前原将貴からの突然のお誘いに、中村涼乃の心は踊った。彼が
学校は一緒でもクラスは違うし、家だって近くない。一緒にいることが多過ぎてメッセージアプリは逆に使わないため、話す機会が無いのだ。
前髪を入念にチェックし、私は指定されたショッピングモールに来た……のだが。
「久しぶりだね、涼乃ちゃん」
「…………そうだね」
黒い少年の隣には、巷で噂の現役アイドルがいた。その少女は可憐な衣装に身を包み、同性の私ですらドキリとする笑みを浮かべている。
私は将貴の腕を掴み、こっそり耳打ちした。
「将貴、どういうこと」
「言ってなかったか?これからアリサのイベントがあるから、その護衛を頼もうかと。今日ってオフだよね?」
「聞いてないんだけど」
「……なんか怒ってる?」
オロオロする将貴は見慣れた夏服ではなく、真っ黒のブレザーを着ていた。早めに衣替えをしたらしい。
「へえー。ふーん。へえ〜」
「……なんだアリサ、その顔は」
「別に?将貴くんもそんな表情するんだーって思っただけだよ?」
「見せモンじゃないぞ。さっさと準備しろ準備」
「はいはーい」
アリサちゃんがけらけら笑い、メイクの最終チェックで舞台袖に引っ込む。
なんか2人とも、前に見た時より仲が良い──というか遠慮が無くなってる?
「随分アリサちゃんと仲良くなったみたいだね。知らなかったよ」
「まあ、そこそこ」
「まさか、風紀委員を休んだのもアリサちゃんのために?」
「絶対に違う。誓ってもいい」
そこまでしなくても、さすがに冗談だと分かる。何でそこまで拒絶するのか、私にはよく分からない。
「……それで、何かあったの?」
「え?」
「意味もなく私を呼んだ訳じゃないでしょ?護衛って言ってたけど、目的はなに?」
「……んー、どう話したものか」
まず、アリサちゃんが狙われていること。
『敵』が来るかもしれないから、将貴はそれを追うから、私はアリサちゃんを守ること──などなど、将貴は心底嫌そうに話してくれた。
……言いたい事は山ほどあるが、時間も無いようだし、今はいいとしよう。
「……ねえ、将貴」
「なに?」
「大丈夫、だよね?」
将貴の制服を摘んで、ぽつりと呟く。
こんな心配は、本来なら必要ない。将貴は私が心配するほど弱くないし、好んで危険に身を投じるほど狂ってない。
だけど、事実として彼は戦ってばかりいる。まるで、戦いが彼を求めるかのように。
「怪我とか、しないよね?」
「当たり前だ」
「……そっか、分かった」
将貴がそう言ってくれるなら、これ以上聞く必要は無い。将貴が大丈夫と言うなら、大丈夫なのだ。
「あらー、お邪魔だったかなー?」
「出ていけアホめ」
「アホって言うな。バカ」
そんな空気を上書きするように、アリサちゃんが陰からひょこっと顔を出した。
ニヤニヤと意地悪な笑みを浮かべる彼女が、イメージとあまりに違っていて困惑する。
「もう準備は終わったのか」
「うん。メイクも完璧だってさ」
「……そうか?」
うーん、と将貴が顔を歪める。右手を顎に添えてるのを見て、メイクに不満があるんだと理解する。
私はとても綺麗だと思うけど……というか、将貴ってメイクとか分かるの?
