バシャリ、と白い光が瞬いた。
鳴護アリサが少しだけポーズを変えて、それに合わせてシャッターが切られる。それを何度も繰り返して、カメラマンはようやく頷いた。
「はーい、1回休憩入りまーす」
その声を聞いて、ようやくあたしは安堵する。
今日の仕事は撮影だ。言われたスタジオに来たあたしは、まずそのメンバーに驚いた。
メイクや照明、カメラマンなど、その道のエキスパートが一同に集まっていたのだ。それに衣装も、被写体のあたしが萎縮するほど綺麗だった。
「ふう……」
視界の隅にいる、黒い制服の少年──前原将貴に目を向ける。彼だけはあたしが呼んだ、言わばお客さんだ。
『魔女』の襲撃から一晩。話し合った結果、あたし達はしばらく行動を共にすることにした。
昨晩の襲撃と、それが続くという推測。そして、それを撃退した彼の強さ。それを加味し、互いに納得した結論である。
「(……変な人)」
あたしは彼が嫌いだ。
向こうも多分、あたしを良く思ってない。
なのに、彼はあたしを守ってくれた。
なのに、彼はあたしに謝ってきた。
疑う余地が無いほど真摯に頭を下げる彼を、どうして突き放すことができようか。
「………」
「……?」
しかし今の彼は、昨晩とは対照的に冷めきっており、興味も無いように見えた。あまりの温度差に、どちらが本物なのか分からなくなる。
「おーい、そこの君」
「はい。なんでしょう」
「せっかくだ。君も見ていくといい」
将貴君がカメラマンに呼ばれて、撮ったばかりの写真を見せられる。少し遠くで、彼が不愉快そうに顔をしかめる。
「……将貴君、ちょっと来て」
「なんで?」
「いいから」
無性に腹が立ち、思わず彼を呼び寄せる。
メイク、照明、カメラマン、そして衣装。
その道のスペシャリストが撮った完璧な写真なのに、何がそんなに不満なのだ。
「写真に不満でもある?」
「別に」
「嘘つき。溜息ついてたくせに」
淡々とした口調に、あたしも素っ気なく返事をする。あたしが彼を嫌うように、彼もあたしに興味が無いみたいだ。
「あるならハッキリ言いなよ。隠されると余計気になるじゃん」
「……なら言うけど、なんだろうな。がっかりした」
「え?」
確かに言えとは言った。だが、ここまで直球で言われるとは思わなかった。
その声に悪意は感じない。そのぶん、彼が本心を述べているのが分かる。
「上手く言えないが……MVの時と比べて、表情が硬かった。というか、楽しそうじゃなかった」
「なっ」
「なんつーか、『撮らされてる』?そんな感じ」
湧き上がる怒りに、ぶるぶると拳が震える。
それは彼の言い方に怒った──のではなく、
「……なら、どうしろって言うの」
「ん?」
「力不足なのは分かってるよ。だからあたしは全力で、それ以上の力で、スタッフさんの期待に応えようと──」
「だから違うってば」
将貴君が首を横に振り、あたしの話を遮った。その声に宿るのは悪意ではなく、呆れ。
彼は素人──つまり誰よりもファンに近い、純粋な目で続けた。
「お前はアイドル、言わば現場の主役だろ。そのお前がカメラマンに合わせるどうする」
「……あっ」
「衣装がどうとか知らねぇよ。それを着てるのはお前だろ。カメラマンに『撮らせる』くらいの気概を持て」
主役は、あたし。
『撮る』のではなく『撮らせる』。
恐ろしく傲慢で、そしてシンプルな考えだ。少なくとも、あたしには思いつく事すら出来なかった。
「……簡単に言ってくれるね」
「真面目に受けとんなよ。素人の助言だぞ」
「いいよ。覚えておいてあげる」
「すげぇ言い草だな……」
「これでいいんでしょ。あと『お前』じゃなくて『アリサ』ね」
へいへい、と答える彼の顔に、ふと笑ってしまう。不思議なことに、気持ちは軽くなった。
断じて彼のおかげじゃない。人と話したことで緊張が取れた、それだけだ。
「(……撮らせる、ね。それってあたしの好きにしていいってこと?)」
言うは易く行うは難し。
少なくとも、1ヶ月やそこらの新人に求める技術じゃないが……まあ、やるだけやってみよう。どうせイマイチな写真なら、少し遊ぶくらいの気持ちの方が楽だ。
「……ふう」
