黒の銃弾と黒い死神   作:夢幻読書

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 お久しぶりです(震え)
 モチベが消失したり、そもそも執筆時間が取れなかったりで、気がつけば前回の投稿から3年も経ってました。でも原作の方は8年経ってるからセーフだよなぁ!?(暴論)

 待っていてくれた方はありがとうございます。また期間が空くことがあるかもしれませんが、失踪だけはしないのでこれからもよろしくお願いします。


第22話 猫を蹴る

 kick the cat=八つ当たり

 

 

 

 

 クロとシロが研究施設から抜け出したあの日から、二年。

 

 二人は現在、近所でも仲が睦まじいと評判のとある夫婦のもとで、温かく平穏な日々を送っていた。

 

 その夫婦は日々の生活にこれと言った不満はなかったが、唯一、子どもが出来にくい事だけが悩みだった。

 なかなか子どもに恵まれず、どこに行っても聞こえてくる親子の笑い声に、彼らはいつも……どこか寂しい思いをしていた。

 

 そんな彼らはある日、空腹に喘ぎ、道端で行き倒れていた少女たちを見つけたのだ。

 

 子どもを欲しがっていた夫婦と、親を亡くして行き場を失った子どもが出会った。

 

 いくつもの偶然が積み重なったそれは、彼らにとってもクロたちにとっても、奇跡と呼べるほどに幸運なことで───

 

 

 

 

 

「───このっ、暴れんな! 大人しくしろ!」

 

「痛い! 離して、離してよぉ!」

 

「くそっ、やめろッ! 妹に触るなッ!!」

 

 

 

 

 ───当然、そんな幸運を彼女たちは持ち合わせていなかった。

 

 

 

 

 

「ぐっ! ……っ()ぇなぁっ! 暴れんなって言ってんのが聞こえねぇのか!?」

 

「か、は……ッ!?」

 

「ナシロ!! こっの、くそ野郎ぉおおおおッ!」

 

「お前もさっきからぎゃあぎゃあ(うるせ)ぇんだよ!!」

 

「あがっ……!?」

 

「お、姉……ちゃん……」

 

 施設から逃げ延びた二人を待ち受けていたのは、柔らかな温もりや安心に満ちたものとは程遠い、冷たくて、惨めで、汚泥にまみれた日々だった。

 暖かく満ち足りた家庭しか知らない彼女たちに対して、世界は、人は……どこまでも残酷だった。

 

 親もおらず、血や泥で汚れたぼろぼろの衣服を身にまとう子どもに手を差し伸べる者など一人もいなかった。

 

 代わりに、空腹という魔の手が二人の肩を叩いた。

 

 このままでは餓死してしまうと直感したクロとシロは、何度も児童養護施設を訪ねようとしたが、その度に施設での記憶が蘇り、歯を食いしばりながら踵を返した。

 

 ならばと、ガストレア戦争で家を失った者たちの為に無償で食料を提供している『炊き出し』に参加すれば、列に並べず腹を空かせていた大人に食料を奪われる始末。

 再び列に並び、奪われ、また並び直しては奪われる。それを八回ほど繰り返すと、クロとシロは来たときよりも一層汚れた姿でその場を離れ、二度と『炊き出し』に参加することはなかった。

 

 ───ああ、パパの得意料理だった団子のお菓子と、ふわふわオムライス……また食べたいなぁ……。

 

 飲み水にはそこまで困らなかった。水飲み場が設置されている公園があちこちにあったからだ。けれど稀に、柄の悪そうな連中が飲み水を占有することもあった為、そんな時は背に腹はかえられぬと泥水や草の汁を啜った。

 

 ───ママがいつも作ってくれた温かいココアを、もう一回飲みたいなぁ……。

 

 常人であればたちまち猛烈な下痢や嘔吐に襲われ脱水症状に陥るところだが、生憎と彼女たちは常人どころかそもそも人ですらない。例えどれだけ腐った水を飲んだところで、胃を壊すことはない。

 最悪で最後の手段ではあるが、味や臭い、気分を度外視すれば喉の渇きに悩まされることはないという事実は、彼女たちにとっては唯一の救いだった。二人は初めて、喰種となった自身の体に心の底から感謝した。

 

