「あはは、なんだかみんなそわそわしてる!」
隣で楽しそうに笑うのは例のごとくカリナだ。
天使界につくとすでに底に師の姿はなく、代わりに伝言を頼まれたカリナとその師であるラフェット様が私を待っていた。
「イザヤールは、長老さまのもとに向かったわ。そのあとからみんなこんな調子なの。世界樹の様子も変わってたところだったし、天の箱舟があそこまで天使界の周りを飛び回っていたら、さすがにみんな気づくわよね。」
普段は落ち着き払っているラフェット様もどこか頬が紅潮しているように見えた。肩から覗く、編まれた長い赤毛が話すたびに揺れている。
「女神の果実が遂に実るってことですか?」
「そーいうこと!今地上に行ってきたのがマミで最後だってみんな言ってたから、みんなマミの持ってる星のオーラが捧げられるのを心待ちにしてるんだよ。」
どくり、と胸が高鳴る。まさかとは思っていたがこんな形で唐突に訪れるものなのか。私の捧げるオーラで、果実が実るかもしれない…?
世界樹のもとに向かいましょう、という声が思わず上ずってしまった。ふふ、と笑うカリナの後ろでラフェット様が見せる憂いの表情とつぶやきを、私は聞き逃さなかった。
―結局、彼が戻ってくることはなかったのね。…イザヤール。
「天の箱舟かぁ、本当に来るのかな。」
「あ、ほらマミが来たぞ!オムイ様とイザヤール様がそろって世界樹のもとに向かっていったと言うし…」
「これはいよいよただ事じゃなくなってきたぞ!」
急げ、世界樹のもとに、という趣旨の会話がそこかしこから耳に入ってくる。いつもなら神妙な雰囲気である長老の間からは、すでに多くの上位天使たちがはけており、階級の低い天使たちはこの場でがやがやと期待いっぱいの声を響かせていた。
「それじゃ、カリナはここからね。」
「えええっ、師匠あんまりですよ!私も師匠の弟子権限で世界樹のもとに~~~!」
「だめよ。今日はこんなに天使が集まってるんだもの。あなたが行っても、みる場所なんてないわ。」
優しくなだめるラフェット様の言葉を渋々受け入れたカリナが悪戯っぽくにやりと笑う。
「こんなことだろうと思って、世界樹のよく見える下位天使スポット探しておいたんですよ。お二人は存分に世界樹の目の前、楽しんできて下さいねーっだ!」
軽く捨て台詞のようになったカリナがそのまま私たちを置いて走り去っていく。
下位天使スポットですって。変なところじゃないといいけど。と隣でラフェット様がほほ笑んだ。
そういう本人も心ここにあらずといった感じで、そうまでカリナのことを心配している風には見えない。
誰もかれもが浮かれている。かくいう私もその一人であるが。星のオーラを持つ手が、震えているのが手に取るようにわかる。
天使全員が浮かれている。
会話もそこそこに、天使達であふれ始めた世界樹のもとにたどり着くと、そこにはやはり待ちきれないといった表情で私たちを迎える師匠と長老の姿があった。
「おお、マミか!待ちくたびれたぞ!」
「長老様。ただいま帰りました。して…」
「うむ。言い伝えによると、女神の果実実りし時、神の国から訪れる天の箱舟が役目を終えたわれら天使を迎えに来てくれるとのことじゃ。」
私が長老の隣に控えているイザヤール様の方を見ると、師匠は頷きながら長老様の言葉を引き継ぐ。
「天の箱舟の様子が違っていたからな。もしやと思い報告した。このことは天使界にいるすべての天使が知っている。全員がお前を待っていた。ウォルロ村の守護天使、マミよ。」
さあ、星のオーラをささげよ。そういう長老様の声にこたえるようにして私は手荷物星のオーラを天高く掲げる。
以前と同じようにオーラを吸収した世界樹は、私が手をおろす前に変化を見せた。神々しく、それでいて下々のものをも優しく抱いてくれるような輝きがあたりを包む。しかし不思議と目がくらむような光ではなく、場にいた全員が、その光を大きく開いた両の目で見届けていた。
光が弱まったと同時に天使界に響き渡るのは、ぽっぽー、というあの聞きなれた笛の音。今まで聞いたことがないくらいの大きさで笛の音を轟かせながら、音の主、天の箱舟は天使界最上部を囲む柱の上へ舞い降りた。
長老様の声からほう、という感極まったため息が漏れた。黄金でできているはずもないのに、それに引けを取らない輝きを放つ胴体。この世のどこにも存在しないだろう独特の大きな黄金色の箱があくまで自然に連結されている。
「―――――――っ!?」
刹那。暗紫色をまとった雷撃が天の箱舟を襲った。頑丈そうな機体は一瞬のうちに瓦解し、地上へと落ちていく。
「なっ」
何事だ、と師匠が言うよりもずっと早く、紫の雷は次々と天使界を襲う。無作為にしたから貫かれているのだろうか、天使界は横に縦にとバランスを崩しグラグラと揺れ続けている。
「全員その場に伏せろ!むやみに飛ぶな!!」
師匠の支持が天使たちに飛ぶ。突然の事態にだれもかれもが冷静さを欠いている。運悪く目の前にいた同期が雷に貫かれ帰らぬものとなった天使の叫び声。がれきに体を挟まれ呻いている天使の声。パニックになってしまい叫び散らしている天使。私よりも幾分か若い天使が泣いている。この惨状をこれでもかというくらいに映し出している天使たちの声を私の耳は寸分の狂いもなく拾っていく。
「助けなきゃ…っ」
そういう自分も平静を保てていないことはわかっている。恐怖に竦んだ身で、揺れる地面に張り付いているので精一杯だ。せめて、振り落とされないように、と体に力を込めようとするも、先ほどとは打って変わって破壊の意思しか感じられない暗紫色の雷に私の体は完全に委縮してしまいいうことを聞かない。
「わしらは…騙されていたのか…?」
轟音に交じって聞こえてくる長老のか細い嘆き。
そんなことはない。あるわけがない。神が私たち天使を謀っていたなど…。
そんな思いを肯定するかのようにひときわ大きな雷が天使界を再度貫く。
「あっ……」
「マミ!!!!」
私がつかまっていた地面が、今の衝撃で盛り上がり、拍子に私は宙に投げ出されてしまった。まずい。翼が、動かない。
師匠がいち早く投げ出された私に気づき手を伸ばす。
私もその手を取ろうと腕を伸ばすが、届かない。この時ばかりは自分の体の小ささを恨む。
何度か互いに腕を伸ばし、とらえようとしたが。
「し、しょ……」
「――――――――」
幾度目かの雷に、私は完全に天使界から離れた。
このまま死ぬのは、さすがに嫌です。ね。
薄れていく紫色の視界の中で、私はそんなことを考えながら潔く目を閉じる。
何かを叫んでいる師匠の声に交じって、カリナの声が聞こえたような気がした。