第94話
学園都市の首都と言える第一学区。
その一角に、何の変哲もないビルがあった。しかしそれは外見だけで、防弾ガラスを隔てた内部の設備とセキュリティは、並の刑務所や研究所を凌駕していた。
その屋上に靡くのは、盾をモチーフにした緑の旗だ。それこそが、3000人以上の構成員と300ヶ所以上の支部すべてを束ねる、組織の最高峰。
『本部』と呼ばれる、風紀委員の頭脳であった。
「しょーくん?しょーくーん?」
そこに響く、なんの緊張感も無い声。身長は141cmしかなく、一見すると小学生にも見えるその少女は、ビルの主にして風紀委員の
金糸を編んだようなセミロングの金髪と、それを後頭部で結ぶ深紅のリボン。強気につり上がった
「しょーくんってば。おーい」
「……あ、ごめん。なんだっけ?」
そう返したのは、私の直属の部下にあたる前原将貴だ。
黒を基調とした制服に、歪な縫い目のある緑の腕章。右目のあたりに、一筋の金のメッシュが走った少年である。
「どーしたの?なんか心ここにあらずって感じじゃん」
「……そうか?」
「うん。なんか顔赤いよ?」
そう指摘すると、しょーくんは顔を逸らした。その横顔は仄かに赤く、口元をきゅっと結んでいる。
……ははーん。これは
「別にいーけどさ、今はこっちに集中しなよ」
「……すまん。何を話そうとしたんだ?」
「本部への異動について」
そう言った瞬間、しょーくんの眉がぴくりと動いた。しょーくんは不機嫌そうに私を見つめ、ゆっくりと、しかしやたら低い口調でこう告げた。
「……涼乃とペアを解消する気は無い。絶対にだ」
あまりに予想通りの反応が、少し可笑しい。そうやって笑う私に困惑し、しょーくんは眉を顰めた。
「奏の指示には従う。でも、ペアの解消だけは断固拒否だ。涼乃と離れるつもりは無い」
「そんなことしないってば。させる気もないし」
『ペアの結成又は解消は、特別な場合を除き、双方の合意のみがそれを可能とする』。規則にそう明記してある。
いくらしょーくんが私の『所有物』でも、私の一存でそれを変えることは――不可能ではないが――難しい。
「そっか……なら異動って?」
「一時的なものだよ。大会中だけ本部にいてってだけ」
「そりゃまた、どうして?大会中の招集なんて、絶対碌なことじゃないと思うけど」
「まーね」
「少しは否定して?」
私がくすくすと笑うと、しょーくんは溜息をついた。
ここで嘘をつく理由も無いし、目に見えてガッカリするしょーくんは見ていて面白い。
「単刀直入に言うけどさー。しょーくん、明菜ちゃんを本部に預ける気はない?」
私の提案に、しょーくんは「は?」と目を丸くした。理解が追いつかないのか、しょーくんが何も言わないので、私は話を続ける。
「明菜ちゃん、最近は笑顔も見せるようになったんでしょ?なら、少しずつ外の世界も見せたらどう?」
「……それはそうだが」
「場所なら本部を提供してあげる。ここなら安全だし」
入江明菜。
反物質を操る者。木山先生が託した『
あまりに強大な能力ゆえに、今まで監禁されていたが――これを機に、外を体験させるのも悪くないだろう。
「呼びたいならすずのんも呼びなよ。
「………」
「うん。どーする?」
「……それでいいのか?」
「いーよ」
しょーくんが右手を口元に運び、難しい顔をする。明菜ちゃんの未来と危険性について考えているのだろうが、もう少しで押し切れるだろう。
明菜ちゃんに関することで、私に決定権は無い。しかし、選択肢を消すことはできる。
「……じゃあ、そうしよう」
「おっけー。じゃあ早速――」
「その前に、1ついいか」
そう言うと、しょーくんは鋭い目で私を見た。明確な口調は、弾劾するような力強さがある。
「明菜のことは、本当にありがたい。だが、その前に確認したい。」
