「いやです」
とは、言えなかった。リッカの今の姿を見れば、彼女に加担するのは間違いだろう。リッカは明らかにセントシュタインに行くことを拒否している。ウォルロ村の守護天使の立場からすると、この場でルイーダのことを諫めて帰っていただくのが正しいのかもしれない。しかし、
「あなたも、あの子がこんなところで収まっていいだなんて思わないでしょう?」
こう思っているのもまた事実だ。この村に堕ちてきてからリッカの振る舞いに長らく触れてきたが、おおよそ村一つでとどまっていい人材ではないとマミも思う。素性知れないマミをこうまで優しくしたこと然り、この宿の存続状況然り。マミはウォルロ村以外の人間の世界をあまり知らない身ではあるものの、天使界での人間の話を聞く限りでは、リッカがもっと多くの人間のために生きていくことができる、することができるのではないかと思ってしまう。
「…検討、してみます」
こう答える他なかった。ひとまずマミは宿泊するつもりだというルイーダをあとに残してこの宿を出た。先ほど暗くなった日は早くも落ちてきており、あたりはすでに夜の色に染まっていた。
「…」
人知れずため息をつく。天使でいればこのような他人の人生を大きく変えるようなことに手を加えることなんてないだろう。なんせ話も通じない、姿が見えることもない人間たち相手だ。できるといったってせいぜい人助け程度のものだった。それが今はどうだ。人とともに魔物と戦い、あたかも村人の一員かのように生きて、他人の人生に口を出すなど。
「おせっかい…じゃないですか」
そうひとりごちた。どうどうと相も変わらず流れる滝の音を背に、家路につくと、扉の前には見慣れない男性に姿があった。村の者ではなさそうだ。恰幅の良い、鮮やかな赤の帽子をかぶった男性の顔は後ろからでは見えない。が、どこかいわれのないやさしさが背中から伝わってくる。後ろに近づくものの、彼はマミに気づいていないようだった。視線の先には、夕飯を作るリッカの姿があった。
「こんばんは」
「うひゃうっっっ⁉」
横から覗きこんでもマミに気づいていなかったのか、男性は素っ頓狂な声を上げながら横に飛びのいた。あまりの驚き具合にマミのほうものけぞってしまう。男性は一瞬何が起こったのかわからない顔をして、あたふたと泳いだ目の焦点をやっとのことでマミに合わせる。
「え、ええ。こんばんは、こんばんは。ええと、あなたは…?」
どこかでお会いしてますよね、とつぶやきながら男性は一生懸命に記憶の糸をたどっているようだ。マミのほうも男性の顔に見覚えがあり、同様にして記憶をたどる。そう遠くない、最近の出来事だ。
二人がわずかに沈黙し、そして同時に思い当たる。
「「キサゴナ遺跡の!」」
「ああ、ああ、道理で。見たことあると思ったんですよ。あの時も私のことが見えていたようだし、偶然じゃなかったんですね。幽霊が見えるだなんて、なんとまあ不思議な人だなぁ」
そう言って朗らかに笑う男性は確かに透けて見えた。脚はおぼろに消えかかっており、顔もよく見れば青白い。キサゴナ遺跡でマミがドラキーに襲われているときに手を引き助けてくれた、あの男幽霊だった。
「あの時は、仕掛けを教えてくださりありがとうございました。おかげで命拾いいたしました。私、マミと申します。」
深々とマミは頭を下げる。彼は銅像の仕掛けを教えてくれた後すぐにいなくなってしまったため満足にお礼も言えていなかったのだった。この村にいるということはマミが守護天使を任される前に没された人間なのだろう。ひとまず名乗ると、男性は怪訝そうに眉をひそめて考え込む。
「マミさん…マミ、はて、マミ……?どこかで聞いたことが………。あ、あなたもしかして、しゅごてん」
「ちょぉっとまったあぁ~~~~~~!!!」
「しぐはっ」
男性がマミに指をさして思い当たった言葉を述べようとするとどこからともなく桃色の光が男性の腹部に飛んできた。人の好さそうな彼の柔らかな腹部は光にえぐられ、男性の口からは思わず声が漏れる。そのままよたた、と数歩よろめく男性に気を留めることなく、桃色の光はマミの正面に浮遊したまま喚き散らした。
