IS - the end destination -   作:ジベた

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23 黒い雨

 くそっ! 見えない敵なんてどうやって戦えばいいんだよっ!

 

 白式の至る所に刃物の傷ができていた。敵の攻撃の正体は物理型の近接ブレードだということはわかっている。今は白式の防御力でどうにかなっているが、このままではじり貧だ。

 頭ではわかっているが、俺には雪片を振り回す以外に対処方法がない。

 

『落ち着け、一夏!』

「わかってる! けど、どうすりゃいいんだよ!?」

 

 周りの状況もよく把握できない。救出完了の報告を聞きたくて仕方がない。

 早く終わってくれ!

 頭の中でそう叫んでいた。その瞬間――

 

 赤く太い閃光が戦場を奔り抜けていった。

 

『ボーデヴィッヒっ!』

 

 同時に通信から漏れ聞こえてくるのは弾の声。

 

 今の攻撃は、例のリュジスモンとやらのものか?

 ……ラウラがあそこにいたのか?

 

 俺が相手をするはずだったのに。

 

 俺が不甲斐ないせいで、ラウラが……

 

 俺は腕をだらりと下げた。

 

『一夏!? 気をしっかり持て!』

 

 ハハハ……

 弾が与えてくれた白式(ちから)があってもこのザマかよ。

 何が“護る”だ。

 本当に護りたいのは自分でしかないじゃないか。

 自分の環境だけでしかないじゃないか。

 時間を稼げばいいということに胡座(あぐら)をかいて、終わるのを待ってただけだなんて。

 俺は何のために力を手に入れた?

 

「仲間を護るためじゃ……なかったのかよ」

 

 右手の雪片を勢いよく振り上げる。そこに迫っていた見えない敵の武器と接触し、弾き飛ばす。

 

「死んでからじゃ、お終いだろうがっ!」

 

 ――後のことを考えるのは止めだ。

 

 イグニッションブーストで手近のキャバリエに接近し、左手で頭を掴む。そのまま回転し、勢いをつけて他のキャバリエに投げ飛ばし、地上へとたたき落とす。すぐ側にはドラム缶。中身は重油――

 

「うらああああ!」

 

 雪片で2機のキャバリエをまとめて串刺しにする。バチバチと火花が散った後、2機のトロポスは爆散する。そして周囲の油に引火し、誘爆を引き起こす。

 当然、白式にも衝撃が襲ってきた。

 

『何をやってる!?』

 

 弾が心配しているが、ラウラに向けて放たれたビームに比べれば大した威力ではない。

 辺りは黒い煙で満ち、かなり視界が悪い。でも、これでやっと見える。

 

 何もないはずのところで煙を動かす“何か”の場所が――

 

 ヤツの存在に気づけた切っ掛けは小さな風切り音だ。つまり敵の移動は、たとえ微少でも風の流れをつくっている。密度の濃い煙幕と、白式を通した目があれば、それを見つけられる。

 

 非固定浮遊部位の翼をフル稼働させたイグニッションブーストで接近。

 雪片を左から右に斬り払う。軽い手応え。敵は少し後方に退いていた。

 

「まだまだぁああ!」

 

 さらに体一つ分だけ前進し、大上段から雪片を叩きつける。居ることさえわかれば、零落白夜を発動中の雪片を受けることはできない。今度こそ捉えた感触があった。同時に敵の姿が現れる。

 

 機械らしくない外見だ。焦げ茶色のボロい布切れのようなマントを纏っておりフードを被っている。フードの下にはバイザーをつけた女性の顔があった。手に握られているのは大きな鎌。まるで死神をイメージしたようなISだった。

 

 俺の攻撃は敵の左肩に命中していた。絶対防御を発動しつつ、敵は地面へと墜落する。

 

 ――まだ終わってない!

 

 もしこれが試合ならば終了だろう。だが、これは実戦。敵は再び姿を消そうとしていた。

 

 徐々に見えなくなる敵の体。

 もうさっきの手は使えない。

 また見えない敵に翻弄される。

 

 それでは何も護れない!

 

 雪片を逆手に持ち、眼下の敵に切っ先を向ける。そして――

 

「はあああ!」

 

 急降下の勢いを乗せた突きで、敵の胴体を貫いた。

 敵の纏うISが砕けていく。今の攻撃でコアを破壊した。

 これでこの敵は“無力化”した。

 

 すぐに次の敵へと飛ぶ。目立つから位置を弾に訊くまでもない。リュジスモンはどうやら充填に時間がかかるらしく、俺に向けて大砲を構えようともしていなかった。

 そんな俺の前に、灰色の円を背負ったトロポスがたちはだかる。背を向けているところを見るに、防御しか能がない機体のようだ。

 

「邪魔だ!」

 

 袈裟懸けに斬る。灰色の壁は出来の悪いガラス製品のようにバラバラに砕け散り、トロポスも真っ二つとなった。爆発を置き去りにして、俺はリュジスモンに到達する。

 

 雪片を振り上げ、エネルギーブレードの刃を普段の倍以上に伸ばす。

 

「これで、終わりだぁああ!」

 