 問題は食料だった。『炊き出し』に参加しない以上、食料を安定して調達する手段などそう多くはない。

 真っ先に思い浮かんだのは、『炊き出し』のときに自分たちから食料を何度も奪っていった大人たちの姿。しかし、奪われた側の人間として、弱者から一方的に搾取するあんな連中と同じ真似はしたくはなかった。

 

 ガストレア戦争以前に時折テレビで取り上げられていた『物乞い』というものも試してはみたが、投げられたのは好奇の視線と侮蔑の言葉だけだった。

 

 

 

「───う、おえぇぇぇえええッ!!?」

 

 

 

 だから、彼女たちはゴミを漁った。売れ残ってしまい廃棄が決まったスーパーやコンビニの弁当。飲食店が出す生ゴミ。

 容器にまとわりつく、鼻が曲がりそうな腐臭に胃を空にしたのは一度や二度ではない。

 

「……シロ、大丈夫?」

 

「はぁ、はぁっ…………ごめん、クロ。まだこの臭いに慣れなくて」

 

「謝ることないよ。無理しなくていいから、ゆっくり、少しずつ食べよ」

 

 それでも、この空腹を満たせるのならと、二人は耐え続けた。

 

 だが、ようやく臭いにも慣れ、食料問題の心配がなくなったのも束の間。今度はクロたちが寝床や食料調達に利用していた区域が別のホームレスの縄張りであったことが発覚。

 戦時中という状況も相まってホームレスたちも非常に神経質になっており、故意でないとは言え縄張りを侵されたことに激怒した彼らはクロたちを追いやった。

 

 追手を撒いた頃には日はすっかり暮れていた。

 ふと、夜空を見上げれば、冷たくて細かい何かが顔を叩いた。雨だった。

 

 ……最悪だ。ただでさえ少ない体力をひどく消耗してふらふらなのに、このままでは雨に体温を奪われて衰弱死してしまう。どうにか雨風をしのげる場所はないだろうかと、視線を正面に戻した時だった。

 

「………あ」

 

「ここ、は……」

 

 二人の目に飛び込んできたのは、もう何年も使われた形跡のない廃墟都市(ゴーストタウン)だった。どうやら逃げるのに夢中になり過ぎて、都心から離れた外周区と呼ばれる区域にまで来てしまっていたらしい。

 視線を少し遠くに向ければ、都心から見えていた時以上に巨大に映る何枚もの黒い石碑(モノリス)が、暗い空模様の中、冷たい雨に晒されながらそれでも毅然とした様相で立ち並んでいた。

 

 とても静かな場所だった。自分たち以外には誰もいない。()がいない。どんなに強く耳を塞いでも容易くすり抜けたあの怒号や悲鳴も、泣き声さえも、今は聞こえない。

 まるで、世界から自分たち以外の存在がすべて消え去ったかのような、そんな安らぎすら覚えた。

 

 適当な廃ビルに入ると、二人は虫食いだらけのカーテンを窓から引き千切って毛布の代わりにした。身を寄せ合い、寒さを凌いだ。

 しばらくすると、ようやく気を緩めることができた反動か、一気に眠気が押し寄せてきた。寝心地は最悪だったが、今まで常に気を張り続け心身共に疲労がピークに達していた二人は泥のように眠った。

 

 翌朝、起床したクロとシロは寝ぼけ(まなこ)で挨拶を交わし、その時初めて互いの片眼が赫く染まっていることに気づいた。

 一体いつから赫眼に(赤く)なっていたのか。昨日か、一昨日か、それとも先週からなのか。

 

 覚えていないが、とにかくこのままではマズイと二人は思った。

 

 ヒトは自分とは異なるモノを嫌い、分からないもの、理解できないものを恐怖し、排除しようとする。それは種を存続させるための、生物の本能と言ってもいい。

 

 ガストレア戦争が終結して間もないこの時代、モノリスの建設によってガストレアの侵攻はかろうじて防げた。だが、全く被害のなかった都心部付近の住民はともかく、直接ガストレアの脅威を目の当たりにした外郭に暮らしていた者の多くは奴らと同じ赤い眼を見るだけで混乱やパニック状態になる戦争後遺症───ガストレアショックに罹患し、症状が深刻な者の中には『赤』というただの色にさえ拒絶反応を示す者までいた。

 

 言うまでもないが、戦争というものは起こっている最中だけでなく、終わった後の方が悲惨で、そして陰惨である。

 