「んー……いや、そうか」
「……なに、将貴くん。なにか不満?」
「いや、別に」
「今さら気なんて遣わないでよ。気持ち悪い」
「理不尽すぎない?」
おでこをぐりぐりしようとする将貴と、それを掴んで逆に折ろうとするアリサちゃん。なかなか意味が分からない構図である。
「あー、そっか。リップが変なんだ」
「へえ?」
将貴の言葉に、ふと唇に注目する。
アリサちゃんのリップはローズピンクで、大人っぽくオシャレな印象があった。整った容姿も合わさり、とても可愛いと私は思った。
「悪くないんだが、なんかこう、瑞々しくない」
「マットタイプ*1なんだから当たり前でしょ」
「アリサは髪も綺麗なんだから、唇でそこまで主張しなくていいだろ」
将貴はキッパリとそう言った。何でもないような一言だからこそ、本心なのだと分かってしまう。
それに髪『も』って……へえー。
「うーん。他に色は無いのか?」
「さあ。あたしは持ってないから、良いのがあるなら買ってきてよ。ここ、ショッピングモールだし」
それってただのパシリじゃ……と思って苦笑したが、将貴は考えるそぶりをして、やがて頷いた。
頼む、と私の肩を叩くと、そのままショッピングモールの中へ走っていった。
……本当に行くとか、何を考えてるんだろう。
「アリサ、ほれ」
「まさか本当に行くなんて……やっぱり将貴くんってバカだね」
「行かせといてその言い草かい」
数分後に戻ってきた将貴が差し出したのは、袋詰めもされていない、剥き出しのリップグロスだった。
でも悪いが、男の子かつ素人の将貴が選んだコスメなど、似合うはずが────アリサちゃんの目が輝いてる。なんでよ。
「……へえ、いいじゃん。変えてくるよ」
「アリサちゃん、本気?」
「うん」
アリサちゃんがそれを受け取り、そそくさと舞台袖に消える。やがて戻ってきた彼女に、私は息を飲んだ。
ほんのりとしたコーラルピンクと、ぷるりとツヤのあるシアータイプ*2の色合い。口元を軽めに仕上げた代わりに、全体の完成度が底上げされている。
似合うはずがないのに、蓋を開ければこれが正解としか思えない、そんなリップグロスだった。
「おー、やっぱその方が良いな。似合ってるぞ」
「なかなかやるね。ちょっと見直したかも」
「ふふん、俺は天才だからな」
「あたしの真似しないでよ」
思わぬセンスに愕然とする私に対し、2人はけらけらと笑い合うだけだ。その笑い方が似ていることに、私も思わず笑ってしまう。
「ARISAさーん。そろそろお願いしまーす」
「はーい」
スタッフさんに呼ばれ、アリサちゃんが舞台へ駆け上がる。近くから歓声が上がり、彼女がアイドルであることを実感して、なんだか遠くに感じた。
「じゃあ涼乃、あとは頼む」
「え、ライブは見て行かないの?」
「ライブには二度と来るなって言われてるからな」
「?」
そう言うと、将貴は不信げに目を細めて、そのまま人混みへと歩き出した。随分と早足だが、何か見つけたのだろうか。
「……せっかくのオフなのに」
1人残された私は、はあ、と大きく溜息をついた。白い髪留めを外して、手の中でそっと撫でる。
なんかもう、考えるのがバカらしくなってきた。もういい、せっかく話題のアイドルのライブに来たのだから、ゆっくり楽しんでいこう。
*
ドガッ!!という音が、人気のない地下に響いた。
音が何度も連続して、少しの沈黙が生まれる。その僅かな隙をつくように、前原将貴は息を整えた。
「ふー……」
再び構えて、眼前の『敵』に目をやる。
短い金髪にベネチアンマスク*3に黒マントを羽織るという、古いマジシャンのような印象の男だった。
ただのコスプレにも見えるが、経験からか、俺はそれが『魔術師』だと直感した。だから追ってみたのだが、どうやらビンゴらしい。
「(用もなくここには来ない。アリサが狙いだとすれば、仲間がいるのか?)」
この男が先日の『魔女』の仲間なのか、それは定かではない。だが、来るなら返り討ちにするまで。
アリサには涼乃がいるし、『もしも』は心配しなくていい。
「(それよりこの男……普通に強い)」
格闘術に長けてると言おうか、速度も力もかなり強い。どういう技術か知らないが、俺の対人格闘術は通じるのだろうか。
「(……遠距離から決めるか?)」
黒い制服──ブレザーの下にあるショルダーホルスターに意識を向ける。以前
「(いや、まだいい。銃声とか聞かれたら面倒だし)」
だんっ!!と男が踏み込んでくる。その瞬間、槍のような男の右足が、俺のすぐ傍を掠めた。
慌てて躱すが、直後に拳が迫るのが見えた。どんな技術なのだろう、タイムラグが無いどころか、同時に攻撃してるような速さである。
「(意味分かんねぇ、これが『魔術』なのか?)」
『前原将貴。無事か』
「うるせぇ後にしろ」
『ならこのまま聞け。部隊のメンバーがこの地下に爆弾を発見した。すぐに退避しろ』
「は?爆弾?」
耳に着けた通信機から聞こえた、物騒な単語に驚く。瞬間、バガンッ!!という音がした。
