かつて呼ばれていた名は   作:なめこしいたけ

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父と娘に4

「…まみさん」

 

マミが何かを言うよりも早く、リッカはぽつぽつとつぶやき出す。後ろに控えた祖父には気にも留めない様子で、虚空を見つめたまま。

 

「私、何が何だかわからないんです。」

 

声は震えている。今にもその表情を失った顔のまま、泣きだしてしまいそうだ。

 

「父さん、楽しいって言ってたんです。あの小さい宿でも、一緒にやるのが楽しいって。私も楽しかった。細々と、だけどこの村に住んでいないお客様をお迎えするのが、ずっと。父さんはどうだったんだろう。私、何にも聞いてないの。ルイーダさんの話を聞いてたら、訳が分からなくなっちゃって……。」

 

リッカの言葉に、マミは村人の言葉を思い出す。ルイーダがリベルトを探しているとき、彼女のことを知っている人は誰一人としていなかった。名前を出しても、心当たりがある人1人としていなかったのだ。「リベルトは、この村に来る前のことは滅多に話さなかったから」村人たちは口をそろえてこう言うのだ。リッカにだって村に来る前の話をしていなかったのは当然ともいえる。マミが返す言葉を探している間にリッカは先をつづけてしまう。

 

「ねえ、マミさん。父さんが伝説の宿王だったなんて、嘘だよね?」

 

「……。」

 

マミが一歩進み出る。袋を数秒かき回し、先ほど見つけたトロフィーを取り出す。一瞬訳が分からない顔をしていたリッカが金色に光るそのトロフィーを見て目を見開いた。もしかして、という小さな声が目の前の少女から漏れる。何も言わずマミはそのトロフィーを彼女に差し出すと、リッカもまた何も言わず受け取った。

 

とても大切なもののように、掘られた名前を指でなぞる。なぞりながら一文字ずつ、自分の実の父親の名前を口にする。震えた手が、彼女の身には少し大きいトロフィーをぎゅ、と抱きしめた。

 

「あなたの父親は、本当に伝説の宿王でしたよ。それが確かな証拠です。滝つぼの裏にひっそりと隠してありました。」

 

「そんな……、ルイーダさんが言ってたことは本当だったんだ……!」

 

マミの目にはリッカの瞼に光るものをとらえた。うるんだ瞳が助けを求めるように自分のことを強く見つめ返す。

 

「じゃあ、なんで父さんはこの村に帰ってきたの!?折角宿王にもなったのに、どうして!?父さんが何を考えてたのか……!」

 

ドン、とマミの胸元に衝撃が与えられる。リッカがもつトロフィーが突っ返されたようにマミの体にぶつけられた。マミの視点から彼女の表情は見えない。トロフィーをマミに押さえつけたまま彼女は下を向く。わずかに肩が震えている。リッカはそのままマミに縋るかの如く顔を近づける。詰めよる。

 

「私にはサッパリ、わかんないよ!!!」

 

「リッカさん……」

 

あの気丈だった彼女はこうも弱弱しく涙を見せるものだったのか。マミにそう思わせるほど彼女の頬は目から流れる涙でびしょびしょに濡れていた。

 

悲しいかな、マミには泣いた、という経験がなかった。どういう気持ちなのか推し量ることが難しかった。昔から師匠にも言われてきたが、感情に乏しいのだ。感情の高ぶりがもともと小さいのだ。泣くほど困惑しているリッカの気持ちが、マミにはほとんどわからなかった。

 

だけど。

 

「リッカさん。」

 

マミは自分の目の前で子供のように泣きじゃくる少女に両腕を回し、ぎゅう、と抱きしめる。昔本で見たように、天使界でカリナがかつて自分にしてくれたように。見様見真似ではある。しかしどうしてかこうするべきだと、マミは思った。だから、抱きしめた。

 

 

 

落ち着いたのだろうか。リッカの泣き方は次第にすすり泣きに近くなった。大丈夫ですか、とマミが声をかけると声には出さないものの、こくりと頷くことで返事を返す。

 

「そのことについては、わしから話そう、リッカ。」

 

後ろで気配を潜めていたリッカの祖父が声をかける。おじいちゃん?とわずかにきょとんとした顔で泣きはらした顔の少女が答える。マミはリッカを手近な椅子に座らせると、老人も同様に椅子へ誘導した。入り口に自分と、サンディとリベルトがひっそりと並ぶ形で立つ。

 

ふう、と息をつき老人がリッカのほうをみやる。少女は先ほどよりも意識がはっきりしたように自分の祖父を見返した。老人は語りだす。滔々と、話すことはずっと前から決まっていたかのように、語り口は滑らかだった。

 

「お前が昔から体が弱かったことは知っておろう、知っているかは知らんが、それはお前の母親譲りの体質じゃ。リッカは顔を覚えておるじゃろうか。母親はお前を生んですぐに、若くして亡くなっておる。当時の奴は悩んでおったよ。奴がトロフィーを受賞し、宿王になったころじゃ。お前が身体が弱いと発覚したのは。」

