目を覚ましたインデックスは、まずその狭さに違和感を覚えた。目を開けようとして、ベッドの感触が違うことに気付く。
昨日はとうまの友達の、しょうきの家で寝ることになったんだ、と思い出した。なんでも、男と同じ部屋で寝るのは駄目、とかなんとか。
「とうま、ごはんー……」
起き上がろうとして、すぐそばに壁がある事に気付いた。
そうだ。昨日はアリサと寝たから、そのぶんベッドが狭くなっているんだ。
「ありさ、ごは──」
朝ごはんを作ってもらおうと、隣で眠るアリサの方を見て────絶句した。
『禁書目録』として10万3000冊の魔導書を記憶──つまりそれだけ人間を『闇』を知る私ですら、この光景には言葉を失った。
「ぐー……」
「くー……」
灰色のワイシャツに下着のみという少年と、同じような格好のアリサが、抱き合うように眠っていたのだ。
腕は相手を求めて背に回り、足は蔦のように絡み合って体温を共有している。決して離さない、とでも言うように。
「……んっ」
「………」
カーテンから射し込む朝日が眩しいのか、アリサが眉を顰めて、男の子──しょうきの胸に顔を埋めた。しょうきはそれを受け入れて、優しくアリサを引き寄せる。まるで、1本1本の髪の毛を愛おしむように。
「ぐー……」
「くー……」
2人の呼吸が重なり、部屋の中へ溶けていく。
アリサの着るシャツはぶかぶかで、谷間とか太ももとか、色々際どい所が見えていた。ブラはしていないのか、アリサの大きな胸は押し潰されて、ふにゅんと形が変わっている。
「……くう」
「………」
ぎしりと、ベッドが軋む音が、やけに大きく聞こえた。
このベッド、恐らく一人暮らし用のシングルベッドだろう。なのに私も含めて3人も寝ている──つまりそれだけ密着しているという事だ。それこそ、吐息が当たりそうなほど。
「………………」
とっさに仰け反り、すぐ壁に当たる。痛みすら忘れて、胸の奥から湧くのは、ただただ純粋な恐怖だった。
男女がベッドでなにをするのか、『知識』があるから分かってしまう。
"ソレ"が昨晩、すぐ隣で行われていたかもしれない──そんな不信感に、言いようのない悪寒が走る。幸せそうな2人を見ていると、尚更に。
「……ふ、フケツなんだよ」
ベッドから逃げるように這い出て、ふと何かを踏んだ。見ると、2人が脱いだらしきズボンやネクタイが、床にデタラメに散らばっていた。
ぞぞぞっと。それを見た瞬間、直感的に『無理』と思った。寝起きの思考の中で、あまりにも明確な拒否反応だからこそ、逆らう気すら起きなかった。
「…………とうま!助けてとうま!!」
*
「さて、弁明を聞こうか」
20分後。
と言っても判決は極刑で確定という、形だけの粛清裁判である。
「……ごめんなさい」
そのど真ん中で正座する被告人を見て、上条当麻は溜息をついた。
被告人──前原の顔には真っ赤な紅葉が咲き乱れ、ロクな抵抗もできず(主にアリサに)ボコボコにされたようだ。
「最ッ低……」
「……ごめんなさい」
「ホントに無理。気持ち悪い……」
しっかり服を着たアリサが、絶対零度よりなお低い視線を突き刺した。びくりと跳ねた前原の肩が、いつもよりひどく小さく見えた。
「ハラショー、貴様……スズやんを裏切って、なにを……」
青ピが獣のように唸る。なんなら先日の
もっとも、親友と憧れのアイドルがベッドを共にしたとなれば、殺意を抱くのも当然か。
「あの、話を」
「あ゛?」
「……話を、聞いてもらえますか」
アリサが首肯したのを見て、青ピがようやく発言を許可した。
さて前原。言葉選びを1つ間違えれば、その瞬間に"執行"されかねないぞ。
「……昨日の深夜、師匠……黄泉川先生に呼ばれたのは、覚えてますか」
