遺跡を進めば進むほど、ドラキーより手強い、と感じる魔物は増えた。しかし彼らに翻弄されることがないのは、自分が今まで以上に戦いの覚悟を理解しただけではないだろう。
彼らは一階のドラキーたちと違って徒党を組むことが極端に少ないのだ。鎌を携えたゆうれいしかり、機械仕掛けとみられる鉄の鳥しかり、基本的には1対1、多くとも3体にしか囲まれることはない。
「魔物にも、生活圏が違えば文化も異なるということなのですかね…?」
そうつぶやきながら、マミは足元で光に変わっていく鉄の塊を剣で転がした。カシャン、という金属が触れ合う音があたりに響くが、だからと言って畳みかけてくるような魔物も見当たらない。
思えばずいぶん進んだものだ。マミはふうと長く息をついた。持参していたウォルロ村の水を口に含みあたりを見回してみる。最初に入ってきた広間からは階段三階分ほど下に降りてきていた。もともとは道として使われていた名残なのかはわからないが、遺跡の中はそれほど入り組んでいない。六角形を基調として様々な広さの間が通路、あるいは階段付近に点在しているため、視界も悪くない。
ところどころカギのかかっていない宝箱が落ちていたので、多少の申し訳なさを抱えつつも中身を失敬した。
身に着けると自分の身が何かで守られ、守備力が上がったように感じる金色の指輪や、現在使われているものと同様の金貨まで入っていた。天使界でも同じ通貨、ゴールドを用いていたものの、マミが所持している金額は多い方ではない。若干懐に入れるのをためらったが、彼女は結局回収することにした。
「よい、しょ」
マミは目の前の扉を押し開ける。床は剥げてはいるものの赤く装丁された絨毯に覆われており、扉を進んだ先にはこの遺跡に入って初めての登り階段があった。
ここまで一度もルイーダと思われるような人間に遭遇していないことが気がかりではあったが、マミはひとまず階段を上る。すると案の定階段の先の開けた広間も六角形になっていた。歩く音がコツコツと響く。やけにこの階は静まり返っていた。遺跡に入ったばかりのような大量に魔物が潜んでいる静けさではなく、生物そのものがいない、という静けさ。
「あ~~~~~もうっ」
不意に上げられた声にマミの肩がびくついた。女性の、それも妙齢の女性の声だった。恐ろしい生き物の気配に交じって女の人の気配がする。マミは警戒を切らすことなく手に握る剣の柄をぎゅう、と握りしめ、目の前にあるここよりも広いと思しき部屋への扉を開ける。
「…っ、あら。可愛い子。ちょっとこっちへ来て瓦礫をどけてくださらない?」
六角形の広間の周囲を、絶え間なく流れ落ちてくる水が囲んでいる。どことなく今までの部屋よりも光がさしているように明るい。それもそのはずだ。広間の奥には太陽の光のような明かりが差し込んでいる通路が見える。瓦礫があたりに散らばっており、お世辞にもきれいであるとは言えない広間になってしまっている。その中央あたりに女性は散乱する瓦礫に足を挟まれて臥せっていた。
日が沈んだ後の空のような深い青色の髪が顔を半分隠していて、マミの立っている位置からでははっきりと顔を判別することはできない。一部しか見えていないが、それでも整った顔立ちだった。切れ長の瞳は髪の色と等しく青。瓦礫に挟まれた痛みからか歪めている顔つきさえも男性を魅了するしぐさのように見えた。かがんでいる姿勢になると胸元の強調される服装によるものか、その胸に否が応でも目が行ってしまう。身なりや聴いていた話からか弱い女性という印象を受けたが、意外とそうでもないのだろう。助けを求める目には、この遺跡を抜けきることに対する自信が満ちている。間違いない。彼女がルイーダだ。マミは訳もなく、ただそう確信した。ルイーダは、唐突に現れた少女に臆することもなく声をかける。
「けがは大したことないんだけど、足を挟まれて動けなくなっちゃって困ってたの。」
「いいですよ。もとより…、あなたを助けるために私はここまでやってきたので。」
「気障な子ね。女の子だけど、そういう子は嫌いじゃないわ。早くここを出ないと、またあいつが…」
彼女の足に乗っていた瓦礫はそう多くなく、マミが一つずつどかせばすぐに足は動かせるほどだった。どかしながら言った彼女の”あいつ”という言葉にマミは心当たりがあった。
「あいつって…」
ズドオォォン…
尋ねた質問に答えが返ってくる前に、ルイーダの紡いだ言葉は振動音にかき消された。
「きたわ、ヤツよ!あいつから逃げようとしたときに上から降ってきた瓦礫に挟まれたの、頭上に気を付けて!」
