『──みんな!今日は来てくれてありがとう!』
スピーカーを通して響いた声に、前原将貴の肩はびくりと跳ねた。音量に驚いた訳じゃない。聞き慣れた、しかし初めて聞くような声が、反射的に感情を昂らせたのだ。
「見ろよハラショー、画面で見るよりカワイイって珍しいパターンだぜい」
「……ああ、そうだな」
「あら、もしかして見惚れちゃった?これはスズやんに報告しなきゃにゃー」
「違うから」
元春の戯言もほどほどに、ステージの上で、鴇色の髪を靡かせる少女に目を向ける。
実際、息を呑むほど綺麗だ。さすがアイドルと言うべきか、今まで会った子の中でも――比較するのは失礼だが――トップクラスに端麗だ。
「そーいや、夏休みに会ったとか言ってたにゃー。これはもしかしてフラグ……?」
「黙ってろ」
元春は放っておいて、ARISAの声に耳を向ける。
曲として聴いてきたせいか、歌声以外の声を聞くのは、なんとも不思議な気分だ。
『では早速1曲目!みんなも知ってるあの曲から!』
その声を合図に、スピーカーから大音量で音楽が流れ始めた。部屋の造りに細工があるのか、自身が音の渦に呑まれて、ライブと一体化したような気がした。
すうっと、少女が静かに歌い始める。
「──!」
その瞬間、会場がARISAに支配された。
ステージ上から届くARISAの歌声は、MVで見てきたそれとは明らかに違っていた。先ほどの初々しさは消え失せ、1本の芯が通った声が、確かに空間を揺らしている。
「………」
そうして圧倒されていれば、1曲は終わるのはすぐだった。俺はサイリウムを振るのも、歓声すらも忘れて、ただARISAに見惚れていたのだ。
『――♪――――♪』
歌って踊って、そして笑う。1人ひとりを捉えて、強引に視線を釘付けにするその姿は、まさしくアイドルだった。まるで、先ほどまでの姿が嘘であるかのように。
「ハラショー?おーい?」
「………」
「あらら、本当に見惚れちゃったかにゃー」
周囲から聞こえる野太い歓声に、俺も少し遅れて歓声を送る。狭いハコに広がる異様な雰囲気に、否が応でも気持ちが昂る。
俺は一度深呼吸して、ARISAの歌を聞き逃すまいと、改めてステージを見上げる。
『――――♪』
次も聞いたことのあるイントロだ。ARISAはまだデビューして1ヶ月の新人のため、歌い手時代の曲を引用しているらしい。
もっとも、ARISAの真価は歌声にこそ宿ると俺は思っているため、どんな曲でも嬉しかったりする。
『――――♪』
そうして、ARISAが歌い始める。ライブにしては小さな声量ではあるが、ひと息で耳の奥まで突き抜けるような、そんな清涼感のある音色だった。それに感化され、昂っていた会場も静かになっていく。
だからこそ、だろうか。
なにか、変な感じがした。
「……?」
熱くなっていた思考に、小さな空白が生まれる。そこに違和感が流れ込み、酔いから覚めたような感覚があった。
「なんだ、これ……?」
何かが、ズレている。
そんな釈然としない何か。ARISAの曲を聞けば良い事が起こる、なんて都市伝説があるが、それだろうか。
『ありがとうございました!今の曲は――』
そうして2曲目、3曲目が終わり、休憩も兼ねた
「見ろハラショー、あの不慣れな感じを!あの初々しさがこう、滾る!!」
「静かにして」
「興奮しないのか!?貴様、それでも変態帝国日本の漢かー!?」
「そんな帝国滅んでしまえ」
元春が叫ぶが、これも平常運転なので気にしないことにする。
それより、さっきの違和感だ。だまし絵のように、一度気付いてしまうと、どうしても頭から離れなくなってしまった。
『――♪――――♪』
やがてMCが終わり、別のイントロが流れ始める。ステージで少女が軽やかに踊り、誰もが見惚れる笑みを浮かべ、会場を支配するように歌う。客もそれに応えて、コールのたびにボルテージが高まっていく。
なのに俺は、取り残されたように立ち尽くすだけだった。先ほどの違和感は消えず、むしろ輪郭を帯びていくのが分かる。
「デビューして間もないのによく歌えるにゃー。大したタマだぜい」
元春は何も思ってないらしい。周囲も同じで、純粋に楽しめてないのは自分だけのようだ。
デビューして1ヶ月。それを考えれば、こうして歌っているのは凄いと思う――が、違う。やっぱり、ズレている。
「ハラショー?さっきからどーしたんだにゃー。もう最後の曲だってのに、全然ノれてないぞ」
「別に、そんなんじゃ……」
「おっと典型的なツンデレ反応。しかし残念ながら萌えねーぜい」
「うるせえ」
元春の声に、俺は呆れるように息を吐いた。
楽しめたのは最初だけで、あとは考えてばかり。これでは、何のためにライブに来たのか分からない。
最後こそちゃんと聴こう。そう決めて、改めてステージを見上げた――――瞬間。
『――!』
ステージ上の少女と、目が合った――訳がない。
ふと見た先に自分がいただけの、ライブでよくある勘違いだ。こんなのに反応しては、たぶん隣みたいになるのだろう。
「おおっ、見ろハラショー!ARISAちゃん、今こっちを見たぜい!もしかして俺のことを──」
「気のせいだから」
これが極まってストーカーが生まれるのか、なんて呑気なことを思う。それにしてもこの曲、聞いた事がない。新曲だろうか?
