とある風紀委員の日常   作:にしんそば

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第97話

 

 

 

 

 

 通りから少し外れた路地で、本来なら絶対に交わらない2人が相まみえる。

 その1人である泡浮万彬は、目の前の老人に、得体のしれない恐ろしさを感じていた。メガネに白衣という、見た目こそ学者のような老人だが、滲み出る違和感が『まともじゃない』と告げている。

 

「まさかこの街に、これほどまでに『悪意』に欠けた存在がいるとは……」

 

 老人が困惑の声をあげる。戦争の最前線に子供が現れたような、私こそが異物となったような、そんな呆れにも似た声だった。

 

「お嬢さん。そこの3人に代わって非礼を詫びよう。怖がらせてすまなかったね」

「……い、いえ。貴方様は」

「周りからは『ハカセ』と呼ばれている。まあ好きに呼ぶといい」

 

 『ハカセ』と名乗った老人は、そう言って笑った。口角は釣り上がっているが、目元は一切変わらず、その静かな温度差が不気味だった。

 

「この祭典中に、長話というのも無益だろう。そこにいる御坂美琴を渡してくれるかい?こちらで保護したいのだよ」

「……申し訳ありませんが、その言葉が信頼に値するとは思えません」

「ふむ。君のようなお嬢さんを痛めつける趣味は無いんだが……」

 

 そう言って、『ハカセ』は白衣の中で手を動かした。

 瞬間、ばしゅん!!と。私から1mほど横の地面に、大きな亀裂が走った。

 

「……え」

 

 あまりに突然の出来事に、思考が止まる。そこに生まれたのは恐怖ではなく、困惑。

 

 いま、何が起きたのだろう。

 こんなにも硬い地面を、どうすれば切り裂けるのだろう。相手は老人であり、能力でもなければ、武器を使った素振りもない。

 なにより、そんな力を、どうして人に向けられるのだろう、と。

 

「私の時間は貴重なんだよ。分かるだろう?」

 

 『ハカセ』が、先ほどとまったく同じ、表情と目が一致しない歪な笑みを浮かべる。

 この人が、私を殺そうとしたんだ。

 それを理解した瞬間、明確な恐怖が私を呑み込んだ。これほどの悪意に晒されたのは、生まれて初めてかもしれない。ぶるぶると足が震えて、鳥肌が止まらなくなった。

 

「さて。御坂美琴を渡してもらえるね?」

「……で、できません」

 

 それでも私は、拒否の言葉を告げた。

 なぜかは分からない。ただ、私の胸の内から湧き上がる何かが、次の言葉を続けていた。

 

「ここで引き下がることは、私の『正解』に反します。それが分かっていて、素直に従う訳にはまいりません……!!」

「なら仕方ないねえ。痛めつける趣味は無いが……それだけで生きれるほど、人生は甘くないものだ」

 

 そう言った『ハカセ』の口角が、切れ込みを入れたように釣り上がる。

 不並びな歯と、なによりも目。私を格下どころか、人とすら見ていないような目が、ひどく不快だった。

 

「常盤台中学か。ならば高位の能力者なのだろうね。そんな優秀な『素材』を失うのは遺憾だが……まあ能力者など、また作ればいい」

「……!」

 

 『ハカセ』の手が、白衣の中で動く。

 斬撃が来る。そう思った私は身構えて、しかし目だけはしっかり開いて、原理を解明しようと努める。

 

 そして――――なにも起こらなかった。

 

「……?」

 

 斬撃はおろか、音すら聞こえなかった。遠くで行われている競技の実況の声が、どこか遠くに聞こえる。

 カチカチと、『ハカセ』の手が白衣の中で何度か動いた。

 

「……ふむ。君の能力かい?」

「お答えする義務はありません」

 

 そう言った自分の声に、少し驚く。怒ることなんてほとんど無かったが、今の声には、自分でも分かるほど明確な怒気があった。

 何に対する怒りか、までは分からなかったが。

 

「(……本当に、運が良かっただけです)」

 

 切り裂かれた地面をもう一度見て、ごくりと息を呑む。

 賭けですらない、神頼みにも近い策が上手くいったこと――そして、いま生きていること。それを実感して、場違いにも安堵する私がいた。

 『目の前に現れた時こそ、目の前以外を警戒する』。この言葉がなければ、今ごろどうなっていたことか。

 