 雪片を脳天に振り下ろし、そのまま地面へと斬り進む。そして俺が地面に到着したところでリュジスモンは左右に綺麗に分かれて倒れた。俺はその場から飛び退き、リュジスモンは爆散する。

 

 直ちに零落白夜を解除。雪片も物理モードに戻し、飛翔する。

 残りの敵機は……キャバリエが14、ティラールが22。

 

 問題ない。

 

 打突で近くのキャバリエを貫き、槍を奪ってから蹴り放す。

 ティラール4機の一斉射撃。その射線は見え見えだ。軽く左に体をずらしながら上昇し、1体のティラールめがけて槍を投擲、貫通させ破壊する。

 その間にもイグニッションブーストを使用して接近し、横に一閃。ただそれだけでティラールは上下に分割される。脆い。

 

 振り返りながら、側にいるティラールの頭部に雪片を突き刺す。その状態のまま次のティラールへと飛ぶ。敵の銃弾が飛んできているが全て雪片で貫いているティラールで受ける。雪片の射程に捉えたところで、撃ってきていたティラールを縦に分割。

 

 次ぃっ!

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 

『……長。……えますか?』

「ぐっ!」

 

 全身の痛みに起こされる。うまく頭が働かない。頭を手で押さえながらゆっくりとラウラは立ち上がった。

 

『隊長っ!』

「クラリッサ……か」

『良かった……ご無事でしたか』

 

 クラリッサがラウラの無事を確認して安堵の声を漏らす。そこでラウラは自分がどうなったのかを思い出した。

 

 もう一機の新型トロポスに気を取られている間に、リュジスモンの砲撃を受けてしまった。パンツァー・カノニーアをパージしてのイグニッションブーストで直撃は免れたものの、余波だけで吹き飛ばされ、しばらく気を失っていたらしい。墜落時に絶対防御が発動したのか、シュヴァルツェア・レーゲンにはもう戦うだけのエネルギーは残っていない。

 

「今の状況は? 前の通信から何分経過している?」

 

 クラリッサに確認をとる。

 一体、自分はどれだけの間、寝ていたのかと。

 

『15分です。捕らえた捕虜の話では、ミーネは別の場所に連れて行かれたようです。ヘルガに関しては要領の得られない返答しかないため、現状では判断できません』

 

 15分。前回の通信からリュジスモンに撃たれるまでは約3分。この戦場で10分以上もの間、気を失っていたことになる。

 不可解だが、ラウラはまず、作戦目的である隊員の救出に目を向けることにした。

 

「要領の得られない回答? どういうことだ?」

『ヴァイスになったからもう手遅れだ、としか言わないのです。ヴァイスとは何かと訊いても知らないの一点張りでして、本当に知らないようです』

 

 ラウラはクラリッサの報告を聞いて、膝の力が抜けた。

 もう、立っていられない。

 それでもラウラは踏みとどまる。

 

 ヴァイス。ドイツ語で白。

 亡国機業と白。ラウラが連想する答えは一つだった。

 

「白……騎士……?」

『隊長? どうされました?』

「隊を2つに分けろ。一隊はヘルガの捜索を続行。もう一隊はミーネが連れて行かれた先を大至急調べるんだ!」

『しかし、隊長。時間が――』

 

 苛立ち。手近な壁を殴りつける。冷静になれと言い聞かせる。だが冷静になどなれるはずもない。たとえ既に囮を引き受けるだけの余力が残っていない自分が下せる決断が撤退のみだったとしてもだ。

 

 そう。選択肢は撤退だけ“だった”。

 

『ボーデヴィッヒ! 今、動けるか?』

「五反田、今は貴様と話している余裕はない!」

『一夏のヤツが、残りのエネルギーを無視して暴れ出したんだ! エネルギーが切れる前に援護を頼む!』

 

 一夏のエネルギー切れ。作戦前、ラウラが最も懸念していた事柄だ。自分が10分も倒れていたのだから、その間一夏は一人で戦っていたことになる。それで保つはずがない。

 

「一夏っ!」

 

 クラリッサに指示を出すことも忘れたまま、ラウラは空へと上がる。そこでラウラは信じられない光景を見ることになった。

 

「なん……だ、これは?」

 

 既に廃墟と化している工場。これはラウラの攻撃によるものだった。

 驚いた点はそこではなく、無数のトロポスの残骸であった。

 その中には、あのリュジスモンや甲羅のトロポスも含まれている。

 

「一夏が、やったのか?」

 

 あちこちで炎上している廃墟で、動く影はもうほとんど無かった。残っているのはティラールが4機だけ。それらも瞬く間に切断され、爆発していく。そこには白い機体があった。一夏だ。

 そして、白式は最後の一機にとどめの突きを繰り出していた。

 

(まさかあの数のトロポスを一人で全滅させたというのか!?)

