セレモニーライブまであと2日。
ここにきて、鳴護アリサのパフォーマンスは飛躍的に向上していた。踊れば踊るほど、歌えば歌うほど磨かれていく技術に、トレーナーたちは驚いたことだろう。
「(すごい──やりたいこと、ぜんぶ出来る!)」
たんっ、たたんっ、と。床を跳ねる音が、広いトレーニングルームに響く。
指先まで意識しつつ、しかし力むことなく。最適化されつつあるダンスに、あたし自身が驚く。この調子なら、エンデュミオンのライブも最高のものになるだろう、と確信した。
「………」
ちらりと部屋の隅を見る。そこには、灰色のシャツと黒いズボンを履いた少年、前原将貴がいた。
認めたくないが、この絶好調の原因は、間違いなく彼の一言だ。
あたしの歌は『奇蹟』だけじゃない。
たったそれだけの言葉に、あたしがどれだけ救われたか。きっと彼は知らないし、知らなくていい。
「(……無遠慮で、口が悪くて、人の寝込みを襲うような変態のくせに)」
そんな将貴くんは、1人黙々と筋トレをしている。トレーニングルームにはあたし達2人しかいないのに、将貴くんはあたしを見ようともしない。
それが妙に悔しくて、あたしは少し激しいステップをした。しかし、それがまずかった。
「きゃあ!?」
将貴くんに気を取られる中での、ステップの変更。最適化されていたぶん、その突然の変化に、あたしが追いつけなくなったのだ。
あたしの足はもつれて、腰から床に倒れてしまう。
「──いったぁ!」
「……なにしてんだよ」
床に転がって痛がるあたしに、近くに来た将貴くんは冷ややかな視線を向けてきた。
タオルで拭いてはいるが、すごい量の汗だ。将貴くんは思いのほかストイックらしい。
「腰打ったのか?無茶なステップするからだ」
「げっ。見てたの?」
「偶然見えただけだ。ほら、起きろ」
「ん、ありがと」
将貴くんに手を引かれて、そのまま立ち上がる。軽く礼を言うと、彼はひどく驚いた様子であたしを見つめた。失礼な人だ。
「まぁいい。今日はもう帰ろう。時間も遅いし」
「えー。まだ夜の9時じゃん」
「最近休んでないだろ?急に出来るようになったのは良かったが、体力のことも考えろ」
「ちぇっ」
そういう所はよく見てる将貴くんだ、と口を尖らせる。
確かに体力は技術と違い、ある日急激に伸びることはない。調子に乗って怪我でもしたら、それこそ本末転倒だ。
「なら、あたしシャワー浴びてくるね。覗かないでよ?」
「……んなっ、覗かねぇよ!さっさと行け!」
バタン!と勢いよくシャワー室の扉を閉める。
こうやって将貴くんを揶揄うのは、もう何度目だろう。いつもの流れだが、何度やっても面白いものだ。最近は顔も赤くして、否定に必死さが見え隠れするようになった。
それが面白い。ただ、それだけだ。
「……そんな反応しないでよ」
だから、あたしの頬が急に熱くなったのも、きっと気のせいに違いない。
*
「……なに?」
怪訝な声を漏らすのは、黒い制服を着た前原将貴である。既に着替えは済んでおり、あとはアリサを待つだけだ。
しかし今は、突然かかってきた『所有者』からの電話に、ただ愕然としていた。
「アリサは『外』の人間なのか……?」
『厳密には、『88の奇蹟』以前の所在が無い、かなー』
電話口で飄々と話すのは、直属の上司である松浦奏だ。小さな体躯に、驚くほどの叡智を詰め込んだ彼女の声に、動揺の色は無い。
「『88の奇蹟』?あの航空機事故か?」
『うん。しょーくんもよく知ってるでしょ?』
『88の奇蹟』と言えば、1年前の8月10日に起きた航空機事故の名だ。
エンジントラブルにより帰還が絶望的な状況で、乗員88名全員が無傷で生還したという、航空機史上最大の奇蹟として記憶に刻まれている。
同時に、八月十日事件を隠匿するための当て馬として、奏が利用した事件でもある。
『アリサはどうやら、例の事件の生存者みたい。でも、なんか変なのよ』
「変?」
『乗員名簿に、鳴護アリサなんて名前は存在してないんだよねー』
生存者名簿には載っているが、乗員名簿には載っていない。奏が言うには、そういう事らしい。
では、鳴護アリサとは何者なのか?
『それで、これも気になったんだけど』
「なんだ?」
『アリサの代わりに、生存者名簿から消えてる名前があるんだよねー。ディダロス=セクウェンツィアって言うんだけど』
「なっ」
セクウェンツィア。
それは、アリサを護衛する『黒鴉部隊』のリーダー、シャットアウラの姓ではなかったか?