「なに?」
「明菜に、何かあるのか?」
今度は打って変わって、不安そうな声になる。
……今回の話は、流石に見抜かれたみたいだ。なにぶん急だし、提案も、事実ではあるが無理がある。しょーくんには自然と振る舞ってほしかったが、ここで否定しても不信感が強まるだけだ。
「……ま、予想してるとーりだよ」
「……ってことは」
しょーくんが心底不快そうな顔をする。
明菜ちゃんを本当に大切に思い、かつ『
だからこそ私はいつも通りに、何もかも見透かしたように、こう告げた。
「この1週間。入江明菜を巡って、確実に何かが起こる。確実に、ね」
*
そんなこんなで始まった『
学園都市で毎年7日間に渡って開催される行事で、言わば大規模な運動会である。一般的に異なるのは、学園都市の全生徒が学校単位で出場すること。そしてその様子が全世界に配信され、生徒の父兄には街の一部が開放されること。
そしてなによりの違いは、すべての競技が能力者たちによって競われることである。
「おっす。おつかれさん」
「おー……」
とある高校の上条当麻は、げんなりした様子で答えた。問いかけた前原は、黒とグレーの体操服で、俺たちと違ってピンピンしている。
「おっす、ハラショー。さっきの競技大活躍やったやん。完敗やで」
「お前ら相手だと、変に遠慮しなくていいから助かるわ」
土御門、青ピも合流し、いつもの4人が揃う。
ついさっき、ウチの高校と、前原の高校の競技が行われたところだ。結果はウチの完敗。ぐうの音も出ないほどの圧倒的惨敗だった。
「さすが瀬川だにゃー。打倒常盤台中学を掲げるだけのことはあるぜい」
「その常盤台とはいつやるんや?」
「最終日。でけー競技場でやるから、みんな見れると思うぞ」
「ま、エリート校同士の一戦だからな。運営も注目してんだろ」
そもそも前原の通う
「それよか、すずやんはどないしたん?さっきの競技にも出てへんかったけど」
「涼乃は待機だよ。
「ほーん。あとさっきから気になったんやけど……その金髪、どないしたん?」
青ピが前原の前髪――右目のあたりに走る、金のメッシュを指差した。前原はそれに触れると、興味なさそうに「知らん」と答えた。
「知らんって、自分で染めたんとちゃうん?」
「違うよ。なんか勝手にできてた」
「意味が分かんねーよ」
「気に入らんのやったら切ったろか?ボク意外と得意なんやで」
「いや、いい……涼乃が綺麗って言ってたし」
ぼそりと、前原が呟いた。あまりに小さな声だったが、(俺含む)非リア3人組はバッチリ聞こえたため、すぐに変なテンションになる。
「やだ奥さん聞きました?想い人が褒めてくれたから切らないんですって」
「青春してますわねー青ピさん」
「愛ってやつだにゃー」
変に盛り上がる俺たちに、前原はガジガジと頭を掻いた。いまさら恥ずかしくなったのか、俺らの煽りに何も言い返せてない。
「あらあら。そんな様子で打倒常盤台だなんて、欠伸が出ますわね。前原さん」
ふと、後ろから声が聞こえた。振り返ると、扇子を片手に高飛車に笑うお嬢様と、その友達らしき人が2人。
噂の常盤台中学の体操服を着た少女たちは、前原を見ながらこう続けた。
「ですがわたくし達は、大覇星祭の覇権を競う『五本指』の一角。そう簡単に負けてあげる訳には――」
「久しぶりだな泡浮。湾内。あと婚后」
「無視しないでくださいまし!!」
切り替えた前原が、そう言って3人に振り返る。婚后と呼ばれたお嬢様が文句を言うが、前原はその反応を楽しむように笑っていた。
雲の上のお嬢様を前に、元春と青ピがすごい目で前原を睨んでいる。
「あら?髪をお染めになったのですか?」
「あー、うん。そんなとこ」
「とても美しい金髪ですね。まるで光を束ねたようですわ」