 

 一夏の無表情な顔が、驚愕するラウラに向く。その瞬間にラウラの背筋に寒気がはしった。しかし、それは一瞬のこと。

 

『ラウラ! 無事だったんだな!』

 

 自分の無事を喜ぶ、いつもの一夏の顔がそこにあった。

 この切り替え方がラウラには危ういものに見えた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 

 ラウラが無事で良かった。

 そう思った瞬間、全身から力が抜けた。ついでに白式のエネルギーも底を尽き、俺は地面にへたりこむ。

 

『一夏! 大丈夫か!?』

「弾か。ギリギリで保ったみたいだな」

『みたいだって、お前――』

「悪い。説教は後にしてくれ。疲れた」

 

 弾の『すぐに迎えにいく』という通信を聞いた後に、俺は白式を展開したまま歩きだした。そして、ラウラと合流する。

 

「すまなかったな、一夏。お前に何もかも押しつけてしまったようだ」

「気にするなよ。俺が手伝うって決めたんだから、それでいいだろ。で、救出の方は?」

「今、クラリッサたちにやってもらっている。敵の戦力が沈黙したのだ。すぐに結果が出るはずだ」

 

 つまり、後は待つだけってわけだ。ラウラの言うとおりすぐに通信が来た。プライベートチャネルのようだったが、ラウラが回線をオープンにする。

 

『隊長。ヘルガを発見しました』

 

 見つかったという報告。しかし、軍人だからなのか、喜びの色は声から感じられなかった。

 

『すぐに……向かう』

 

 ラウラが絞り出すように返事をする。必死で苦しさを抑えようとしているのが顔から見て取れた。はっきりと言っていないが、これは……手遅れだったということか。

 

 ポツポツと雨が降り出した。シールドバリアを展開していないため、濡れた体に冷たさが伝わってくる。

 

 俺は力なく歩くラウラを横で支えながら指定された座標まで歩いた。

 

 廃墟と化し、どこも同じように見える光景のはずなのに、見覚えのある場所に差し掛かる。

 

 ……最初に、俺が戦っていた場所だ。

 

 激しい戦闘の跡が残っている。

 瓦礫が焼かれた名残の黒煙を発している。

 無数の残骸が散らばり、

 

 そして――

 

 血の池に沈む、あの死神の姿があった。

 倒れた死神の周囲を黒い軍服に身を包んだ女性数人が囲っており、一人が傍らに座り込んでいる。

 

「クラリッサ。ヘルガは……」

 

 少しずつ勢いを増していく雨の中、ラウラが俺の手から離れ、部下の元へと歩いていった。

 俺はそれを追うことすらできない。

 

「死亡……しています」

「そう……か……」

 

 死神が着けていたバイザーは取り外されており、ラウラは彼女の顔を確認して、今にも泣きそうな声でか細く嘆いていた。

 

 助けるはずの隊員だった……

 もう助からない。散ってしまった命は帰ってこない。

 

 俺が……彼女を殺した……?

 

 助けるはずだったのに。

 俺が殺意を持って殺したんだ。

 敵を倒さないと護れないと言いながら、護るべき対象をこの手にかけた。

 

 正当防衛かどうかなど関係なく――

 それが……事実。

 

「うわあああああああっ!!」

 

 強くなんかなれていない。

 力があっても、俺には護ることなんてできず、ただ奪うだけしかできなかったんだ。

 

 雨は勢いを増していく。

 体を打つ天の涙は、俺を責めているように感じられた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 

 一夏たちがドイツへ向かってから2日が経過した。

 

 何もかもが上手くいっていない気がした。先日の福音襲撃から、鈴は自分の無力さを痛感している。自然と、部屋に戻る足取りも重くなり、ため息ばかりが漏れていた。

 

(一夏の隣に立つって意気込んでたけど、足を引っ張ることしかできてないわね)

 

 鈴は代表候補生の中でもトップクラスの実力を持っている。その理由は一夏に会うためにした1年間の努力の結果であるだけでなく、甲龍に備わった単一仕様能力にもある。鈴が専用機持ちになれた要因であり、現行の第3世代型ISの中で最大の攻撃力を持っていると言っても過言ではなかった。

 

 それも既に過去の話。機体の攻撃力、機動性、防御能力、操縦者の技量など、ほぼ全ての点において一夏に負けていた。

 

「さすがのあたしでも、自信が無くなっちゃうな」

 

 初めて会った一夏は、世の中には不条理しかないと言わんとする冷めた目をしていた。何にも期待していない少年。教師たちは問題さえ無ければいいと放置をし、弾を除いた周囲の人間は近寄ろうとすらしていなかった。

 

 見ていられなかった。一夏だけでなく、弾や周りにまで暗さが広がっていた。心の底から鬱陶しかったのだ。思ったときにはすぐ行動に移るのが鈴である。胸ぐらを掴んで「うじうじすんな、男だろ!」と声をかけてしまっていた。

 

 弱い男。ただそれだけの存在だった。

 

 その一夏の評価が逆転したのは両親の離婚が決まり、中国へと帰る飛行機の出発前である。クラス全員に見送ってもらった後、一夏が一人で鈴を追いかけてきていた。息を切らしていても伝えようと必死だった彼の姿を、鈴は今でもすぐに思い出せる。

 

『いいのか! お前は納得してるのかよ! まだ間に合うかもしれないのに、諦めるのかよ!』

 

