黒の銃弾と黒い死神   作:夢幻読書

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第19話 Mのアリス

 M+Alice=malice=悪意

 

 

 

 

 けたたましい警報音が、施設内に鳴り響く。

 

「扉が、開いてる……?」

 

「どうして……いや、そんなことよりっ」

 

「自由だ……ははッ、自由だ! 早くここから出よう!」

 

「帰れる……やっとっ、お家に帰れるんだ……!」

 

 開錠された独房の扉から次々と出てくる子どもたち。彼らの表情は初めこそ懐疑や戸惑いのモノだったけど、それは独房から解放されたという事実を認識すると同時に歓喜へと変わった。

 

「───ひっ、お、大人!?」

 

 けれどそれも一瞬で、独房の扉が開いていることに気づいて舞い上がっていた子どもたちは橘さんの姿を見てたちまち凍りついた。

 

「ご、ごめんなさいっ! 今すぐ部屋に戻るから痛いコトしないで!」

 

「お願いします! もう勝手に部屋から出たりしないからっ、いい子にするから!」

 

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!!!」

 

「だ、大丈夫だから! 落ち着いて、この人は味方だから!」

 

「わたしたちを助けてくれたんだよ!」

 

 悲鳴を上げ、中にはその場に蹲って錯乱する子どもたちに、わたしとシロは慌てて駆け寄る。

 

「へ……?」

 

「ほ、ほんとうに?」

 

「うそじゃない……?」

 

 わたしとシロよりも一つか二つくらい年下だろうか。怯えた顔で尋ねる子どもたちの目をしっかりと見ながら、わたしは目の前に立つ、子どもたちの中でも一番不安そうな表情を浮かべる男の子の頭を優しく撫でる。

 

「嘘じゃない。あの人は他の大人たちとは違う。それよりも聞いて? この廊下の突き当たりを右に曲がって、奥に進めばそこに地上まで一気に続く階段があるの。体力に余裕があるなら走って!」

 

「あ、う、うん! ありがとうお姉ちゃん! それから、えと……ありがとう、ございます……」

 

「……私にお礼なんていいから、早く行きなさい」

 

 研究施設の地下三階の廊下。現在わたしとシロは、研究所に囚われていた他の子どもたちを橘さんと共に解放しながら、地上の出口へと向かっていた。正確には、橘さんがカードキーで独房を解錠し、彼女を警戒する子どもたちをわたしとシロが説得しながら、だけど。

 

 ちなみに途中までわたしたちと同様に橘さんに追従していた他の子どもたちは、出口が近くにあると分かると彼女に感謝を述べながらわたしたちを追い越していった。

 ……まあ扉を開けれる人間は橘さん一人しかいないし、そんな橘さんを警戒して独房から出られない子どものために「どうせ走る体力もないから、みんなは先に行って。わたしが説得するから」って名乗り出ちゃったのはわたしだから仕方ないんだけどさぁ。

 

 その、ちょっと期待してたんだよね。漫画やアニメでさ、主人公の男の子が「女の子を置いていくなんて出来ない!」みたいな展開をさ。いや、男子に非がないのはわかってるんだけど。なんていうか、モヤモヤする。こう、クリスマスプレゼントを運んできてくれるサンタさんの正体が実は自分の親でした、みたいな。夢を壊された気分だ。

 

 だんだんとモヤモヤがイライラに変わってきた。……ああ、もう! さっきは男子に非はないなんて言ったけど、走る体力もなくて歩くだけで精一杯の女の子を置いてくってどういうことなの!? この状況を作ったのはわたしだけど、別に怒ってもいいよね!?

 

 このっ、男子たちの意気地なし! ヘタレ! 弱虫! ヘナチョコ! わたしの夢を返して!

 

「ねえクロ……」

 

「ふぇ!? ど、どうしたの、シロ?」

 

 わたしが心の中で男子たちを罵倒していると、不安そうな面持ちで隣を歩くシロの姿があった。

 本当は他の子どもたちと先に進んで欲しかったんだけど、「もしまた同じコト言ったら、反対側も引っ叩くから!」と涙目で怒鳴るシロに説得を諦めた。うぅ……まだ左頬がジンジンするぅ……。

 

「こんなに警報が鳴ってるのに、なんで誰もシロたちを捕まえに来ないのかな……」

 

 言われてみればと、わたしはここまでの道程を振り返る。さっきからずっと鳴り続けている耳うるさい警報は、たぶんわたしたちの脱走が原因のはずだ。

 でもそれなら、どうしてわたしたちは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「理由は簡単よ。今の彼らにはこっちに人を回す余裕がないのよ」

 

「どういうことですか?」

 

 廊下の先を見据えながら、わたしたちに歩調を合わせてくれている橘さんが丁寧に説明する。

 

