声が響く。
どこか懐かしく、それでいて、あたたかな少年のような声。
聞き方によっては女の子の声のようにも聞こえる。
「ねえ、そこにいるなら、返事をしてよ。声を聞かせてよ。」
それは、ちょっとした嘆願。私には叶えることのできない切実な願い。
人の目に姿が映ることなく、長きにわたって人間という種を守り続けてきた。
私たちは、
「守護天使様…」
私たちは、守護天使と呼ばれていた。
プロローグ
晴れた空を夕焼けが一面橙色に染め上げていた。
さわやかな風が耳元を通り抜ける。そよそよと歌うように流れる風は私のもとへ村人の笑い声を届けていた。
ふ、と視線を落とすとこじんまりとした村の様子が広がる。囂々と雄大な自然を象徴するかのように飛沫をあげて滝が流れ落ち、太陽の光がきらきらと反射されている。
並ぶ家々はお世辞にも豪華とは言えない。しかしみすぼらしくもない。のどかな村の雰囲気にぴったりと合っている落ち着いた色の屋根の上。
そこに私たちは空中からこの村を眺めていた。
「天使マミよ。よく頑張ったな。」
私の横には毛髪を潔く刈った頭部をもち、いかめしい顔つきをした天使が立っていた。
「はい、師匠」
彼の名はイザヤール。眼下に広がるウォルロ村の守護天使を務め、天使たちからの信頼も厚い。私が最も尊敬する師である。
四六時中悩んでいるような気難しい師は、私の方を向いて珍しくも微笑んだ。
「立派に役目を引き継いでくれて、このイザヤール、師としてこれ以上の喜びはない。これからはウォルロ村の守護天使マミと呼ばせてもらうぞ!」
人より十倍も遅く年を取る天使にとって、地上を生きる弱く、脆い人間たちを守ることは義務であり当然のこととして教えられる。人間界に降り立つことを許可され、魔物や災害のような脅威から人々を守り、助ける”守護天使”は私たちにとって特別な役目を持つ。
かくいう私も160年生きたが、間近で人々を目にしたのはここ数年の話であり、それまではずっと物語の中、もしくは空高い天使界から豆粒にも満たない大きさの人間たちを眺めるほかなかった身なのだ。
「私としても、これ以上の喜びはございません。幼き頃から夢見ていた守護天使、師匠に代わって立派に務めさせていただきます」
「…落ち着いているのはいいことだが、マミよ」
「なんでしょう、師匠?」
「もう少し感情をあらわにして喜んでもいいのだぞ?その冷静さが、160歳という幼き身で守護天使に推薦した理由の一つであることは確かなのだが…」
「……人を守るのに、感情はいりませんよ、師匠。感情が乏しい天使なことは自覚しています。しかし感情というものに必要性を感じていないこともまた確かなのです。」
師匠は腑に落ちない様子で私を見つめていたが、やがてあきらめたように首を横に振ると村の外に目をとめた。
「…む!?」
師の目の先を見やる。そこには10代半ばと思しき少女と、息を切らしてゆっくりと歩を進める老人の姿があった。
整備された道、普段であればほとんど魔物など出ることのないウォルロ村から外へ出るための一本道だ。当人たちもそのつもりなのだろう、護衛のような腕の立つ者がいる気配や周囲を警戒しているそぶりはない。
しかし彼らの進む先の岩陰には青いゼリー状の体を持ったスライムと、ズッキーニを模した魔物が槍を構えて待っていた。
「危険、ですね。」
「最近魔物が活発化しているようにも見える…以前はここまで頻繁に魔物が人の道に現れることがあっただろうか…、」
「師匠?」
また悩み事か。ぶつぶつとひとりごとを呟く師へ声をかける。師ははっとなった様子で剣を抜き、翼をはためかせる。
「行くぞ。今こそ我らが使命を果たすとき!」
師の後を追い、空からそっと、岩陰に身を潜める魔物たちの背後に降り立った。
