表から外れた工事現場に、前原将貴の舌打ちが響く。
どうやら泡浮を庇っている間に、敵を逃してしまったらしい。今後もぶつかる可能性を考えたら、気が滅入るどころじゃない。
「(とりあえず、奏に連絡するか)」
そう思って、右手の拳銃を見つめる。
幼き支配者から「多分使うから」と渡されたものだ。残念なことに、その読みは今回も正しかった。
「(奏はどこまで見えていたんだ?)」
今後について、改めて話し合う必要がある――と思ったそのとき、じくりと頭が痛んだ。
動悸が激しい。冷や汗が湧き上がり、空気の濃度が急に下がったような息苦しさがあった。喉の奥から強烈な吐き気がせり上がり、鼻の奥がつんと痛む。
「うっ……!!」
この感覚はよく覚えている。
アレルギーのように、外ではなく、内からの拒否反応。
すなわち、『自分が人を撃った』という事実に対する、強烈な忌避感。
「(久しぶりだな、これも……!!)」
足がふらついて、視界が傾いた。
俺は、人を撃った。どんな形であれ、人を殺す兵器を、人に向けて使った。
その事実が、毒のように俺の頭を犯し始める。
エンデュミオンでシャットアウラを撃った時は、まだよかった。狙ったのは手に持った武器で、撃ち抜く自信はあったし、事実成功している。
だが今回は、急所は外したとはいえ、明確に人を狙った。しかも、相手は老人。その1発が致命傷になりうると、理解したうえで撃った。
俺がやったのは、偶然にも相手が死ななかっただけの、殺人未遂なのだ。
「(……っ。それで、いい。俺は『正解』を選べているはずなんだ)」
深呼吸して、どうにか自分を落ち着かせる。
武器を握る者は、それ相応の覚悟が求められる。その覚悟なら、既に決めている。いまさら迷う余地は無い。
俺は額の汗を拭って、改めて顔を上げて、そしてがようやく、目の前の存在に気付いた。
「はじめましてぇ☆」
それは蜂蜜色の髪の少女だった。
明らかに不自然な場所にいる、あまりに自然な立ち姿が、強烈な違和感として浮かび上がる。
その少女は見覚えがあった。おそらく、この学園都市において、最も有名な少女の1人だろう。
「……食蜂操祈?」
「あらぁ?私を知ってるの?」
学園都市の頂点である
「すごいわねぇ。アレでも暗部組織のリーダーなのに、撃退するなんて大したものだわぁ♪」
食蜂は軽く振る舞っているものの、視線は見定めるようにじっと俺を捉えている。
星が宿ったような大きな瞳は、俺を見ているようで、見ていない。
「(常盤台の女王、か)」
記憶をもとに、俺も食蜂を見定める。
俺が
常盤台で『女王』として君臨し、校内で圧倒的な影響力を誇り、思うがままに振る舞う。良くも悪くも
「時間力もないし、申し訳ないんだけどぉ」
食蜂がブランド品らしい小さな鞄に手を伸ばす。出てきた手には、何の変哲もないテレビのリモコンが握られていた。
「さっきのこと、ぜーんぶ忘れてね☆」
ピッ。
*
「っ――」
少年が膝をつき、頭を垂れる。揺れた前髪のメッシュが、陽の光を浴びてキラリと輝いた。
黒とグレーを基調とした体操服に、肩がけの小さなリュック。緑の腕章が通る腕の先には、無骨な拳銃が握られていた。
「(……ただの
暗部組織のリーダーを撃退する時点で、並の能力者ではないのは確かだ。それに、本物らしいその拳銃は、ただの風紀委員が持てるものではない。
「こっちも収穫力は無さそうだしぃ……」
落ちていた『ハカセ』の端末を拾って、画面が点かないことに落胆する。もっとも、動くとしても『残しても問題ない』程度の情報しか出ないだろう。
となると、それを見ていた人間に聞くのが、1番手っ取り早い。
「一応、覗かせてもらうわね☆」
形だけの謝罪をして、いつものようにリモコンのボタンを押す。
そう、いつものように、記憶を覗こうとした。
「――――えぁ?」
ガクンッと、視界がズレる。
膝をついたと思う間もなく、全身から汗が溢れる。呼吸が途切れて、唇が震えてきた。
「え……?」
意識を手放さないよう、必死に思考を巡らす。しかし、苛烈なほどの『生』の実感が、思考を支配する。
引き金を引かれたが、偶然にも弾切れだったような。
竜に呑まれたが、偶然にも吐き出されたような。
「――うっ!?」
伸びた右腕が、私の胸倉を掴んだ。強引に顔を上げられて、金のメッシュの奥にある、鋭い視線が突き刺さる。
「……そんな簡単に、やられると思ったか?」
「(な、んで……!?)」
少年の呼吸は荒く、ひどく辛そうだが、意識は手放していなかった。
どうして?能力に失敗した?いや、そんな自覚は無い。複雑な命令は出してないし、『例の少年』のように、打ち消された訳でもない。
