21時を過ぎた第七学区。とある学生寮の一室で、初春飾利は溜息をこぼした。夜も遅いため今は部屋着に着替えており、いつもの髪飾りも外している。
「だから本当だってばー、ねー」
「分かりましたって」
「もー、絶対信じてないじゃん」
語りかけてくるのは、同じルームメイトの佐天さんだ。彼女も部屋着だが、浮かび上がるプロモーションは、とても中学1年生のものとは思えない。
そんな彼女が執拗に語っているのは、私の先輩である前原さんについてである。
「本当だって。あのARISAが前原さんとデートしてたの!ちゃーんとこの目で見たんだから!」
「はあ。前原さんがどうやってアイドルと知り合うんですか」
「知らないよ!割り込めるような雰囲気じゃなかったもん!」
いつになく鼻息が荒い。嘘をついてるようには見えないが、流石に無理があると思う。
偶然アイドルと知り合う事などまずありえない。あったとすれば、それこそ奇蹟と言っていいだろう。
「前原さん、今はお休みなんでしょ?デートする時間ぐらいあるじゃん」
「だとしても、前原さんがデートなんてありえませんって。スズさんが聞いたら悲しみますよ」
「だから私も驚いてるんだってー!それにあの落ち着きよう、絶対何回もデートしてるはず!」
それにね!と佐天さんが付け加える。言いたくて仕方ないのか、僅かに前傾姿勢になっている。
「あの2人、なんだかそっくりなんだよ!」
「そっくり?」
「2人とも同じジュース飲んでたの。あのめっちゃマイナーなやつ」
「……それだけじゃ流石に」
「違う違う。ちょっとした仕草とか笑い方とか、何かすごい似てたんだよ!」
前原さんの仕草なんて覚えてないが、けらけらと笑う姿は想像できる。見ているこちらも笑えてくるような、そんな軽快な笑い方だ。
「そう言われましても。写真とか撮らなかったんですか?」
「普通に盗撮じゃん……バレたら私が怒られちゃうよ」
「なら、いくら佐天さんでも信じられませんよ」
「いや、盛夏祭では超カワイイ子を連れてたじゃん。ホラ、あの白髪の」
「……確かに」
固法先輩をはじめ、『例の白髪の子』のことは私達は何も知らない。スズさんは受け入れてるようだが、結局どこの誰なのだろうか。
一度調べてみたが、情報は何も出てこなかった。もしかして『外』の人だろうか?
「それにさ、たまに誰かと電話してるじゃん。結構砕けたカンジでさ。あの声は絶対女の子だって!」
「た、確かに……!?」
「こうしてる今も、もしかしたら女の子と一緒にいたりして!」
「はわわ……!」
思わず変な想像をしてしまい、脳がショートしてしまう。無いとは思うが、前原さんが慕われる理由が分かるからだ。
「前原さんって人助けも結構してるんでしょ?それで助けられた子と連絡を取り合ったりして」
ありえない話ではない。前原さんは校外活動がやたらと多い──そのぶん始末書も多いが──ため、誰と知り合ってもおかしくはない。
よく考えたら、前原さんの交友関係は変に広い気がする。伝説的カリスマを誇る金髪の副委員長さんとも、不思議と仲が良いようだし。
「うーん……ダメ元で直接前原さんに聞いてみようかな」
「無理だと思いますが……」
「なら例のウイスキーボンボンで」
「絶対やめてくださいね?」
わかってるよー、と笑う声がする。
無いとは思うが、今度会った時に聞いてみよう。やましい事がなければ、なんの問題も無いはずだ。
*
自分がなぜ歌うのか、鳴護アリサは考えたことがある。
歌うことが好きだから?
