とある風紀委員の日常   作:にしんそば

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第87話

 

 

 

 

 

セレモニーライブまであと2日。

ここにきて、鳴護アリサのパフォーマンスは飛躍的に向上していた。踊れば踊るほど、歌えば歌うほど磨かれていく技術に、トレーナーたちは驚いたことだろう。

 

「(すごい──やりたいこと、ぜんぶ出来る!)」

 

たんっ、たたんっ、と。床を跳ねる音が、広いトレーニングルームに響く。

指先まで意識しつつ、しかし力むことなく。最適化されつつあるダンスに、あたし自身が驚く。この調子なら、エンデュミオンのライブも最高のものになるだろう、と確信した。

 

「………」

 

ちらりと部屋の隅を見る。そこには、灰色のシャツと黒いズボンを履いた少年、前原将貴がいた。

認めたくないが、この絶好調の原因は、間違いなく彼の一言だ。

 

あたしの歌は『奇蹟』だけじゃない。

 

たったそれだけの言葉に、あたしがどれだけ救われたか。きっと彼は知らないし、知らなくていい。

 

「(……無遠慮で、口が悪くて、人の寝込みを襲うような変態のくせに)」

 

そんな将貴くんは、1人黙々と筋トレをしている。トレーニングルームにはあたし達2人しかいないのに、将貴くんはあたしを見ようともしない。

それが妙に悔しくて、あたしは少し激しいステップをした。しかし、それがまずかった。

 

「きゃあ!?」

 

将貴くんに気を取られる中での、ステップの変更。最適化されていたぶん、その突然の変化に、あたしが追いつけなくなったのだ。

あたしの足はもつれて、腰から床に倒れてしまう。

 

「──いったぁ!」

「……なにしてんだよ」

 

床に転がって痛がるあたしに、近くに来た将貴くんは冷ややかな視線を向けてきた。

タオルで拭いてはいるが、すごい量の汗だ。将貴くんは思いのほかストイックらしい。

 

「腰打ったのか?無茶なステップするからだ」

「げっ。見てたの?」

「偶然見えただけだ。ほら、起きろ」

「ん、ありがと」

 

将貴くんに手を引かれて、そのまま立ち上がる。軽く礼を言うと、彼はひどく驚いた様子であたしを見つめた。失礼な人だ。

 

「まぁいい。今日はもう帰ろう。時間も遅いし」

「えー。まだ夜の9時じゃん」

「最近休んでないだろ?急に出来るようになったのは良かったが、体力のことも考えろ」

「ちぇっ」

 

そういう所はよく見てる将貴くんだ、と口を尖らせる。

確かに体力は技術と違い、ある日急激に伸びることはない。調子に乗って怪我でもしたら、それこそ本末転倒だ。

 

「なら、あたしシャワー浴びてくるね。覗かないでよ?」

「……んなっ、覗かねぇよ!さっさと行け!」

 

バタン!と勢いよくシャワー室の扉を閉める。

こうやって将貴くんを揶揄うのは、もう何度目だろう。いつもの流れだが、何度やっても面白いものだ。最近は顔も赤くして、否定に必死さが見え隠れするようになった。

 

それが面白い。ただ、それだけだ。

 

「……そんな反応しないでよ」

 

だから、あたしの頬が急に熱くなったのも、きっと気のせいに違いない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……なに?」

 

怪訝な声を漏らすのは、黒い制服を着た前原将貴である。既に着替えは済んでおり、あとはアリサを待つだけだ。

しかし今は、突然かかってきた『所有者』からの電話に、ただ愕然としていた。

 

「アリサは『外』の人間なのか……?」

『厳密には、『88の奇蹟』以前の所在が無い、かなー』

 

電話口で飄々と話すのは、直属の上司である松浦奏だ。小さな体躯に、驚くほどの叡智を詰め込んだ彼女の声に、動揺の色は無い。

 

「『88の奇蹟』?あの航空機事故か?」

『うん。しょーくんもよく知ってるでしょ?』

 

『88の奇蹟』と言えば、1年前の8月10日に起きた航空機事故の名だ。

エンジントラブルにより帰還が絶望的な状況で、乗員88名全員が無傷で生還したという、航空機史上最大の奇蹟として記憶に刻まれている。

 

同時に、八月十日事件を隠匿するための当て馬として、奏が利用した事件でもある。

 

『アリサはどうやら、例の事件の生存者みたい。でも、なんか変なのよ』

「変?」

『乗員名簿に、鳴護アリサなんて名前は存在してないんだよねー』

 

生存者名簿には載っているが、乗員名簿には載っていない。奏が言うには、そういう事らしい。

では、鳴護アリサとは何者なのか?

 

『それで、これも気になったんだけど』

「なんだ?」

『アリサの代わりに、生存者名簿から消えてる名前があるんだよねー。ディダロス=セクウェンツィアって言うんだけど』

「なっ」

 

セクウェンツィア。

それは、アリサを護衛する『黒鴉部隊』のリーダー、シャットアウラの姓ではなかったか?