 当時の鈴は一夏の事情を本人や弾から聞いていた。絶望で今にも折れそうな心でも、彼は行方不明の姉が帰ってくると信じ続けている。不条理な世界を仕方ないと諦めている癖にだ。

 

 彼の心は弱い。支えがないと生きていけないことが根源にある。だから人とのつながりに関してだけは諦めが悪い。鈴には無い強さとも言えた。行かないでくれという彼の思いが鈴の胸の内を揺さぶった。

 気づいたときには「好きだ」と言ってしまっていた。もう鈴にとって一夏は赤の他人ではなくなっていたのかもしれない。

 

 弱い彼の「付き合えない」という返答はある程度予想通りのものだった。鈴は内心では、諦めるなと人に言ったなら自分もはっきりしろよ、と思いつつもそれが彼らしいとも思って別れた。「いつか強くなったときに返事をする」という約束を交わして……

 この約束とも言えない約束が鈴の生きる支えとなった。しかし、自分無しで一夏が強さを得るなどと思っていなかった鈴は、代表候補生という権利を勝ち取り、日本へと舞い戻ったのだ。

 

 ただ一つの誤算が“一夏がISを使えたこと”である。

 今では代表候補生の誰よりも強くなってしまった。

 これは鈴が好きな“一夏の強さ”ではない。

 

 しかし、違うなどと口に出して言えない。

 現実に亡国機業という敵が存在し、一夏を狙っている。

 一夏が戦える力を持っているのに否定などできない。

 一夏より弱い自分が、一夏に戦わなくていいと言えるわけがない。

 

 

 一夏に自分の本音を話せないでいることに頭を抱えていると、携帯に着信があった。ディスプレイには五反田弾の名前が表示されている。

 

「もしもし、一年ぶりね。どうしたの? あんたが電話かけてくるなんて」

『……すまない、鈴』

 

 電話越しに唐突に謝られた。そもそも会っていないのになぜ謝られるのかがわからない。しかし、弾の声色は冗談の類ではなかった。

 

「何があったの?」

『俺がついていながら、不甲斐ない』

「だから! どうしたのって聞いてるの!」

 

 弾の様子はただ事ではなかった。

 問いつめる鈴への弾の返答。

 その内容は、鈴が携帯を落としてしまうくらいのものだった。

 

 鈴は落とした携帯をそのままに、寮の廊下を走り出した。目的の部屋にたどり着き、勢いよく扉を蹴り開ける。

 

「一夏っ!」

 

 部屋に鍵はかかっていなかった。だが真っ暗である。一夏は寝る前に鍵をかける習慣があるはずだから、普段ならあり得ない状況だった。

 鈴はすかさず明かりを点ける。そのまま部屋の奥に入っていくと、ベッドの上でうつ伏せになっている一夏の姿を見つけた。

 

「一夏……」

 

 鈴が一夏の名を呼ぶが反応が無かった。眠っているのだろうかと顔の方へ近寄っていく。すると一夏の小さな呟きが聞こえてきた。鈴は耳を傾ける。

 

「俺が殺した。俺が殺した。俺が殺した……」

 

 ただ同じ言葉ばかりを繰り返していた。その行為は、自分を言葉で嬲り殺しているようなものだった。居たたまれなくなった鈴は無理矢理一夏を仰向けにして上半身だけ起こさせた。一夏の頭のあった位置に付いている染みの大きさが、一夏の後悔の大きさを誇示しているように映る。

 

「り……ん……」

 

 一夏は今気づいたように鈴の名を呼ぶ。一度だけ鈴の顔を見た一夏はすぐに顔を反対側に向けた。鈴と向き合うことが後ろめたいことのように。

 

 鈴は苛立ちから、一夏の肩を掴んでいる手に力が入る。

 別に一夏の態度に苛立っているわけではない。

 

 一夏がこうなってしまった原因を作った奴らに怒りを覚えた。

 ついていくだけの力が無かった自分が悔しかった。

 今、どう声をかければいいのかがわからない自分に腹が立った。

 

 肩の痛みなど感じていないのか、一夏は何も言おうとはしない。

 

 鈴は無言のまま2つのベッドの間の壁へと歩を進めた。手を触れる。しかしそれはただの壁のまま……

 

「一夏。地下にはどうやればいけるの?」

 

 鈴は振り返って問う。しかし、一夏はベッドのシーツを強く握りしめたまま震えているだけだった。

 

「……ごめんね。今日はもう休も? 疲れてるでしょ」

 

 再び一夏をベッドに寝かせ、布団を掛ける。鈴はベッドの脇にまで椅子を持ってきて座り、一夏の左手を握った。

 左手は徐々に震えが治まっていき、完全に落ち着いた頃には寝息が聞こえてきていた。

 

 3分ほどそうしていただろうか。鈴は一夏の寝顔に安心して手を離し、出口へと向かう。

 

「おやすみ、一夏。また明日ね」

 

 明かりを消して出て行く鈴。廊下に出てからの足取りは速かった。まだ行かねばならないところがある。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 

 ほぼ同時刻。2日の間、同居人がいなかったシャルロットは自室のベッドで横になりながら携帯に残されているメールを眺めていた。

 