違う。歌うことしかできなかったからだ。
記憶も無ければ、家族も無い。名前すら与えられたあたしが、どう自分を表現するのか。それを考えて残ったのが、たまたま歌だっただけだ。
だからせめて歌では、せめてダンスでは、納得が行く結果を出さないといけない。
「はぁ、はぁ……」
喘ぐような呼吸が連続する。酸素が足りず、どれだけ吸っても足りない気がした。くらくらして明滅する視界の隅に、黒い何かが映る。
「休憩も無く2時間も……そりゃ倒れるよ」
見慣れた黒い少年が、覗き込むようにあたしを見下ろしていた。心底呆れたような表情に、こちらもむっとしてしまう。
「で、やってた振り付けは?」
「……全然」
「あっそう」
彼は興味無さげに視線を外し、ケータイのロック画面──時計を見せてきた。時刻は21時半──通常レッスンを含めると、レッスン場に来てから、もう4時間も経っている。
つまりあたしは、4時間もかけてステップの1つも満足に踊れなかった、ということになる。
「………」
ゆっくり立ち上がり、大きな鏡と対面する。
そこに映るあたしは、それはもうひどい姿だった。呼吸は乱れ、足は震えて、笑顔なんて見る影も無い。こんなあたしを見たら、ファンもガッカリするだろう。
「言っとくがもう帰るぞ。夜も遅いし、体も限界だろ」
「時間が無いの。それくらい許してよ」
「ダメだ。もう休め」
「うえぁっ!?」
ひゅんっ、と。首筋に冷たい何かが走り、思わず変な声を上げてしまった。
振り返ると、スポーツドリンクを持った将貴くんが、ニヤニヤと笑いながら立っている。
「……セクハラ」
「俺は触ってない。だから無罪だ」
「うるさいバカ。またビンタされたいの?」
「そんな口が聞けるなら大丈夫そうだな」
「ちぇっ」
スポーツドリンクを受け取り、ぐいーっと一気に流し込む。苛烈なまでの爽快感が喉の奥で弾けて、全身が生き返るのが分かった。
そんなあたしの横で、将貴くんは缶ジュース──いつもの『こだわりリンゴネクター』を飲んでいた。
「……あたしそっちがいいな。一口飲ませてよ」
「断る」
「セクハラした罰。よーこーせー」
あたしのワガママに呆れたのか、将貴くんは渋々それを渡してくれた。あたしは遠慮なく一気に飲み、心を癒していく。
疲れのせいか、いつもより甘い気がした。
「ぷはっ。やっぱりコレが1番好きかも。将貴くんと一緒なのは癪だけど」
「一言余計……ってオイ、飲み過ぎだろ。半分くらい減ってるんだが?」
「ふふんっ。ごちそうさま」
ペロッと舌を出して、からかうように謝る。将貴くんは呆れたようだが、文句も無くそれを飲み干した。実際『こだわりリンゴネクター』はかなり甘いため、2人で1缶くらいでちょうどいい。
……休憩で気を抜いたせいか、溜まっていた疲れがどっと押し寄せてきた。
「……はあ。なんかスイッチ切れちゃった。もういいよ帰る」
「ならさっさと着替えてこい」
「分かっ──」
大人しく更衣室に向かおうとする──が、思った以上に疲れていたのか、ぐらりと視界が揺れた。何がなんだか分からぬまま、体が傾いていく。
「っ──……?」
しかし、地面に叩きつけられる事は無かった。
胸の感触から、あたしが抱き留められたことを理解した。逞しい腕と厚い胸板が、あたしの胸としっかりと当たって────
「わぎゃぁっ!!」
「ぐへぇぁっ!!」
数秒後、それはそれは見事なビンタが炸裂した。
〜〜〜
「まだ怒ってる?」
「怒ってない」
「怒ってるじゃん」
「あのな、もう三度目だぞ三度目。仏だって黙っちゃいないだろうが」
30分後、ほっぺに大きな紅葉を咲かせた将貴くんを横に、あたし達は帰路についていた。
夜の第一一学区は閑散として、ひどく静かだ。アイドルのあたしにとって、人がいないのは幸いだが。
「ったく、よかれと思ってやったのに」