 

シャットアウラの父親が、『88の奇蹟』で死んだ?

 

『この時点で消息が絶ってるし、亡くなったって考える方が自然かなー』

「……ちょっと待て。話が見えなくなった」

『要は『88の奇蹟』は、存在しないはずの鳴護アリサによって作られたもの、ってこと』

 

シャットアウラの父親は、『88の奇蹟』で唯一の死者となった。その代わりに突如現れ、いないはずの88人目の生存者を演じた人物──それがアリサ。

オービット・ポータルはこの『奇蹟』を大々的に売り出し、『死者はいない』として、シャットアウラの父親の死は隠された──ということか。

 

「……待て。それだと、アリサはどこから来たんだ?まさか空中で突然現れたとでも?」

『んー。考えにくいけど、可能性はあるねー。なんせ、ここは学園都市だし』

「……流石に無理があるだろ」

『さあ。それこそ『奇蹟』が起きたんじゃない?』

 

奏は、俺など比較にならないほど聡明だ。その奏が『奇蹟』という曖昧な存在を口にしたのは、それ以外の可能性の方が少ない、と認めたことと同義だ。

 

「アリサの存在が、『奇蹟』そのもの……?」

『分からないけど、とりあえずアリサは『そういう類』の存在だから。色々と注意してねー』

 

言うだけ言うと、奏は一方的に電話を切った。奏の話は荒唐無稽極まりないのに、どこか納得している自分がいる。

 

魔術師。聖人。レディリー。シャットアウラ。

そして奇蹟。

 

すべてがアリサに集ったのではなく、アリサを中心にすべてが始まった。そう考えた方が、よほど合理的と思える。

 

そして、そのすべてを破壊して、アリサが歌えるようにする覚悟なら、とうの昔にできている。

 

「おまたせー」

「待ったよ」

「そこは嘘でも『待ってない』って言いなよ」

「俺は嘘つくの苦手なんだよ」

「知ってる」

 

なんせ俺は、アリサの()()()なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜の○○学区は、昼の賑わいが嘘のように静まり返っていた。空はどこまでも澄んで、星は鋭く瞬いている。

少ない明かりに照らされて、ちょろちょろと流れる噴水の音だけが、遠くに響いていた。

 

「………」

「………」

 

鳴護アリサと前原将貴は、その沈黙を壊さぬように、ただ無言で歩いていた。

しかし気まずい訳でもなく、むしろ一抹の心地良さすら感じるあたしがいる。

 

「……──♪」

 

気分が乗り、ついいつもの歌を口ずさむ。これを歌うと、どんな時でも落ち着くという、魔法の歌だ。

 

「……〜〜♪」

 

それを聴いた将貴くんも、同じ歌を口にする。あたしが見ると、将貴くんは恥ずかしそうに目を逸らした。

誰にも教えてない曲なのに、どうして将貴くんは知ってるのか。気にはなるが、聞こうとは思わない。

 

「──♪」

「〜〜♪」

「「〜〜♪────♪」」

 

さらに気分が乗り、振り付けの一部を軽くやってみる。将貴くんも立ち止まり、口ずさんだままあたしを見つめる。

そして最後。夜空に手を伸ばしたような体勢で、歌は終わった。

 

相変わらず、将貴くんの歌は下手だ。でも、ズレているはずの将貴くんの旋律は、あたしのそれと、不思議なくらいぴったりと重なっていた。

 

「……くくっ」

「……ふふっ」

 

どちらともなく、互いに笑い合う。けらけらした笑い方も似ていて、それがまた可笑しかった。こうして、一緒にいるだけで楽しい人なんて、初めて会った気がする。

 

「なんだか不思議な気分。今なら星にも手が届きそうだよ」

「伸ばした分だけ、確実に近付いてはいるからな」

 

答えて、また2人して笑い合う。

そのせいだろうか。誰にも明かさなかったあたしの秘密を話すことに、抵抗はなにも無かった。

 

「あたしね、1年より前の記憶が無いの」

 

無意識のうちに、あたしはそう言った。

将貴くんは僅かに反応したが、それ以上は何も言わない。変に言及されなかったぶん、あたしは続きを話しやすかった。

 

「『88の奇蹟』って知ってる?そこにいたのが、あたしの1番古い記憶」

 

首から下げた巾着袋から、三日月の形をした何かを取り出す。青い装飾が施されたそれは、ブローチの欠片のようだった。

 

「あたしが持っていたのは、この欠片と、アリサっていう名前だけ。だから、これが自分だって言えるものが何も無くてさ」

 

親も友人もいないあたしは、施設を頼るしかなかった。しかし、あたしを研究対象としか見ない場所が、心地良いはずもない。

 

「勉強とかもダメで、能力も無能力者(レベル0)。そんなあたしに唯一できたのが、歌を歌うこと。歌を歌うだけで、あたしの心は温かくなれた」

 

そう言った意味では、あたしは運が良いと思う。これをすればいい、というのが、はっきりと示されているのだから。

でも、目標を見つけたからと言って、その道が平坦であるとは限らない。

 

