「おかえりなさい、レオコーン」
だだっぴろい玉座の間は、かつてのままによく声が通っていた。おかえりと言う声の主は王が座っていたはずの場所に座し、背筋から悪寒という悪寒が逆流させていくほど不気味な笑いをククク、と響かせる。
私はレオコーン。かつてルディアノの騎士だったもの。かつてこの玉座にいた人に仕えていたもの。
かつてこの国に、愛する人を残して来た者。
「随分探したけど、やっぱりここに来たのね。」
たった今、この女と会話するまで忘れていた、全てを思い出した。なぜ覚えていなかったのかは明白だ。覚えていたくもない出来事だったからだ。自分が呪われ、魔族に取り入られていたなどと。何年、何十年も。
「思い出すだけで吐き気がするわ…!」
槍の切っ先を相手に向ける。鈍く光る赤い目が自分を捉えていることが潜在的な恐怖をかきたてる。風もない部屋なはずだが、血色悪い髪の毛はうねうねと嗤うように私を狙っている。
「王国の近くに出た魔女を倒すために来たあなたを、しもべにしたのはいつだったかしらねぇ。ずっと…ずうっと、あの真っ暗な闇世で二人きりだと思ったのに、どうして出ていってしまったのかしら。」
艶かしく立ち上がり、ゆっくりと語りかけるように魔女は近づいてくる。
「ねぇ、私のかわいいしもべ…?」
いつの間にか手が震えているのを、足を踏み鳴らしてかき消した。
「黙れ!イシュダル、今度こそ貴様を…!」
槍を大きく振りかぶる。
相手は構える様子もない。油断している。
こみ上げる激情のままに、漆黒に塗られた槍が魔女を捉える。
討つ。今度こそ。王国を脅かし、幾多の同胞を殺した女だ。私とメリア姫の未来を奪った女。私が弱かったからこそ、得られなかった勝利を…
「今度こそ?バカな男ね。」
最期に見た記憶がフラッシュバックする。
魔女の瞳が光り、目があってしまった、あの瞬間を。
イシュダルと呼ばれた魔女の光が部屋を満たす。
***
「ーーーーっ伏せて!!!」
何度目かの轟音を聞いて、マミたちが音のする部屋に近づくと、部屋から赤黒く筋めいた光が電撃でも放つかのように見え隠れしていた。
黒騎士が戦っている、などと思ったのは間違いだったと、彼らは完膚なきまで思い知った。
遠目に隠れ見るだけでもわかる。これは蹂躙だ。
部屋には黒騎士が倒れ伏し、呻き、力の限り叫んでいた。
響いていた轟音は筋めいた光に包まれた黒騎士が苦しむようにのたうち回っていた音だった。
「…なんだよ、あれ…!」
「おそらく、呪いの一種、かしら。」
黒い呪いの苦しみから逃れようと黒騎士が暴れるたびに、呪いが音を上げて衝撃を周囲に逃がす。先程モッチィが伏せろと言ったのはこの衝撃にあてられないようにだろう。
「…が、ああああああ、ああ!」
見ていられない、と言わんばかりにレイが叫び続ける黒騎士から目をそむけ、部屋の奥を覗く。
「あの、女の人のせいなの?」
マミがその先を見る。恍惚とした表情で這いずる黒騎士を眺めている姿はまさしく魔女と言わんばかりの魔物だった。幸いこちらには気づいていないようだ。何かを嬉しそうに呟いている。冷や汗が頬を伝うのも構わず、マミは耳をすませた。
「ねえ、レオコーン。これでもうわかったでしょう?あなたは私の下僕として、ずっと闇の世界にいればいいのよ」
「……っ」
伝う汗を雑に吹き飛ばし、マミがきっ、と剣に手をあて立ち上がる。
「お前、なにやって」
「後は追わなくて結構です。黒騎士を助けます。人間として生死を全うしようとしている彼を、彼の自我があるままに。」
「あなた、正気?あの姿を見て…」
焦ったように服を掴みモッチィがマミを引き止める。行くべきではないとレイが後ろで取れてしまうのではないかと心配なくらい首を振っているのも見えた。
「…人間は等しく全て守るべきです。私はそれを守ります。」
「お前には関係ないんだぞ、あいつが、死のうが、生きようが。」
