からすれば、『超能力』自体オカルトめいた異能でしかないのだから。
「………」
「……な、なに?」
「腕、随分もちもちになったね。女の子みたい」
「そ、そう?」
何となくしょーくんの右腕を摘む。以前の逞しい腕はどこに消えたのか、柔らかく瑞々しい腕だ。少なくとも格闘術をする腕ではない。
「……なるほどねー。魔術師と戦う過程で制服が燃えて、目が覚めたらお昼だった、と」
「……え?信じるのか?」
「しょーくんが言うなら本当なんでしょ。それとも嘘なの?」
「いや、嘘ではないが……」
さすがに丸々信じる訳ではないが、それを前提にせねば対話はできまい。
それより気にすべきは、今後どうするかだ。
「とりあえず、明日は普通に参加していいよう言っとくよ。あとそのスーツはナシね。ブレザーならともかく、1人だけそれじゃ不自然すぎるし」
「え、けど私服で参加は……」
「いま街に連絡したし、今夜中には新しい制服が届くから。明日はそれ着て参加してねー」
しょーくんの目が点になる。信じられない、そんな言葉が言外に聞こえた気がした。
なんてことはない。制服が必要になったから、それを持ってくるよう超音速旅客機*1をチャーターしただけだ。
「奏、お前……バカなのか?」
「私に対してそんなこと言うの、しょーくんくらいだろうね」
「いやだって、制服1着のためにチャーター機って……何考えてんだよ」
「お金は使いたい時に使うものでしょ。溜めるだけじゃ意味無いよ?」
それにチャーター代くらいすぐに用意できる。その気になれば明日までに3億くらい何とかなるし。
ただまあ、いくら英雄的な功績があるとはいえ、無償とはいかないけどね?
「…………なんというか、ありがとう。奏」
「4200万ね」
「え?」
「チャーター代。今後もしっかり働いてね☆」
しょーくんの目が再度点になった。何もない虚無の沈黙が部屋を包み込む。
数分後、しょーくんが地面にめり込む勢いで土下座をして許しを求めてきた。
当然、私は許さなかった。