 戦時中、各国の政府は人類を脅かすガストレアがどういった存在なのか知らせるために、ガストレアウイルスを投与された実験用ラットが異形に変貌する過程の一部始終を市民に公開。その映像は世界中で、戦時中はもちろん戦後にも何度もテレビで取り上げられていた。

 

 人類に仇なすモノ達の脅威を人々に明確に認識させ、共有する。政府が下したその判断は正しい。

 

 ───だが。

 

 対岸の火事という(ことわざ)のように、所詮は画面越しに惨劇(向こう岸で起きている火事)を見ていただけの人間と、実際に惨劇を経験した(火事の現場にいた)人間とでは新たに発覚した脅威に対する認識が致命的に違う。

 さらに言えば、ガストレア戦争によって人々は衣食住を保証されない生活を余儀なくされ、日常的に多大なストレスに晒されていた。彼らの精神は既に限界だった。

 そんな状況で、新たに発覚したガストレアのあまりにも理不尽で不条理な情報。

 

 その映像は、多くの人間(被害者)たちを凶行に駆り立てた。

 

 喉を潤わすために立ち寄った川に浮かぶ、後に『呪われた子供たち』と呼ばれる赤い眼をした嬰児たちの水死体。ただ目が充血していただけなのに、ウイルスに感染していると言われリンチに遭い、息絶えた若者。真っ赤な夕焼けにガストレアの赤い瞳を幻視し、錯乱する人々。そんな彼らを鎮圧するために日夜出動する自衛隊と警察。

 

 人類にとって共通の敵であるガストレアがモノリスの外を我が物顔で跋扈している中、その内側で人間同士が殺し合いをしているというのは何とも皮肉な話だった。

 

 ガストレアという目に見える脅威と、ウイルスという目には見えない脅威。生き残った人々は前者には恐怖を、後者には異常なまでの警戒心を抱いたのだ。

 

 いつ誰が化け物になるか分からない、と。

 

 兄弟が、姉妹が。両親が、息子が、娘が。友人が、目の前を横切っていった赤の他人が、実はウイルスに感染しているかもしれない。目を逸らした一瞬のうちに、ガストレアになっているかもしれない。

 そこから妄想は波紋のように広がっていく。不安が次々と、際限もなく湧き上がる。

 

 一瞬後にならなかったら数分後は? 数分後にならなかったら数時間後は? 夜寝て、翌朝目が覚めたらあの人が、あいつが、あの子が、彼が、彼女が───化け物になっていたら?

 

 怪物になってからでは遅いのだ。やられる前にやらなくては。

 

 目に見えない脅威への警戒はやがて目に見える他者への猜疑心に変わり、人々から良識と理性を剥奪し、彼らを人でなしへと変貌させていった。

 

 人外との戦争という、SFやファンタジーの世界では定番な、だが決して現実では起こりえない事象によって民衆が冷静な思考や判断力と共に人間性を喪失した世界。人々が狂乱に耽る土壌は整っていた。加えて終戦間もないこともあって、人々は『呪われた子供たち』のような赤い瞳を持つ存在に耐性がない。

 そんな世界で、瞳孔が赤いだけに留まらず、本来なら白目であるはずの部分が黒く染まっている人間を見つけたら、彼らはどうするか。

 

 考えるまでもない。確実に殺される。

 

 冷や汗が頬を伝った。二人は布団がわりにしていたカーテンを千切りって頭に巻き、それを斜めにずらして赫眼を覆った。

 

 多少激しく動いても布がズレないことを確認すると、クロたちは目下最大の問題である食料調達に乗り出した。

 しかし、安定して食料を入手できるゴミ箱はもう使えない。故に別の地区に足を運び、ホームレスの縄張りになっていないゴミ箱を探した。

 

 

 

 そして、結論から言えば───二人はそれから5日間、空腹に喘ぎ続けた。

 

 

 

(…………痛い……苦しい……いたい……くるしい…………)

 

 痛み。

 ただただ持続的に、絶え間なく、止むことも引くこともない激痛。

 それは空腹を訴える胃袋がもたらす、圧倒的な飢餓感だった。

 

 どうして、こうなったんだろう。

 

 空腹に喘ぎながら、数え切れないほど繰り返した自問。それに対し「わからない」と、これまた数え切れないほど繰り返した自答。

 