「(後で改めて感謝しませんと……)」

 

 話し合えるとは思えなかった。しかし、相手は明確な武器を持っていない――ならば目に見えない武器を使うかもしれない。

 

 だから私は『周囲の浮力』を最大にして、見えない脅威への対抗を試みたのだ。

 私の能力――『流体反発(フロートダイアル)』で浮力を操作すれば、薬品などの小さな物質は跳ね飛ばせるし、何かが強襲しても、軌道を逸らすくらいはできる。

 

「(……どうしましょう)」

 

 しかし、これ以上のことができない。

 この能力は攻撃には向かないし、武器すら分からない不気味な相手に挑むなど、私でも分かるほど無謀だ。

 だが、素直に引き下がるのは論外。御坂様を早く病院に連れていき、お医者様に看せなければならない。

 

「……投降していただけますか。殴り合いなどという野蛮な行為は嫌いなのです」

「勇ましいね。しかし君のような女性に、そんな心得があるとは思えないが?」

「常盤台生の嗜みとして、多少の護身術は心得ていますので」

 

 姿勢を低くし、護身術の構えをとる。使う日がくるとは夢にも思わなかったが、今はそれに感謝である。

 丸腰の老人を相手取るのはどうしても気が引けるが、今は緊急事態なので目を瞑る。

 

 だが、私は間違えていた。

 すぐに逃げなかったことも、能力を過信していたことも。そして、『相手取る』という甘い考えも、

 

「ふむ。私はこの通り、ろくな運動もできない身だ。『オジギソウ』が使えないとなると……()()()()()()()()()()()()()に頼るとしよう」

 

 『ハカセ』の白衣から、ずっと隠れていた手が出てきた。握られていたのは、無愛想で、重量感のある黒い物体。

 映画や史料で見たことは何度もある。しかしこの国で、使ったことのある人は稀だろう。

 

 すなわち、拳銃。

 

「――なっ」

 

 乾いた破裂音が響いた。

 ばしっ、と。私の足に何かが当たる。そこに赤黒い点が生じて、やがて赤い何かが飛び出した。糸が切れたように、私の足から力が抜ける。

 

「あ、え……?」

 

 痛みは無かった。それ以前に、現実が理解できなかった。相手が拳銃を持ち出したこと。撃たれたこと。そして自分の体に、風穴が空いていることも。

 しかし、それも一瞬の話。

 

「あ、あ?あああああぁぁぁぁぁっっっ!!!?」

 

 火箸で貫かれたような熱さが、足から全身まで一気に呑み込んだ。その熱を塞ごうと、必死に穴を押さえつけるが、ぬるりとした感触があるだけで、なんの意味も無かった。

 

「あああぁぁぁっ!!かっ、あ?あ、ぁぁぁあああ!!?」

 

 近くで金切り声が聞こえる。それが自分のものだと理解したのも、自分が倒れていることを認識したのも、しばらくしてからだった。

 明滅する視界に見えたのは、苛烈なまでの赤。それが、足を押さえる指の隙間から溢れている。

 

「ふむ。胸を狙ったつもりだが、少し逸れたね。やはり私に、こういった才能は無いらしい」

 

 あまりの痛みで意識を手放すことすらできない私に、そんな呑気な声が聞こえる。自分で撃ったにもかかわらず、あまりに他人事な呟きに、とてもじゃないが理解が追いつかない。

 

「(痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い――!!?)」

 

 じわりと、明滅していた視界が滲む。何度呼吸しても酸素が足りず、陸なのに溺れているような気がした。

 なにひとつ理解できない現実に、脳内で氾濫する感覚。そのすべてを呑み込む激痛。あまりの状況に、気が狂いそうになる。

 

「――あっ!?」

 

 ガツッ!!と、顔に鈍い衝撃があった。歪んだ視界に、先ほどの警備員(アンチスキル)の男が映る。

 顔を蹴られた、と思った直後に、今度はお腹に鈍い衝撃が走った。痛みのあまり、私の能力も機能していない。

 

「君が恨むべきは、深さも分からない沼に、好奇心だけで足を踏み入れた思慮の浅さだね。まあ、これも経験と思いたまえ」

 

 何か聞こえたが、もうどうでもよかった。痛みすら薄くなり、気張る力すらもう無い。

 そんな思考に最後まで残ったのは、1つの無念。

 