『――♪――――♪』
スポットライトが照らすステージ。
煌びやかに揺れるサイリウム。
湧き上がる歓声。
そんなステージは、間違いなく最高のはず。
なのに何故。初めて聴くはずの歌声に、初めて見るはずの輝きに――なぜ、陰りを感じるのだろう。
「(……ARISAって、この程度だったか?)」
ずっと抱いていた違和感。
その正体は『失望』。期待を超えなかったというより、標準すら下回ったことへの失望だった。普段の――MVの中でのARISAは、もっと楽しく、もっと美しく歌っていたことを、俺は知っているからだ。
そうして、ついにライブは終わりを迎える。一際大きな歓声が、耳の中で虚ろに響いた。
「……元春。俺もう帰るわ」
「これもダメな感じ?それにまだ1組目だぜい、帰るには早くないかにゃー」
「ダメじゃない、けど……なんか刺さらんかった。それに俺、ARISAを見に来ただけだから」
「ほー、お熱いファンだこと。それなら俺も帰るかにゃー」
興味無さげな元春と共に、さっさと会場を後にする。ARISAはまだ挨拶の途中だったが、最後まで聞く義務は無い。
「それより元春。焼肉の準備はできてるか?」
「おう。プレートと飲み物はあるから、あとは肉を買うだけだぜい。それで、結局どーする?『豪華絢爛』か『満漢全席』か。個人的には後者を所望するぜい」
「俺はいいけど、金はあるのか?当麻とか厳しそうじゃね?」
「まだ尽きてはないはずだぜい。あとは勢いで何とかするにゃー」
まだ9日なのに焼肉で浪費させるとは、当麻が可哀想に思えなくもない。月末はメシでも奢ってやろうか。
「野菜とか米は元春に頼むわ。肉の調達は俺がやるよ」
「りょーかい。んじゃ早速行くかー」
「いや、俺は今から行く所あるから。買い物は1人で――」
「――あの!」
ふと、鈴鳴のような声が割り込んできた。喧騒を駆け抜けて聞こえたそれに、俺も元春も立ち止まる。そうして振り向くと、そこには見覚えのある少女が立っていた。
鴇色の長髪に、同じ色の大きな瞳。神に愛されたような端正な顔立ちは、派手な衣装すらも霞ませる美しさがあった。身長は160cmくらいだろうか。すらりと伸びた手足も、目が覚めるほど艶かしい。
見間違えるはずもない。つい先ほどまで歌っていたアイドルが――ARISAが、そこにいた。
「あ、あの!」
「……な、なんでしょう」
聞いたこともないほど綺麗な声に、思わず圧倒されそうになる。うまく呂律が回らない。
そんな俺はお構い無しに、アイドルと呼ばれるその少女は続ける。肩で息をしているが、その吐息が妙に艶っぽい。
「あのとき助けてくれた人、ですよね?」
「あのとき?」
「夏休みの最初です。変な人に絡まれてる所を助けてくれた人、ですよね!?」
そのひと言に絶句する。覚えていたのか、という驚きと、そんな事のために追いかけてきたのか、という呆れからだった。
「あ、すみません。ライブ中にあなたを見つけて、思わず……あの時はちゃんとしたお礼も出来なかったので」
「……気にしなくていいのに」
「…………ハラショー。聞いてはいたけど、改めて見るとこう……殴りたくなったぜい」
「仕事だって言っただろ」
「あ、えっと。あたし、
「いや知ってるよ」
憤怒に燃える元春に対し、当のARISAは素知らぬ顔だ。ライブ衣装から着替えもせず、そのまま追いかけてくるあたり、神経が図太いというか……アホというか。
「あ、そうですね……いえそうではなく。助けてくれて、ありがとうございました」
「いえ、大丈夫です」
「なにかお礼を――」
「必要ないです」
ザワザワと周囲の喧騒が大きくなる。
当たり前だ。そもそもとして派手なライブ衣装、それもこんな美少女だ。目立たないはずがない。
お礼云々は自由だが、少なくとも今は止めてほしい。
「あ、あのお、俺っ、土御門元春って言いますぅ!ARISAちゃんの曲、全部聴いてますぅ!」
「落ち着け。声が上擦ってるぞ」
「そ、そうなんだ。ありがとう……?」
「ほら、この子も軽く引いてるよ」
元春が叫ぶが、あまりの必死さにARISAも引き気味だ。というか元春が、妹以外の女に興味を持つとは珍しい――いや前提がぶっ飛んでる。今の話は無しだ。
