「…っ」
走り去る姫君を追おうとマミが踵を返すが、ハイローズに首元を掴まれる。
「なに、を…っ」
「王の御前だ、失礼だぞ」
王と姫君の後ろ姿を見比べ、マミが逡巡する。言葉に詰まった表情を浮かべつつも仕方ないといった様子でその場にとどまった。モッチィがその様子と、姫の様子を見てにこやかに王へ微笑みかける。
「難しいお年頃でございますね、それでは私たちはこれで失礼いたしますわ。良い報告ができるよう、尽力して参ります。」
彼女が頭を下げるのと同時に、後ろに控えていた3人が頭を下げる。正確には、礼儀をわきまえないレイの頭と、今にも走り出しそうなマミの頭をハイローズが下げさせている、といった具合だが。
***
「何か不満がありそうな顔ね?」
玉座の間を去ってすぐ、先ほどまでのにこやかな表情はどこに消えたのか、不敵に微笑むモッチィが問う。
「不満もなにも…っ!」
声が大きい、と諌めるハイローズの言葉も意に介さず、マミが声を荒げてモッチィの腕を掴み詰め寄る。
「なぜ、殺してしまうと約束したのですか!確かに城の兵士を襲い、怪我をさせてしまった黒騎士に非はありますが、だからと言って命をとって良い理由にはならないはずです!国王様も、あなたも、誰にだって人間の命を絶つ権利なんて持っていないのに、どうして!」
マミには理解できなかった。いかなる正義があろうとそれは人殺しだ。いくら人間を守るという大義名分があると言えども、犯してはならない禁忌。いとも容易くそれを為そうとする目の前の人間たちが信じられなかった。疑問と、憤り。ぶつけられたモッチィの目は揺らぐことなく答えを告げる。
「人間の命を絶つ権利が、この国の王にはあるということよ」
「世間知らずな奴はこれだから困る」
浅くため息をついてハイローズがマミを彼女から引き剥がす。
「そんな権利…!」
「考えても見ろ。国の長だぞ。国民の命を何人も何百も預かっている。娘の命も大事だろう。それ以上に多くの命も大事だ。その命が脅かされているんだ、1人の黒騎士に。」
「…」
「おまえは黒騎士1人を殺すっていう結果しか見ていないが、そいつを殺さなかった場合、もしかしたら国の何百という人間が死ぬかもしれないんだぜ。…随分と綺麗事を述べてるが、見逃した未来で、おまえはその何百に対しての人殺しになる可能性は考えてるか?」
マミが力なくうなだれる。ですが、と反論する理由がなかった。こんな人助けでいいのかという思いだけが喉につっかえて、言葉にならない。
これを人助けと呼んで良いのか。
「権利と言えるほど大それたものではないかもしれないけどね、そういうことよ。覚えておきなさい」
「まぁ、報酬もくれるって王様言ってたし、がんばろうよ!ちゃっちゃと行って、ちゃっちゃと美味しいものが食べたいよ、僕は!」
モッチィに続いて、黙り込んでいたレイがマミの肩に手を置いて笑う。とてもそんな気にはならなかったが、マミはひとまず黒騎士を倒すことを飲み込むことにした。
「そう…ですね」
「やはり、貴方もそう思われますか?」
城を出ようとしたその時、柱の影から若い女性の声がした。
「わたくしも…彼を、黒騎士を殺すだなんて事には反対なのです。」
「…!ふぃ」
その正体にいち早く気づいたモッチィが頭を下げるより早く、女性はマミの両手を包み込むように握り、嘆願の表情を見せた。
「フィオーネ、姫様…」
「わたくしは…わたくしには、お父様や国の皆様が仰るように、彼が人を殺すような悪い人間には思えないのです。直接素顔を見たわけでもないのですが、何故だかそんな気がするのです」
金色の柔らかな髪が揺れる。近づいてよく見ると、青いドレスの色がよく映える、美しい女性だった。まるで昔のお伽話に出てきそうな、そんな風貌だった。
「お言葉ですが姫様、予感だけでは黒騎士を信じるには足りませんよ」
ハイローズに困ったように告げられ、姫の表情が曇る。わかってはいるのだろう。マミは彼女が自分とは違う考えを持っていると気づきつつも、同じように殺しに反対する彼女に期待を寄せた。
「これからわたくしの代わりに湖に向かわれると言うのに、大変申し訳ございません。それでも、わたくしは…」
言い淀んだ姫が、マミの手を握ったまま諦めたように首を振る。わずかな間うつむいたかと思うと、晴れやかに百合が咲いたような笑顔を作って、4人に向かって仰々しく頭を下げた。
「いいえ、やはり迷惑でしたよね。あなた方が大きな怪我をされる事なく、無事に城に戻って来られるように祈っておりますわ。どうか、お気をつけて。」
多くの人間を助けるために、1人の人間を殺して良いのか
それが国というものなのか。人間の世界なのか。
マミには分からなかった。フィオーネの目に涙が溜まっているのを見て、渦巻いた思いが更に彼女の理解を苦しめたのだった。