とある風紀委員の日常   作:にしんそば

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第95話

 

 

 

 

 

 その頃、中村涼乃は本部にいた。服装は普段とは違い、黒とグレーを基調とした、学校指定の体操服である。しかし肩の下まで伸びた薄茶色の髪と、同じ色の瞳、そして白い髪留めは変わらなかった。

 私は何をすることもなく、ただ椅子に座っていた。その視線の先には、白皙の少女が1人。

 その少女は、名を入江明菜といった。

 

「―――」

 

 輝くような純白の髪は、床を撫でるほど長い。澄んだ蜂蜜色の瞳は深すぎて、一切の感情を読み取ることができなかった。見たこともないほど整った顔立ちは、取り澄ましたような無表情で、職人が丹精込めて作ったビスクドールのように見える。

 その首に巻かれている黒いチョーカーからは、首筋や額まで不自然なコードが伸びていた。人格を否定された明菜ちゃんが、歩いたり食べたりといった、最低限の生活を送るための演算補助デバイスだ。

 

「………」

 

 見慣れた容姿。見慣れた瞳。普段と違う点は、常盤台中学の体操服を着ている、という点のみ。

 それでも、その存在に対する現実感の薄さが無くなるわけじゃない。もう何度も会いに行ってるのに、私はいまだに慣れていないのだから。

 

「―――」

 

 明菜ちゃんの声なんて、将貴すら聞いたことがない。私とは目が合うことも少なく、私という存在の認識すら、最近まで分からなかったほどだ。

 しかしその小さな体には、核兵器をも超える能力が眠っている。実感も湧かないし、正直に言えば、少し怖い。

 

 それでも、『助ける』と決めた少女。

 ならば、なんとしても助ける。それだけのこと。

 

「調子はどーお?」

 

 扉の閉まる音と、聞き慣れた声が聞こえた。

 振り返ると、そこには明菜ちゃんより小さな少女がいた。金糸を編んだようなセミロングの金髪と、それを後頭部で結ぶ深紅のリボン。強気につり上がった蒼氷玉(スイスブルー)の瞳は、お嬢様らしからぬ鋭さがある。

 

 常盤台中学の制服を着る少女は、このビルの事実上の支配者、松浦奏だ。

 

「悪くないよ。明菜ちゃんも楽しそうだし」

「ならよかった。連れてきたかいがあったねー」

 

 にへーっ、と奏ちゃんが笑う。身長も141cmとかなり小柄なため、その笑顔は年相応に可愛らしく見える。

 でも、その頭脳に詰まった叡智は、私の理解を遥かに超えたところにあるのだろう。

 

「しょーくんは?」

「競技に出てるよ。もう少しで帰ってくるんじゃないかな」

「ふーん」

 

 奏ちゃんは興味なさそうに呟き、部屋の隅で紅茶を淹れ始めた。その動きは流麗そのもので、何も言わずとも視線が固定されてしまうほどに魅力的だった。

 

「――?」

 

 視線を外そうとして、私は明菜ちゃんを見つめる。

 いつもの『白い部屋』ではないせいか、明菜ちゃんはゆっくりとだが、部屋全体を眺めていた。外界に対し、興味を持っている証拠だ。

 

「……明菜ちゃん、これからどうなるのかな」

「それを決めるために、ここにいるんだよ」

 

 紅茶を持ってきた奏ちゃんが、後ろからそう告げた。

 ティーセットを持ちながら、物音ひとつ立てないその歩調は、おそらく誰にも真似できないだろう。

 奏ちゃんが私の前にティーカップを置いた。ありがたいが、今は気分じゃない。

 

「……私はいいよ」

「すずのんのために淹れたんだよ。暗い顔してたから、魔法でもかけてあげようかなーって」

「魔法?」

「うん。紅茶には魔法があるからねー」

「??」

 

 私の疑問に答えることなく、奏ちゃんは、やはり淀みのない動きで紅茶を注いだ。

 琥珀色の液体は、ティーカップの中で幾重もの層を生み出し、香り高いうえに見た目も美しい。勧められるがままにひと口飲むと、自然と笑顔になるほど安心する味だった。

 

「やっと笑ったね」

「え?」

「それが紅茶の魔法だよ」

 

 そう言った奏ちゃんの笑顔に、私は呼吸を忘れそうになった。蒼氷玉(スイスブルー)の瞳は、空のように眩しく、温かく、美しい。同性の私ですら、見惚れそうになるほどに。

 

「でも、明菜ちゃんにはまだ効かなくてさー。それがちょっと悔しかったり」

「……そんなことないよ。アリサちゃんの歌みたいに、いつかきっと笑ってくれるから」

「だと良いけどねー」

 

 そう言って紅茶を飲む奏ちゃんは、額に入れれば絵画になるほど綺麗だった。副委員長(No.2)より、どこかの王女さまの方がしっくりくる。

 明菜ちゃんはそれを真似て、ずずっと紅茶を飲んだ。しかし熱かったのか、すぐに口を離した。

 