泡浮と呼ばれた紺髪ロングの女の子が、不思議そうに前原のメッシュを眺める。身長差で自然と上目遣いになり、整った容姿も合わさり、凄まじい破壊力を発揮した。
少し照れた様子の前原に、土御門と青ピが奥歯をガタガタさせている。
「常盤台は今んとこ全勝だろ?さすがだな」
「あ、当たり前です!我々がこんなところで躓くはずがありませんわ!ね、泡浮さん!湾内さん!」
「安心したよ――――それでこそ、倒し甲斐がある」
前原が獰猛に笑う。3人の肩がびくりと跳ねるが、扇子のお嬢様は、すぐに好戦的な笑みを浮かべた。
バチンッと、見えない火花が散った気がする。
「美琴たちに伝えとけ。お前らと戦うの、結構楽しみにしてるってな」
そう言って嗤う前原の姿は、少なくとも風紀委員のそれではなかった。御坂といい
あと御坂を『美琴』と呼んだことに、青ピの中で何かが切れた音がした。
「なあハラショー。ぶん殴ってええか?」
「すずやんがいるのに、お嬢様とも仲良しなんてムカつくぜい」
「そんなんだからお前らはモテないんだよ」
「あ゛?」
この後、めちゃくちゃ鬼ごっこした。
*
「久しぶりに声聞いたと思ったら、パシリかよ」
第七学区にある雑貨屋に、前原将貴は溜息をついた。
『パシリじゃないのです。使命なのです』
「へーへー」
『むむっ。どうやら使命を忘れてしまった様子。またじっくり洗の――教育する必要があるのです』
「いま洗脳って言ったか?」
やけに平坦な声の主は、イギリスで出会ったウサミミパーカーのアンテナ少女、
『細かい人ですね。無いなら次のお土産屋さんに向かうのです』
「もう向かってるよ。つーか、うさぎグレイの大覇星祭限定ver.なんて、本当にあるのか?」
『あります!!イギリスと学園都市は、特に深い友好関係にあるのです。ロンドン名誉市民たる、うさぎグレイがいないはずがないのです……!!』
「なんの根拠にもなってない」
次の店に向かいながら、俺は何をしているんだ、とげんなりする。
俺にゆっくりする暇なんて無い……はず。
明菜を本部に呼んだ俺は、明菜を守るべく、四六時中本部にいるつもりだった――が、奏に『競技くらい出なよ』と怒られたため、今も渋々出場している。
涼乃は俺の代わりに本部にいるし、交代のために早く戻りたいのだが……このアンテナ少女はすぐには帰してくれなさそうだ。
『使命と言えば、前原ちゃんに渡したストラップは配り終えたんです?』
「もーちょいだな。あと10個もないと思う」
『おお、頑張りましたね。褒めてつかわすのです』
ケータイ越しにニンマリ笑う府蘭が想像できる。
そのケータイから伸びたストラップこそ、府蘭の言う『うさぎグレイ』だ。紙袋いっぱいに詰まってたことを考えると、だいぶ頑張ったと思う。
「んじゃ、府蘭はどーなんだ?俺の勧めた音楽は聴いてるか?」
『それなりにです。こうして今も持ってますよ』
「ほう。気に入ったのか?」
『それなりに、です』
今度はむすっとした府蘭が想像できた。平坦な声の割に、感情が分かりやすい奴だと思う。
「じゃ、府蘭もその調子で布教を続けてくれ。新曲も出るだろうからな」
『ほう。それは楽しみなのです。お返しに新しいうさぎグレイを送――』
「それは勘弁してくれ……」
ふんすっ、と気合いを入れる府蘭を慌てて止めるが、不安が拭いきれない。ある日突然、家に謎ストラップが大量に届くかもしれないと思うと、怖くて仕方ない。
「ん、あれは――」
ふと人混みの中に、見知った顔を見つけた。体操服ばかりの中で、制服を着る姿が浮いて見えたのかもしれない。
向こうも俺を見つけたのか、こちらに向かってくるのが分かった。
「悪い、知り合いと会った。一旦切るぞ」
『了解なのです。ではまた』
「おう」