『すまん、シャル。今週末に予定してた買い物だけど、用事が入ったから無理そうだ。一ヶ月後に延ばしてほしい』

 

 送信時刻は2日前。一夏からトロポスなどの秘密を聞かされた直後くらいだった。

 

「直接言えば良かったのに、どうしてメールなんだろ……」

 

 独り言。そして自分の中では答えがある程度見えている。おそらく自分との約束よりも、轡木学園長との約束を優先したという後ろめたさ。

 

 つまり、一夏は本気でIS学園の生徒会長になるつもりなのだ。

 

 生徒会長になるということは、国家代表として戦えるレベルに到達しているということになる。

 今のままでは勝てないという一夏の判断は正しい。それで週末も訓練に時間を使うというのもIS学園の生徒として正しい姿だ。

 

 でも、おかしい。

 それは何のため?

 なぜ一夏ばかりが戦う必要がある?

 

 シャルロットの脳裏には自分を庇って傷ついた一夏の姿が蘇る。

 自分を安全な場所に置いて戦場に戻った一夏の姿も思い出す。

 

 一夏は、自分の死よりも周りの人の死の方が怖いと言わんばかりの行動しかとっていない。

 戦う術、戦う力を得ていった一夏に待っている未来が明るいものとは思えなかった。

 

 最後に待っているのは……死しか考えられない。

 

「わたしの居場所は……ここなんだよね? 一夏……」

 

 このままIS学園にいても、シャルロットの問題は何も解決しない。3年ほどの猶予があるだけ。ただ一夏たちの傍に居たいと願っただけのシャルロットには、まだ先のことを考えられていない。

 

 3年後。それまでに一夏がいなくなってしまっていたら……

 

 そう考えると気が狂ってしまうのかもしれない。

 

 丁度その時、部屋の鍵が開けられる。すぐにラウラが帰ってきたのだと思い至り、シャルロットは苦渋を顔に出したままベッドから跳ね起き、出迎える。

 

「おかえり」

「……ああ」

 

 帰ってきたラウラにやや切れ味のある声でシャルロットは出迎えた。だが、ラウラはシャルロットの顔を見ることもなく、軽く返事をして足早に通り過ぎようとした。

 シャルはラウラの肩を掴む。

 

「一夏をどこに連れ出したの?」

 

 自分らしくないと思いながらも、ラウラに八つ当たりするような攻撃的口調で問う。

 ラウラからの返答はない。彼女はただ床の一点を見つめて立ち尽くしていた。

 

(泣いてるの?)

 

 見た目は無表情ないつものラウラだ。だが、シャルロットは平静を装っているのだと感じた。今のラウラの姿が、一夏に助けられる前の自分の姿と重なったからかもしれない。

 

 自分がしたことの後悔。

 どうすればいいのか先が見えない絶望。

 

 シャルロットはラウラの正面に回り込んで目を合わせる。

 

「何があったの?」

「貴様には……関係……ない……」

 

 少しずつ出てきた拒絶の声は掠れていた。何か良くないことが起きたのは明白だった。シャルロットはラウラの頭を胸に抱き寄せ、彼女の頭をゆっくりと撫でる。

 

「ごめん。話さなくていいよ。でも、泣いた方がいい。我慢してたら壊れちゃうからね」

(以前の“ボク”みたいに……)

 

 されるがままだったラウラがシャルロットの背中に手を回す。そのまま、シャルロットの胸の中で、ラウラは泣き叫んだ。

 

「全ては私の責任だ! 私が白騎士を追うからヘルガは死んだ! 私が一夏を連れていったりなんかしたから、一夏がヘルガを殺してしまったんだ!」

 

 ISの特殊部隊の隊長。軽く聞いていたラウラの肩書きであったが、シャルロットが想像しているよりもその責任は重い。

 上手く行けばいい。だが失敗したとき、15歳の少女が背負えるほど軽い問題で済むはずがない。

 

 シャルロットはラウラの頭を抱く力を強める。

 

「全部だなんてことはないよ。一夏もヘルガって人もラウラのために自分から動いてくれたんだよ」

「でも! 私が命令したのだ!」

「そうだね。でも、ラウラのしたことは、全部が悪いことだったの? 具体的なことはボクにはわからないけど、一夏がいなかったらどうなってたのかな?」

 

 シャルロットはラウラたちに何が起きたのかは把握していない。しかし、一夏が居て、悪いことしか起きていないとは思えなかった。

 シャルロットの質問を聞いたラウラがシャルの胸から顔を離す。少し落ち着きを取り戻していた。

 

「私もクラリッサも、他の隊員も全滅していたかもしれない」

「つまり、一夏はラウラの部隊を護ったんだよ。ラウラが一夏を連れて行ったのは間違いなんかじゃない」

「だが、私は一夏の心に深い傷を負わせてしまった……私が一夏の心を殺したようなものだ」

 

 ラウラは軍人と一般人の線引きを明確にしている。だからこそ心苦しいのだろう。

 

 対照的にシャルロットは好意的に受け取っていた。

 

 これで開き直るようならば一夏ではない。

 優しい一夏だからこそ、苦しんでいるのだと。

 戦いに生き、戦いに死ぬ。そんな戦闘マシーンではないのだと。

 そう、確信できた。

 