「……奏ちゃんは、どうして明菜ちゃんを受け入れたの?」

「狙われてるって分かったからだよー」

「それだけ?」

「うん」

 

 あっけらかんと、奏ちゃんは言った。

 言いたいことは分かるし、同意できる。でも、今回のそれは、相手の種類が明らかに『違う』。

 

「……明菜ちゃんを狙う人たちが、今までみたいな相手じゃないのは、私でも分かるよ。それを――」

「なら避けて通る?」

「――!」

「言い方を変えるね。避けて通れると、思ってる?」

 

 蒼氷玉(スイスブルー)の瞳が、すっと私の胸を射抜いた。その瞳は海のように深く、水晶のように鋭い。先ほどとは違う意味で、私は呼吸を忘れそうになった。

 

「明菜ちゃんを外に出した時点で、こうなるのは決まってた。しょーくんも分かってるよ」

「……そのために本部を?」

「1人を助けるために、組織を挙げて動く。それが風紀委員(ジャッジメント)でしょ?」

 

 そう言われると、私は閉口するしかない。

 みんなのために1人の少女に犠牲を強いるなんて、そんなのは嫌だ。ただ、いざ目の前に脅威がくると、どうしようもなく怖いだけ。

 

「奏ちゃんは、どうしてそこまでしてくれるの?」

「んー?」

「明菜ちゃんも、将貴のことも。なんでそこまで気にかけてくれるの?」

 

 小さな声で問いかける。これは、ずっと気になってたことだった。

 こうして目の前にいる奏ちゃんだが、実力や名声、そして叡智は、私のそれとは比較にならない。本来なら、話しかけることも躊躇うような人なのだ。

 将貴のような『普通の風紀委員』を気にかけるのも、こうして紅茶を囲むのも、考えてみればおかしい。

 

「しょーくんは私の『所有物』だから、私にはその責任がある――ってゆーのが、表の理由」

「……裏は?」

「あの子の生き方が気に入らないから」

 

 バッサリと、奏ちゃんは言い切った。

 あまりに予想外の言葉に、私の動きが止まる。前を見ると、奏ちゃんは面倒くさそうに眉を歪めていた。

 

「私は『自身の考えに忠実に生きる』ようにしてる。それで、他の人にもそうあってほしいなーって」

「……?」

「だから私は、他の人の生き方も認めるよー。だから、人の刃が私に届いても、仕方ないって思える。そうやって生きるのが、私の願いだもん」

 

 ……また、見惚れそうになった。今度は見た目じゃなくて、その生き方に。あまりに眩しいその在り方に。

 奏ちゃんは、なんで副委員長(No.2)なんて地位に甘んじているのだろう。そう思えてしまうほどに。

 

「明菜ちゃんは、考えることすら許されなかった子。そんな子に、運命だから受け入れろ、なんて言いたくない。選択肢の無い生き方なんて、おもしろくないからねー」

「……うん」

「でもしょーくんは、『自身の考え』が無い子。人の真似ばっかり。これもおもしろくない」

 

 ティーカップのスプーンを回しながら、奏ちゃんはつまらなそうに言う。拗ねる子供のような仕草だ。

 

「でも、『明菜ちゃんを助けたい』っていうのは、しょーくん自身の考え。だから尊重してあげたいんだよー」

「……すごいね。奏ちゃんは」

「んーにゃ、そーでもないよー。私はあくまで、選択肢を示してるだけだし」

 

 思い出したように、奏ちゃんは私を見た。蒼氷玉(スイスブルー)の瞳が、はっきりと私を捉える。目線は私の方が高いのに、遥かな高みから見下ろされるような、そんな感覚があった。

 

「前に言ったでしょ?しょーくんの手綱を握れるのは、すずのんだけって。だからお願いねー」

「……なんで私って思ったの?」

「人の『弱さ』を知ってるって、そーゆーことだよー」

 

 相変わらず奏ちゃんは、よく分からない言い方をする。そもそも、意識したことすらない。

 

 将貴の『弱さ』――たとえば、打たれ強く見えて、本当は頼り方も知らないこと。気丈に振る舞って、泣き方すら知らなかったこと。

 

 そんなものは、将貴を彩る魅力の1つでしかないのだから。

 

「ま、分からなくても出来るから、そんなに心配はしてないけどさー」

「……?」

「しょーくんの手、離さないようにね」

 

 そう言うと、奏ちゃんはすっと席を立った。

 それとほぼ同時に、後ろのドアが開く。そこに立っていたのは、話題に挙がっていた将貴その人だ。

 

「ま、なにはともあれ、この大覇星祭楽しむといーよ」

「うん。ありがとう奏ちゃん」

「じゃーねー」

 

 ひらひらと手を振り、奏ちゃんは席を譲るように扉に向かった。後頭部で結んだ深紅のリボンが、歩調に合わせてぴょこぴょこと跳ねている。

 

「お疲れ、将貴。競技はどうだった?」

「圧勝。俺がいなくて良かったかもな」

「もう、だからってサボるのはダメだよ?」

「分かってるよ」

 