「ごめんって。余程の事が無い限り、今後は控えるからさ」
「余程の事って何だよ」
「あたしの布団に入ってくるとか?」
「あれは事故だって」
それはもう分かってるが、あたしだって年頃の女の子だ。異性と添い寝など、そう簡単に忘れられるはずがない。
その日の事を思い出して、なんだか恥ずかしくなる。ええい、何かで気を紛らわさないと。
「──♪」
「?」
「
周囲に誰もいない事を確認し、ゆったりと歌ってみる。無人の街という開放感から、思考がおかしくなっていたのかもしれない。
隣の将貴くんは引いてこそいないが、珍しいものを見たように眉をひそめた。
「なにそれ。デスメタ?」
「うん。あたし結構好きなんだけど、知らなかったでしょ?」
「それはいいが、仮にもアイドルが街中で歌うなよ。アホか」
「アホって言うな。別にいいでしょ、誰もいないんだし」
もう一度を見ても、周囲にはあたし達以外に誰もいない。気味が悪いほどの静けさだが、だからこそあたしも歌ったのだ。
「…………誰も?」
「うん」
「……まさか」
将貴くんはハッとして周囲を見渡し、右手を顎に添える仕草をした。彼が考える事をする時にする癖だ。
「………」
「……──♪」
「静かに」
「んあっ」
耳を引っ張られ、強引に歌を止められる。背筋がぞわぞわして、何だか変な感じがした。
将貴くんは知る由もないが、あたしは耳が弱いのだ。あと背中も。
「なにす──」
思わず抗議の視線を送るが、それは止められた。将貴くんの纏う雰囲気が、先ほどとは明らかに変質していたのだ。
言うならば、『切り替わった』。
『三度目になれば流石に気付くよ』
「え?」
将貴くんはニヤリと口を歪め、虚空に向けて英語で話しかけた。流暢なもので、彼があの名門・瀬川高校に通っていることを思い出す。
だが、そこには誰もいない──と、つい先ほどまで思っていた。
『下手な英語は止めてくれるかな。耳障りで仕方ないよ』
ゆらりと、景色が陽炎のように揺れて、そこから1人の男が現れた。
2メートルを超えるような巨体に、燃えるような赤い髪。神父のような格好だが、香水と煙草の匂いは強すぎて、思わず顔をしかめてしまう。毒々しいピアスに、目の下に彫られたバーコードのようなタトゥーと、神父でありながら不良のような印象を受けた。
『……おーう』
『反吐が出るのは僕の方さ。クリスマスを性交の日としか思ってないイカれた国に、誰が好き好んで来るものか』
『そのイカれた国に、わざわざ休暇を取ってまで来たのか。案内でもしてやろうか?』
『ははっ、英語も下手ならジョークも下手だね。呆れてものも言えないよ』
笑っているが、将貴くんの目は怖いほど冷めている。あまりの温度差に、取り残されたあたしは困惑するしかない。
『茶番はこれくらいにしよう。わざわざ魔術を使ってまで、なんの用だよ』
『魔術を受け入れるとは、科学サイドのくせに柔軟性はあるようだね。ほんの少しは見直してやるよ』
『科学サイド……?』
『ただの回収だよ。そこにいる不良品の、ね』
男があたしを指差すと、将貴くんは庇うようにあたしの肩を抱いて、ぎゅっと引き寄せた。落ち着いた彼の呼吸音が、すぐそばから聞こえる。
「将貴くん……?」
「大丈夫、心配すんな」
屈託なく笑う姿は普段そのもの。だが、それが上面である事は、流石のあたしでも分かった。
「舌噛むなよ」
「え?」
ぐんっ!!と。声が聞こえた瞬間、視界が一気に高くなった。全身に夜風が当たり、眼下には学園都市の夜景が広がっている。
彼があたしを抱えて跳んだのだ、という事に、少し遅れて気付いた。
「────、──」
ボソボソと呟く将貴くんを横目に、映画のワンシーンみたいだ、と悠長な事を思った。
あたしがどれだけ危険な立場にいるか。この時のあたしは、何も分かっていなかった。