(驚くでしょう、あなた方の後ろに急に現れたのですから。)
不便なものだ、とマミは常々思う。
神も私たちに人間を守らせるのなら、魔物にだって私たちの姿を見せないようにしてくださればよいのに。そんな願いもむなしく、魔物たちは後ろを振り向き現れた私達の姿に驚き戸惑っている。
すぱっ。
横薙ぎの一閃。師が先手を取って横一列に並んだ彼らを無情に切り裂いた。身の柔らかなスライムは上下の二つに分かれやがて光となる。その場に音を立てながらゴールドを落としていく。
剣戟が浅く仕留め損ねたズッキーニ型の魔物に私は即座に距離を詰め、手に持つ剣を魔物の中心に深々と立てる。勢いで押し倒し、自重をかける。地面までその魔物を貫くと、魔物はやはりスライムと同じように球体のような光の集まりとなって消えていき、スライムよりも少し多めのゴールドだけが残った。
ふぅ、と一息つくと道の方から励ますような明るい声が聞こえてきた。
「もう少しよ、おじいちゃん。あと少しでウォルロ村につくわ」
「おお、おお。このように無事に村まで戻ってこられるとは、これも、守護天使様たちのおかげに違いない…のう、リッカ?」
岩陰の向こうからは、先ほどの老人と少女が歩いてくるのが見えた。話し声も、耳を澄まさずとも聞こえるほど近くにいる。
剣をおさめ師匠の方を向くと、師は二人から目を離さないようにと促す。
私たちにはまだ、仕事が残っている。
リッカと呼ばれた少女は、頭に夕暮れに溶けてしまいそうなほど鮮やかな橙色のバンダナを巻いていた。肩までに切りそろえられた髪の毛は、瞳の色と同じく青い色をしている。村でも有数の信心深い人間の一人だ。
彼女は老人の言葉にうん、と言いながらその場に膝をつき天を仰ぐ。
「道中お守り下さってありがとうございます。守護天使さま。」
言い終わると同時に空よりも澄み、海よりも深い青をたたえた光が少女を包み始めた。光は瞬く間に一つの球体の塊へと収束し、空へとどまった。
青、という表現は似合わないかもしれない。
塊にちりばめられた輝きを放つ白点がまるで夜空に浮かぶ星のようであることから、天使たちの間ではもっぱら”星のオーラ”と呼ばれている。となればこの青は夜空であり、表現するのならば青ではなく黒ともいうべきなのかもしれない。
まあいいだろう。色の表現に悩むくらいに、この星のオーラの放つ光は神秘的なのだ。
「星のオーラは、人間が守護天使に対して感謝の気持ちを持った時に生じる代物であり、それを集めて天使界にある世界樹に捧げるのがわれら天使の使命である。忘れてはおらぬだろうな?」
「承知しております。師匠。」
星のオーラは、人間には見えない。ひとりでに天使のもとへ浮いてやってきては、力を失ったように音もたてず地に落ちる。
感謝の気持ちも、誰にも気づかれなければこのまま朽ち果ててしまう。
手を伸ばすと、それは存外すっぽりと私の小さな掌の中に納まった。落とさぬよう、きゅっ、と両手で抱きしめるようにして持つ。腕の中に星が舞った。
視線をあげると、先ほどの二人の後姿はすでに遠くなっており、もう村につきそうなところまで近づいていた。長く伸びた二人の影がだんだん夜の闇に消えつつある。
そろそろ日が落ちるころか。
師はぽん、と肩の高さにも満たない背の私の頭をなでると、大きく背の翼を広げた。
「ウォルロ村の守護天使マミよ。ここはひとまず天使界へ戻るとしよう!」
それに返事をする代わりに、私は師の3分の1ほどしかない自らの翼を広げる。
小さくひざを曲げそれから大きく上を向いた。先に飛び立った師を追うようにして、羽ばたきと同時に地を蹴る。
まもなく夜の暗闇に覆われる世界を眼下に収め、2人の天使は地上を後にした。
表現一部冗長だったものを編集。内容は変化してません。