ひゅう、と風の音が聞こえる。
学園都市の夜空は明るく、ベランダに出ても星はよく見えない。遠くに見える、天を貫くような青い塔だけが、街の明かりを受けて鋭く光っていた。
エンデュミオン。
物資を宇宙まで運ぶ超巨大エレベーターにして、鴇色の長髪を毛先で結んだ少女──鳴護アリサが目指すステージである。
「………」
アレを建てた企業こそ、あたしの契約元であるオービット・ポータルである。
『88の奇蹟』と謳われたオリオン号の事故から、僅か1年。そんな短時間で建設・完成に至った事は、まさに『奇蹟』と呼べるだろう。
「……正式発表は来週、か」
そのエンデュミオンの完成セレモニーにて、史上初の宇宙ライブを行う、と影の噂で聞いた。そのライブの主演があたし、という事も。
「………」
ただの噂、しかし否定要素が無いのも事実だ。
現在、オービット・ポータルが抱えるアイドルはあたしだけだ。他を招くにしても、セレモニーは今月の中頃だ。準備する時間など既に無い。
「(……本当にあたし、なのかな)」
本当に歌えるのなら、とても嬉しい事ではある。しかし、納得できる事ではない。
エンデュミオンという国家規模のプロジェクト。その重要なセレモニーを、どうしてデビューして間もないあたしに任せるのか。正気の沙汰とは思えない。
「……はあ」
所詮は噂だ、と青い塔に背を向ける。
ガラス越しに室内を見ると、女の子達はおしゃべりに、男の子達はゲームに興じているのが分かる。
そんな『普通』の光景が、どこか遠くに感じる。
「(……なんか、いいなぁ。こういうの)」
あたしには1年より前の記憶が無い。
最初の記憶は施設だし、家族や友達と呼べる者は誰一人いなかった。アリサという名前もそこで貰ったが、意味なんて聞いたこともない。
結局、あたしは記憶を取り戻すこともできず、能力も発現しなかった──そんな中で唯一できた事が、歌うことだった。
「………」
歌うと決めてからは作詞作曲で、デビューしてからはレッスンで忙しくなった。
食事を楽しむ時間は無いし、それを共有する相手もいない。それこそ、みんなで焼肉なんて想像したこともない。
だけど、今日は楽しかった。
それだけは胸を張って言えた。
「──?」
コンコンッという音に顔を上げる。すると黒を基調とした制服の少年──将貴君がガラス戸を開き、ベランダに入ってくるのが見えた。
「よう。隣いいか」
「うん」
彼はあたしに微笑むと、少し距離を置いて横に並んだ。遠すぎず近すぎない、絶妙な距離である。
「ごめんなアリサ。こんな騒がしい所に呼んで」
「……ううん、楽しかったよ」
「そりゃ何より。けど、元春の誘いにホイホイ乗ったのは良くないぞ。アイドル以前に女の子として」
「将貴君が来るなら大丈夫かなって。今日も助けてもらったからね」
あたしも考えなしについて来た訳ではない。
あたしを2度も助けてくれた将貴君だからこそ、その友人を信用したのだ。お礼をする機会が欲しかった、というのもあるが。
「改めて言うね、将貴君。助けてくれてありがとう」
「いーよ別に。仕事だしな」
ははっ、と将貴君が小さく笑った。右腕に通った緑の腕章が存在を主張している。
彼にとって、この程度の人助けは何でもないらしい。
「なあアリサ。聞きたいことがあるが、いいか?」
「いいけど」
ふと声の『質』が変わるのが分かった。朗らかな雰囲気が霧散し、将貴君がまっすぐにあたしを見つめる。
「アリサも見た、あの『蜘蛛』についてだ。アリサは何か知ってるか?」
「ううん、あたしも初めて見た」
「やっぱりか」
将貴君は顎に右手を添えて、考えるような仕草をする。思い当たる節があるのだろうか。
「
「かもな。けど、その場で事後処理をしなかったのは変だと思う」
「たしかに」
うーん、と並んで考えるも、納得のいく答えは出ない。
ふと、意味も無く将貴君を見ると、彼も顔を上げてあたしを見てきた。当然、目がバッチリ合ってしまう訳で。
「………」
「………」
「……なに?」
「……何でもない」
ふいっと将貴君が顔を逸らした。意外と可愛い所あるんだ、と思わず笑ってしまう。
「明日は何か予定あんのか?」
「午後から撮影と、あとはレッスンかな。何かあった?」