男の足刀蹴りが、俺の腕に直撃した──瞬間に弾かれて、倍の勢いで男が吹っ飛んだのだ。
『ああ、それも複数個だ。鳴護アリサの誘導はこちらでやるから、貴様もさっさと退避しろ』
「解除はできないのか」
『我々は特殊部隊じゃないし、いつ爆発するかも分からない。迂闊な真似はできない』
そう言うなり、ぶつりと通信が切れる。既に退避を始めたようだ。行動が早い。
俺は爆弾くらい平気だが、他はそうはいかない。早くこの男を何とかして、一般客の誘導をせねば。
「──!」
逡巡の隙をつくように、起き上がった男が肉薄した。その勢いを乗せた右足を躱して、その反対の足──軸足を横に薙いだ。当然、ぐらりと男の体勢が崩れる。
「とった」
思い切り踏み込み、その勢い全てを乗せた右手を、男の顎に突き上げる。男が転んだのも合わさり、バガンッ!!と壮絶な音がした。
「────」
ぐらついた男の右手──その人差し指を掴み、思い切り反対に回す。ミシミシと軋む音がして、バキリと折れる感触があった。
「……?」
男が地面を転がり、俺から距離をとる。確実に指を折ったのだが、男は気にしていない様子だ。
それに今の感触……なんだろう、骨にしては軸の無い、パイプのような感触だったが。
「?」
男は何でもないように起きると、懐から何かを取り出した。細長い箱にボタンがついた、スイッチのようなもの────それが何かを理解した時には、もう遅かった。
「待っ」
止める暇すら無かった。
口を開いた瞬間、苛烈なまでの光が炸裂する。それは迫り来る壁のように俺を飲み込み、思考の全てを吹き飛ばした。
*
結果だけ言えば、ライブイベントは大失敗に終わった。
イベントの途中に爆発が起き、特設のステージが倒壊したのだ。高さ数メートル、重さ数百キロという巨大なステージトラスが、だ。
『第七学区内ショッピングモールにて爆発が起きるも、奇蹟的に死傷者はゼロ──』
しかし、出た被害は小さなものだった。現場にいた風紀委員の活躍もあるだろうが、それでも死傷者ゼロとは、まさしく『奇蹟』と呼ぶに相応しい。
『ARISAの歌には奇蹟が宿っていると話題に。他にもこのような事が──』
はあ、と。鳴護アリサはネットニュースを読むのを止めて、大きく溜息をついた。
ここはあたしが住む女子寮、そのベランダだ。既に日は跨いでおり、頭上では満点の星たちが煌めいている。
あたしも服装はパジャマで、鴇色の長髪も自然に垂らしていた。部屋の電気も消してるし、あとは寝るだけだ。
「……奇蹟、か」
ネットニュースだけじゃない。テレビのアナウンサーもSNSも、街を歩く人でさえも、今日の事故をそう言っている。
さらにこの事件で、あたしの名前は『奇蹟』と共に爆発的に広がった。事実、曲の試聴回数も、この数時間で何十万回も増えている。
『奇蹟のアイドル・ARISA』は、あの瞬間に完成したのだ。
「………」
喉の奥から、強烈な吐き気が込み上げてくる。あたしに付き纏うその言葉が、あたしを見る信仰じみた視線が、気持ち悪くて仕方ない。
今まで力をくれた夢や理想に、あたしは埋もれそうになっていた。
「……まだ起きてるかな」
ケータイを取り出して、あまり使わないメッセージアプリを開く。『将貴くん(バカ)』という名前で登録している少年との会話を、意味もなく見返してみる。
『明日の授業は何時に終わる?』
『15時過ぎ』
『なら15時半に迎えに行くから』
『分かった』
今日の会話はこれだけだ。会話を辿っても似たようなものばかりで、見返す価値すら無い。その事が逆に面白かった。
しかし、今はそれが仇となった。
『忘れる前に言っとくけど、今回の件について明日に調書を取るから』
まさにその時、将貴くんからメッセージが届いた。当然、すぐに"既読"をつけてしまい、それは相手にも伝わる訳で。
『既読つくの早いな。何を見てたんだか』
ピコンと新たなメッセージが届く。急に恥ずかしくなり、慌てて違うと返信した。連絡先を交換してから、初めての無意味な会話であった。
『違うから。ただの偶然だから』
『見返すほどの会話も無いのに、偶然?』
『うるさい。またビンタされたいの?』
『味をしめるな。アレ割と痛いんだぞ』
『へえ。なら明日を楽しみにしててね』
『やめて。変な目で見られる』
『じゃあ人目の無いレッスン場でお見舞いしてあげる』
『トレーナーさんがまた誤解するぞ』
そのメッセージを見て、ピタリと指が止まる。先日の"バランスボール事件"を思い出して、急に顔が赤くなった。
「……は、はあ!?変なこと言わないでよバカ!」
スタンプだけ送って、そのままベッドにダイブする。もういい、変な会話はさっさと止めて、大人しく寝るとしよう。
ピコンと、メッセージが届く音がした。返信する気は無いが、一応見ておこうと思い、淡く光る画面表示を見つめる。
そこにはただ一言、こう書かれていた。
『おやすみ、アリサ』
「……おやすみ、将貴くん」