「でも、その歌も嫌になりそうだった。奇蹟奇蹟って、誰も『あたしの歌』を聴いてくれなかったもん」

 

世間で話題になる度に、歌いたい気持ちが弱っていった。あたしに付き纏う『奇蹟』という言葉が、あたしを見る信仰じみた視線が、気持ち悪くて吐きそうだった。

 

「あたしがアイドルになれたのも、何か大きな思惑があるからでしょ?そう考えたら、あたしの意思なんて関係ないんだな、って思っちゃってさ」

 

歌より『奇蹟』。あたしより『ARISA』。

オービット・ポータル社にとって、アイドルは商品でしかない。レディリー=タングルロードにとって、あたしは奇蹟を生むものでしかない。

 

『あたしの歌』なんてものは、誰にも必要とされていないんだと、そう思うことすらあった。

 

「……わりーな。アリサが何で悩んでるか、あんま分かんなかった」

 

少し間を置いて、将貴くんはそう言った。ふっと微笑んで、なんでもないようにこう続ける。

 

「アリサはさ、自分から問題を難しくしてねーか?」

「あたしから?」

「アリサは、アイドルになりたい、ファンに歌を届けたいっていう目標があるんだろ?」

「……それは、そうだけど」

「なら、悩む前にまず突き進め。道を選べるほどの余裕は、今のアリサには無いだろ」

 

好き勝手言ってくれる。でも、悔しいことに的を射ている。

セレモニーライブは2日後。エンデュミオンは国家規模のプロジェクトだ。下手にあたしが足掻いてもどうにもならないだろう。

なにより、ファンを裏切ることになる。それだけは絶対にしたくない。

 

「……ならさ。その道が傷だらけで、今にも崩れ落ちそうでも……あたしは進むべきなの?」

「アリサはもう、その道を進んでる。進める強さが、アリサにはある」

 

──レディリー=タングルロードの誘いを受けた時点で、あたしの道は決まっていた。

しかし、アイドルとして厳しいレッスンを行い、ファンが満足するパフォーマンスを発揮できるかは、全部あたしにかかっている。

 

「それに、たとえその道が崩れたとしても、必ず俺が駆けつけるよ。前にそう言ったからな」

 

呼ばれりゃの話だが、と将貴くんは笑う。

 

嘘ばっかり。

将貴くんはいつも、あたしが呼ばなくても駆けつけてくれるじゃないか。最初に会った時も、その次も。突然現れて、頼んでもないのに助けてくれたじゃないか。

 

「それに、だ。前も言ったが、みんなに奇蹟を届けたいと思えるアリサの意思は、奇蹟なんかよりずっと特別だ」

 

なんだか恥ずかしくなって、毛先を結んだ髪を意味も無くいじる。よくもそんな台詞を、表情も変えずに口にできるものだ。

 

「アリサの歌は、アリサの進む道は、奇蹟なんて曖昧なものじゃ揺らがない。俺でもそれくらい分かる」

 

そう言うと、将貴くんも恥ずかしくなったのか、すっと後ろを向いてしまう。

今の言葉は、将貴くんが本音だ。そしてそれは、『ファン』ではなく、あたしと対等な立場から言われたものだと、何となく分かる。

 

「……恥ずかしいなら言わなきゃいいのに」

「……今じゃないと言わねぇよ、こんなこと」

 

とんっ、と。将貴くんに背中に頭を当てる。後ろから手を回すと、体全体で将貴くんが感じられた。

 

記憶喪失で、天涯孤独。

ゆえにあたしは、他人の体温を感じたことがほとんどない。だからこそ、将貴くんの温かさが、すっと胸の奥へ入っていった。

 

「……ライブに来るなって言葉、取り消す。だから、セレモニーライブには絶対来て。忘れられないライブにしてあげるから」

「……そんなこと言わなくても、忘れないから」

 

あたしの手を取り、改めてあたしと向き合って、将貴くんはそう言った。

その視線の前では、『ARISA』の仮面なんて役に立たない。背を向けようにも、あたしの手は将貴くんに握られて、振りほどけない。あたしでも、それくらい分かる。

 

「アリサの歌はアリサから生まれた。だからアリサは、どんな時でもきっと歌える」

 

「だからもし、何かあったら」

 

「怖くて、体が震えて、どうしようもなくなったら」

 

「そのときは──」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

航空・宇宙開発の拠点、第二三学区。

闇夜を貫き、尊大と聳え立つエンデュミオンの地下に、不遜な声が響く。プロジェクトの主導者、レディリー=タングルロードである。

 

「こんな遅くに悪いわね。シャットアウラ」

「いえ。構いません。それで、用件はなんでしょう」

「これは命令よ。理由は聞かないことね」

「はい。分かりました」

 

その前置きに、シャットアウラが僅かに身構える。世の中を常に見下したようなレディリーが、そのような念押しをするのは初めてのことだ。

 

いつになく真剣に、レディリーは告げた。

 

「前原将貴を、絶対にエンデュミオンに来させないこと。もし来たら、あの子は死ぬわよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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