どかす瓦礫もあと少しだったんですが、とマミは独り言ちた。先の振動音はどうやら上から降ってきた瓦礫によるものだったようだ。落下とともに生じた砂煙には大きな黒い影が生じていた。
この部屋に入ってからうっすら感じていた不気味な気配。ナニカの息音。
「ブモアアアァァァア!」
咆哮とともに砂煙を払って、二人の目の前に姿を現したナニカは、マミの5倍を優に越した大きさをした獣だった。不気味なほどに輝いた桃色の瞳はどこを見ているかもわからない。目の横から雄々しく飛び出ている二つの角に突撃されてはひとたまりもないだろう。ざっざっ、と遺跡の床を蹴る音がひどく大きく聞こえた。
「ルイーダさんは私の後ろにいてください!瓦礫から抜けられるようでしたら、そのまま逃げてしまって構いません!!」
マミがルイーダの前に立ち剣を構えた。倒せるだろうか。自分はあまりに獣に対して小さすぎる。あの角をこの剣で受け止められるのかどうかも定かではない、が。
「私がこの獣をどうにかして見せます!!!」
今は彼女を護ることが先決だ。安心させることが不可欠だ。マミは声を張り上げ、背を振り向くこともせず獣に走って飛び込んだ。ガキリと剣は角ではじき返されたが、獣の意識を自分に向けることには成功したようだ。後ろから聞こえた女性の、瓦礫から抜け、逃げた音に対して獣は何の興味も示していない。
「さあ、これで1対1です」
獣は床を蹴るのをやめたのを合図に、マミに向かって一直線に突撃してくる。
「う、わっ」
その加速は想像より早く、構えていたはずのマミは、横っ飛びになって逃げるのでやっとであった。突撃を交わされた獣はそのまま壁へと突っ込んでいき、再びドゴン、という鈍い衝突音を遺跡中に響かせる。案外この遺跡ももろいのだろうか、衝突と同時に上から瓦礫が次々と落ちてきては砂煙を巻き起こす。音からして、獣は向きを変えて、次の突撃の準備をしているのだろうが、煙に覆われてしまってマミの視界からはまるで何も見えていない。
…見えていなくとも、私にはこの耳さえあれば。
マミはそのまま目を閉じた。
遺跡というのは便利なものだ。地下にあるがゆえに邪魔な音が入ってこない上に、きれいに設計された壁や床はよく音を反響してくれる。
ブモブモ、という獣の息遣いが聞こえる。反響具合から壁からの距離は遠くないだろう。足音から察するに、たった今こちらの方を向いたのだろうか。しかし鼻息のする方向とマミのいる方向は若干ずれていることから、獣もマミのいる位置が完全に把握できていないことがわかる。
マミが若くして、守護天使に抜擢されたのは理由がある。
戦闘が強いだとか、師匠の推薦があっただとか、それにも勝る資質があるのだと師はかつてマミに語っていた。
異常なまでの耳の良さ。それが若いということを差し引いても彼女を守護天使の座に据える価値があることだったと、師はつづけた。
耳を澄ませば離れた人間の衣擦れの音、ひいては呼吸の音までもが彼女の耳には届く。そこまで耳が良ければ、他人の良くない話や、噂にさらされることも多いだろう。嫌な経験をしたこともあったはずだ。本音を漏らす他人を信用できないことも多々あるはずだ。どこにいても世界から音が消えることはなく、安息を得たことが少ないのではないか。
そうした経験を経ても、マミは生きる道を曲げなかった。ある意味心が強いのだろうとも言っていた。
いい耳は、迷える人間の存在をすぐにわかってあげられるだろう。
いい耳は、人を脅かす魔物をすぐに見つけられるだろう。
声の機微から、心の揺らぎを発見できるようにもなるだろう。
自分にはできなかったことを、マミならやってのけるような気がするのだ。
師匠はマミが守護天使になる前日、そのようなことを言っていた。
「私の武器は、耳の良さです。どこにいようと、私にはわかります」
マミは天井を見上げた。グラグラと揺れ、今にも落ちてきそうな瓦礫がいくつかある。耳を澄ますと、瓦礫のきしむ音がする。砂煙はまだ晴れそうにない。マミは自分のいる位置を少し移動してから、剣で床を何度かたたいた。
「さあ、こちらですよ!来るなら来てみてください!」
煙の向こうの獣がこちらを向いた気配がする。お互いの姿は見えていないはずだが、剣の音に向かってあの獣は突撃してくるつもりだろう。ザっ、という音に次いで、遺跡全体を揺らしながら獣はマミの目論見通り遺跡の端からマミのいる所まで走ってくる。
そして、
「ブモアアアァァァアアアアアァァァ!?」
獣が叫び声をあげながら半身のけぞった姿が、マミの目には煙の陰として映っていた。