「この施設は孤児院に偽装した地上エリア、施設内の職員が生活するための生活エリア(地下一階)、ガストレアウイルスを研究するための研究エリア(地下二階)、ウイルスに適合した喰種を管理、調整するための実験エリア(地下三階)ガストレア(ウイルスに適合しなかった孤児)を使って組織が独自に開発した最新兵器の性能をテストするための開発エリア(地下四階)の5つのエリアで構成されているの。で、ここに来る前に研究用に飼育しているガストレアが入ってる檻をいくつか開けておいたの。今ごろ彼らはその対応に大忙しで、こっちには気づいていないんじゃないかしら」

 

 どうやら、ここまでの道中で彼女以外の大人と廊下ですれ違わなかったのは、橘さんが陽動として事前に研究用のガストレアを何体か解き放ってきたかららしい。

 

「もっとも、ここの警備スタッフは優秀だからあまり悠長にしている時間もないけどね」

 

 最後にそう付け加えると、再びわたしたちの間に沈黙が下りる。

 

「……あの、一つ訊いてもいいですか?」

 

「なに?」

 

 それがどうにも気まずくて、わたしは彼女に会ってからずっと訊きたかったコトを口にした。

 

「どうしてわたしたちを助けてくれたんですか?」

 

 他意はなかった。純粋に、ただ気になっていたことを尋ねただけ。

 シロと一緒に橘さんの横に並びながら、わたしは彼女の横顔を見上げる。同性として羨ましいほどに整った顔立ちなのに、まるで研ぎ澄まされた刀のように鋭いその美貌を。

 

 そして、わたしは見た。

 

 そんな彼女の表情が一瞬だけ、それでも確かに、苦悶に歪んだのを。

 わたしは橘さんの触れられたくない領域に、土足で踏み込んでしまったのだと遅れて理解した。

 

「…………娘がいたのよ。ちょうどあなたぐらいの年のね」

 

 それでも橘さんは少し間を空けて、溜息混じりに答えてくれた。『いた』という言い方から察するに、おそらく彼女の娘さんはもうこの世にはいないんだろう。

 そして、このタイミングでわざわざ亡くなった娘さんの話題を出すということはつまり……。

 

「もしかして、その……娘さんとわたしが似ていたから助けてくれたんですか?」

 

「いいえ、全然違うわよ?」

 

「「違うの!?」」

 

 まさかの否定に思わず歩みを止めて声を張り上げてしまった。今のはこう、そういう流れじゃないの!?

 しかもどうやら隣で話を聞いていたシロもわたしと同じことを考えていたようで、意図せず声が重なる。

 

 わたしたちが立ち止まったことに気づき、橘さんは少し呆れたような顔で振り返った。

 

「そもそもあなたとあの子はちっとも似ていないもの。髪型も瞳の色も違うし、一緒なところと言えば年齢ぐらいかしら。それにあなたより断然うちの子の方が可愛いわ」

 

「「ひどい!!」」

 

 双子だから容姿が似ているシロも、遠回しに可愛くないと言われたようなものだから頬を膨らませてムッとしている。たぶんわたしも同じ顔をしていると思う。

 パパとママはわたしたちが何をやってもかわいいと言ってくれてたから、容姿にはそこそこ自信があったのに……。もしかしてパパとママはわたしたちに嘘をついていたんだろうか?

 

「ふふっ、あなた達って本当にそっくりね」

 

 わたしたちの顔を見て、橘さんはくすくすと笑う。

 

「「笑わないで!!」」

 

「あら、ごめんなさい。でもね? 親はみんな自分の子どもが一番可愛いのよ。たとえ世界と天秤にかけることになって、どれだけ苦悩しようとも、最終的には我が子を選ぶのが親という生物(もの)なのよ」

 

「……でも、世の中には自分の子どもを平気で捨てる親もいるよ?」

 

 橘さんを見上げながら、シロが遠慮がちに尋ねた。

 

「それは親とは言わないわ。覚えておきなさい。親とは子どもを産んだ者のことではなく、子どもを愛し、育てた者のことを言うのよ。……そういう意味では、私も親とは呼べないわね」

 

 そう言って微笑む橘さんの顔は、どこか寂しそうだった。

 

「おっと、話が脱線しかけてるわね。クロナちゃん。私があなた達を助けたのはね、これじゃあ死んだあの子に顔向けできないと思ったからよ」

 

「子どもに酷いコトをするから?」

 

 知らず、言葉に棘が宿る。

 

 一応橘さんには助けてもらった恩があるけど、でもだからと言って、それで彼女が今日までわたしたちを『助けてくれなかった』という事実が無くなるわけじゃない。たった一度の善行でこれまでの非道を帳消しにしていいと思えるほど、わたしはお人好しじゃない。

 

 橘さんはわたしの言葉に対して、申し訳なさそうに眉を下げた。

 

「………そう、ね。私がここで働くことになったきっかけは、娘の病気を治すためだった」

 

「病気?」

 