「ああ、そんな事あったな。それで?」
「その時、少しお酒が入りまして……その、酔ってしまったんです」
「ふーん。で?」
そう言えばゲームの途中で呼び出されてたな。
『小萌先生からラブコールとか羨ましい!!』とか青ピが叫んでた気がする。人とは思わぬ所で繋がってるものだ。
「……お酒が入って、頭が痛くなって……家で早く寝ようと思ったんです」
「で、アリサちゃんを抱いて眠ったと。随分都合のいい記憶喪失やな。ふざけるのも大概にせぇボケ」
「本当にそれだけなんです……」
がるるる、と青ピが唸る。今にも前原の喉に噛みつきそうな勢いだ。
「何でズボン脱いだんや?狙っとったんか?」
「制服に皺が寄るといけないので……」
「抱き締めた理由は?」
「枕だと思って、つい……」
「最低……」
アリサの呟きが前原をぶん殴る。
対人戦ではほぼ負け無しの前原も、アリサには手も足も出ないようだ。
「手は出してません。本当に何もしてません。本当です」
「天にまします我らが父に誓えるんか?あ?」
「誓えます」
まあ、さすがに手は出してないだろう。
前原には中村がいる。もし本当に手を出していれば、前原は躊躇なく手首にナイフを立てることだろう。冗談抜きで。
「だそうだ。どーするアリサちゃん。最終判断は任せるわ」
青ピがアリサを見て判決を促した。アリサは汚いものを見るように顔を逸らして、怯えた声でこう言った。
「……二度とあたしに近付かないで。ライブにも絶対に来ないで。それだけでいいから」
「だそうだハラショー」
「謹んでお受けします」
推しのアイドルからご指名で出禁とは、なかなかレアな体験かもしれない。
前原からすれば悲劇だろうが、中村に知られるよりはマシだろう。
「じゃあアリサちゃん、この後は好きにしてええかな?」
「……うん」
「分かった。じゃあ殺すわ」
判決、死刑。
茶番はほどほどに、そろそろ助け舟を出さねば。
「待て待て、一度考え直そうぜ。あの前原だぞ?それがこんな事する訳ないって」
「事実してるやろ。寝惚けてんのかカミやん」
「こいつが中村を裏切るなんてありえんだろ。酔ってたってのは多分本当だよ」
「……うん、確かにお酒の匂いはしたかな」
アリサからも思わぬ援護だ。これで悪意を持ってアリサに近寄った説は否定されるはず──だがアリサと寝たという事実は変わらず、前原から負のオーラが漏れ出ている。
「……なんでハラショーが落ち込んどるんや。泣きたいのはこっちやぞ」
「愛の力ってヤツだぜい」
「お前それ好きだな」
対して土御門も妹の舞夏も、けらけらと状況を楽しんでいた。ドロドロした展開が好きな兄妹だが、親友が相手でも有効のようだ。
「……撮影あるから、もう行っていいかな。けど、最後にひとつだけ」
「あ、ああ」
アリサが正座する前原を見下ろす。
そして前原の顔に手を伸ばすと、高圧的にこう言い放った。
「目を瞑って」
「………」
数秒後、それはそれは綺麗な破裂音が炸裂した。
顔から吹っ飛ぶ前原を見て、ああアレは痛いだろうな、と呑気なことを思った。
*
エンデュミオン完成の正式発表。
それが迫るにつれて、鳴護アリサのトレーニングメニューは過酷なものになっていった。それこそ、一流がこなすそれと遜色ないほどに。
「今日はこのくらいにしようか」
「……いえ、まだやれます……お願いします」
最終下校時刻を大きく過ぎた21時。第七学区のとあるレッスン場に、荒い息が聞こえた。
「足がふらついてるじゃないか。時間も遅い。今日はこれまでにしよう」
「あたしは……!」
「何度も言わせるな。今日はこれで終わりだ」
そう言ってトレーナーさんは背を向けた。後ろで結った黒髪が次第に遠くなっていく。