「いや、『蜘蛛』の事で少しな」
将貴君が心配するようにあたしを見る。
まあ2度も災難に遭い、あんな兵器を見れば心配もするだろう。ましてや彼は
うーん、心配させたままなのも悪いし、どうしよう。
「……まあいいか。つーか、もう遅いけど、今日はどうするんだ?帰るなら送るけど」
「ううん、泊まるつもり。もっと話したいってインデックスちゃんも言ってしさ」
「……正気か?」
信じられない、とでも言うように、将貴君が目を丸くした。
この機会だ。せっかく出来た『友達』とおしゃべりしたい……のだが。
「こういうの初めてだから遊びたいんだけど……ダメかな?」
「……別にいいけど、必ず男女で分かれるように。何かあったら大変だからな」
「そんなに部屋あった?」
「俺の部屋があるから、そこでよければ」
はあ、と将貴君が大きな溜息をついた。
むむ、将貴君たちとも遊びたいのに……流石にまずいか。そりゃそうだよね。
「将貴君達はよく遊ぶの?」
「まぁね。時間があればよく集まるよ」
「ホントに仲良いんだね。少し羨ましいかも」
「だからって、男との距離感には気を付けろよ。警戒感が無さすぎるぞ」
「そう?」
ふふっ、と並んで笑ってみる。確かに、ほぼ初対面の男の子の家で寝るなんて、普通に考えておかしいと思う。
けど、なんでだろう。
将貴君とは波長が合うし、信頼できるって思えてしまうのだ。本当に、なんの根拠も無く。
なんでだろうね?
*
「……なに話してるのかな」
ぽつりと中村涼乃は呟いた。
視線の先のベランダでは、将貴とアリサちゃんが笑っていた。2人はほぼ初対面のはずだが、気まずい、という雰囲気ではなさそうだ。
「涼乃、なにを見て……ああ」
「な、なにさフッキー」
「いえなんでも。ご馳走様」
「違うってば」
親友のフッキーがくすくすと笑う。柔らかな笑顔だが、先ほどの焼肉では鬼神と化していたのが何とも言えない。
「俺らはこのままオールするけど、2人はどうするのかにゃー?」
「普通に帰るわよ。涼乃だって明日は仕事でしょ?」
「え、もうこんな時間?」
時計を見ると、既に23時過ぎだ。
確かにもう帰らないと、明日の仕事に支障をきたしてしまう。夜更かしは肌にも悪いし。
「アリサちゃんは帰らないの?」
「ふふん、アリサは私とがーるずとーくをする予定なんだよ。今夜は寝かせないかも!」
上条君の謎の同居人──インデックスちゃんの頭を撫でる。すると、ベランダから戻った将貴が何かを察して玄関に向かった。私が帰るから送っていく、そういう意思表示だろう。
私は暗闇に対してトラウマを抱えている。それを抑えるべく、帰りは将貴と一緒にいる事がほとんど──なのだが、最近、改善の兆しがあるのだ。
「ううん、大丈夫。フッキーと帰れるから、将貴は楽しんでて」
「え。だってもう真っ暗だぞ?」
「大丈夫だって」
将貴の服を引いて、そっと耳打ちする。近くから将貴の吐息が聞こえて、少し鼓動が早くなる。
「最近ね、夜が前より怖くないんだ」
「え?」
「だから大丈夫。これも治療の一環になるし、何かあったらすぐ呼ぶからさ」
将貴が心配そうに私を見るが、気持ちは分かる。
私のトラウマ──それ以上に危険なのが、誘発する
将貴といれば落ち着くのだが、それだけではいずれ依存になる。だからこその荒療治だ。
「……何かあったらすぐ呼べよ。飛んで行くから」
「うん、頼りにしてるね」
「あのー、おふたりさん?もういいかにゃー?」
土御門君がおそるおそる声をかけてきた。見ると、インデックスちゃん含め全員が生温かい目で私達を見ている。
確かに今の私は、傍から見れば将貴の頬にキスしてるように見えなくもない。
「すずのとしょうきはこいび──もがっ!」
「インデックス、しー、しーっ!」
はあ、とフッキーが溜息をつく。周りも同じような反応で、ここにいるのが急に恥ずかしくなった。
思わずフッキーの手を引いて、そそくさと部屋を出ていこうとする。
「も、もう帰るからじゃあね!ご馳走様!」
「ちょっ、いたたた!引っ張らないでよ!」
ドタドタドタ!と部屋を出て、フッキーと並んで帰路につく。