シャットアウラの父親が、『88の奇蹟』で死んだ?
『この時点で消息が絶ってるし、亡くなったって考える方が自然かなー』
「……ちょっと待て。話が見えなくなった」
『要は『88の奇蹟』は、存在しないはずの鳴護アリサによって作られたもの、ってこと』
シャットアウラの父親は、『88の奇蹟』で唯一の死者となった。その代わりに突如現れ、いないはずの88人目の生存者を演じた人物──それがアリサ。
オービット・ポータルはこの『奇蹟』を大々的に売り出し、『死者はいない』として、シャットアウラの父親の死は隠された──ということか。
「……待て。それだと、アリサはどこから来たんだ?まさか空中で突然現れたとでも?」
『んー。考えにくいけど、可能性はあるねー。なんせ、ここは学園都市だし』
「……流石に無理があるだろ」
『さあ。それこそ『奇蹟』が起きたんじゃない?』
奏は、俺など比較にならないほど聡明だ。その奏が『奇蹟』という曖昧な存在を口にしたのは、それ以外の可能性の方が少ない、と認めたことと同義だ。
「アリサの存在が、『奇蹟』そのもの……?」
『分からないけど、とりあえずアリサは『そういう類』の存在だから。色々と注意してねー』
言うだけ言うと、奏は一方的に電話を切った。奏の話は荒唐無稽極まりないのに、どこか納得している自分がいる。
魔術師。聖人。レディリー。シャットアウラ。
そして奇蹟。
すべてがアリサに集ったのではなく、アリサを中心にすべてが始まった。そう考えた方が、よほど合理的と思える。
そして、そのすべてを破壊して、アリサが歌えるようにする覚悟なら、とうの昔にできている。
「おまたせー」
「待ったよ」
「そこは嘘でも『待ってない』って言いなよ」
「俺は嘘つくの苦手なんだよ」
「知ってる」
なんせ俺は、アリサの
*
夜の○○学区は、昼の賑わいが嘘のように静まり返っていた。空はどこまでも澄んで、星は鋭く瞬いている。
少ない明かりに照らされて、ちょろちょろと流れる噴水の音だけが、遠くに響いていた。
「………」
「………」
鳴護アリサと前原将貴は、その沈黙を壊さぬように、ただ無言で歩いていた。
しかし気まずい訳でもなく、むしろ一抹の心地良さすら感じるあたしがいる。
「……──♪」
気分が乗り、ついいつもの歌を口ずさむ。これを歌うと、どんな時でも落ち着くという、魔法の歌だ。
「……〜〜♪」
それを聴いた将貴くんも、同じ歌を口にする。あたしが見ると、将貴くんは恥ずかしそうに目を逸らした。
誰にも教えてない曲なのに、どうして将貴くんは知ってるのか。気にはなるが、聞こうとは思わない。
「──♪」
「〜〜♪」
「「〜〜♪────♪」」
さらに気分が乗り、振り付けの一部を軽くやってみる。将貴くんも立ち止まり、口ずさんだままあたしを見つめる。
そして最後。夜空に手を伸ばしたような体勢で、歌は終わった。
相変わらず、将貴くんの歌は下手だ。でも、ズレているはずの将貴くんの旋律は、あたしのそれと、不思議なくらいぴったりと重なっていた。
「……くくっ」
「……ふふっ」
どちらともなく、互いに笑い合う。けらけらした笑い方も似ていて、それがまた可笑しかった。こうして、一緒にいるだけで楽しい人なんて、初めて会った気がする。
「なんだか不思議な気分。今なら星にも手が届きそうだよ」
「伸ばした分だけ、確実に近付いてはいるからな」
答えて、また2人して笑い合う。
そのせいだろうか。誰にも明かさなかったあたしの秘密を話すことに、抵抗はなにも無かった。
「あたしね、1年より前の記憶が無いの」
無意識のうちに、あたしはそう言った。
将貴くんは僅かに反応したが、それ以上は何も言わない。変に言及されなかったぶん、あたしは続きを話しやすかった。
「『88の奇蹟』って知ってる?そこにいたのが、あたしの1番古い記憶」
首から下げた巾着袋から、三日月の形をした何かを取り出す。青い装飾が施されたそれは、ブローチの欠片のようだった。
「あたしが持っていたのは、この欠片と、アリサっていう名前だけ。だから、これが自分だって言えるものが何も無くてさ」
親も友人もいないあたしは、施設を頼るしかなかった。しかし、あたしを研究対象としか見ない場所が、心地良いはずもない。
「勉強とかもダメで、能力も
そう言った意味では、あたしは運が良いと思う。これをすればいい、というのが、はっきりと示されているのだから。
でも、目標を見つけたからと言って、その道が平坦であるとは限らない。
「でも、その歌も嫌になりそうだった。奇蹟奇蹟って、誰も『あたしの歌』を聴いてくれなかったもん」
