『明日 晴れるかな 空を見る──』
『満点の星たち 煌めく──』
『手を伸ばしたら 届きそうだねと──』
『笑い合ったら ふたり また歩き出す────♪』
*
パチッ、と。なんの前触れも無く、前原将貴は目を覚ました。それと同時に、蒼銀の奔流も、顔に入った黄金のヒビも止まる。
驚いた当麻とインデックスを無視して、俺はすっと立ち上がり、静かに呟いた。
「……アリサ」
当麻が眉をひそめる。インデックスは周りを見渡すが、誰もいなかったのか、首を傾けて俺に問いかけた。
「アリサがどうかしたの?」
「アリサの歌だ。聴こえないのか?」
「……?何も聴こえないよ?」
「いや、確かに聴こえるんだ」
耳には何も届いていないかもしれない。いや、距離を考えると、聴こえる方がおかしい。当麻やインデックスの方が正しいに決まってる。
なのに、『分かる』。
アリサの歌が、確かに聴こえるのだ。
「……前原、大丈夫か?」
「……いや。すげぇ頭が痛い。今にも意識が飛びそうだ」
「なら休んでた方が」
「でも、やりたいことは分かる」
インデックスの静止を宥め、ゆっくりと歩き出す。当麻とインデックスは理解が追い付かないようだが、俺だって同じだ。それどころか、
ただ今は、1つの目的に駆られているだけ。合理性も整合性も、何も持ち合わせていない。不自然なほど鮮明な意識だけが、そこにあった。
「……っ」
ズキンッ、と。頭の裏に痛みが走る。頭蓋骨の内側を引っ掻いたような、重く鋭く、奥まで届く強烈な痛みだ。思わず倒れそうになるが、あまりに鮮明な意識のせいで、それすら許されない。
「……当麻。お前の
「『異能の力』なら、できるはずだ」
「インデックスは?」
「あの折り重なった術式を解いて、力の根源を断てるかやってみるんだよ」
2人の力強い返事に、思わず笑みがこぼれる。これほど絶望的な状況でも、何も恐れる必要はない。
シャットアウラがいない。おそらくレディリーを殺しに行ったのだろうが、その矛先がアリサに向かないとも限らない。
「……俺はアリサの所に行く」
「……ああ、それが1番だ。正直、お前の身を含め、何が起きてるのか何も分からない。でも、行かなきゃならないんだろ。なら行くべきだ。アリサも待ってるはずだ」
「……ありがとう、当麻」
「遠慮すんなよ。幼馴染なんだろ?」
ニカッと笑う当麻は、それはそれは眩しかった。
八月十日事件でもそうだった。俺がどれだけ罵倒しても、道を踏み外しても、それでもなお向き合ってくれたのが、当麻や元春たちだった。
本当に、お前らが親友で良かった。
「行こう。決着をつけに」
窓の外は宇宙。生命の存在を拒絶する空間を前に、俺の頭はとうに思考を止めていた。感覚は遠のいていき、足だけが無意志に前に進む。
ただ鼓動は、うるさいくらいに響いていた。まるで、全身が心臓になったかのように。
*
エンデュミオンの最上階。『矢』で言えば先端にあたる部屋に、レディリー=タングルロードはいた。
そこには不気味な魔法陣が展開され、その中心には
「これが、奇蹟の力……!!」
そこに流れる魔力を感じて、レディリーは恍惚の表情を浮かべた。
1000年近く願ってきた『死』を、これほど近くに感じたのは生まれて初めてだった。微かに聞こえた観客の悲鳴すら、今は心地良い。
「下は大騒ぎみたいね。でも、もう間に合わないわ」
「それはどうかな」
そこに割り込む声が1つ。
私が振り返ろうとした瞬間、上半身に凄まじい衝撃が走った。床に倒れた直後、溶岩を垂らされたような痛みが走る。
撃たれた、と。この痛みでようやく理解した。
「……言ったはずだ。絶対に許さないと!!」
私に銃口を向けるのは、シャットアウラ=セクウェンツィア。『88の奇蹟』を演じ、代償として父親を失った少女だ。
彼女は一切の躊躇なく引き金を引き、私の体に風穴を開けた。
1発。2発。3発。4発。
1人の命を終わらせるには過剰すぎる攻撃は、弾倉1つを撃ち尽くしてようやく終わった。
「……満足した?」
「……貴様のような存在が望むものなら、やはり奇蹟など起こるべきではない」
