「明菜」
部屋に入った瞬間、距離感が消失した。比喩表現なしに白一色の部屋は、立っている場所すら曖昧になるほど現実感が薄い。そんな中、前原将貴の黒い制服は、異物としての存在感を強く主張していた。
「ごめんな明菜、3日も来れなくて。ちょっと『外』に用事があってさ」
「────」
「お詫びにほら、お土産持ってきたよ」
部屋と同じ──いや、それ以上に白く、静と動を共存させる少女、入江明菜に話しかける。
明菜は横になったまま、小さな手でトランプをひらひらと揺らしていた。近くには5段のトランプタワーが築かれており、残るは最後の1段のみとなっている。
「(相変わらず手先が器用なことで)」
「──?」
「ああごめん、寝てていいよ」
キャリーバッグを置き、明菜の近くに腰を下ろす。床を撫でるように広がる純白の髪が、以前よりきめ細かくなっているのが分かる。
「うん、随分柔らかくなったな。流石『学舎の園』で買っただけある」
「────」
「綺麗だよ、明菜。これ以上ないくらい」
ふにっと、指先で頬をつついた。見たこともないほど整った顔立ちが、ほんの少し緩んだのが分かる。深すぎる蜂蜜色の瞳が、まっすぐに俺を捉えた。
「──?」
不意に動いた明菜の手が、そっと俺の手に重なった。それを不思議そうに見る明菜が、無性に愛おしく思えてしまう。先日の『入れ替わり事件』の影響もあるかもしれない。
「………」
空いた手で頭を撫でようとして、止まる。白い細流のような髪に埋まる『異物』に気付いたからだ。
首に巻かれた黒いチョーカーと、そこから首筋や額に伸びた不自然なコード。外部からの演算を得る補助デバイスにして、入江明菜の生命線である。
「(……忌々しい首輪だ)」
これが一種の生命維持装置であることは理解している。しかし、明菜自体は健康なのに、この演算補助なしには生活すらできない、というのは歪んでるとしか思えない。
これが外れた時こそ、本当の意味で明菜を救えたと言えるのだろう。
「──?」
「……ん、何でもないよ。そうだ、お土産買ってきたから少し待って」
そう言って、置いてきた荷物を漁りはじめる。
ここには広域社会見学から直接──つまり空港から直接来たので、いかんせん荷物が多い。どこかのウサミミパーカーのおかげでお土産も増えたし。
「(さすがに1回帰ればよかったな。ここを汚す訳にもいかんし)」
「────」
「(これが支部ので、これが明菜で、あとは……府蘭のやつか。てか府蘭のが1番多いじゃねーか)」
パサリ、と何かが倒れる音がした。明菜がトランプタワーを崩したのだろう。
珍しい、失敗したのか?
「ちょっと待ってね。すぐ出すから」
「────」
「まずお菓子か、ら……?」
きゅっと、足元に違和感があった。ズボンが何かに引っ張られたらしい。しかし、この部屋に引っかかるようなものは無い。ならば──
「──明菜?」
「────」
振り返ると、足元に伸びた白皙の腕。触れれば折れそうなほど細い指が、俺のズボンの端を摘んでいたのだ。
完成間近だったトランプタワーは、後方で跡形もなく崩れている。
「──?」
「……俺が分かるのか?」
手からお土産が落ちて、チョコレートが床に散らばる。明菜の傍にも転がるが、明菜は微動だにせず俺を見上げていた。
──明菜が、俺を?外部から来た『異物』である俺を、認めたというのか?