「私には関係なくとも、関係のある人や意思があるんです。紡がれた意思を、私は無駄にさせません」
では、と、静止の緩んだ手を振り払って、マミが部屋に走っていった。
ついていけない。そう言わんばかりに3人はその場に残された。ただマミの背中を送ることしかできずに。
不意に、背後からか細く声がした。
「…あ、あのっ」
***
「あら、こんなところに何のよう?」
背後から苦しそうな声は止まない。
もう死んでいる身だ。きっと死以上の苦しみを味わいつつも死ねないのだろう。ちら、と黒騎士を見やる素振りをすると、魔女はうっとりとした表情で彼を見た。
「いいだろう、いい眺めだろう」
「…まったく、思いませんね。はやく開放してください。」
表情が固まる。魔女は一瞬驚いた目をして、その顔を醜く歪ませ、手で顔を覆い天を仰ぐ。
「クク…なら、お前も同じ目にあわせてやろうじゃないか!!!」
魔女がぐるりと輝く目をマミに向け、部屋を赤で満たした。
剣を握る。
(私がまだ、天使なら。)
(天使として、人を守り導く力があるなら。)
視界が黒光りするなにかで覆われる。ばちばちという音が耳元でうるさく鳴っている。
一瞬でも気を緩めたら吐き散らしてこの場に倒れてしまいそうだ。
(私はこんな呪いなどに負けるはずがないでしょう!)
緩む手をぎゅっと締めた。足に力が入り、靄がかった視界に剣を差し込み、光を裂く。
「っあああ!!!」
ばつん、と鎖が弾けたような音がして、そのまま差し込んだ剣を魔女めがけて振り下ろす。
「ーーーーっなに!!」
懐から細い線を描いた短剣を構え、魔女が剣を受け流した。
息が多少乱れつつも、マミは呪いを破ったことに動揺する魔女に笑みを向けた。
「…人なら、かかるはずだったのですか?」
「お前は…お前は!!!くそ、もういいわ…」
魔女の足元から一斉に大量の腕が生えだした。しゅるしゅると、不気味に地をなめ、増えていく。幾人もの人間が犠牲になったのだろう。サイズ感もそれぞれバラバラな腕が呻く。
「切り刻んで、葬ってやる!!!」
髪を振り、背中から禍々しい翼が生える。コウモリの羽のようなそれは、ばさ、とはばたくと瞬時に彼女の体をマミの目の前まで運んだ。
「くっ」
「ほら、さっきまでの威勢はどうした!?」
短剣の斬撃自体は軽いが、切っ先から魔力を感じる。掠めてもよくないだろう、全てをリーチが長い剣で受け止めきるのは難しい。加えて反撃しようとすれば羽ばたき、逃げてしまう。振りかぶられた短剣にかませるように剣をぎぃん、と受け止めた。このまま押し切るかと、足を踏み出そうとし、
「っな、」
両足が魔女の足から生える手に絡められて動けないことに気づく。
「呪いは効かなくても、体の自由は奪ってやる!」
足に気を取られ、抜こうとした眼前に、魔女の顔が迫った。先の目の色とは違う、黄色い猫のような瞳にマミの顔が写り込んでいる。
「からだ、が」
「動かないでしょ?もう足は自由なのに」
下を見ることもままならない。痺れている、足も、手も。力が入らず、剣を床に落とした音がカランとこだました。
魔女がゆっくりとマミから離れていき、黄色い魔女の眼差しを向ける。
「っなに、を」
「すこししびれるだけだろう。一思いに殺してやろうと思ってね」
唇を噛む。気持ちになっただけだろう。実際には噛めていないが、そうでもしないとこの状況から逃げられない。
体が痺れて動けない状況で、短剣の切っ先が胸に当たる。動けない分、心臓の音がうるさくなる。
く、と短剣に力が入ったのがわかる。
殺される。
魔女が心底楽しそうに短剣を握っているのが許せなかった。私の顔が相当お気に召したのだろう。
許せないだけでは生きられない。死にたくない。
100年以上生きてきて、こんなに死が恐怖だと感じたことはない。
死にたくない。
「…や」
「やめろよこのうねうね女ーーーー!!!」
金色の髪をした男の子が、叫んで飛んできた。