セントシュタイン1
「わああっ」
マミの隣で身を乗り出したリッカが歓声を上げた。
彼女たちが乗っているのは、一つの小さな馬車だった。時たま訪れる旅人を送り届けるために用いられる馬車。それほど大きくはないが、ほろの中は数人が入れる程度に広い。今はマミとリッカが座っているが、あと一人くらいなら座れそうだ。ほろを引いている馬の上で手綱をとっているのはルイーダだった。
「危ないから、あんまり外に出ちゃだめよ。マミも、気を付けなさいね!」
本来なら、キメラの翼で帰るつもりだったのだけど。とルイーダは言っていた。しかし、彼女が持ってきていた翼は遺跡でなくしてしまったらしく、村の道具屋も物資が届いていなかったために翼は品切れになってしまっていた。
幸運というべきか否か、ルイーダは馬を扱うことができるという。それならいいものがある、と村の人が出してくれたのがこの馬車だったというわけだ。
わかってはいたけれど、と思いながらマミは馬車の揺れに身をまかせる。やはり知っているのと実際に乗ってみるのとでは訳が違う。さすがに空を飛ぶには劣るものの、馬車は彼女が歩くのに比べて格段と速い。馬は整備された峠を過ぎ、反対側、セントシュタイン城の存在する地方へとやってきていた。
「峠の反対側、来たことないんですか?」
流れる景色をみて興奮している様子が、ひどく珍しいものに思えたマミはリッカに尋ねる。
「来たことないよ…!一人で峠の向こう側まで行ったら、帰れなくなっちゃうって村の子供は教えてもらうんだ。おじいちゃんと一緒に外に出るときだって、まだらくもいと採取しに行ったり、ウォルロの名水で育った毒消し草を採りに行ったりするくらいだもん。」
「採取する場所によって毒消し草の効果が変わったりするんですか?」
マミの素朴な疑問に御車にいたルイーダが答える。
「そうね、はっきりと効果が変わるわけではないから、ちょっとしたゲン担ぎに近い、迷信みたいなものね。都会で売ってるやくそうとかは都会内で自家栽培したものだったり、田舎から送ってもらって鮮度が落ちてたりするから、そういうのを嫌ってわざわざウォルロ村みたいなところまで赴く冒険者や旅人がいないわけではないわ。」
それにしても、とルイーダは続ける。視線は眼前に広がるセントシュタインの草原に向けられたまま、声だけがほろの中に届く。
「リッカがこっちに来るのは私がリベルトを村に送り出して以来なのね。」
「はい!見たことない花が咲いてますね!村のほうより広がる山々が少なくて…、風が少し乾いている気がします!すぐ隣なのに、こんなに知らないことがあったなんて……、私、城下町に来るって言ってよかった…」
「ふふ、気が早いわよ。でもまあ、自分が住んでいるところを喜んでもらえるのは悪い気はしないわね。」
リッカが外を見るのにつられるようにして、マミもほろの中から外の草原を見る。別に物珍しいわけでもない。リッカを惹きつけていたのは、草原ではなくほぼ初めて見る「外」の世界なのだ。
そしてそれは、マミにとっても例外ではなかった。
「こっち側はこんな風になっていたんですね」
ウォルロ村で見ていた景色とは全く違う。マミだって自分のまかされる村以外のところなど降り立ったことがなかったため、峠を越えた先の世界は全くの未知であったのだ。
「大きな城があるから。人も多く入ってくるし、兵士たちがきちんとこの辺を整備してくれているのよ。」
「そうなんですね…っルイーダさん、止まってください。」
ルイーダが即座に手綱を引く。馬車はほどなく止まりマミがほろの中から馬の前へと躍り出る。どうしたんですか、と外に出ようとするリッカをルイーダが制して止めた。
「少し多いわね。」
ルイーダがマミに向けて言う。マミは軽くうなずき耳を澄ます。先ほどまでいなかったはずの魔物の気配が唐突に濃くなった。近くに人がいるのだろうか。あるいは、襲われているのか。マミは音がする方を探る。
「……近づいてきます。それと……どうやら人が、女性が一人。追われているようです。」
マミが助けに行こうと正面方向から近づいてくるであろう魔物の群れ、および人のほうへ走ろうと地を蹴ろうとした瞬間
「ああ、大丈夫よ。ここに来るまで待ちましょう。」
ルイーダがほんの少し安心した声色でマミを止める。理解ができず、いぶかしげな顔でルイーダを見返すマミに向かって、彼女はわずかに困った表情を浮かべながら微笑んだ。