「ARISAさん。とりあえず着替えてきてください。その格好では目立ちます」
「えっ……はっ!?」
言われて気付いたのか、カァッとARISAの顔が赤くなった。あわあわと取り乱す様は愛らしいが、そのせいで周囲が余計に色めき立っている。
「ご、ごめんなさい!すぐ着替えてきますから、ちょっと待っててください!!」
「分かりました」
そう言って、はぁと溜息をつく。
まあ待たない。明菜に会う時間が遅くなるし、変に注目されて居心地が悪い。ARISAには悪いが、事件以外の面倒事はごめんだ。
「……?」
そうして、慌ててライブハウスに戻るARISAを見送る――その時だった。
ばしゅん、と。金属が弾けるような音が、遠くに聞こえた。聞き慣れない音に周囲を見渡すが、人ばかりで何も分からない。
「お、おい。アレ……」
誰かが空を指差す。それを目で追って、俺はようやく気付いた。ライブハウスの壁──そこに掲げられた『らいぶはうす』の看板の一部が、大きく軋んでいたのだ。
「……なあハラショー」
「元春、ここから離れろ」
がちん、と。金属が軋む音がした瞬間、看板の一部が落下した。正確には『ら』の文字の"ちょん"の部分だ。
だが前述の通り、看板は壁を覆うほど巨大なものだ。その部分だけでも数メートルはあるし、下敷きになれば無事では済まない。
「ARISA!!」
俺は反射的に走り出した。その看板の落下地点にARISAがいると、なぜか直感で分かったのだ。狙ったかのような一撃である。
――俺が看板を止めるか?いや、変に弾いては余計に危ないし、
ならば、できる事は1つ――!!
「──!!」
「キャ──」
反射を使って加速しながら、タックルのようにARISAに突っ込む。そのまま勢い良くぶつかって、俺は背中から地面に叩きつけられた。
ARISAにかかる衝撃を、かなり強引に俺の方に反射させたため、鈍い痛みが全身に走った。
「いっつ……おい、大丈夫か?」
「え。えっと……?」
すぐ近くから甘い声が聞こえる。ARISAが俺を押し倒すような体勢になっていることに、今になって気付く。
状況を理解できてないのか、ARISAは瞬きを繰り返して、ふとの俺の背後を指差した。
「な、なにあれ……?」
そんなARISAの声に振り返って、俺は息を呑んだ。
ビルに貼り付いた蜘蛛のような機動兵器――そこから伸びたワイヤーが、落下した看板を地上スレスレで受け止めていたのだ。
「……な、なんだ?
「あ、あの」
「あ、ごめん。つい」
押し倒していた少女を起こして、並んでその光景を見つめる。ARISAも怖いのか、後ろから俺の袖をきゅっと掴んでいた。
そうしてる間に、その蜘蛛は看板をゆっくりと降ろして、大きく空へ跳んでいった。残された俺たちの間に、微妙な沈黙だけを残して。
「な、何だったの今の……?」
「……ともかく、無事で良かった。怪我はしてないか?」
「うん。それは大丈夫」
困惑しながらも笑みを浮かべるARISAを見て、少し安堵する。そんな眩しい笑顔が妙に気恥しくて、俺は逃げるように落下した看板に向かった。
「これは……」
看板の根元に注目して、そして気付いた。この落下事故は、誰かが意図して行った『事件』だ、と。
「(この傷口、老朽化でも人為ミスでもない。誰かが能力を使って根元を破壊したんだ。理由は……たぶん、ARISA)」
という事は、結果としてARISAを守ろうとしたあの蜘蛛も、ARISAが狙われる事を知っていたこと――ということか?
理解はできるが、納得はできない。
言うのもなんだが、ARISAはデビューして間もない新人アイドルだ。そんな新人をこうまでして狙う理由も、兵器を差し向けてまで守る理由も分からない。
「奇蹟だ……」
その時ふと、誰かが呟いた。
「危なかったな……!」
「ああ、少しでも遅かったら死んでいたかも……」
「怪我人がいないなんて奇蹟だ!!」
その呟きはあっという間に伝播して、やがて歓声へと変わった。まるでARISAを称えるように、周囲が異様な雰囲気に塗り替えられていく。
「奇蹟……」
ぽつりと、ARISAが呟く。それは歓声に掻き消され、どこかに溶けていった。『奇蹟』と称える彼らの歓声は、警備員が到着するまで止むことはなかった。