「一夏なら大丈夫」

 

 事情をよく知らないシャルロットが自信を持って言うと、ラウラがキョトンとする。

 

「ボクたちさえ居れば、大丈夫だよ」

 

 シャルロットがそう言うや否や、ドアが乱暴に蹴り開けられる。廊下に立っている人影は一つ。鈴だった。

 彼女は許可を得ることもなく、つかつかとラウラに歩み寄る。そして右手を振りかぶった。

 

「アンタのせいで、一夏は――」

 

 ラウラの頬に向けて振り下ろされる鈴の平手。だが、その手は間に割って入ったシャルロットの頬に当たる。

 

「邪魔するな!」

「いやだよ。ラウラは悪くない」

「一夏があんな状態になっちゃったのに、なんで悪くないのよ!」

 

 鈴が取り乱すほどの一夏の状態。よほど酷い状態になっていることがわかる。しかしシャルロットは鈴とラウラの間から退こうとはしない。

 じれた鈴がシャルロットの胸ぐらに掴みかかる。

 

「アンタらは一夏を“ISを使える男”としか思ってないのかもしれないけどね! アイツは本当は戦うような人間じゃないのよ! 気の弱い、人とのつながりを大切にする……優しい奴、なのよ」

 

 鈴は顔を伏せ、次第に声が細くなっていく。乱暴に襟を掴まれたまま、シャルロットは鈴の肩をポンと叩いた。

 

「うん。知ってる。だからさ、鈴。本当に一夏を戦わせたくないなら、当たる相手はラウラじゃないよ」

 

 シャルロットは携帯を操作し、ディスプレイを鈴に向けた。そこには一ヶ月後のトーナメントの概要が記されている。

 

「裏の学園長という人をどうにかしないといけない。だから、ボクたちで一夏が生徒会長になるのを阻止しよう。実力でさ」

「アンタ……」

 

 シャルロットの提案が予想外だったのか、鈴は目を丸くしていた。シャルロットが「ね?」と微笑みかけると、鈴はシャルロットの襟元から手を離す。

 

「わかったわよ。裏の学園長とやらが何を企んでるか知らないけど、ぶっ潰してやろうじゃない!」

 

 鈴の怒りの矛先が轡木学園長へと向いた。おそらく直談判しても聞く耳を持たない。別方向からアプローチをするのだというシャルロットの提案を素直に聞き入れた。

 

「でも、これだけは言わせて」

 

 鈴はシャルロットの後ろにいるラウラに寄っていく。今度はシャルロットも止めようとはしなかった。

 

「今度からは必ずあたしも連れて行きなさい。軍の機密どうこうの問題は一夏を連れていった時点で無いも同然でしょ?」

「だが――むぐっ!」

 

 鈴は反論しようとするラウラの口を手で塞いだ。

 

「問答無用っ! アンタが一夏を仲間だと思っているのなら……一夏を大切に思っているのなら、あたしとアンタはライバルであるし、仲間なの! 仲間外れになんてするな! 遠慮なく巻き込め! 知らないところでいなくなられること以上に怖いことなんて無いんだからねっ!」

 

 言いたいことを言い終えた鈴は少し息を切らせながら手を離す。口が解放されたラウラは――

 

「わかった。もう貴様たちを一般人だなどと考えん。後悔するなよ」

「上等よっ!」

 

 憑き物がとれたように元のラウラに戻っていた。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 

「そうですか。鈴さん、ご連絡ありがとうございます」

 

 鈴からの連絡をセシリアは自室で受け取った。伝えられた内容は一夏の現状に関することだ。

 

(護るはずの人を、その手で殺してしまった。一夏さんにとってそれ以上に辛いことはないでしょうね)

 

 通話を終えた携帯を机の上に置く。今すぐにでも一夏の元へ飛んでいきたかったが、鈴でも手に負えないのならば自分には無理だとわかりきっていた。一夏にかける言葉が見つからないのはセシリアも同様だった。

 

 それに、今は他にやるべきことがある。

 

「箒さん。今のお話は聞かれていましたか?」

「……ああ」

 

 箒は机にひじを突いた体勢で、額を両手で押さえていた。祈っているようにも、懺悔しているようにもみえる。セシリアは後者として受け取った。

 

「こう切り出すのも何度目になるのでしょうか。箒さん。そろそろお話ししてくださいませんか?」

「何の話だ? 言っておくが、私は本当に一夏がドイツに連れて行かれていたことは知らされてないぞ」

 

 箒は体勢を変えないまま返事をする。目を見て話さない時点で箒らしくなかった。

 

 一夏がドイツに連れて行かれていたこと“は”知らされてない。

 

 この箒の返答で、セシリアが質問する内容が定まった。

 

「では、轡木氏が一夏さんを強くしようとする本当の目的を教えてもらえますか?」

 

 一夏の話を聞いてからずっと思っていた疑問だ。

 