 頭の中を、そんな無意味な自問自答が渦巻くようになったのはいつからだったか。

 

 あれは……そう。楽しげに笑う親子連れの姿を、街中で偶然見かけた時からだ。

 父親と母親と手を繋ぐ、双子の少女たち。その光景を目にして、どうしようもなく、思ってしまったのだ。

 

 どうして、あそこにいるのが自分たちじゃないんだろう。

 どうして、自分たちの隣には両親がいないんだろう。

 どうして、彼らは両親と手を繋げるんだろう。

 

 絶望が、虚無感が、泥のように全身にまとわりつく。

 息がつまりそうな閉塞感と、消えることのない胸の痛み。心が軋み、精神が悲鳴を上げる。

 

(……だめ、だ……このままじゃ……)

 

 何でもいいから理由が欲しかった。とにかく何かに縋りたかった。

 人は苦しみの渦中にいると、そこに意味を求めようとする。自分たちがこんなに辛い思いをするのには、きっと何かしら理由があるはずだ、と。

 あの地獄(施設)から命からがら逃げ延びた自分たちが、今こうして再び地獄(辛酸)を味わっているのには、何か然るべき理由があるはずなのだ。()()()()()()()()()()()()()

 

 もしもこの苦痛に何の意味もないのなら、私は……。

 

「…………………ぁ………………あ、ぁ……………」

 

 すぐ隣から聞こえてきた呻き声に、クロは虚ろになった目をゆっくりと右側に向けた。

 

 視線の先にあるのは、路地裏の壁を背に座り込みながら、()()()()()()()()から拝借した衣服に身を包み、ぐったりと自分に身を預ける、変わり果てた妹の姿。

 頬は以前よりもさらに痩せこけ、髪からは艶が完全に抜け落ち、肌はパサつき、唇はひび割れ、半開きになった口からこぼれた涎が糸を引いて地面に落ちた。おそらく、自分も似たような様相していることだろう。

 

 別にこの5日間、なにも飲まず食わずだったわけではない。水に関しては公園に行けば問題ないし、仮に柄の悪い連中に水飲み場を占拠されても、最悪草の汁を吸えばいい。

 

 そして食料においては、()()()()()()()()()()()多少は飢えを凌げると知った。

 

「…………?」

 

 ふと、左手にチクチクとした痛みを覚えた。釣られて、誘蛾灯に吸い寄せられる虫のように、ゆらりと眼球を自身の手に向けた。

 ほら、噂をすれば何とやら。食料が向こうからやってきた。

 

 クロは、投げ出した自分の左手に群がってきた黒い害虫(食料)たちをぱっと捕まえると、右手で一匹掴み上げ、そのまま口へと運んだ。

 

「むぐ、むぐ…………ん。ナシロ、起きて」

 

「……っ! お、お姉ちゃん……?」

 

「大丈夫? また(うな)されてたよ」

 

「ごめん、私……」

 

「別に、怒ってないよ。それよりほら、食べよ?」

 

「うん……ありがとう、クロナ」

 

 そう言って力なく笑うと、シロはクロから食料を数匹受け取り、躊躇なく口の中に入れた。

 

 口内で暴れるそれを、元が何だったか分からなくなるくらい咀嚼し、嚥下する。

 咀嚼して、嚥下して、また咀嚼して、また嚥下する。

 

 特に感慨は浮かばない。不快感はない。嫌悪感もない。

 以前までは触ることすら躊躇していたのに、今となっては口に入れることにも抵抗がなかった。

 だってコレは、ただの食料なのだから。

 

 

 

 それからさらに()()()()()()()()

 

 

 

 ───……お腹、減った。

 

 いつものように、路地裏で死体のフリをして食料がやってくるのを待っている時だった。そんな事を考えたのは。

 別段おかしなことじゃない。胃袋の中から食物がなくなれば、脳に信号が送られ、空腹を認識する。当たり前のことだ。

 

(…………あぁ)

 

 問題なのは。

 

(ほ ん と う に お い し そ う)

 

 食欲をそそる対象が、()であるという点。

 

「クロ、ナ……? どう、したの?」

 

「!?」

 

 その声に、クロはようやく自身が妹の喉に食らいつこうとしていたことを認識した。

 

「な、なんでもない……」

 