自主練しようと一節だけ振り付けを踊ってみるが、うまく力が入らない。より細かく、より鋭く、より正しくなるよう意識するが、どうも上手くいかない。
「(時間も無いのに……)」
それを自覚して、思わず下唇を噛みしめる。
振り付けは全て覚えた。その1つひとつは簡単なものだが、通しで行うとその難易度は一気に跳ね上がる。
振り付けを繋げる呼吸、いわゆる"間"と呼ばれる技術が全く足りないのだ。
「(……間に合う、とは思えない)」
本来、その技術は年単位で取得して、磨いていくものだ。それを来週までにやってみろなど、無謀にも程がある。もしそんな事が出来る人がいれば、それは天才に違いない。
それに本番では歌も歌うし、笑顔も必須だ。
この程度の完成度で、エンデュミオンという大舞台に上がれるのだろうか。
「何をしている。今日はもう終わりだと言っただろう。早く着替えてこい」
「あ、はい。今日もありがとうございました」
着替えてきたトレーナーさんに頭を下げて、あたしも更衣室に向かう。
レッスン場を出た途端に"スイッチ"が切れたのか、疲労感が一気に押し寄せてきた。指先が震えて、ブラウスのボタンが留めづらかった。
「(最近こんなんばっかだなぁ……)」
レッスン場を出て、はあ、と溜息をつく。
アイドルである以上仕方ないのだが、精神的疲労が段違いに大きい。最近はレッスンの疲れもあり、趣味の作曲もあまりできていない。
言ってしまえば、楽しくないのだ。
「(そのレッスンも、今日はダメダメだったけどね)」
これでは本当に何も出来ない子じゃないか、と自嘲する。
なぜこうなったか原因を探っていると、ふととある少年の顔が思い浮かんだ。そう、初めてベッドを共にしたあの少年が。
「……ふんっ」
記憶を失い、初恋すら未経験のあたしには、今朝の出来事は衝撃的すぎた。
変な事はされなかったようだが、それを思い出すだけでイライラする。本当、生理的に無理。
「……帰ろ」
ぶんぶんと頭を振って、さっさと帰路につく。空を見上げても、星はあまり見えなかった。
最終下校時刻を過ぎてるせいか、道を歩く人は極端に少ない──見当たらないほどに。
「……──♪」
人がいないのを確かめて、何となく歌を口ずさむ。静かに響く声は心地よく、自然と口角が上がった。
レッスンや撮影はともかく、歌を歌うことは好きなんだ、と改めて思った。
『────』
そのまま公園の前を通った時、足が止まった。
どこからか、聞いたことのある声が聞こえてきたのだ。
「(これは……歌、かな?)」
ふと気になり、公園の方へ向かう。聞こえる歌声が大きくなるにつれて、自然と足取りも速くなっていった。
声に驚いた訳じゃない。
「(……どういう事。この曲はまだ未発表、というか完成すらしてないはずなのに!)」
どこかから漏れたのか。いや、そもそも完成してない曲をどう真似て、どう歌えと言うのか。
ただの偶然?似ているだけ、なの?
『……〜〜♪』
歌声からして男性だろう。旋律は歪で、下手だと言っても差し支えないレベルだ。
同時に確信する。似ている、なんてものじゃない。旋律も呼吸も、間違いなくあたしのそれと同じだ、と。
「誰!?」
「うえっ」
曲を奪われたような気がして、それらしき人を見つけた瞬間、思わず叫んでしまった。
歌っていた少年は驚いて振り返り、あたしを見てさらに目を丸くした。かくいうあたしも、きっと同じような顔をしているだろう。
「……え?」
2人の声が重なった、気がした。
ある意味では忘れられない出会いをして、今日の絶不調の要因になった存在が、目の前にいたのだから。
「……将貴君?」
「……アリサ?」