『あ、うさぎグレイの捜索はサボらないように』
「分かってるよ。またな」
通話を切り、その少女と顔を合わせる。
化粧のいらない整った顔立ちに、肩まで届く茶色い髪。その瞳はどこか虚ろで、焦点がどこにあるのか分からなかった。制服からカエルのストラップを下げるその少女は、俺がよく知る常盤台のエース――――ではなく、その『妹』のミサカ
「また違う女の子ですか、とヒトミは節操のない獣に辟易とします」
「いきなり辛辣すぎない?」
「冗談です、とヒトミは正直に告げます」
初手の罵倒と真顔の弁明に、俺は白旗を上げそうになった。相変わらず掴み所が無いと言うか、ズレている。
「いつもの制服ではないのですね、とヒトミは見慣れない姿に新鮮味を感じます」
「競技に出てたからな。ヒトミは1人か?」
「はい。今は観戦中です、とヒトミはちらりと貴方を見つめます」
「見られても困るんだが」
ちっ、と顔を逸らすヒトミに、俺は眉を顰める。
普通に外にいるヒトミだが、その正体は軍用の体細胞クローンだ。『外』から多くの人間が集まる大覇星祭において、こうも普通に出歩いてて良いのだろうか。
「心配は無用です、とヒトミは分かりやすい表情から先読みします」
「……でも、美琴のお母さんも来てるだろ?バレたりしないのか?」
「それもなんとかなるそうです、とヒトミは無責任に告げます」
「なんかテキトーだな……」
少し心配になるが、まあいいか、と納得する。面倒を見てるのはカエル医だし、多分大丈夫だろう。自身の出自を気にしすぎるのも良くないし、なにより窮屈だ。
「なら、ヒトミも何か競技に出たらどーだ?美琴に頼めば代わってくれるかもよ?」
「……ヒトミが、ですか?」
「せっかくの祭りだ。みんなで楽しもうぜ」
そう言って笑うと、ヒトミが不思議そうな顔をした。
美琴とヒトミは瓜ふたつだし、競技中に過度の電撃は(基本的には)使わない。口調に気を付ければ、バレることもないだろう。
「……なら、後でお姉様に頼んでみます、とヒトミは提案します」
「そうそう。他ならぬ妹の頼みなら、姉も聞いてくれるだろ」
「べっ、別に競技に参加できるのが嬉しいんじゃないんだからねっ!……とヒトミはツンデレ風に補足します」
真顔で告げるヒトミに、思わず笑いそうになった。ヒトミの偏った知識はどこで手に入れたのだろうか。
「あとそうだな。これもやるよ」
「……これは?と、ヒトミは見慣れぬ物体に困惑します」
「イギリス土産。遅れてすまんな」
思い出したように、俺はケータイに着けていたストラップをヒトミに渡した。府蘭と話したばかりの『うさぎグレイ』だ。
宇宙人の顔にウサ耳を生やすという、およそ大衆向けではないそのフォルムに、ヒトミが微妙な顔をする。
「カエルに続いて宇宙人ですか、とヒトミはプレゼントのセンスに愕然とします」
「それはまあ……うん」
「……でも、ありがとうございます、とヒトミは素直な感想を口にします」
ヒトミはストラップを両手で受け取り、ぎゅっと胸元で握りしめた。無表情なのは変わらないが、少なくとも以前のヒトミには無かった姿だ。
「こうして大切なものが増えるのは、なんだか変な気分です、とヒトミは自分の心理状態に疑問を抱きます」
「……そっか」
「もうちょっとマシなものはなかったのかよ、という本音を胸にしまってヒトミは嘆息します」
「オイ」
しんみりした気分を吹き飛ばすヒトミに、どこか既視感を覚える。
言いたい事を割とハッキリ言うのは、ヒトミの個性だろうか。良くも悪くも、人間らしくなっているようで何よりである。
「……ま、出場するなら教えてくれよ。応援行くから」
「分かりました、とヒトミは無い胸を張って気合を入れます」
でも、どこで覚えたか分からない謎センスは、早急に改善した方がいいと思う。