「……? そう……」

 

 慌ててシロから顔を背け、気づかれないように口の端からこぼれた涎を拭う。これで何度目だろう。ここしばらく、気を抜けば妹を喰らおうとしている自分がいる。

 確かにクロは、普段からシロにこっそりと自分より多めに食料を渡してあげているため、空腹感はシロよりもずっと大きい。だが、いくら何でも人を、ましてや実の妹を食べたい(美味しそう)と思うなんて異常だ。

 

 ……いや、大丈夫。これはきっと、空腹感が原因なんだ。だから、とりあえず胃になにか入れれば問題ない。シロには申し訳ないけど、今日はいつもより……ちょっとだけ、多くもらおう。

 

(大丈夫……大丈夫……私は、正気だ……)

 

 そう考えながら、再び死んだフリに戻ろうとした時だった。

 

「───き、君たち! しっかりするんだ!!」

 

 目の前にソレがやって来たのは。

 

「大丈夫だよ、すぐに君たちを病院に運んであげるから!」

 

 膝をつき、こちらを安心させるような笑みを浮かべる男。そんな彼を視界に捉え───クロは両親が死んでから、初めて笑った。

 

「……………………………………あはは」

 

 直後、クロは男に飛びかかり、そのまま馬乗りになって地面に押さえつけた。

 

「う、おッ……!?」

 

 男は最初、少女の突然の暴挙に困惑した。だが、徐々に状況を理解し始めたと同時に、仮にも成人している自分がまだ小学生ぐらいの子ども、それも女の子に押し倒されたという事実に驚愕し目を見開いた。

 

 そして男は、

 

「あぁ、私いま───とってもお腹が空いてるの」

 

 少女の言葉に、耳を疑った。

 そして、少女の焦点の定まっていない虚ろな瞳と、ポタポタと唾液を滴らせながら嗤う顔に、正気を疑った。

 

「な、なにを……君は一体、なにを言って───」

 

「もう無理だ、ゴキブリで飢えを凌ぐのにも限度がある! 限界だ、限界なんだよ!!」

 

 飢えを無くせと精神が悲鳴を上げる。

 

「もう誤魔化しきれない、頭がおかしくなりそうなんだ。妹なのに、たった一人の家族なのに! 食べたくて食べたくて仕方ない!!」

 

 自身の声帯から無意味に垂れ流される雑音の意味を理解できない。

 

「でも出来ない、わたしにはそんな事できない!」

 

 いいや、そんな事はどうだっていい。今はとにかく……

 

「だからお願い。ねぇ、お願いだからあなたを食べさせて、食べさせてください、食わせて、食わせろ、喰わせろよ、オマエを!! ワタシに!!!」

 

 目の前の『ご馳走』を平らげてしまおう。

 

「うあああああああああああああ!!!??」

 

 叫び、喉元に喰らいつこうとする少女の拘束から抜け出そうと男は滅茶苦茶に暴れようとした。だが、その痩せ細った体躯のどこにそんな膂力があるのか、拘束されている腕からはギリギリと悲鳴が上がり、男の必死の抵抗も身じろぎ程度の動きにしかならなかった。

 目を血走らせ迫る少女の形相に、男は自らの死を覚悟した───その時だった。

 

「───お姉ちゃんッ!!!」

 

 ピシリ、と。まるで金縛りにあったかのようにクロの身体が硬直した。

 大きく開いた口を首元まで持っていき、後はその口を思い切り閉じるだけ。たったそれだけで、この狂わんばかりの空腹から抜け出せる。飢えを満たすことが出来る。

 

 ……だと言うのに。

 

 クロは静かに男の上から降り、俯いたまま、呆然とこちらを見上げる男に告げた。

 

「…………行って。私の気が変わらないうちに、早く」

 

「はっ……ぃ、いや、しかし……」

 

「行けよ!!」

 

「ひぃッ!?」

 

 男はわずかに逡巡するも、クロが怒鳴るように叫ぶと男はなり振り構わずといった様子で大通りへと走り去っていった。

 

「……クロナ」

 

「……………あはは、あの男の顔見た?」

 

 クロは振り向かなかった。

 

「まるで化け物でも見るような怯えた顔。ちょっと揶揄ってやろうって思っただけなんだけどなぁ。もしかしたら私、将来すっごい女優さんとかに、なれる才能っ、ある、かもっ……」