 

リベルトは悩んだ。このまま自分の夢を追ってもいいものか。周囲の期待もあった。それこそ今村にきているルイーダから止められてもいただろう。セントシュタイン城下町の最大の宿主として、今まであったこともない多くのお客様をもてなし続けることがどれほど魅力的であったか。当人以外にはわからないが、さぞ推し量るに難いものだろう。

 

ふとした時に隣で笑っているのは自分の娘だ。かつて自分が愛した妻と同じ顔で笑う娘。もし自分が城下町で暮らし続ければ娘の病状は悪化していき、やがて妻の年齢に達する前に死に至るだろう。この笑顔を見ることは二度とかなわなくなる。

 

それがリベルトにとっては客の笑顔を見ることよりもひどくつらいことに思えたそうだ。かつて一度だけ、老人はリベルトがそう語るのを聞いたのだという。

 

リベルトは探し、そしてやがてたどり着いた。娘の病気が治る方法に。

 

老人は窓の外、今も遠くで轟轟と流れ落ちている滝のほうを目で示す。

 

「ウォルロの名水と言ってな。この村の水は病気を遠ざけ、体を健康にする効果があるという。」

 

リッカが幼いうちにリベルトはこの村に越してきた。地位も宿屋も捨てて。未練すら残さないように、トロフィーを滝裏に埋めて。その甲斐あってか、今のリッカは風一つひかない丈夫な子に育った。

 

「私の…せいで……」

 

「そう思わせたくなくてあいつはお前にこのことをひた隠しにしてきたのだろう。じゃがな」

 

今のお前ならこの事実を受け止められると、わしは思っておる。

 

リッカの祖父は正面に座る自らの孫を見て笑いかける。リッカのほうの表情は晴れない。しかし先刻のような深刻さはもうない。トロフィーを一度眺め、祖父のほうを見て、ほほ笑んだ。

 

「父さんの夢の先を、私もみたいなぁ」

 

うん。そう呟くと、彼女はすっくと立ちあがった。心なしか晴れやかになった瞳が扉の近くにいたマミの姿をとらえた。

 

「マミさん!私、セントシュタインに行ってみるよ!私なんかに何ができるのかわからないけど…、行ってみたい、やってみたい!」

 

 

***

 

 

天使像の前。リベルトがあいさつ回りをしているリッカを高台から眺めている。

 

「あの子も大きくなったものです」

 

身体は徐々に透けだしている。彼の体を通して向こう側にある天使像が目に入る。しみじみと語る彼の顔は満足そうに和らいでいる。

 

「思い残すことはもう、ありませんか?」

 

「ええ、ええ。私が見ていなくてもきっと、あの子は立派にやっていけるでしょう……」

 

彼の体が滝の色に溶けていく。風が吹く。暖かく、柔らかな風だ。マミはリベルトと目を合わせると、天使に伝わる詠唱を紡ぐ。忘れてなんかいない。手向けとして、儚い命がこの世を去る最後まで、マミには見届ける義務がある。ふ、と師匠が言った言葉が頭をよぎった。

 

――少しぐらい笑顔で手向けたところで、不謹慎にはなりはせぬぞ。

 

笑顔、か。マミは詠唱をつづけながら消えゆくリベルトともう一度目を合わせる。彼が発する言葉はもうマミには届かないが、きっとありがとうと言ったのだろう。

 

「あなたの魂に安らぎを。さようなら、リベルトさん。」

 

上手く笑えたかどうかはわからない。が、何かは伝わったのだろう。最後に見せた彼の表情が一瞬だけ楽しそうに見えた。

 

マミがそのまま空に昇る魂の残滓を眺めていると、後ろから桃色の光が茶々を入れてきた。

 

「ネ、ネ!あんたほんとに守護天使だったんだね!これではっきりしたわね!約束通り天の箱舟にのせてあんたを天使界まで連れてってあげるわ!カンシャしなさいよ~」

 

「……さすがに私でもこのくらいの空気は読めますよ、もう少し黙っていてもよかったのではないですか」

 

桃色の光はてへっ、とでもいうかのようにマミの前に姿を現すとかわいらしくポーズをとった。ひらひらとせわしなく視界を飛び回る。

 

「カンショーに浸るのもいいケド、待たされるのも嫌だし?ま、さっさと済ませちゃおーよ!ほら、ほら!!」

 

「……何を急かしているのです?」

 

サンディは地面近くを浮遊したかと思うと、せっつくように地表付近を指さしている。何かを指示しているようにも見えるが、生憎とマミの目にはただ叢しか見えない。怪訝そうな顔でサンディのほうを見る。何か探しものですか?と問うと、サンディの顔には明らかに狼狽の表情が浮かぶ。

 

「は!?何、アンタ、星のオーラ見えないの?見えなくなっちゃったの!?」

 

「あ……、確かに、見えないですね。どこにも。」

 

「あ~……、もう……。信じていいんだか悪いんだか……。」

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