やがて冷静になり、暗くなった空が目に入る。瞬間、手足に虫が群がるような、壮絶な嫌悪感が私を呑み込んだ。
「──っ!」
「……涼乃?」
「……っ、何でもないよ」
フッキーが不思議そうに私を見るが、気付かれてはないようだ。
やはりこの感覚は嫌だが、最初に比べれば全然マシだろう。なんせ、最初は錯乱して部屋中を切り裂いたりした訳だし。
「ねぇ、前原と何かあったの?」
「何かって?」
「私を誘って涼乃を誘わないなんて変でしょう。喧嘩でもしたの?」
「……あー。それは、まあ」
先日のウイスキーボンボンの事を思い出し、苦笑いする。
まさか将貴が、あそこまでお酒に弱いとは思わなかった。買ってきた私も悪いが……私に何もしなかったのがムカつく。黒子ちゃんはあんな可愛がったくせに、もう。
「……深くは聞かないけど、早くしなさいよ?」
「早くって?」
「告白に決まってんでしょ」
なんか固法先輩みたいな事を言ってきた。
そんなに分かりやすいかな、私。まぁ将貴は気付いてなさそうだけど。将貴って鈍感だし。
「あはは……」
「あのね、後回しにして良い事なんて何も無いのよ?前原、あれで結構人気あるんだから」
「え、そうなの?」
「そりゃね。頭も運動神経も良くて、現役の風紀委員だもの。条件としては中々よね」
……た、確かに。一緒にいすぎて気付かなかったけど、将貴って割と……いや、でも将貴は恋愛とか興味無さそうだし、大丈夫でしょ。
「し、将貴に彼女が出来たことなんて一度も無かったよね。だから大丈夫だよ」
「……そりゃ涼乃がいるからね」
「え?」
「何でもないわよ」
フッキーがもう一度溜息をつく。
諦めたような表情にむっとするが、悪意が無いのは分かっている。いや、だからこそフッキーが本気なのも分かるけど……それでも、無理なものは無理だ。
「……できないよ。今は、まだ」
「……そう」
ぽつりと呟いて、それ以降何も話せなくなる。どこか遠くで枯れ枝が揺れる音が、やけに鮮明に聞こえた。
*
前原将貴には師匠がいる。
名を黄泉川愛穂といい、警備員でも飛び抜けて強くて、厳しくて、そして優しい女性だった。
八月十日事件後、能力に溺れそうになった俺を、師匠は正面から怒鳴りつけた。ぶたれた頬は痛かったけど、それ以上に強く抱き締めてくれた。
能力ではなく、この俺としっかり向き合ってくれた。その姿勢に何度救われたことだろう。
「おうおう月詠センセ、良い飲みっぷりじゃん」
「黄泉川先生は少し飲みすぎですよー。へい大将、お水をお願いしますー」
だからこの飲兵衛も、俺は受け入れるべきなのだ。酒臭くて面倒臭くなろうとも、俺はこの人を敬愛すべきなのだ。
「……なにしてんすか、師匠」
俺が来たのは第五学区、とある赤提灯の屋台だ。
焼肉が終わり、アリサとインデックスを俺の部屋に案内して、さあゲーム大会の幕開けだ──と思った矢先の呼び出しだ。流石に対応も冷たくなる。
「あ、前原ちゃん!ほら先生、お弟子さんがお迎えに来ましたよー」
俺を呼んだ
「前原だと?こんな時間に……上等だ。次の訓練を楽しみにしてるじゃん」
「月詠先生に呼ばれたんですが」
「はっはっはっ!そうだったかあ!?まあ座れ!」
師匠がジョッキ片手に大笑いする。酒の匂いが脳に刺さり、くらりと視界が揺れる。
普段はジャージ姿が妙に艶っぽい師匠だが、今はその片鱗すら無い。残念美人とはこの事か。
「師匠、ほら」
「おお、こりゃうまい。なんて酒じゃん?」
「水です」
「ぶぁっはっはっは!!」
ふとイギリスのパブを思い出した。酒には強いはずだが、ここまで飲むとは珍しい。
「すみません前原ちゃん、突然呼び出して。私1人じゃ止められなかったのですー」
「いえ、大丈夫です。師匠がご迷惑をおかけしました」
「いーえー」
師匠に比べ、月詠先生はほんのり赤いだけだ。もしや師匠以上の酒豪なのだろうか。
というか、見た目小学生の女の子がジョッキ片手に煙草を吹かすなど、教育者が泡吹いて倒れそうな衝撃映像である。
「師匠、飲み過ぎですって」
「お前も飲むか?千年の孤独」
「いりません。ほら、帰りますよ」
「なんでだよぉ!いいじゃないか!けち!!」
「くえっ」