「おっさんのいうこと、ききずてならないんですケド!あたしもさ?最初はこのぼんやりさんがもしかしたら…とか思ったりしたけど?でもさでもさ?守護天使ってさ、頭にワッカがあってさ、背中に羽とかあるじゃん?こいつなんもない訳!ねえ、聞いてる?」
「…ちょっと、聞いていませんでした。幽霊とはいえ男性に突撃した挙句、謝罪もなく人の言葉をしゃべるあなたは何者ですか。魔物で有れば容赦はしませんよ、ここは村の中です。あなたが入っていい場所ではございません」
マミが剣の柄に手をかける。精一杯声音を下げる。このように小さく光のように動く魔物は見たことがない。魔物だと答えられても一閃できることができるだろうか。返答を待つマミの手がぎゅう、と剣を握りしめた。そんな彼女の心配を他所に、桃色の光は気分が良いのか先程よりも上機嫌な声でマミの周りをひらひらと飛び回る。
「え、それ聞いちゃう??聞いちゃう??」
光はマミと男性の頭上高く舞い上がるや否や姿を現した。
「聞いておどろけ!アタシは謎の乙女サンディ!あの天の方舟の運転手ヨ!」
マミはその姿にあっけにとられて正直自己紹介など耳に入って来なかった。高い声にふさわしい少女のような外見はマミが一度も見たことがない風貌だった。目が覚めるようなド派手な金色の髪はウェーブがかかっており、桃色というには主張の強すぎるピンクのコサージュが添えられている。どこで日焼けしたのか、と聞きたくなるほど黒く染まっている肌に負けじと顔は異次元の容貌をしていた。まつ毛も眉毛も、どう工夫を凝らせばそこまで堂々たる形になるのだろうか。服もそうだ。短いズボンに露出が多い衣装。かわい子ぶってるつもりなのか、握った手を首元において足をくねらせ飛んでいる姿もわけのわからなさを助長している。
「………え、と」
気にするべきはそこだけではなかった。むしろ気になるべきはこっちだったはずだ。サンディ、と名乗った少女は小さいマミの両の掌に収まってしまいそうな大きさで、背からは先刻から輝いている光とおなじ桃色の翅が4枚はためいている。明らかに人外の生物である。魔物ではないのだろうか。いや、魔物でないにしろコレは人間ではないだろう。明らかに。
「妖精………?」
「ぶっぶー、ハズレ!だ、か、ら、乙女って言ってんデショ!全く、こっちもあの大地震から方舟が動かなくなっちゃって、どうしよーって思ってたところにアンタが現れたから期待してついてってんのにさ。全然天使っぽくないジャン⁉」
「は、あ」
「でもお互いこのままじゃ困るわけジャン?あんたも天使界にもどる方法わからなさそうだし?」
「は、あ」
「そこでアタシ的には、アンタがほんとに守護天使なのかどうか確かめたいのヨ!」
「は、あ」
「ちょーどいいとこにユーレイのおっさんもいることだしさ!ちゃちゃっと昇天させて星のオーラ!出したらアンタを天使と認めて方舟うごかしたげてもいーよ!」
は、あ、とマミは四度目の返事をする。すっかり会話の主導権があちらに握られている。要するにどういうことなんだ、とマミはごちゃごちゃしてきた頭の中を整理しようとする。天使界に帰れる手掛かりをどうやらこの桃色の生き物は持っているらしい。あまつさえあの天の方舟の運転手として。そしてその条件がこの男性を昇天させること、ということなのだろうか。
「他人の命を、そのような賭け事に利用するだなんて、私にはできませんよ」
生憎この桃色の生き物のことは気に食わないが、天使界に戻る手掛かりは欲しい。とはいえマミも守護天使だ。そんなあまりに自分勝手な理由で人の魂を昇天させるわけにはいかない。落ち着きを取り戻したマミはサンディのほうを見てしっかりと断る。
「構いませんよ、マミさん。私もこのままでいいとは、思ってませんので。」
話に置いて行かれていた男性が声を上げる。でも、と続けるマミを制するように男性は話をつづけた。
「宿屋での話、私も聞いていたんですよ。申し遅れましたね、私がリッカの父、リベルトです。あの子の人生を私が縛り付けてはならないのです。いつか魂が昇天するなら、私は今がいいです。マミさん、どうかこのおいぼれの願いを聞き届け、リッカをも助けると思って、昇天させてくれはしませんか」