「ええ。あの子が患った病気は、まるで火で炙られているかのような激痛が末端から徐々に中心部へと侵攻して、やがて死に至る奇病でね。……あらゆる手を尽くしたわ。研究者仲間のツテを使って名医を紹介してもらい、さまざまな最先端医療を受けながら一向に快復しないあの子の傍らで治療法を究明しようともした。でも、結局治療法は見つからず、あの子は死んでしまった。……最期まで、体中を焼かれるような痛みに蝕まれながら」

 

「…………」

 

 それは、一体どれほどの苦しみだったのだろう。病に侵されていた娘さんは言うまでもなく……いや、軽々しく口になんて出来ないけれど。

 

「だけどあの子は、私の前ではいつも笑っていたの。そうして面会時間が終わって、私が病院から出たのを確認すると、いつも狂ったように叫んでいたらしいわ。殺してくれ、殺してくれ、って」

 

 痛みを取り除くことも、苦しみを和らげることも出来ず。ただひたすら、苦しみ悶える我が子をずっと近くで見続けた母親の苦悩と絶望は、どれほど深かったのだろうか。

 

「私は娘の墓の前で誓ったわ。いつか必ず、あなたを殺した病気の治療法を見つけて、あなたみたいに優しい子が苦しまなくていい世界にしてみせる、って」

 

 だから、ガストレアという存在が世に現れ、それを研究しているという『組織』が接触してきたときは渡りに船だと思ったと、橘さんは続ける。

 

「連中の目的は一言でいえば世界征服らしいけど、そんなコトどうでも良かった。私にとって重要だったのは、宿主の遺伝子情報を解析し、最適な状態に書き換えるガストレアウイルスの特性を研究するコトだった。このウイルスを医療に応用することができれば、それがどんな病であっても確実に治すことができる。人間の喰種化は、私が探し求めていた治療法そのものだった」

 

 だけど、と。橘さんは一度言葉を切った。目を閉じて、静かに息を吐き出す。少しして、彼女はゆっくりと瞼を持ち上げ、そして微笑んだ。

 

「きっとあの子が今の私を見たら、『自分がされて嫌なコトは人にしたらいけないんだよ!』って叱られるかもしれないわね。誰かを救うために別の誰かを犠牲にするなんて、本末転倒でしょ?」

 

 それはとても辛そうで、泣きたいのを必死に堪えているような笑顔だった。

 

 娘を殺した病の治療法を見つけるために、娘と同じ年齢の子どもの体を切り刻む。矛盾した動機と行為に、彼女はずっと苛まれてきたんだ。

 

「うっ……ひぐ……!」

 

「ぐすっ……う、ぅぅっ……!」

 

 気がつけば、わたしはシロと一緒に泣いていた。どんなに拭っても、涙が止まらない。

 そんなわたしたちに橘さんは困ったように、呆れたように微笑んだ。

 

「どうして貴女たちが泣くのよ」

 

「だって……だってぇ……!」

 

「わかんないよぉっ……!」

 

 本当に、どうしてわたしたちは泣いているんだろう。彼女の過去にどんな悲劇があったとしても、橘さんがわたしたちにやったことは決して許されることじゃない……はず、なのにっ……!

 

 そっと、橘さんの両手がわたしとシロにそれぞれ伸び、ぎゅっと抱きしめられる。

 

「優しいのね、貴女たち。……ありがとう」

 

 囁くように、独り言のように呟かれた最後の言葉。

 彼女が今どんな顔をしているのかは見えないけれど、きっとその顔は、彼女の体温や声と同じくらいあたたかいモノに違いない。

 

「さ、何度も言ってるけど今はあまり悠長にしてる時間はないわ。残る独房もあと僅かだし、早く彼らを解放してここから出ましょう」

 

「………うんっ」

 

 わたしたちを落ち着かせるようにポンポンと頭を撫で、橘さんはそう言った。

 ……少し名残惜しいけど、彼女の言う通り時間がないのも確かだ。いつまでもこうしてはいられない。

 

 袖で涙を拭って、わたしたちは橘さんから離れた。

 

 うぅ……今さらだけど、わたし相当恥ずかしいことしちゃったなぁ。ほとんど他人も同然の人の前で大声で泣いて、しかもそれをあやされて……。顔がすごく熱いし、恥ずかしくて目も合わせられない。

 

 ちらりと横を見れば、顔を真っ赤に染めたシロと目が合った。思わず吹き出して、つられるようにシロと橘さんも笑った。

 

 その直後だった。

 

 

 

 

 

「───なんでやなんでや、オオウ、なんでや」

 

 

 

 

 

 その場に突如として響いた軽薄な声に、橘さんの顔が凍りついた。

 

「研究用のガストレアが解き放たれて施設が混乱してるこんなときに、施設の職員が実験体なんて引き連れて……」

 

 カツ、カツ、と。わざとらしく靴底を鳴らす音が、ゆっくりと近づいてくる。

 

「なんでやねん」

 

 振り返ると、ぞっとするほど柔和な微笑みを浮かべた男がそこにいた。

 

 

 

 

 


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