獣の頭にはひときわ大きい瓦礫がのっかっていた。否、落ちてきていた。
ルイーダの瓦礫をのけた時にマミが感じたこと。それはこの遺跡を形作っている石はひどく頑丈であるということだった。何百年も遺跡としての原型をとどめているだけはある。そもそも石が人の手で砕けるほど脆いものであればここまで長い間遺跡が持つこともないだろうし、ルイーダ自身も足が挟まったといって移動を断念することなどないだろう。彼女だって石を破壊して抜け出そうと考えたはずだ。しかし、できなかった。
彼女の力がどれほどであるかは知らないが、生半可な力では遺跡を構成する石にひび一つ入れることはできないことは確かだ。それなら、この瓦礫はあの獣に対する攻撃手段になりうる。
マミは事前に大きな瓦礫が落ちてきそうな位置を天井のきしむ音から把握していた。猪突猛進に突っ込んでくる獣だ。響く音で挑発すれば、簡単に瓦礫の落ちてくる直線状を走ってくるだろう。上手くいったとしてもせいぜい背中に堕ちるぐらいだろうと目論んでいたマミにとって、獣の頭にクリーンヒットしたのはうれしい誤算であったが、ここで喜んでいる場合ではない。
「ブモアアアァァァア!」
相当痛いのだろう。悲鳴を上げながらのけぞっている獣の柔らかそうな腹部はマミに向かってあらわになっている。マミはだめ押しのつもりで、手近にあったレンガサイズの瓦礫をもだえる獣の頭部を狙って投げる。獣は声にならない叫び声をあげてバランスを崩し、緩やかに床にむかって背を傾けていく。
獣が倒れる前に、マミは握りしめた剣を片手に獣めがけて一直線に駆ける。
ズガァン、バラバラ…、と床に獣が倒れる音。次いでいくつもの瓦礫が遺跡の天井から零れ落ちてくる音が響く。マミはひっくり返った獣の腹部の中央に飛び乗り、乗っかる形で立っていた。剣を両手で胸の前に構える。
ふう、と細く息をつき、刹那短く吐いた息を吸う。体中に力を込めて構えた剣を振り上げた。そのまま、真下へ突き立てる。
剣先がぐさり、ともぶすり、ともちがう鈍い音を奏でて柔らかな肉壁を破る。あまりいい感触はしない。いや、感触どころではない。剣を通じて手に伝わるものがなんだか理解するほどの余裕はない。
剣が沈み込むにつれて獣は耳をつんざくような声を上げて叫ぶ。力の限り叫ぶ。やめてくれと懇願するように、痛いとでもいうかのように。かろうじて見える獣の目はマミに対する殺意で満ちている。先ほどまでの桃色から打って変わって、怒り狂った赤色に染まっている。しかしマミも引くわけにはいかない。今度は、情けなんてかけない。
「う、うう………あああああっ!!!!」
獣が叫ぶたびに腹部には力がこもり、剣の進みは悪くなる。負けじとマミは剣に全体重をかけて踏ん張りねじ込んでいく。悪しき魔物として恐れられていた魔物とは、おそらくはこの獣であろう。封印された遺跡で、悠々と過ごしていたのかもしれない。相手の事情は知らない。だけどこちらの事情は明白だ。やらなければ、やられる。助けに来たはずのルイーダもろとも。
力の限り、マミは吠えた。
そして、いつしか遺跡は静かになった。
「…」
息も絶え絶えに、突き刺さった剣を頼りにマミが獣の上でぺたりと膝をついた。獣はピクリとも動かない。息の音もしない。角の先が淡く光を帯びて獣は消えようとしている。見ると手は、獣の体液にまみれていた。当然だ、腹部を切り裂き剣を突き立てていたのだから。ふ、と意識するとひどく不快なにおいがした。ほかの生き物の血の匂いが、我に返ったマミの鼻を痛いほどついてくる。
角が光を帯び始めたのを皮切りに、獣の体全体が遺跡の背景に溶けていこうとする。降りなければ、マミはこのまま床にたたきつけられてしまうだろう。
「体が、動かないのかしら?小さな旅人さん」
いつのまにかルイーダが獣の足元に立っていた。足に包帯がまかれているところを見ると、自分でけがの処置はしたのだろう。マミは自分の体が自分では動かせないほどに消耗しきっていることを、ルイーダの問いかけに対して首を縦に振ることで答えた。
「良い戦いっぷりだったわ。セントシュタインにいたらスカウトしちゃいたいくらい。さ、いつまでもこんなところにいて、また魔物に襲われてもつまらないから、外に出ましょ」
ルイーダがチリンと澄んだ音を立て、鈴を懐から取り出した。
さああ、と涼しい風が葉を揺らす音が連なった。青々と茂らせた草木の匂いがいつも以上にいい匂いに感じられた。遺跡の入り口を背にして、2人の女性が立っていた。小さい少女が汗ばんだ額にくっついた髪をかきながら呟いた。
「空気がおいしいと感じる日が来るとは夢にも思いませんでした。」
自分より幾分か小さな少女を横目に、ルイーダが驚いたように肩をすくめた。
「あら、冒険をしたのは初めて?その感覚、大切にするといいわ。いつか先の見えない洞窟に潜ったときに、生きて外に帰ってこようという活力になるから。」
ルイーダが思い出の鈴と呼ばれる、鳴らした者が入ってきた洞窟、および遺跡のような建造物から入り口に瞬時に戻ってこれるという道具をマミに手渡す。大事に取っておきなさい、と彼女は微笑んだ。
遺跡を出た後、ルイーダはマミの手持ちの薬草やらなんやらを用いてマミの治療をした。幸い命に危険を及ぼすようなけがはしておらず、マミが動けなかった理由は主として疲労であった。そのため治療の大半は遺跡に入ってから蓄積されていた魔物との戦いによる傷であった。
「自分でこのくらいの治療はできるようになった方がいいわよ、これから旅を続けるならね。」
「あ、りがとうございました」
「お礼をいうのはこっちのほうよ。助けてくれてありがとう。」
ルイーダはしゃがんだままそよそよと吹く風になびかれているマミを置いて立ち上がる。ぱんぱんと、スカートについたふなぼこりを払うとぱちんと音が鳴りそうなほど手慣れたウインクを少女に飛ばす。
「それじゃ、私ウォルロ村に用があるから、お礼はまた改めて!」
引き止める間も無く「アデュー!」と言い残して走り去ってしまった。
深い青色の髪が揺れる後姿を、マミは眺めていた。もらった鈴をふくろに詰め込むと、途端に眠くなってきた。疲れ自体はすでに体にのしかかってきており、目的であったルイーダを助けることも果たした。安心したのだろう。彼女を助けることができたのにも、無事にあの遺跡から戻ってこれたことにも。
「私も、ウォルロ村に戻らないと、ですね」
眠くだるい体を奮い立たせてマミは立ち上がった。しばらく休んでいたからか、汗はもう引いている。いい風だ。いい草木の匂いだ。他の天使たちにも教えてあげたいほどに。
ゆっくり進もう。マミは先程走り去っていった女性とは対照的な歩速で歩き始めた。