「あらそう?奇蹟を願うのは人の自由じゃない。貴女の父親とか」
「──っ!!父と貴様を一緒にするな!!」
シャットアウラは銃を投げ捨てて、走る勢いのままに私をナイフで突き刺した。
ずぶり、と。体内に異物が入ったという、強烈な違和感があった。その直後、体が沸騰したような痛みが炸裂する。刺された位置を考えれば、心臓が破れているだろう。17回目の痛みだが、やはり慣れるものではない。
「……ふふっ」
「っ、なにがおかしい!!」
「だって貴女、私の死を心から願ってるのに、私の邪魔をしているじゃない。私に死んでほしくないの?」
体内の臓物が蠢く。骨や筋肉もひとりでに動き出し、元あった場所へと戻っていく。流れた血液から赤黒い靄が生まれ、それが舐めるように傷を拭った。その後には、傷1つ無い体のみが残った。
『アンブロシア』が神々の食物なら、『新月の矢』はその神々をも葬る矢だ。その矢で貫かれれば、私は確実に死ぬ。結果としてエンデュミオンが建つ北半球は全滅するだろうが、少なくとも私は死ぬことができる。
「……どうやら貴様にとって、死は救済のようだな」
「そうね」
「死とは、必ずしも命を失うことだけではない。可能な限り永く苦しめ。この魔女め」
「それで、どうするの?」
「鳴護アリサを殺す」
シャットアウラはそう宣言すると、私から荒っぽくナイフを引き抜いた。傷口が開いて血が吹き出すが、それもすぐに止まる。
私が起き上がった頃には、既にシャットアウラはどこかに消えていた。
「アリサを殺す、ね。間に合うといいわね」
息を巻いて走っているであろうシャットアウラを想像して、道化を見たように笑う。
鳴護アリサは計画の要。『新月の矢』における『鏃』そのもの。その役割を担う彼女を失ったら、私の計画は御破算になる──シャットアウラはそう考えたのだろう。
半分は正解で、半分は不正解だ。
「……あの子も来たようね。これでようやく、すべての準備が整ったわ」
アリサが計画の要なのは間違いない。いなければ困るのも事実。しかし、これは1000年越しの計画。それを完遂するための保険を、かけていない訳が無い。
はっきり言えば、
「『
エンデュミオンの最上階。およそ人が到達しえない領域で、もはや人ならざる魔女が嗤う。
人が推し量れないほど深い瞳が見据えるのは、ただ自らの死に様のみ。その後ろに広がる惨劇など、餞の花束以下の存在でしかない。
*
「うるさい……うるさいんだ……っ!!」
エンデュミオンを駆け抜けるシャットアウラは、誰に向けるでもなく、そう叫んだ。
鳴護アリサを殺す。そのために目指すのは、ステージとなっている中央部。エンデュミオンの地図は頭に入っているため、迷うことはなかったが、近付くにつれて聴こえてくる歌が、私をひどく不機嫌にさせた。
「奇蹟、奇蹟……っ!!『神の見えざる手』など存在しない。この歌に奇蹟など、宿っている訳がない!!」
鳴護アリサの歌は奇蹟をもたらす。そう言われているのは知っている。その歌に魅せられ、人々が熱狂しているのも理解している。
だからこそ殺す。
レディリーの計画を壊すため。そして、奇蹟を歌い、人々を扇動する女──もう1人の魔女を始末するために。
「……どうやら扉が壊れているようだな」
ステージへと繋がる扉に辿り着く。しかし先程の崩壊で扉が歪んだのか、手では開けれそうになかった。
ならば、と。レディリーを撃ち殺したものとは別の小銃を取り出す。私の能力である
「エネルギー減らさないとな……向こうに観客がいないとも限らん」
扉を壊すだけのエネルギー量に調整して、少し離れてから起爆させる。
ばしゅんっ!!と。普段聞くものより数段は抜けた音がして、扉が弾け飛んだ。少し威力が強かったようだが、悲鳴は聞こえず、誰かを巻き込んではいないようだった。
『明日 晴れるかな 空を見る────♪』
そして、扉の先に、いた。
奇蹟を歌う、もう1人の魔女。
鳴護アリサだ。
『満点の星たち 煌めく────♪』
観客は誰1人いない。スポットライトは割れて、音楽も聴こえない。ステージも少し崩れている。