 ――御坂様を、お守りできなかった。

 私が不甲斐ないばかりに、御坂様を危険に晒してしまった。常盤台、高位能力者と言われながら、肝心な時に、私は何もできなかった。

 

「申しわけ、ございま……せん……」

 

 視界に、ゆっくりと黒い幕が降りていく。保とうとした意識がゆらりと輪郭を歪めて、湯気のように消え去った。

 

「―――」

 

 その間際、一瞬ではあったが、黒い影が見えた。そこに浮かんでいたのは、緑色の腕章と、ひと筋の金のメッシュだけ。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 ゴンッ!!という音が響いた。その直後、フル装備の警備員――の格好をした男――が崩れ落ちる。それを待たずして、黒い影がもう1人に迫る。

 

「なに――」

 

 驚いた男の首に、刺すような手刀が入る。手刀は首の装備の隙間――人が動く以上必ず生まれる場所――に吸い込まれ、鈍い音を炸裂させた。

 

「……ほう」

 

 崩れ落ちた2人を尻目に、『ハカセ』は影を見つめた。

 黒とグレーを基調とした体操服に、肩がけの小さなリュック。左腕に通った緑の腕章と、右の前髪に金のメッシュがひと筋走った少年だった。

 

「――泡浮をやったのは、お前か?」

 

 黒い少年が向き直って、私と目があった。少年は倒した2人には目を向けず、じっとこちらを睨んでいる。「いかにも」と私は答えて、「そうか」と少年は返した。

 

「……なにか起こるとは思ってた。けど、うちの後輩にまで手を出すとはな」

「いやはや。私だって想定外だよ。素直に話してくれれば、手を出すこともなかったろうに」

 

 少年は何も言わず、倒れる常盤台の少女のもとに膝をついた。少女の白磁の肌は真っ赤な血に汚れて、どこか美しさを感じる。

 

「………」

 

 少年は額のハチマキで少女の足を縛り、応急処置止を施した。そのためか、それとも少年に会えたためか、少女の顔が僅かだが穏やかになった気がした。

 

「――あとはお前だ」

 

 すっと立ち上がった少年が、無機質な目を私に向ける。それは相手を人とも思わない、悪意に対して何の罪悪感も無い――要は()()()()()()で見慣れた目だった。

 

「『表』の人間にしては怖い目をするねえ。私のような老人には、思い遣りを持ってほしいものだが――」

 

 ぱんっ、と。

 何の前触れもなく、何の躊躇もなく、少年がリュックから銃を抜いて発砲した。弾丸は正確に私へ向かい――その数メートル手前で、明らかに不自然な軌道を描き、地面を抉った。

 

「……驚いたね。これほど平然と撃つとは思わなかったよ」

「撃たれて平然としてる奴は、俺も初めてだ」

「何事も経験だよ。前原将貴君」

 

 けたけたと笑うと、少年が不快そうに眉を歪めた。私のような存在に、自分が知られていることが嫌だったのだろう。

 

「噂はかねがね聞いているよ。随分と活躍しているそうじゃないか」

「………」

「だけど、知っているかい?武勲でいくら飾ろうとも、自分を守ってくれるわけじゃあない。いかなる英雄でも、所詮は1発の弾丸で斃れるんだよ」

 

 そう言って、私も拳銃を抜く。

 狙うは前原将貴――ではなく、倒れている常盤台の2人。特に紺髪の少女だ。

 

「(全反射(ハーモニクス)は強力だが、あくまで瞬間的なもの。隙を見て『オジギソウ』で包めばどうにでもなる)」

 

 その隙は、前原将貴『以外』を狙えば作れる。

 前原将貴の最大の弱点は、『自分以外は守れない』のに『自分以外を見捨てない』こと。そこを小突けばいいのだから、これほど簡単な相手もいまい。

 

「(……だが、松浦君を敵に回すのは面倒だねえ。あの子が本気で暴れたら、宥めるのに骨が折れそうだ)」

 

 前原将貴は実験素材として興味深いし、あの幼き支配者を怒らせるのも面倒だ。殺さない程度に留めておこう。

 そう思った私は、落ち着いて照準を定めて――

 

 ――カンッ、という音がした。瞬間、壁のような閃光が視界を覆い尽くした。

 