「────」
その場に座り、顔を上げさせる。澄んだ蜂蜜色の瞳が、何の疑いもなく俺を見つめている。その頬を撫でると、明菜は猫のように目を細めた。
「………」
「────」
抱き寄せると、明菜は抵抗もなく俺の腕に収まった。平均より少し高い体温と、フローラルな香りが全身を包む。
「……ありがとう。俺も期待に応えてみせるよ」
「────」
「あ、お土産だったな。ごめん」
改めてお土産を漁り、1つひとつ丁寧に置いていく。チョコレートにビスケット、そして紅茶を並べたが、明菜が最も興味を示したのは、意外にも宇宙人のストラップだった。
「これはウサギグレイって言ってな。ロンドン……あ、海の向こうに住んでるキャラクターだよ」
「──?」
「そうだな。いつか一緒に見に行こうか。約束するよ」
約束の印として小指を絡めると、明菜もそれに返してくれた。俺を認めてくれた事実に、言い表せない嬉しさを感じる。
「──?」
明菜が他の指も絡ませて、俗に言う恋人繋ぎになった。とくんとくんと、確かな脈動を手に感じる。その仕草1つひとつが、無性に愛らしく思えてしまう。
「………」
「──?」
もう一度抱き寄せるが、明菜はやはり抵抗なく身を預けてくれる。
邪な感情なんて無い。一切無い。薄い病衣だから色々と際どいし、体温とか胸元の膨らみとかも分かるけど、無いものは無い。
「……もう今日はこのままでいようか?」
「────」
きゅっと、明菜が制服の襟を掴んできた。それがどんな意図かは分からないが、少なくとも悪い気はしない。ていうか庇護欲が凄い事になってる。
「………」
「──?」
「……分かった。今日は一緒にいようか」
純白の髪をゆっくり撫でる。すると明菜は、体がずり落ちないよう首に腕を回してきた。耳元に甘い吐息がかかる訳だが、邪な感情なんて無い。
明菜と出会って、ひと月と少し。
明菜を取り巻く世界は、僅かだが確実に変わったと言えよう。言い換えれば、学園都市の『闇』がそれだけ近付いたことになる。
事実、松浦奏にも明菜の存在を知られてしまった。彼女の意図は分からないが、格段に危うい状況になっているのは間違いない。
「……大丈夫。明菜、俺は絶対に明菜の味方だ」
「──?」
「そう、約束したからな」
木山先生とも、涼乃とも。
それに、もし明菜を救えたのなら、それは俺にとって明確な『正解』となる。これまで間違い続けてきた俺にとって、それは1つの到達点なのだ。
「……もう寝るか?」
「──?」
「……分かった。もう少しこのままで」
「────」
「……〜〜♪」
意味もなく歌を口ずさむ。やはり下手くそだが、明菜がこの歌を気に入っているのも事実だ。
しばらくそうしていると、明菜は眠ってしまったのか、小さな鼓動だけが伝わってきた。
「……これじゃ帰れないじゃん」
結局帰れたのは、明菜が眠ってから数時間経ってのこと。途中、部屋にやって来たナースさんに怒られたのは別の話。
*
御坂美琴は
しかし目の前に広がる光景に、流石の私も開いた口が塞がらなかった。
「ふへ、初春は本当に良い子だよなあ……ぬはは」
「あ、あの……」
前原さんが初春さんを膝の上に乗せて、後ろから抱き締めるように頭を撫でているのである。
初春さんは顔を真っ赤にして小さくなり、視線を左右に泳がせている。抵抗はしているが、鍛えている前原さんにはとても敵わない。
「ま、前原君?ね、落ち着きましょ?ね?」
「うーあー。せーぱいうるさーい」
「は、離してくださいってば!スズさんが見てますから!」
「知ったこっちゃないね!」
前原さんが叫ぶ。明らかにテンションがおかしい……ていうか、酔ってる?
……なぜこんな事になったのだろう?
確か、広域社会見学のお土産を見せ合って、色々話してる内に急に笑いだして……今に至る。もちろんお酒なんて1滴も……お酒?
「……あっ、もしかしてこれ!?前原さん、これで酔っちゃったんですか!?」
「えっ、うそ。まさかこれで……?」
テーブルに転がるお菓子──ウイスキーボンボンを手に取る。成分を見ると、確かにお酒は入っている……が、せいぜい2%くらいだ。こんなので酔う人なんて……目の前にいた。
「これ、確か中村さんが買ってきたやつよね」
「ああ、だからあんなに嬉しそうに食べてましたのね」
「へぇー、これは思わぬ弱点……」
一方、固法先輩は慌てふためき、黒子はドン引きし、佐天さんは興味深そうに眺めている。そして当のスズさんは……笑顔だ。
「………」
「スズ。落ち着きなさい」
ヤナギ先輩が宥めようとする……が、スズさんは変わらずニコニコしたままだ。その笑顔に異様な圧を感じるのは気のせいだと信じたい。
「へい涙子。お前もカモン!」
「え?はえ?」
「お前も頑張ってるからな!バッチコイやあ!」
パンパーン!と前原さんが手を叩いて腕を広げる。
矛先が自分に向くとは思ってなかったのか、佐天さんは急にぎこちない笑顔になった。
「え。な、なーに言ってるんですかもー。冗談は止めてくださいよー」
「本気だけど」
「はえっ」
「おいで。涙子」
若干はだけた制服から覗く、鍛え抜かれた体。赤く上気した顔は真剣そのもので、名前を呼ぶ声はどこか艶っぽい。
前原さんの魅力を悪い方向に全力で振った結果がこれか。確かに男らしい、かもしれない。
「前原さん。落ち着いてくださいまし」
「おーう白井きゅんは呼んでないヨ!でもそんなに欲しがりさんなら仕方ないね!カモン!」
ブチッ、と黒子がどす黒いオーラを滲ませる。しかし前原さんは関係ないとばかりに腕を広げていた。
普段から仲が
「………」
「………」
「……と見せかけて涙子!!」
「はえっ!?」
ぎゅん!!と、前原さんは不用意に近付いていた佐天さんを引き込んだ。そのまま初春さんと入れ替わるように膝の上に座らされる。
「よーしよし涙子。お前は本当によく頑張ってるなー。偉いぞー、可愛いぞー」
「かわっ……」
「せやで、可愛いんだから自信持てー。ぐぇっへっへっへ」
いつもの元気はどこへやら。すっかり大人しくなった佐天さんに対し、前原さんはひどく満足気だ。可愛くて可愛くて仕方ない、そんな様子が見て取れる。
「んにゅ?ほらほら、美琴もおーいで」
「え?」
「は?ぶっ殺しますわよ?」
ギランッ!と視線が私を捉えた。見たことも無いほど鋭い目だが、その背後ではスズさんが……それはそれは良い笑顔で、呟いた。
「……美琴、ね」
怖い怖い怖い怖い!そんなにボソッと呟かないでください!!私は何も悪くない、ていうかスズさんも止めてくださいよ!!