メニュー表をひったくった瞬間、師匠が思い切り肩を掴んだ。玩具を取られた子供のようだが、師匠がやった場合は普通に人災である。
「今日は珍しく悪酔いしてますねー。タクシー呼びましょーか?」
「お願いします。僕が同行するので」
「運ぶ、だとぉ?前原の分際で生意気な……」
ガシガシと頭を掴まれる。普通に痛い。
というか、酔っ払ってまず呼ぶのが俺なのか。彼氏の1人くらい……いないか。これだもの。
「………」
「いだだだだだ!?」
「何か言ったか?」
「言ってません!!」
腕を抓られ、酒でくらくらしていた思考が目覚める。おのれ、だから貴女はモテないんだぞ。
「くそう、前原はいいよなあ。女もたくさんいるし、退屈しないわなあ……」
「人聞きの悪い……」
「わかるわかる。いいんだよ前原。お前がモテるのはわらひも嬉しいからなあ……」
ついに呂律が回らなくなったらしい。目も細くなり、寝落ちするのは時間の問題だろう。
そうなる前に帰さないと……と思ってたらタクシーが来た。ナイスタイミング。
「大丈夫……わらひはまだしらふじゃんよー……うん……」
「(酒臭ぇ……やばい、また酔いそう……ふへ)」
月詠先生に挨拶して、さっさと屋台を後にする。師匠の家は知ってるし、あとは何とかなるだろう。
「師匠、大丈夫ですか」
「なんだ前原ぁ、心配してくれるのかぁ?かはは、優しいやつじゃん……」
「何でこんなに飲んだんですか。らしくもない」
「私だって呑みたい時はあるじゃん。特に最近はな」
「何かあったんですか?」
すん、と師匠が急に静かになる。さっきまでの雰囲気が無くなり、懐かしむように目を細めている。
「……先日、お前が入院したと、聞いたじゃん。脳が焼き切れるほど能力を使ったと……」
「……よくご存知で」
「お前ほどの奴が、入院するなんてありえないじゃん……ましてや、この数ヶ月で何度も……」
……その通りだ。
「別に怒ってる訳じゃないじゃん。どう動くかなんてお前の自由だし、好きにするといい……でもなぁ」
「?」
「でもなぁ……お前が戦うという事は、当然でもなんでもないんだよ……」
師匠らしからぬ、弱々しい呟きだった。願うようなその一言に、ずしりと胸が重くなる。
無意味な戦いは可能な限り避けるもの。
──だが、
「逃げるという選択肢を無くさないでくれ……じゃないと、いつか取り返しのつかない事になるじゃん……」
「……約束はできません」
「……だろうな。それで素直に従うなら、ここまで困ってないじゃん」
くしゃりと、師匠が俺の頭を撫でた。先ほどとは違い優しい手だ。俺を見る優しい笑みには、恋慕とは別の愛を感じる。
「お前は私の弟子だ。勝手に倒れる事は許さないじゃん……もし破ったら、お前に、地獄を……」
次第に声が小さくなり、やがて師匠は眠ってしまった。酒臭い息が車内を満たし、鼻の奥がつんとする。
「……素直で良い子じゃなくてすみません」
ぽつりと本音が漏れる。
この人に心配させたくはない。しかし、涼乃に憧れを抱くのなら、逃げてはならない時もある。
こんなチカラを持つなら、尚更に。
「お客さん、着きましたよ。お会計お願いします」
「えっ」
30分後、なんとか師匠を運び終えた俺は、ふらふらの足で寮まで戻ってきた。今は何時か分からないが、既に日は跨いでいるだろう。
「うー、あたまいてぇ……ふへっ」
視界がぱちぱちして、時折ぐにゃりと足元が歪む。愉快だが慣れない奇妙な感覚である。
「(よってる、よな……きょうは当麻たちとゲームを……いや、かえってねよう。へんなことするかもしれないし……おとなしく……)」
明日は何も無いはずだし、家に帰ればどうにでもなる。あと少し頑張れ、自分。
「ただいまぁ……」
自宅に着くと、その瞬間に力が抜け落ちた。明かりを点けるのも億劫なので、歯だけ磨いてすぐ寝ることにする。
風呂とか洗濯は明日の朝やろう……けど、ネクタイとズボンは脱いでおくか。制服に皺がよったら嫌だし。
「うーん……」
ベッドに横になり、近くの枕を手繰り寄せる。うん、なんだか気持ちいいし、よく眠れそうだ。
……ところで、枕ってこんなに柔らかかったか?
良い匂いするし……洗剤かえたかな。
………。
……まあ、いいか。
「ぐー……」
「くー……」