 たかが一人のIS操縦者で、世界を股にかける大組織と戦いになるはずがない。

 敵には無人兵器であるトロポスがある。ISと違い量産ができ、無人で稼働する。その数は時が経つにつれて増えているのは間違いない。

 対してIS側は世界中で合わせて467体までしか用意できない。単体の性能差は歴然でも、1機で同時に相手にできるトロポスの数は5機いけばいい方だ。セシリア自身も近距離でキャバリエ10機に包囲されれば無傷で切り抜けられることはない。ブリュンヒルデやヴァルキリーならば何機いようが関係ないのかもしれないが、敵にはトロポス以外にも戦力がある。強奪された福音がその例だ。

 一部のISも敵になっていると考えなくてはならない。

 

 この戦力差をひっくり返す方法として考えられる最も単純な方法がある。轡木が箒を傍に置いている理由も考えると、導き出される結論は一つだ。

 

 黙りをきめこんでいる箒に対して、セシリアは自分の答えを告げることにした。

 

「篠ノ之博士に新たなISコアを造らせるため……ですわね?」

「……セシリアには隠し通せないな」

 

 箒が顔を上げ、セシリアを見る。尊敬と諦観が混ざった複雑な目だったが、鋭い目は衰えていない。

 

「だがセシリア。轡木さんの目的がそうだとして、一夏が関係してくる理由はあるのか?」

「おそらくは単一仕様能力絡みではないかと考えていますわ」

 

 そもそも、7年の内に世界の在り方を変えた要因は“飛行パワードスーツとしてのIS”ではない。各国が真に欲していたモノは“白騎士の単一仕様能力”だったのだ。

 

 白騎士事件の前まで、世界中の国は核弾頭を積んだ大陸間弾道ミサイルという矛を互いに向け合うことで互いを抑止し、最悪の事態を回避してきた。一度放たれれば、互いを撃ち合い、人は滅びを迎える。誰も望まぬ結末だ。世界はそうしてバランスを保ってきていたのだ。

 

 だが白騎士は核兵器を無力化して見せた。一般に伝えられている全ての弾頭の迎撃ではなく無効化だったのだ。つまり、矛に打ち勝つ盾が現れたことになる。同時にエネルギー問題も解決できる代物だと言えた。この力を手にすれば世界を征するに等しい。

 いや、そんな欲の問題ではない。無ければ自国を守れないのだ。乗り遅れた国には政治的な死が待っている。

 

 篠ノ之博士のIS発表の際も注目されたのはその技術だ。しかし、博士から出た言葉は「自己進化機能で勝手に造られた機能だから再現しようと思ってできるもんじゃない」という信じられない言葉だった。

 

 可能性のみを提示された各国の首脳たちは、直ちにISと、操縦者となる女性を集めた。まるで質の悪いガチャポン。単一仕様能力の発現事態が稀であるのに、狙いのものが出るまで繰り返すしかないのだから。

 

 第3世代兵器は発現した後の量産に向けた予行練習でしかない。ちなみにブルー・ティアーズは情報収集に関する単一仕様能力の発現の期待も兼ねて開発されたものでもある。

 

 だからセシリアは、白式も何かしらの単一仕様能力が発現することを期待されて造られ、一夏だからこそ発現でき、結果、篠ノ之博士に繋がるのだと思っている。確証はないが、そうとしか考えられなかった。

 

 だが、箒は「外れだ」と告げた。

 

「世の中の人の思惑はセシリアが思っているように複雑な事情が絡むのかもしれない。でもな、この問題はもう少し単純なんだ」

「単純……ですか?」

 

 セシリアが困惑の目を向けていると、箒は椅子を引いて体の向きを変えセシリアと目を合わせた。

 

「姉さんは心の病を患っている。ISのコアの製造を取りやめて雲隠れしたのは本当で、今どこにいるのかを私も知らない」

 

 心の病。ISを一人で造り上げた天才でも何か問題を抱えているのだろうか。普段ならば聞くべきことではないとわかっているところだが、今は一夏も関係することであり、自分たちも無関係ではない。無礼を承知でセシリアは話の続きを促す。

 

「なんだか余計にややこしくなったのですが。わたくしには篠ノ之博士の精神状態が安定していないことと一夏さんのつながりが見えませんわ」

「セシリアは一夏のお姉さん……千冬さんの話は聞いているか?」

 

 織斑千冬。白騎士事件の3ヶ月前に一夏の前から謎の失踪をした一夏の実姉。

 セシリアは一応、一夏や鈴から聞いていたが、その程度の情報しか伝わっていない。

 

 ピンと来ないセシリアに対し、箒は自分から答えを言う。

 

「千冬さんは、亡国機業に捕らわれていた姉さんを一人で助けに行ったんだ。まだ兵器として形にもなっていない、ISのプロトタイプだけ身につけてな」

 

 ここで箒と一夏の関係を思い出す。幼い頃から家族ぐるみのつき合いだったはずだ。箒の姉である束と一夏の姉である千冬が無関係であるはずはない。

 そして、ISが造られた頃に傍にいたであろう人間だ。開発にも関わっていた可能性は十分に考えられる。

 

 そんな考察よりもセシリアには問わなくてはいけない問題があった。

 