 

「クロナ!」

 

 故にシロは、姉を後ろから包み込むように、強く抱きしめた。

 ポタポタと、何かがクロの頬を伝って、地面に落ちる。

 

「殺そうとした……人をっ……ガストレアや、あのネストって奴みたいに……わ、私はっ、私……!!」

 

「大丈夫、大丈夫だから……!」

 

 崩れ落ちるように、その場に膝をつき、声を殺して震える姉を。安心させるように、落ち着かせるように、どこにも行かないように。シロはただ、抱きしめ続けた。

 

 路地裏に響く嗚咽が、聞こえなくなるまで。

 

 

 

 それから程なくして、二人は盗みに手を染めた。

 

 

 

「こらぁぁああああ!!! 待ちやがれガキどもぉぉぉおお!!」

 

「誰が待つもんか! 寝言は寝て言え!!」

 

 提案したのは、クロとしては意外なことだがシロだった。なぜならシロは、良くも悪くも真面目で、優しすぎるからだ。法を犯すことはもちろん、誰かから物を奪うという行為を、こんな生活を送ってきたとはいえ許容できるとは到底思えなかったのだ。

 そしてだからこそ、彼女がそれらを容認した理由が自分にあると簡単に理解できてしまった。

 

 大好きな姉が、人を殺さなくていいように、と。

 

 実際にそう口にした訳ではなかったが、クロはその思いに気づいていた。

 

「盗んだ商品を返しやがれぇぇえええ!!」

 

「なんで今回は一品ずつしか盗ってないのにあの人あんなに怒ってるの!?」

 

「分かんないよ! できるだけ安い食べ物を選んだのに!!」

 

「高かろうが安かろうが盗んでる時点でアウトなんだよガキ共! 五十歩百歩って言葉を知らねぇのか!!」

 

「ヒィ!? は、初めて見たときから思ってたけど、あの人ヤクザが仏に見えるくらい顔が怖いんだけど、本当にお巡りさんなの!?」

 

「あんな顔の怖いお巡りさんいるわけないじゃん! きっとヤクザがお巡りさんのコスプレしてるんだよ!」

 

「誰がヤクザでコスプレイヤーだこの野郎! 俺はそこまで強面じゃねえし、本物の警察だっつーの!! 疑うならこのバッジを近くで見てみろ! いや、なんなら触らせてやるからそこで止まれ! 人は見かけによらねえってことを教えてやる!!」

 

「……いや顔怖いって自分で認めてるじゃん!」

 

「自分で認めちゃってるよ、顔怖いって!」

 

「……言われてみりゃそうだな!! って、んなこたぁどうでもいいんだよ! いいからとっとと盗んだ商品を返せ! 今ならこっちのお洒落なブレスレットも見せてやるぞ!」

 

「あのお巡りさん必死だねナシロ! 開き直った挙句に露骨に話題を逸らしてきたよ! て言うかどこの世界に手錠が見たくて逮捕される人がいるんだろうね!」

 

「ホントあのお巡りさん必死だねクロナ! しかも気づいてないのかもしれないけど、バッジと手錠を私たちに見せつけながら追いかけてるから、あのお巡りさんの走り方めちゃくちゃダサいよ!」

 

「喧嘩売ってんのかお前ら!? ええい覚悟しろよ、今日こそは捕まえて店の人に頭下げさてやるからなッ!!」

 

「ああもう!」

 

「しつこい!」

 

 とは言え、何度も盗みを繰り返せば店員に顔を覚えられるのは当然のことで、そうなってしまうとそもそも盗みを働く前に店を追い出されるか、通報されてお巡りと鬼ごっこする羽目になる。

 

 考えた結果、二人は盗む対象を『食料』そのものではなく、『食料を買うための金銭』に切り替えた。

 

 最初は分かりやすく、不用心にもズボンの後ろポケットに財布を入れている人を狙った。

 ある時は人混みに紛れ、またある時は正面から大胆に。

 

 当然、盗みに成功したこともあれば、失敗したこともある。運が良ければ反吐が出るような綺麗事を聞かされるだけで済むが、最悪、相手のストレス発散も込みで何時間も殴られ蹴られ続ける。何せ、相手には盗まれた財布を取り戻すという大義名分がある。誰も止めようとはしない。誰も助けてはくれない。

