「お前、本当に天使なのか?」
「本当に天使ですよ。なにかご不便でも?」
「いや、別に。………天使って、強いんだな。」
「もちろん。人間を、守らなければなりませんので。」
「悪かったな。子守みたいなことさせて。」
「安心してください、ニードさん。あなたが傷つくことなどさせませんよ。」
「………そうかよ。」
わずかに間をおいてニードが返事をし、ため息をつきながら空を仰ぐ。
村を出る頃には日はまだ上がったばかりだったが、今は空高く輝いている。しばらく歩いていると、ウォルロ地方を囲む山々が狭まり始め、峠へと続く道を型作っていた。多いと聞いていた魔物もそれほど遭遇することなく、予定よりも若干早く彼らは峠の道にたどり着いた。
「なんだ、別にどこも普通じゃねえか。」
入り口に立つニードがどこかつまらなさげに呟いた。
「ま、もっと見てみないことには村に人が来ない原因もわからねえし…なあ、マミ?」
もっと先に進んでみようぜ、と彼が振り向くと、マミは口を呆然と開いたままその場に立ち尽くしていた。
彼女の目の前に見えていたのは、あの時の方舟だった。
見間違えるはずがない。忘れるはずもない。黄金色に輝く重量感のある胴体に、星散らす煙を吹き上げていた煙突が伸びている。
「天の方舟…」
「は?」
ニードが立ち尽くすマミを訝しげに覗き込むが、マミは全く気にすることもなく、ニードの横を歩いて通り過ぎ、彼の目には木々が乱雑に倒れ伏しているようにしか見えない空間を一心に凝視しだした。
「おい、そんな木が倒れてるとこ見てどうしたよ?」
なぜこんな所に方舟があるのだろうか。
紫の光に貫かれ散った後、ここに落ちて来たとでもいうのだろうか。
天使界で見たときほどの輝きも今はなく、空を自由に飛び回っていた面影は微塵も見えない程に、胴体の光はくすみきっていた。
マミが手を伸ばし方舟に触れる。彼女に呼応するかのように方舟が一瞬だけ振動した。気のせいかと思い紛うほど微弱に、しかしたしかに振動したのだった。
「おいったら!!!」
ニードがマミの肩を掴む。
「聞こえてんのかよ、大丈夫か?」
ハッとなり、ようやく自分の方を見たマミに対して、わずかに安心した表情を見せつつも、浮かべる笑顔は引きつっている。
「なんか…いたのか?」
吃りながらもニードが肩から手を離し、尋ねる。
不安そうに自分を見返すニードを見て、マミが目を見開いた。人間とはかくも簡単に、嫌っていた人のことさえ慮ることができるのか。
「いいえ…」
自分が触れてみないと、守るべき対象たる彼らの心も分からない。
彼にこの方舟は見えてはいなかったのだろう。少しぼうっとしていただけで、心配をかけてしまった。
気を張らないと。
守るべきはずの人間に、世話をかけるわけにはいかない。
「なにも。なにもありませんよ。
行きましょう、ニードさん。峠の先を見に行かなければなりません。」
マミは歩を進める。ニードも元通りの様子のマミに安心したのか、やる気に満ちた声でおう、と返事をし、その背を追った。
今はこの方舟にできることなんてきっとない。
だけど…だけど、それでも自分が天使であったことを証明してくれるような方舟の存在は彼女の心を奮わせた。
他の天使も、自分のように落ちたのかもしれない。元気でやっているかもしれない。そんな一縷の希望を胸に抱き、マミは自分の使命を再確認する。
守護天使として、自分がしなければならないことを全うしよう。
そして少しずつ、他の天使の情報を集めよう。
ざああ、と風が峠を過ぎていく。緑に萠ゆる木々の葉が舞い上がり、マミたちを追い越していった。
時間が経って、舞い上がった葉が地に降り立つ頃。
「あいつ、アレが見えてたワケ?」
風が吹いてきた方向。マミ達の背後遠くで、桃色の光が閃いた。