「篠ノ之博士が……亡国機業に捕らわれていた……?」

「ああ。白騎士事件よりも半年ほど前になるかな。突如姉さんが行方を眩ませていた。当然警察にも届け出たが、書類だけ書かされて何も連絡が来ない毎日だったよ。ある日、千冬さんが一夏を連れずに私たちの家を訪れた。あの人は何も言うことなく姉さんの部屋に入り、ISを起動させて出て行ったよ。3日後に姉さんだけが帰ってきた。混乱して『逃げよう』と言う姉さんに従った父さんの伝手で、今は轡木さんのお世話になっているわけだ」

 

 いつもよりも軽い口調で語る箒だったが、両手は硬く握られていた。

 

「千冬さんが行方不明というのは、その時からということですか?」

「ああ。以来、姉さんはずっと傷を抱えている。親友が身代わりになったのだからな。変わり者の姉さんだけど……いや、変わり者の姉さんだからこそ、数少ない理解者の千冬さんを巻き込んだことをずっと後悔し続けている。姉さんがISを世界に公表した真意はわからないが、私には姉さんが助けを求めているのだと感じられた。誰でもいいから千冬さんを助けてくれ、とな」

 

 セシリアは胸が苦しくなった。当時、8歳だった自分は理解し切れていなかったが、篠ノ之博士は天才と認められながらも、天災と揶揄されていた。ISの自己進化機能、単一仕様能力が製作者にも制御不能である時点で彼女はトンデモ発明家でしかない。

 

 箒が感じたことが真実ならば、篠ノ之博士はどのような気持ちで表に立っていたのだろうか。

 助けを求めて伸ばした手は、非難の罵声で振り払われていた。

 世界は立ち向かうべき敵を放置し、軍事のための単一仕様能力の研究ばかりが進められる。

 

 セシリアは涙腺が高まっていくのを感じていた。世界が思い通りに動くはずはないとはわかっている。だが、篠ノ之博士がコアの製造を止め、塞ぎ込む理由としては十分に理解できた。

 

「だから私は轡木さんの元で戦いを続けてきた。まだ亡国機業と戦う意志がある人もいるのだと姉さんに訴え続けるために」

 

 初めは篠ノ之博士の妹という立場を利用した専用機持ちだとバカにしていた。箒のIS適性を知れば誰もがそう思って当然のことである。セシリアは一度、身の程知らずだと彼女を否定した。

 なんてことはない。篠ノ之箒は身の程を弁えていても尚、戦う必要があった。代表候補生という立場が薄汚いモノに見えるくらいに、彼女には戦う目的があったのだ。

 

 セシリアの頬を涙が伝う。

 

「セシリア?」

「ごめん……なさい……わたくしは、本当に何も……知らなかったのですね」

「泣くな。いや、泣かないでくれ。私たちが隠してきたことだ。知らなくて当然だろ?」

 

 箒がセシリアにハンカチを手渡す。それは、いつか一夏が箒に貸したものと同じモノ。セシリアはハンカチを受け取り、涙を拭った後、気分を落ち着かせる。

 

「轡木氏は亡国機業と戦う旗印として一夏さんを掲げる気だということですね」

「ああ。千冬さんの弟が戦っていると姉さんに伝われば、姉さんが重い腰を上げると思っていた。だが今ではそれが正しいことだったのかがわからない」

 

 箒が顔を伏せる。今の顔を見せたくないという意志。彼女の手は硬く握りしめられたまま……

 

「姉さんは一夏が一人で福音を倒したところで変わらなかった! 轡木さんはまだ足りないと、一夏を鍛えようと必死になってる! その結果が今の一夏だ! 私は、姉さんと千冬さんが帰ってくることにばかり目を向けて、一夏が傷つくことを見過ごした愚か者だ!」

 

 箒が傍らの机に拳を振り下ろす。その八つ当たりは自分にぶつけているものだ。セシリアは箒の傍に寄っていき、机の上の拳を両手でそっと包み込む。

 

「箒さん。あなたがご自分を愚かだと堕とすことは否定しません。ですが、今の一夏さんになってしまったのは箒さん一人の責任ではありません。一夏さんの隣で戦うだけの力を身につけられなかった、わたくしたち全員の責任です」

 

 セシリアは箒から手を離し、自分の携帯を取り出した。手早く操作をして箒に画面を突きつける。

 

「ですから、一夏さん一人に責任を押しつけるのは止めましょう。わたくしたちのうち、誰かが現職の生徒会長を倒して、轡木氏も篠ノ之博士も唸らせて差し上げましょう」

 

 画面には鈴からのメールが表示されていた。

 

『1ヶ月後のトーナメント、あたしらの内の誰かが優勝する! 一夏にも生徒会長にも勝たせないつもりで行くわよ! 箒にも伝えといてね』

 

「本気……なのか? 相手は国家代表だぞ!?」

「ええ。ですからなってやりましょう。わたくしたちも国家代表と並ぶ実力者に。それとも箒さんは、無理だとおっしゃいますか?」

 

 セシリアは箒を信じて待つ。彼女なら必ず――

 

「やる。今まで一夏の背を追ってきた。それだけじゃダメだ。どんな特訓でも付き合うぞ」

 

 応えてくれるはずだと。

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