 

 だから、嫌でも手先は器用に。逃げ足は早くなった。

 

 そうして何度もスリを繰り返すうちに、財布をポケットに入れてる連中の所持金は大したことない事に気づいた二人は、標的を変えた。

 

 次に狙ったのは、ハンドバッグを片手にハイヒールをかつかつと鳴らして歩いてる、いかにも金を持っていそうな人。ポケットに財布を入れて街中を歩く連中よりも遭遇率は少なかったが、彼女らは予想通りかなりの大金をバッグに入れていた。

 その後も、リュックを背負った人、スーツを着た人、ラフな格好をした人と、様々な人たちから金銭を奪っていった。

 

 そうして彼女たちは、奪った金銭で清潔な衣服と、温かい食べ物を買った。

 

「お、美味しい……! ねえナシロ、このハンバーグ、すっごく美味しいよ! 食べる?」

 

「いいの!? じ、じゃあ一口ちょうだい! 私のもクロナにあげるから! こっちのスパゲッティもとっても美味しいんだよ!」

 

「ホント!? ありがとうシロ!」

 

「うん!」

 

 楽しかった。

 財布を盗られたことに気づいた彼らの慌てた表情は、怒りに歪む相貌は、最高に愉快なものだった。いい気味だと、ざまあ見ろと、そう思った。

 ガストレア戦争が終結してから、もうすぐ二年。東京エリアは着々と敗戦前の日本の風景を取り戻していった。

 

 だが……いや、だからこそ、体が震えるほどの怒りを覚えた。

 

 どうして、自分たちはこんな生活を送っているのに、お前たちは何食わぬ顔で普通の生活を謳歌しているのか、と。

 

『なあ、たしか物乞いって犯罪になるんじゃなかったっけ? てことは、もしここに警官が通り掛かったらあの子たち捕まるってこと? やばいな』

 

『家出……いや、ありゃ孤児か? おおかたガストレア戦争で親ぁ亡くしたんだろな。可哀想に』

 

『あーいうの見ると、自分がどれだけ恵まれてるかってのを痛感させられるよねー』

 

 

 

 どうして手を差し伸べてくれないの?

 

 

 

『ねえ見てあの子たち。服はボロボロで髪もボサボサ。しかもすっごく痩せてる。まるで野良犬みたいね』

 

『アレってもしかしてストリートチルドレンってやつ? へー、俺初めて見たよ。つか日本にストリートチルドレンなんていたんだな』

 

『ちょっと、アイツらさっきからずっと僕らのこと見てるんだけど。気味が悪いよ』

 

 

 

 どうしてそんな目で私たちを見るの?

 

 

 

『いやいや! どうして人様が汗水垂らして稼いだ金を、君らみたいな寄生虫にくれてやんないといけないわけ?』

 

『うわっ、ヒドイ臭い。ちゃんとお風呂入ってるの? って、入ってたらそんな汚い格好してないか!』

 

『分からないんだけど、君らって何のために生きてるの? 良かったら教えくれないかな?』

 

 

 

 どうして私たちを笑うの?

 

 

 

 どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして。

 

 どうして……誰も、助けてくれないの?

 

 生活に余裕ができたのなら、少しくらい、私たちにもその『当たり前』を分けてくれたっていいじゃないか。

 

 そんなにも、自分より卑しい人間を見るのが心地良いか。そんなにも他人の不幸が愉快か。そんなにも───自分は恵まれていると、底辺などではないと、優越感に浸りたいのか。

 

 だったら、もういい。誰も助けてくれないのなら、自分たちだけで生き抜いてやる。真っ当に生きることを当然とし、犯罪に手を染める者を見下すお前らから、一時(いっとき)でも平穏を奪ってやる。

 

 東京エリアのどこかの街中で、今日も大人の罵声が響き渡っていた。

 

 

 

 そんな生活を繰り返していたある日。

 

 彼女たちはいつものように街中を散策し、今日はいくら奪ってやろうかと、当然のような顔で平穏を享受している連中たちを物色していた時だった。

 明らかに堅気の人間ではなさそうな集団が、我が物顔で大通りを歩いているではないか。しかも普段自分たちを蔑むような目で見る大人たちは、ある者は怯えを孕んだ瞳を、またある者は媚びるような笑みを彼らに向けていた。

 

 そして、その光景を前にクロは、

 

 ───なんだ、それは。

 

 苛立ちを覚えた。

 

 ───なんなんだ、その目は。

 

 なぜ、どうして。

 あの男たちと自分たちの何が違う? どっちも『当たり前』を分けてもらえなかった者同士だろう。なのになぜ大人たちは、自分たちには罵声を浴びせるのに、彼らには何も言わないんだ? どうして自分たちは『見下ろされて』いるのに、彼らは『見上げられて』いるんだ?