「……ッ」
少年の顔がさらに歪み、腕の力が緩む。呼吸が戻り、急に酸素を取り込みすぎて、肺が痛くなった。互いに膝をついて咳き込み、落ちついたところで、私はようやく口を開いた。
「なんで、気絶しないのよぉ……?」
「……いきなり襲ってきて、言うことはそれか?食蜂操祈」
「……知ってたの?」
「
ガチッと、少年が私に銃を向ける。黒より黒い銃口を前に、さすがに肝が冷えた。
悪意には慣れているものの、能力に自信が持てなくなったのは初めてだった。
「……さて、話を聞こうか」
「銃口を向けて話なんて、紳士力が足りないわねぇ」
「自分は通り魔みたいなことしてただろ」
笑う気分にもなれず、気まずい沈黙に包まれる。
といっても私は、少年と敵対したいわけじゃない。常盤台の少女を助けた時点で、少なくとも悪人ではない。
「ひとつ、ハッキリさせておこう。お前は、泡浮の『敵』か?」
「……とりあえず、敵ではないわ。あの子がいたのは本当に予想外って感じ?」
「泡浮は巻き込まれただけってことか?」
「そうねぇ。好奇心が猫を殺しちゃっただけだと思うわぁ」
「ならいい」
そう言って銃を下げた少年は、携帯端末でどこかに電話をかけた。
さて、この子の上には、いったい誰がいるのだろうか――
「奏。早速動き出した」
『――。――より――ね』
「……え?」
少年が口にした名前と、かすかに聞こえた声が、私の思考を固定する。しかしそれとは無関係に、話は進んでいく。
「ヒトミと泡浮が襲われた。至急移送を頼む。特に泡浮が重傷だ。応急処置は終わってるが、急いでくれ」
『――を――――したの?』
「とりあえず撃退はした。だけどもう1人、よく分からん奴がいる」
『――?』
「食蜂操祈」
名前を呼ばれ、はっとする。見ると、スピーカーにしたのか、こちらにスマホを見せてきた。
そこから、よく知った声が聞こえる。
『みっちゃん?わー、久しぶりだねー』
「……松浦さん」
幼い声色。軽快な口調。聞き覚えのあるその声に、自然と背筋が伸びる。
常盤台中学3年にして、首席。さらに風紀委員の
『みっちゃんが動いてるのはちょっと予想外かなー。
「……いいえ、私1人よ。それに、やっと分かったわぁ。この子、噂の飼い犬ちゃんね?」
「誰が飼い犬だ」
スマホを持った少年――前原将貴が私を睨む。顔は知らずとも、聞き覚えのある名前だった。
第一位の
『良かったねしょーくん。有名人じゃん』
「年下に犬呼ばわりされたんだけど」
『にゃはは。ま、少し待っててねー』
場違いなほどの軽口が飛び交うなか、私は思わず口を開く。この人相手には、考えるより聞いた方が早いことを、私は経験で知っていた。
「松浦さん。貴女はどこまで知っているの?」
『んーにゃ、特になにも。ま、
はあ、と。諦めの溜息をつく。
この人がそう言うなら、ほぼ確定だ。『表』に住んでいながら、ここまで暗部を牽制する存在もいないだろう。
「ねえ、松浦さん。私たちの目的は、きっと近いところにあると思わない?」
『そーだねー』
「協力させてくれない?少なくとも私は、貴女とは敵対したくないし☆」
『おっけー』
松浦さんがあっさりと了承する。こちらと向こうの温度差に、思わずがっくりしてしまう。
そうだ。この人はこういう人だった。
「……分かってるのかしら?私に協力して、って言ってるんだけどぉ?」
『後輩に頼まれたのに、突き放すのは嫌でしょ?』
にゃはは、と松浦さんが笑う。何も考えてないようで、私の理解が及ばないだけということも、私は知っている。
いずれにせよ、松浦奏さんが味方に――いや、松浦さんのカードに私が加わった。これだけで、こちらの勝算はグッと増える。
『ところで、しょーくんの記憶とかって見た?』
「……?いいえ、見ようとしたら妨害力を発揮されちゃったわ」
『ふーん?そう?』
松浦さんが、少し考えるような口ぶりをする。しかしそれは一瞬で、気付くともう話が進んでいた。
『まあ、のんびりお茶する時間も無いし、動くのはしょーくんたちに任せるよー』
「え?」
『もうすぐ着くと思うし、後はそっちで動いてねー』
それじゃ、とだけ言い残し、松浦さんの声が途切れる。
それとほぼ同時に、視界に2人の影が現れた。どちらも茶髪で、年も同じくらいの女の子だった。
「えっ」
1人は御坂美琴。私と共に常盤台の双璧を成す
しかし隣の少年は、御坂さんには目もくれず、もう1人の少女を見て絶句した。
「さっきぶりだね、将貴」
薄茶色の髪に、同じ色の瞳。肩まで伸びたセミロングの髪は、素朴な白い髪留めで飾られている。
そんな純朴そうな女の子が、ニコニコとブチ切れた様子でそこに立っていた。