そんなこんなで9月9日。
前原将貴がやってきたのは、職場である
「………」
「………」
「………」
「………」
仕事を始めて僅か10分、帰心は募る一方だ。年頃の少女が3人いながら会話のひとつも無いとは、女三人寄れば
いや、こうなる理由は分かってるけども。
「ちょ、ちょっと飲み物買ってくる。涼乃は……あの、いつものカフェオレ……」
「いらない」
「う、初春もホラ、奢ってやるからさ」
「……いりません」
「白井は」
「ケッ」
吐き捨てやがったぞコイツ。こんなお嬢様がいてたまるか。
しかし文句も言えないので、俺はそそくさと支部を後にした。ひと息つけたのは、近くの自販機の前まで来てからだった。
買うのはもちろん『こだわりリンゴネクター』だ。人気が無くて自販機からも姿を消しつつあるキワモノである。
「……〜〜♪」
「あら、前原君?」
何となく口ずさんでいると、ふと聞き慣れた声が割り込んできた。
黒髪セミロングに眼鏡、そして黄泉川師匠を彷彿とさせる豊満なスタイルを誇るのは、我が支部の代表である固法美偉だ。支部に向かう途中なのか、ビニール袋にはムサシノ牛乳が顔を覗かせている。
「こんな所でサボり?」
「そんなトコです」
話を聞く気になったのか、固法先輩もムサシノ牛乳を飲み始めた。そんなに飲んで飽きないのか、と素直に感心する。
「まあ昨日の事を思い出せば、誰でも逃げたくなるわよね」
「他人事だと思って……というか
「いいけど、多分無理よ。あんなに楽しそうな碧美、久しぶりだし」
「あのサディストめ……」
昨日俺がやらかした醜態に、愉しそうに笑うヤナギ先輩の顔が思い浮かぶ。飄々としながら、こういう事には嬉々として首を突っ込むのがヤナギ先輩である。
お酒の事はイギリスで学んだと思ってたが……いや、度数2%のお菓子で酔うのもどうだろう。また府蘭に笑われそうだ。
「でも安心して。誰かに見せびらかすような子じゃないから」
「俺には愉しそうに見せてきましたけどね」
「後輩イジりが好きなのも昔からよねぇ」
固法先輩はけらけら笑うが、俺は頭を抱えるばかりだ。ヤナギ先輩が撮ってた昨日の動画を見ると、冗談抜きで舌を噛み切りたくなる。本当に消してくれないだろうか。
「大丈夫よ。みんな本気で怒ってる訳じゃないのは分かるでしょ?」
「そりゃまあ。でも涼乃以外にあんな……」
「あら?その割には盛夏祭でとっっっても可愛い子と一緒にいたそうじゃない」
「……さては涙子だな」
噂好きの涙子に知られたのは痛手かもしれない。まあ明菜のことは涼乃も知ってるし、変な関係ではない──異質ではあるが。
「それは構わないけど。見てる側からすれば、早く収まる所に収まってほしいのよ。その方が安心するし」
「……自分にはまだ、その資格がないので」
「資格って……そうこうしてる間に、他の人に取られちゃってもいいの?もしくは、あなたに良い出会いがあったりして」
「これは俺と涼乃の問題です。外野にとやかく言われる筋合いはありません」
びくり、と固法先輩の肩が跳ねる。そんなに怖い顔をしていたか、と少し反省する。
「すみません。それと先輩、明日から一週間ほどオフを頂きたいのですが」
「明日から?んー……出来なくはないけど、何で?」
「いえ、俺がいたら……なんか、雰囲気悪いじゃないですか。白井とか特に」
お酒のせいとはいえ、俺が彼女らにやらかしたのは事実だ。ほとぼりが冷めるまで休むのが身のためだろう。
涼乃に会えないのは辛いが、涼乃に袖にされる方がもっと辛い。
「……はあ、分かったわよ。ゆっくり休みなさい」
「ありがとうございます」
「その代わり、今日はしっかり働くこと。いいわね?」
「ウイッス」
数時間後。倍の速さで仕事を終わらせた俺は、そそくさと逃げるように支部を後にした。退出時、白井のアホが同じように吐き捨ててきたが、まぁ慣れたものである。
そのままやってきたのは第一五学区。学園都市最大の繁華街であり、流行の発信地となっている街である。
「ライブハウス……ってここか?ここだな」
ナビに従って辿り着いたのは、この繁華街でもひときわ目を引く──煌びやかとかじゃなく、壁を覆い尽くすほど巨大な『らいぶはうす』の看板がダサすぎる──ビルだ。『ライブに来た客を絶対に迷わせない』という確固たる意志を感じる。
「……!」
入った瞬間、明らかに世界観が変わった。
レンガ模様の玄関に、シンプルなシャンデリアが照らす北欧風のロビー。小さな城のような印象を抱くここが、目的のライブハウスであった。
「(人多いな……いや、ARISAだけが目的って訳じゃないか)」
客であろう人は多いが、それはこのビルが多くのステージを持つ複合施設であり、同時に多くのライブを行えるためだろう。