 そう答えた将貴は、躊躇なく明菜ちゃんの隣に座って、純白の髪を撫で始めた。その姿はあまりに自然体で、まるで仲の良い兄妹に見える。

 

「どーだ明菜。久々の外は」

「――?」

「楽しいか?なら良かった」

 

 穏やかに笑いかける将貴を、明菜ちゃんは不思議そうに見つめている。深い蜂蜜色の瞳には、将貴以外なにも映ってないように見える。

 

「……ところで、なんで明菜は体操服なの?しかも常盤台の」

「奏ちゃんが着せたんだよ。雰囲気でるからって」

「まず形からってことか……?」

 

 困惑する将貴だが、いつもの病衣は不便だと思ったのか、すぐに納得した。

 私も同意するし、なにより可愛い。せっかくだし、後ろで髪を束ねたら、もっとそれっぽくなる気がする。

 

「なら、私も明菜ちゃんに魔法をかけてあげるよ」

「……魔法?」

「うん。まあ見てて」

 

 怪訝な表情をする将貴を横目に、私は明菜ちゃんの髪に触れた。将貴のおかげか、会うたびに綺麗になっていく純白の髪に、少し嫉妬しそうになる。

 

「(来年はもっと綺麗になるんだろうなー)」

 

 今度はきちんと競技に出る明菜ちゃんと、それを応援する私たち。熱を入れすぎて応援する将貴と、それを抑える私。

 そんな光景が浮かんで、思わず笑みがこぼれる。

 

 こうして2人で、ゆっくりと明菜ちゃんと過ごす時間が、実は結構好きだったりする。

 理由は、まあ、恥ずかしくて言えないけど。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 天井の高い廊下を、松浦奏は静かに歩く。

 大きな窓ガラスから差し込む日射しは、廊下を柔らかく照らしている。高く伸びた植物のカーテンはエアコンの風に揺れ、屋外以上に生き生きとしていた。

 

「(人の『弱さ』なんて、普通は知らないんだよ)」

 

 呟いて、私は呆れたように笑った。

 あの2人の互いへの理解の深さと、相反するようなすれ違いは、いつ見ても同じだ。2人とも(ある意味)純粋なため、こんなことが起きているのだろう。

 

 彼らは一見すると、お似合いのカップルのように見える――事実ではあるのだろう――が、想いの『質』がまるで異なる。

 中村涼乃が抱くのは、純粋な『好き』に違いない。

 だが、私の勝手な予想で言うなら――

 

 「(……しょーくんは多分、すずのんが『好き』じゃない)」

 

 厳密には、純粋な『好き』ではない。

 大切に思ってるのも、守ろうとしているのも、間違いなく事実。でもその本質は、『好き』だからじゃない。

 

 彼女が『憧れ』だと、彼は口にしていた。加えて、好意とは明らかに異なる、煮え切らない態度。にも関わらず、あれほどまでに苛烈な想い。

 

 おそらく()()()()にとって、中村涼乃は『正解』の基準なのだ。

 

 もっと言えば、中村涼乃を真似ることで、前原将貴は自分の『正解』を間接的に証明しているのだ。

 

「(しょーくんが風紀委員にいるのも、あの時に『必要な人』が、たまたま『正しい人』だったってだけ。仮にすずのんが暗部の人間なら、そのまま堕ちてただろーねー)」

 

 きっかけは八月十日事件。

 あの事件を通して、彼は自らを否定した。

 大きな間違いを犯したから、自分を信じれなくなった。でも、今度こそ間違えたくないと思った彼は、『正解』を自分ではなく他人に――自分を助けてくれた、中村涼乃に求めることにした。

 

 だから信じる。

 だから憧れる。

 だから守ろうとする。

 だから近くにいたいと願う。

 でも、最後の一線だけは絶対に越えない。

 

 だって中村涼乃は、前原将貴の『正解』を示してくれる『鏡』なのだから。

 

「めんどくさい生き方してるなー、しょーくんは」

 

 鏡に踏み込む人はいない。そして、『自分』を守らない人もいない。たとえそれが、鏡の中であっても。

 だからこそ彼は、無意識でも彼女を守れる。中村涼乃に対する苛烈なまでの想いは、要は自分に対するそれと同じ。

 

 そんな歪な関係だから、2人は簡単には離れない。さらにめんどうなことに、しょーくんはその『歪み』を自覚してるから、なにがあっても一線を越えない。

 

「自分の善性を確信するのも問題だけど、全否定するのも考えものかー」

 

 ローファーを鳴らしながら、私は執務室へ向かう。

 そんな歪な関係、いっそ切れてしまえばいいのに。そうすれば次は、より綺麗に、よりシンプルに結べるのに。

 『鏡』越しに見るより、自分で見た世界の方が、よほど広くて、美しいののだから。

 でも、そこまで口を出す権利は無いし、面倒を見るつもりもない。

 

 まあ要するに、何が言いたいかというと。

 

「あの2人、さっさとくっつけばいいのにねー」

 

 興味なさげに、小さな支配者は呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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