「あの、前原さん。その、私よりスズさんが……」
「ちぇー、じゃーいーよー」
「え?」
前原さんが膝から佐天さんを下ろし、ゆらりと立ち上がった。そのまま私の方に歩いてきて……え、待って何ですか何ですか!?
「いい加減にしてください、まし!!」
ヒュンッ、と黒子が
前原さんはニヤリと笑うと、それを見もせず躱し、落下する黒子をお姫様抱っこで受け止めたのだ。
「ふはははは!!甘い、甘いぞ白井!!空間移動なんぞとうに見飽きとるわい!!そんな技で我を倒せると思うたかー!!」
「あーもーやめてくださいまし!!触るんじゃありませんの!!」
なでなでなでなでー!!と、今度は黒子を撫で始める前原さん。ジタバタ抵抗する黒子だが、がっつりホールドされてるためほぼ無意味だ。
こうして見ると、酔っ払って絡む叔父さんと、それを嫌がる姪っ子のように見える。
「黒子がああも一方的にやられるなんて……」
「見慣れてるとはいえ、空間移動を躱すなんて大したものね」
「戦闘センスが並外れてるのよ。あとは経験かしら?」
完全に他人事と思っているのか、先輩達が感心したように頷く。私達からすれば悪夢でしかない。
「こういうのはスズさんにやってくださいまし!!ほら、今も悲しんでますわよ!!」
「涼乃にはしないもん!!」
「何でですの?」
「………」
前原さんが急に静かになる。上気した顔も憂いげになり、浮かべる笑みもまた淡くなった。
黒子も不審に思ったのか、抵抗を止めて前原さんを見上げている。
「……前原さん?」
「……隙を見せたが最後だぞ白井ィィ!!」
「ギャー!!!」
しかしそれは一瞬で、すぐに黒子への猛攻撃が再開した。黒子も本当に前原さんを嫌っている訳ではないので、全力の抵抗ではないようだ。
しかし、スズさんがそれを許すかどうかは別だ。
「将貴」
氷柱のような声がした。その声は決して大きくないのに、何故か異様なほど耳に残った。
その声の主──スズさんは、笑っていた。相変わらずの良い笑顔で。
「ちょっとオイタが過ぎるかな?」
いつもの優しさは何処へやら、恐ろしく冷えた雰囲気を纏ったスズさんが迫る。やがて前原さんの真後ろに立つと、一転して慈しむように手を伸ばした。
「うぬ?誰だね?」
スズさんが後ろから腕を回し、所謂『あすなろ抱き』の体勢になる。まさしく恋人同士がするそれだが、今は少しもときめかない。むしろ絞首台にかけられた罪人を見てる気分だ。
「────」
ふわっと、スズさんが前原さんの目元を覆い、顔を一気に耳元に寄せた。頬にキスしたのかと思ったが、違う。耳元で何かを囁いたのだ。
「──……」
それだけで、前原さんの全身から力が抜け落ちた。スズさんが離れると、残されたのは意識を手放した前原さんだけ。
「…………え?」
「……い、今、何をしたんですの?」
問いかけるが、スズさんは屈託なく笑うだけで何も言わない。黒子も解放された訳だが、何が起きたのか理解できないのか、その場に座ったままだ。
しかし、仮にも前原さんに乗ってる黒子を、スズさんは見逃さない。
「………」
「……え。あ、ち、違いますの!!これは前原さんが無理やり──」
「それで?」
その一言に、黒子が一瞬で離れる。常に飄々としている黒子も、さすがにぶるぶると怯える様子だ。
優しい人ほど怒ると怖い、というのは事実らしい。
「固法先輩」
「な、なに?」
「ちょっと寝かせてきますね」
有無を言わせぬ声に、固法先輩は無言で頷くことしかできない。それに満足したのか、スズさんは前原さんを担いで静かに部屋を出ていった。
後に残ったのは、悪夢から覚めたような強烈な安堵だけだ。
「うぅ……」
「………」
「……殺す」
「……はあ」
「明日が楽しみね〜」
顔を赤くして俯く初春さんと、佐天さん。
強烈な羞恥心に苛まれる黒子。
安堵した固法先輩に、けらけら笑ってカメラを向けるヤナギ先輩……何やってんの?
「……とりあえず、これは封印しましょうか」
誰か分からない呟きに、全員が無言で同意した。
この後、原因となったウイスキーボンボンは、棚の奥に押し込んで厳重に封印されることが決定した。