歌い手というアドバンテージはあれど、ARISAはアイドルとしては新人だ。人気も名声も乏しいのにステージが超満員、なんて奇蹟は起きまい。
「(あの歌唱力があれば、キッカケさえあれば火がつきそうだがな)」
電光掲示板に従い、目的の階に移動する。ライブ直前というのに、人の入りは良くはない。だからこそ、その中に見知った顔を見つけることができた。
「なにしてんの元春」
「おっ、ハラショーか。まさかここで会うとは思わなかったぜい」
俺を見つけるやいなや、グラサンかけた金髪アロハが、無駄に引き締まった腕を振って駆け寄ってきた。キラキラとエフェクトが見えるが、暑苦しいことこの上ない。
「こっちの台詞だよ。元春ってこういうの興味あったっけ?」
「いーや、あのハラショーがハマってるもんだから気になったんだにゃー。それに俺、カワイイ子は何でもアリだし!!」
「はいはい。つか、よくチケット取れたな」
「普通に買えたぜい。当日チケットも余ってたしにゃー」
当日チケットも余ってるのか……まあ新人だとこんなもんかね。俺も歌が聴きたいだけだし、何でもいい。
とか思ってたらステージのライトが落ちた。そろそろ開演のようだ。
「おっ、そろそろ始まるみたいだぜい。ホラホラ、ペンライト用意したか?」
「え、そんなんいるの?」
「かーっ!ハラショーは分かってない!!アイドルってのはなー!!」
ギランッとペンライトを輝かせる元春を無視して、ステージに目を向ける。やがてスポットライトが照らされると、そこには1人の少女がいた。
『みんな、今日は来てくれてありがとう!』
彼女こそ『ARISA』。
期待の新人アイドルにして憧れの存在が、そこにいた。
*
「──という訳で、前原君は明日から1週間休むことになったわ」
定時を迎え、あとは帰宅するだけになった177支部にて、代表である固法美偉はそう言った。
反応は様々で、白井さんは吐き捨てて、初春さんと佐天さんは安堵している様子だ。そしてスズは……薄茶色の髪に隠れて、目元がよく見えない。
「ふんっ、せいせいしますの。この先1週間は安心できそうですわね」
「し、白井さん。前原先輩も悪気があった訳じゃ……むしろ可愛がってたような……」
「わたくしの肌はお姉様だけの物ですの。ああもう、思い出すだけで鳥肌が……」
ぞわぞわ、と白井さんが自分の腕を抱いて震える。
確かに、白井さんは特に撫でられてた気がする。すぐに
「何だかんだ白井さんと前原さんって仲良いですよね」
「佐天。減らず口は今すぐ止めてくださいまし。実力行使に出ますわよ」
「そうして必死に否定するのも怪しいですねぇ」
佐天さんがけらけら笑うが、白井さんは髪の毛を逆立ててピクピクしている。噴火寸前といった具合だ。
それに対し、内心は最も燻っているであろうスズは静かなものだ。
「スズのペア*1だけど、ひとまず私と組みましょう。いい?」
「……分かりました」
「おっけー。話はそれだけだから、早く帰りましょう」
はー、と各々力を抜いていくなか、スズはなかなか動かない。彼から貰った白い髪留めを見つめて、はぁ、と溜息をついていた。仄かに赤い頬と憂いげな瞳を見れば、何を想っているか嫌でも分かる。
「(いつまで経っても初々しいままなんだから……)」
もう何回も見た表情だ。初めこそからかっていたが、今ではいい加減にしろと思うばかりだ。こんな甘々な関係をずっと見せられて、何度胸焼けしたことか。
支部が私達だけになったのを確認し、私はスズの近くに腰掛けた。
「……まーたあの子の事考えてたでしょ」
「うぇっ!?べ、別に考えてなんか……」
「そういうのいいから。なに、自分だけ何も無かったの拗ねてるの?」
「そんな事……」
真っ赤になって否定する姿は、もはや小学生のそれに近い。奇蹟のレベルの分かりやすさである。
「……みんな大切にされてるなー、って思っただけですよ」
1番大切にされてる人が何を言ってるのかしら。というか、あそこまで一緒にいて気付かないものなの?狙ってる?
「……はあ。不満があるなら彼に言ってみなさい。きっと望む答えが返ってくるかもしれないわよ」
「不満なんて……誰を可愛がるかなんて将貴の自由ですし。私のもの、って訳でもありませんし」
「…………ならもう、スズのものにしちゃえば?」
「うぇっ!?そ、そんなの無理です!!」
「なんでよ」
半分投げやりに聞く。部外者の私は口を挟まないよう注意してきたが、そろそろ我慢の限界だ。
スズは下を向いてしまったが、耳まで真っ赤なのが見える。しばらく溜めた後、震える声でこう呟いた。
「だ、だって。もし、もし将貴に好きな人がいたら、私……」
──今世紀最大の溜息をついた私を、いったい誰が責めれようか。そんな確信を抱えながら、私はさっさと帰路に着いた。
望む結末は、まだ遠そうだ。