世間で話題になる度に、歌いたい気持ちが弱っていった。あたしに付き纏う『奇蹟』という言葉が、あたしを見る信仰じみた視線が、気持ち悪くて吐きそうだった。
「あたしがアイドルになれたのも、何か大きな思惑があるからでしょ?そう考えたら、あたしの意思なんて関係ないんだな、って思っちゃってさ」
歌より『奇蹟』。あたしより『ARISA』。
オービット・ポータル社にとって、アイドルは商品でしかない。レディリー=タングルロードにとって、あたしは奇蹟を生むものでしかない。
『あたしの歌』なんてものは、誰にも必要とされていないんだと、そう思うことすらあった。
「……わりーな。アリサが何で悩んでるか、あんま分かんなかった」
少し間を置いて、将貴くんはそう言った。ふっと微笑んで、なんでもないようにこう続ける。
「アリサはさ、自分から問題を難しくしてねーか?」
「あたしから?」
「アリサは、アイドルになりたい、ファンに歌を届けたいっていう目標があるんだろ?」
「……それは、そうだけど」
「なら、悩む前にまず突き進め。道を選べるほどの余裕は、今のアリサには無いだろ」
好き勝手言ってくれる。でも、悔しいことに的を射ている。
セレモニーライブは2日後。エンデュミオンは国家規模のプロジェクトだ。下手にあたしが足掻いてもどうにもならないだろう。
なにより、ファンを裏切ることになる。それだけは絶対にしたくない。
「……ならさ。その道が傷だらけで、今にも崩れ落ちそうでも……あたしは進むべきなの?」
「アリサはもう、その道を進んでる。進める強さが、アリサにはある」
──レディリー=タングルロードの誘いを受けた時点で、あたしの道は決まっていた。
しかし、アイドルとして厳しいレッスンを行い、ファンが満足するパフォーマンスを発揮できるかは、全部あたしにかかっている。
「それに、たとえその道が崩れたとしても、必ず俺が駆けつけるよ。前にそう言ったからな」
呼ばれりゃの話だが、と将貴くんは笑う。
嘘ばっかり。
将貴くんはいつも、あたしが呼ばなくても駆けつけてくれるじゃないか。最初に会った時も、その次も。突然現れて、頼んでもないのに助けてくれたじゃないか。
「それに、だ。前も言ったが、みんなに奇蹟を届けたいと思えるアリサの意思は、奇蹟なんかよりずっと特別だ」
なんだか恥ずかしくなって、毛先を結んだ髪を意味も無くいじる。よくもそんな台詞を、表情も変えずに口にできるものだ。
「アリサの歌は、アリサの進む道は、奇蹟なんて曖昧なものじゃ揺らがない。俺でもそれくらい分かる」
そう言うと、将貴くんも恥ずかしくなったのか、すっと後ろを向いてしまう。
今の言葉は、将貴くんが本音だ。そしてそれは、『ファン』ではなく、あたしと対等な立場から言われたものだと、何となく分かる。
「……恥ずかしいなら言わなきゃいいのに」
「……今じゃないと言わねぇよ、こんなこと」
とんっ、と。将貴くんに背中に頭を当てる。後ろから手を回すと、体全体で将貴くんが感じられた。
記憶喪失で、天涯孤独。
ゆえにあたしは、他人の体温を感じたことがほとんどない。だからこそ、将貴くんの温かさが、すっと胸の奥へ入っていった。
「……ライブに来るなって言葉、取り消す。だから、セレモニーライブには絶対来て。忘れられないライブにしてあげるから」
「……そんなこと言わなくても、忘れないから」
あたしの手を取り、改めてあたしと向き合って、将貴くんはそう言った。
その視線の前では、『ARISA』の仮面なんて役に立たない。背を向けようにも、あたしの手は将貴くんに握られて、振りほどけない。あたしでも、それくらい分かる。
「アリサの歌はアリサから生まれた。だからアリサは、どんな時でもきっと歌える」
「だからもし、何かあったら」
「怖くて、体が震えて、どうしようもなくなったら」
「そのときは──」
*
航空・宇宙開発の拠点、第二三学区。
闇夜を貫き、尊大と聳え立つエンデュミオンの地下に、不遜な声が響く。プロジェクトの主導者、レディリー=タングルロードである。
「こんな遅くに悪いわね。シャットアウラ」
「いえ。構いません。それで、用件はなんでしょう」
「これは命令よ。理由は聞かないことね」
「はい。分かりました」
その前置きに、シャットアウラが僅かに身構える。世の中を常に見下したようなレディリーが、そのような念押しをするのは初めてのことだ。
いつになく真剣に、レディリーは告げた。
「前原将貴を、絶対にエンデュミオンに来させないこと。もし来たら、あの子は死ぬわよ」