「多分、知り合いよ。戦いに巻き込まれるとは思うから、準備だけはしておきなさい。」
「はあ。」
いわれた通り、マミはその場で剣を抜き正面方向を見やる。近づいてくる人影が徐々に形を成していく。追われているのは、確かに一人の女性だった。20代、もしくは大人びただけの10代の女性かもしれない。遠目には判別しかねたが、比較的若い女性であるようだった。髪色は明るい日差しを照り返す銀髪。
マミが女性をよく見ようと目を凝らすと、気のせいだろうか。目が合った気がした。女性は走りながら叫んでマミに声を掛ける。
「ちょっとそこの人!そこまで行くから、助けてくれないかしら!?」
と言葉は焦った様子だが、声自体はひどく落ち着いていた。まるで誰かがここにいるのがわかっていたみたいに、用意された言葉のようだった。
「ルイーダさん」
「やっぱり。悪いんだけど、助けに行ってくれるかしら。私がここを守っておくから。」
「承知しました。」
マミは向かってくる女性を守るようにして魔物と対面する。銀髪の女性は並び立つマミを見て驚いたように目を丸くして「あら」と声をあげた。
思っていたほど数は多くないようだった。橙色のスライムが群れを成す後方に、緑色の装束を纏った一つ目の魔導士が三体控えている。杖を持っているところを見ると魔法を使えるのだろう。
「思ったより可愛らしい加勢が来たわね。ルイーダはどうしたの?」
「ルイーダさんは馬車にいらっしゃいます。微力ながら、私が手助けに参りました。」
まずはスライムたちの数を減らします、とマミが言う。女性はそうね、と答えて槍を構えて魔物に向き直った。
構えて…?
「っ戦えるんですか!?」
「もちろん。さすがに魔物が活性化した今のご時世になんの備えもなしに一人で出歩いたりしないわよ。」
「じゃあ、どうして戦わずに逃げて…」
この量の魔物の群れに一度に出くわしたとは考えにくい。いくら活性化したとはいえ、数が極端に増えているわけではないのだから。考えられるのは、女性が戦えるだけの魔物を倒すことなく背を向けて逃げ続けているうちに行く先々で合流した魔物たちを引き連れる形になった、というものだ。この広い草原なら、それ以外にはあり得ないだろう。
「だって、面倒じゃない。それに一人で戦うよりも、その辺の人巻き込んで一緒に戦った方が効率がいいでしょう?」
平然と言ってのける女性のほうを見る余裕はマミになかったが、おそらくは飄々とした顔で答えているのだろう、とマミは声色から判断した。女性の声からは悪気というものが全く感じられなかった。他者を巻き込んで、という発想はマミにとって簡単に受け入れられるものではなかったが、前線を張るマミのサポートをする女性の実力を鑑みると案外妥当なものなのかもしれない、と感じられた。
マミが致命傷を与えたスライムたちを一体一体即座に把握して女性は華麗な槍さばきでとどめを刺していく。サポート慣れしているのだろう。そうマミに感じさせるだけの実力があった。
「あとは任せます」
考えながら敵を倒しているうちにスライムの数は五体ほどにまで減っていた。一つ目の魔導士から時折放たれる火球をよけながら、マミは残りのスライムを女性に任せることにした。
スライムの壁を強引に横切ってマミは魔導士のほうに駆ける。自分たちのほうに向かってくると思っていなかった魔導士たちが一斉に杖を向けてくる。しかし焦った彼らの繰り出す火球はまるでコントロ―ルがきいていない。マミは敢えてよけない。勝手にマミを避けていくメラを横目に、まず真ん中の魔導士と距離を詰める。手に持った剣に力を込め、緑色の装束ごと魔導士を横に薙ぐ。手に骨格を破壊する感触が伝わる。外見に比べて肉の部分は少ないのか。小さい体と思しきモノを斬りつけた。人型の魔物はどうも苦手だ。マミはその感触に顔をしかめながら魔導士の体を上下に分断した。
魔物は絶命とともに光に変わっていくが、その直前までは確かに生きている。
「ぼさっとしてんじゃないわよ。ほら、最後の一匹やっちゃいなさい」
いつの間にスライムを片付けたのか、女性が魔導士の心臓を一突きして光に変える。マミははっとなって隣で体をびくつかせている魔導士に向き直ると、
「……悪く思わないでくださいね」
肩口から腰あたりにかけて大きく剣で魔導士の体を切り裂いた。
誤字修正。報告ありがとうございます。2020/5/21