主役は、あたし。
傲慢なくらいで、ちょうどいい。
「(……こう、かな?)」
*
綺麗だ、と。
前原将貴の胸に湧き上がったのは、そんなシンプルな感想だった。撮影など興味も無かったのに、今はアリサから目を離せないでいる。
「……すごいな」
異様、としか言えない。そこにいる少女は、本当にさっきと同じ人なのだろうか。少しずつ変化する表情には、先ほどの初々しさの欠片も無い。
周囲でスタッフがざわめき、慌てたカメラマンが必死にシャッターを切っている。
休憩時間が終わる頃には、予定していた全ての撮影が終了していた。
「あんな感じでよかった?」
「……いいんじゃないか。素直に驚いた」
「……普通に褒められるとなんか気持ち悪い」
「理不尽すぎない?」
アリサがけらけらと笑い、そのまま更衣室に向かった。足取りは軽く、雰囲気だけなら子供のように思える。
「………」
「あ、そうだ。キミ、ARISAちゃんの付き添いだろう?いい1枚が撮れたから、持っていくといい」
「……どうも」
カメラマンから封筒を受け取り、俺もさっさと退出する。その背筋に、薄ら寒いなにかがぬるりと走った。
〜〜〜
その後はもっぱらレッスンだ。
エンデュミオンという大舞台、練習してもしすぎることは無い。アリサ専属のトレーナーもそれを分かっており、先日よりリズムが数段早かった。
「……ふう」
額の汗を拭い、俺はスポーツドリンクを1口飲む。
と言っても、俺の汗はレッスンではなく自主鍛錬によるものだ。アリサを待つ間は暇だったので、トレーナーの許可のもと励んでいるだけである。
「(いつものメニューなのに、結構辛いな。やはり右腕が……)」
右腕をぐるぐると動かし、先日のイギリス、そして『魔女』のことを頭に浮かべる。
炎の巨人に掴まれ、炭となった俺の右腕。
しかし右腕はここにある。万全とは言い難いが、少なくとも正常に機能はしている。それも、僅か一晩で完治するという異例の早さ。
さらに『外』だった事を考えると、該当するのは1つ──つまり、『魔術』。
「(あの
俄には信じ難いが、三度も戦ったのなら信じざるをえない。
ならば、先日の魔女から奪った羽ペンを徹底的に調べれば、何か分かるのだろうか。もしや超能力を超える第2の異能に──
「(──考えない方がよさそうだな。変なゴタゴタに巻き込まれるのはゴメンだ)」
頭を振り、もう一度基礎鍛錬を始める。なにかに悩んだらまず鍛錬、というのが師匠の教えだ。というか、他にやる事が無い。
「ほう、良い筋肉をしているな。体に馴染んでいて自然体だ」
そのまま数十分か、数時間か。
無心で鍛錬していると、ふと後ろから声がかかった。見ると、長い黒髪のトレーナーが、感心したように俺を見ていた。その後ろには、ぐったりしたアリサが床に転がっている。
「体力も素晴らしい。動きがほとんど鈍らなかったし、集中力も途切れなかった」
「……ども」
「……ふむ。前原君、と言ったか。バックダンサーに興味は無いか?なんなら私が直接指導しても──」
「結構です」
残念だ、とトレーナーが笑う。どこまで本気なのか分からないが、悪く思われてないようで何よりだ。
「レッスンはもう終わったんですか」
「ああ、これ以上は鳴護の体力がもたんからな。技術は出来る限り叩き込んだ。あとは反復練習で身に付けるほかないだろう」
「分かりました。ありがとうございます」
退出するトレーナーに頭を下げて、その辺に転がるアリサに向き直る。
仰向けに寝るアリサは、服が汗で引っ着いており、2つのメロンが……こう、存在を強く主張していた。服の隙間から見える白い肌と、乱れた呼吸が妙に艶っぽくて──
「(……アホか)」
ぶんぶんと邪念を振り払う。ビンタされても変な考えを止めない自分にびっくりだ。
どうにか起こすべく、近くにあったバランスボールを弾いて、ぼすんとアリサに当てる。あうっ、という声が聞こえた。
「起きろアリサ。終わったなら帰るぞ」
「起こし方ってものがあるでしょー……びっくりしたじゃん……」
「でも肩とか叩いたら怒るんだろ」
「まあねー……」