「――ッ!!」

 

 あまりの光量に目を瞑る。思わず発砲しそうになるが、代わりに『オジギソウ』を操作した。

 バジンッ!!と、金属が潰れる音が、すぐ近くから聞こえた。それが2回続いて、ようやく視界が元に戻りはじめる。その視界に、前原将貴はいない。

 

「――よお」

 

 真上から声が聞こえた。視線を上げるより早く、目の前に鉄骨――隣接する建設現場に積まれていたもの――が落下する。衝撃で砂利が吹き飛び、私の体を激しく叩いた。久方ぶりの痛みに顔が歪む――が、致命傷にはなり得ない。

 

「お前の力の正体は、おそらく『目に見えないほど小さな物体』によるもの」

 

 少し離れたところに着地した前原将貴が、静かに話し始める。足元には常盤台の少女たちが転がっていた。

 私は改めて銃を構え、少女に照準を合わせる。それとほぼ同時に、前原将貴も私に銃口を向けた。

 

「銃弾を逸らしたり、使い勝手は良いようだな。だが、自分の攻撃だけを通す、なんてことはできるかな?」

「試してみるかい?お代は彼女の命で構わないよ」

 

 そう言って私は笑う――が、追い詰められているのは私だった。言われた通り、『オジギソウ』にそんなことはできない。

 特定の周波数に、特定の反応をするナノサイズの反射合金。それが『オジギソウ』である。周波数を組み合わせることで様々な攻撃を可能としているが、敵味方を選ぶことはできないのだ。つまり下手をすれば、自分が餌食になる可能性がある。

 だいいち、今の鉄骨の衝撃で、『オジギソウ』を付着させた雑菌は、ほとんど吹き飛んでしまっている。

 

「(……分が悪いねえ。ここは無理をする場面じゃあないし、ひとまず退散しようか)」

 

 前原将貴が、ほんの一瞬だけ私から視線を外す。

 近くに転がっている御坂美琴と、もう1人の少女の身を案じたのだ。風紀委員(ジャッジメント)に相応しい振る舞いである。

 

「私はもともと建築に興味があったんだけど、目指すうちにミクロの世界に可能性を見出してね」

 

 私は銃を下ろして、空いた片手をポケットに突っ込み、離脱用のトラップを起動する端末を取り出そうとする。

 

「御坂美琴に撃ち込んだのも、ミクロの象徴たるナノデバイスだ。私を殺すのは構わないけど、自力で解読でき――」

 

 ぱんっ、という乾いた破裂音が響いた。

 腕に凄まじい衝撃が走り、そこに赤黒い点が生じる。先ほどと違うのは、弾が命中したということのみ。

 

「――ぐ、あああぁぁぁっっ!!?」

 

 取り出しかけていた端末を落としてしまう。それを拾おうとして、手前の地面が弾けた。その衝撃で、端末が遠くに飛ばされる。

 また撃たれた。しかもわざわざ外して、立場の違いを明確にするように。

 

「ナノデバイスの解読、ね。なら、お前から直接聞き出してもいいんだな?」

「ぐっ……!!」

「撃たれた程度でガタガタ抜かしてんじゃねぇ。先に喧嘩売ってきたのはお前だろう」

 

 眉ひとつ動かさず、前原将貴はそう言い放った。

 無機質なその瞳は、少なくとも風紀委員のそれではない。松浦奏が気に入るわけだと、頭のどこかで納得した。

 

「(……一か八か!!)」

 

 もう片方の手に持っていた機器を操作し、『オジギソウ』を発動させる。

 ガシャガシャガシャ!!と、鎖を強引に引き千切るような音がして、隣接する工事現場の足場――その一部が崩れ落ちた。偶然にもその近くには、始末した常盤台の少々たちが転がっている。

 

「――!」

 

 前原将貴はそれに気付き、とっさに近くへと駆け出した。必然的に背を向ける形となり、その隙があれば十分だった。

 

「……?」

 

 結局、崩れた足場は安全ネットに引っかかり、地面に突き刺さることはなかった。

 そうして前原将貴が見たのは、ひしゃげたドラム缶に、歪んだ鉄骨。あとはヒビ割れた端末と――

 

「はじめましてぇ☆」

 

 蜂蜜色の長い髪を靡かせる、新たな常盤台の少女が1人。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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