そんな中でたった1人、汚れた衣装で必死に歌う鳴護アリサの姿は、なかなかに無様で滑稽だった。
「動くな」
私は銃口を向け、鳴護アリサにそう警告した。レディリーに向けたものと同じ、殺傷力のある、日本では違法となる殺人兵器だ。
本来なら、この警告も必要ない。レディリーの計画を破壊するには、今すぐ殺した方がいい。
だがそれでは、この女の『奇蹟』を否定したことにはならない。ゆえに、歌を止めさせたうえで殺す。
私はそう決断した。しかし──
『強く願ったら きっと叶うから────♪』
鳴護アリサは歌を止めなかった。それどころか、私を見てすらいなかった。
銃口など、歌を止めるに値しない。その程度のことで、『奇蹟』は止まらない。
そう言われている気がして、私は声を荒らげた。
「やめろ!!歌うなと言っている!!」
『自分 信じて────♪』
「聞こえないのか!?歌うのをやめろ!!」
私が叫んでも、銃を振り回しても、鳴護アリサは私を見ない。見ようともしてない──もしかすると、私を認識すらしていないかもしれない。
腹が立つ。彼女の態度もそうだがそれ以上に、武器を手に必死に叫ぶ私が、もの聞きの悪い子供のように思えてしまうことに。
「やめろ……やめろぉぉおおお───!!!」
目を瞑り、私は引き金を強く引こうとする。その瞬間、手首に凄まじい衝撃が走り、手元から銃が吹き飛んだ。
突然の痛みに、思わず手を抑えて蹲る。
「間に合ったか」
聞こえたのは、ひどく落ち着いた声。ステージを挟んだ向こう側に、妙な形の拳銃を向ける1人の少年が立っていた。
「前原、将貴……っ!!」
「ようシャットアウラ。置いてくなんてひどいじゃないか」
ただ静かにステージの下に──鳴護アリサに歩み寄った。私のことすら、既に視界に入っていなかった。
「ごめんアリサ。少し遅れた」
「……遅い。もう歌いきるところだったよ」
「悪かったよ。でも約束は守ったから、許してくれないか?」
「ダメ。許してあげない」
ステージの上と下で、あまりに緊張感の無い会話が交わされる。しかしそれを聞いて、私は気付いた。
歌が、止まっている。銃口を向けても止まらなかった歌が、この男を前にして、止まっている。どうやら鳴護アリサにとってこの男との会話は、歌を止めるに値するものらしい。
「手厳しいな。どうしたら許してくれる?」
「……帰ったら言うね」
「……そっか。分かった」
同じタイミングで、同じように笑いだした両者を見て、ふと我に返る。
歌は止まった。つまり『奇蹟』が止まった。ならば今こそ、鳴護アリサを殺すときだと。
そう思い、私は
「あんま動くなよ。体に当たるぞ」
「くっ……」
私の武器である銃も、円盤の射出機も、たったいま撃ち落とされた。ナイフはあるが、届くはずもない。彼には
「言ったはずだ。アリサの歌は誰にも邪魔はさせない、と」
前原将貴の銃口が、今度こそ私に向けられる。指は引き金にかけられ、震える様子もない。瞳はしっかりと私を捉え、その奥には確かな殺意が宿っている。
私がいま生きているのは、鳴護アリサに危害を加えていないから、それだけだ。仮にナイフを向けようものなら、その瞬間に射殺されるだろう。
それだけの技量と覚悟が、この男にはある。
「奇蹟……奇蹟とは何だ?」
完全な敗北。
それを認めた瞬間、体から力が抜け落ちた。鳴護アリサはそんな私を、ステージの上からじっと見つめている。
目標がこんなにも近くにいるのに、ここまで何も出来ないのは、生まれて初めてのことだった。
「オリオン号の機長だった父は、あの事故でたった1人犠牲となった……それを奇蹟と呼ぶのか?」
「………」
「私も、他の乗客も助かった……
ふっ、と声が漏れる。そんな『奇蹟』に縋る人間を想像して、それがあまりに愚かで笑ってしまった。
「奇蹟が起きたなら、そこには『あるはずのない結果』が生まれる。その分だけ、『あったはずの未来』が失われるのだ」
「あったはずの未来、ね」
「だから私は奇蹟を否定する。ましてや奇蹟を歌うその女など──」
「シャットアウラ」