アリサはむくりと起き上がり、バランスボールを弾き返してきた。俺もそれを弾いて、丁重にお返しする。
「………」
「………」
「………」
「………」
べちん、べちん、と無言のキャッチボールが続く。
すると何を思ったのか、アリサはバランスボールの上に立って、得意げに俺を見下ろしてきた。
「……なにしてんの?」
「ふふん、どう?あたし、結構鍛えてるから、これくらい余裕なんだよ」
「……バカと煙は何とやら」
「……へえ」
うっかり口にした本音が、アリサに火をつけてしまったらしい。ずんずんと迫るアリサは笑顔だが、背後には業火が吹き荒れている。
最近、アリサの事がどんどん分からなくなる。むしろこれが本来の姿か。
「……なかなか言うね。自分だって人の寝込みを襲うような大バカのくせに」
「だから違うっつの。アリサなんか好きで襲う訳ないだろ。んなもんこっちから願い下げだ」
「……それはそれでムカつく」
アリサがもう一度バランスボールに乗り、高い位置から俺を見下ろしてきた。虫を見るような冷たい目が無性に腹立たしい。
対抗すべく、俺も近くにあったバランスボールに乗り、アリサと対面する。
すぐ近くで睨み合う、バランスボールに立つ男女。なんとも異様な光景だ。
「……先に落ちた方が負けってことで」
「上等だ。言い訳でも考えてろ」
「その台詞、そっくりそのまま返す……よ!」
ふとアリサが手を伸ばし、俺を倒そうとしてきた。ギリギリで躱せたが、そのせいでバランスが大きく崩れる。
「てめ、セコいぞ!」
「妨害禁止なんて言ってないから、ね!」
肩、腕、そして胸。色んな場所を押して、どうにか俺を倒そうとするアリサ。
俺も反撃したいが、変な所に触れたりしたら今度こそ殺されかねないので、ひたすら躱すほかない。
「意外と粘るね……そりゃ!」
「このっ……やべっ」
「えいっ!」
ついにアリサの攻撃を受けて、重心が一気にズレた。アリサはその隙を逃さず、トドメと言わんばかりに両手で押してくる────が、勢いが強すぎてアリサもバランスを崩して、俺に向かって飛んできた。
ゴンッ!と俺とアリサのおでこがぶつかる。
「いだっ!?」
「ぐはっ!?」
どすんと地面が揺れて、背中に鈍い痛みが走った。そして、ふにゅんという柔らかすぎる感触も。
「いった……!」
「いっつ……!」
俺にのしかかるアリサが顔を上げた──瞬間、髪が触れ合うほど近くで、互いの目が合った。アリサの垂れ気味の瞳に、おでこを赤くした俺が映る。
「………」
「………」
時間が止まり、世界の色が薄れていく。モノクロの世界に見えるのは、鳴護アリサという1人の少女だった。
近くで見れば見るほど、その容姿には神の不公平を感じてしまう。長い鴇色の髪は柔らかく、グロスを薄く塗った唇が、仄かに存在を主張していた。
「………」
「………」
アリサは俺を嫌っているはず。なのに、互いに離れようとはしなかった。目を逸らしたらダメだと、脳がそう言っている。
時計の音はもう聞こえなかった。聞こえるのは鼓動音──うるさいほどの胸の高鳴りと、遠くに響く足音だけ。
……足音?
「──すまない、ヘアゴムを忘れていた。どこか、に……」
バタン!と。先ほどのトレーナーが勢いよくドアを開けた。が、強気な口調は萎れていき、やがて聞こえなくなる。
そこで、自分の状況を改めて見てみた。
部屋に2人きりの若い男女。荒い呼吸、汗だくの体、そしてトレーニングウェア──つまり薄着。
押し倒すような姿勢のアリサと、それを受け止める俺。そして、あまりに近過ぎる顔。
「……あー……その、なんだ……せめて人目のつかない所で、な」
乾いた笑いを残して、トレーナーはそそくさと出ていった。それを合図に、徐々に世界が色づいていく。
見えてきたのは、ぶるぶると震えて、火を吹きそうなほど顔を赤くするアリサだった。
「……目を瞑って」
「俺が何をしたって言うんだ……」
ガシィッ!!と物凄い勢いで胸ぐらを掴まれる。リミッターがぶっ壊れているのか、その力は異常に強い。
視界の真ん中に、見覚えのある絶対零度の視線が突き刺さる。逃がさない、という確固たる信念が伺える。
数秒後、それはそれは見事なビンタが炸裂した。