前原将貴が、銃を下ろして私に歩み寄る。
そして私をまっすぐ見据えて、言い淀むことなく、言い切った。
「『あったはずの未来』なんて、無い」
「──っ!?」
「人に見えるは結果だけだ。冷たいだろうが、『ありもしない仮定』の話なんて、無駄だよ」
頭に血が上るのを、ここまで鮮明に感じたのは初めてだった。
「──ふざけるな!!その結果がどんなに歪んだものでも、都合の良い面だけを受け入れて、それ以外は無視しろというのか!!!」
「そうじゃない」
「なら何だ!!それを奇蹟と呼んで縋るなど、弱さ以外の何だと言うんだ!!!」
実力差も忘れ、前原に掴みかかる。前原は抵抗せず、私の激昂を素直に受け止めた。
そしてひと言、力強く告げる。「決意だ」と。
「お前を含め乗客が助かったのは、親父さんの決意があったからだ。『必ず助かる。何か手はある』ってな」
「………」
「シャットアウラ。奇蹟は縋るものじゃない。祈るものだ。そして祈りは、夢物語をただ願うことじゃない。それを実現させるっていう決意のことだよ」
「……詭弁だ」
少し俯いて、否定を呟く。
今まで必死に拒絶していた、奇蹟という概念。それがそもそも間違っていたのなら、私の意思も、何もかも折れてしまう気がした。
「『ありもしない偶然』を祈って、それが何になる。そんな曖昧なものに頼らず、自分の力で戦った父の意志を、奇蹟などとは呼ばせないぞ」
「お前の許可なんざ誰も求めてない。それこそ親父さんもな」
「……なんだと?」
「お前の親父さんは乗客を、そしてお前を助けようとした。それは親父さんだけの決意だ。お前が割り込む余地なんて、初めから無い」
しかし前原将貴は、真正面からそれを切り伏せる。私をまっすぐに見つめる瞳は、言外にこう語りかける。
お前は間違っている。お前のやり方で秩序なんか生まれない、と。
「奇蹟なんて所詮はきっかけだ。奇蹟が起きようと、人生を歩くのは、決意するのは自分自身だ」
「……さい……っ!!」
「親父さんの決意を受け入れられないってんなら、それはただの我儘だよ。シャットアウラ」
「うるさいんだっ!!」
そう叫んだ私は、そのまま前原を思い切り殴りつけた。しかし、その拳はあっさりと掴み取られる。
「アリサは『失う』どころか、『何も無い』ところから始めた。それでも、少しでも前に進もうと努力してる。後ろを向いて、拒絶ばかりしてるお前が、立ち塞がれる訳がない」
「っ!!」
「奇蹟も信じれない人間が、理想を語るなんざ烏滸がましいんだよ」
直後、顎に軽い衝撃があった。
ぐるんっ、と。景色が斜めに歪む。暗転する視界に写ったのは、横凪に拳を振り抜いた前原だった。手足から力が抜けて、崩れ落ちる意識の中に、呆れたような声が響く。
「1回休んで、自分の『正解』を見つめ直せ。馬鹿野郎が」
*
鳴護アリサは、2人のかけあいを見ていなかった。それどころか、自分に銃口を向いていることすら知らなかった。
「………」
将貴くんが、気絶したシャットアウラちゃんを座席に寝かせている。あたしはステージの上から、その背中を見つめるだけだ。
将貴くんはきっと知らない。
どれだけ多くの人が、その背中を見てきたか。
どれだけ多くの人が、その背中に憧れたか。
「これで静かになったな」
振り返った将貴くんが、屈託のない笑みを見せる。その声は不思議とよく届き、悪い人だと思いながらも、あたしも笑ってしまう。
「なら、もう一度歌ってあげる。ちゃんと聴いててね?」
「俺1人のためにか?そりゃ過大なプレゼントだよ」
「あたしが将貴くんに聴いてほしいの。それに言ったでしょ?忘れられないライブにしてあげるって」
立ち上がって、もう一度ステージを見渡す。
崩れたステージには、スポットライトなんて無い。音楽もかからないし、衣装も汚れている。サイリウムの代わりに踊っているのは、太い紐のようにちろちろと揺れる焔だ。
でも。
歓声も拍手も送らない観客が、1人だけいる。
「なら────歌えアリサ。力の限り!!」
それだけで、最高のステージだと、あたしは信じることができた。