 

 クロは一つ舌打ちし、大人たちから向けられる畏怖の視線にニヤニヤと悦に浸る彼らに目を細め、

 

「…………気に入らない」

 

 そう吐き捨てた。

 

 それから二人の標的は『どこにでもいるただの大人』から『彼ら』へと移った。

 ここ二年で培ったスリの技術で彼らから苦もなく財布を盗み、札束を抜き取って、空になった財布を顔面にお返ししてやった。

 

 当然、公衆の面前で恥をかかされた彼らは怒り心頭でクロたちを追うも、盗みのスキルと共に逃走スキルを磨いていた彼女たちには他の大人たちと同様に敵わなかった。

 

 

 

 少なくとも、今日この日までは。

 

 

 

「"暴れるな"ッ、"騒ぐな"! こんな簡単なことがッ、どうしてッ、出来ない!!」

 

「ぐっ、かはっ、うっ……!!」

 

 言葉に合わせて、男の蹴りが容赦なく腹に叩き込まれる。それと同じタイミングで、クロの体は僅かに跳ね、口からは苦悶が漏れる。それを見て、周囲にいた他の男たちは馬鹿にするように笑っていた。

 

「どうして俺たちが、何度もお前らからスリに遭ってんのに対策しなかったと思う?」

 

 そう言って、眼鏡をかけた男はドラム缶の一つに腰掛けながら煙草に火をつけた。

 

「お前らの逃げ足の速さは厄介だった。情けないことに、『走って追いかける』なんて正攻法じゃあとても追いつけないほどにな」

 

 日はすでに沈み、建設途中のビルのため光源はブルーシートの隙間から入り込む心細い月明かりと、男が咥える煙草の火だけだ。

 

「で、逆に考えた。追いつけないなら()()()()()()()()()()()()()、ってな。そのために敢えて『何度も金をスられてんのに懲りない間抜け』を演じてたってわけだ。そしたらお前らは味をしめ、特に深く考えもせず俺たちに手を出し続けた。少しずつ、俺たちの島に踏み込んでることに気づかずにな」

 

 眼鏡の男が腰を上げ、クロのすぐ近くまで来ると、それまで彼女を痛めつけていた男は渋々といった様子で、他の男たちと同様に距離を置いた。

 

 腹部を押さえ、むせ返りながら、クロはどうにか視線だけ自分の目の前に立つ男に向けた。

 

「ま、ガキ相手にここまですんのもどうかと思うが、こっちにもメンツってもんがあるんだわ。だから悪いんだけど」

 

 眼鏡の男はクロの前にしゃがみ込むと、人の良さそうな笑みを浮かべ、

 

「───ここで死んでくれや」

 

 なんて事ないように、悪びれもせず、そう告げた。それと同時に、それまで見ているだけで何もしなかった周りの男たちが距離を詰めてきた。

 

「は……ま、まって……」

 

 喉が急激に干上がり、涙を流しながら。

 無意味なのは分かっている。ただそれでも懇願せずにはいられなかった。

 

「も、もうお金を盗んだりしませんっ。だから、お願いします、殺さないでください……せめて、妹だけは……お願いします……!」

 

 まるで親に叱られて謝る子どものように。

 身じろぎするだけで痛む体をどうにか動かして、顔をくしゃくしゃにしながら額を地面に擦りつけた。

 

 その時だった。

 

「なーんてな!」

 

「…………へ?」

 

「冗談だよ冗談。さすがにガキ殺すなんて酷ぇ真似するわけねぇだろ」

 

 はっはっは、と笑う眼鏡の男にクロはポカンとする。

 痛みと疲労でロクに働かない頭ではあったが、それでも"とりあえず殺されはしない"ということだけは理解できた。恐怖の色しかなかった彼女の瞳が少しずつ希望の輝きを取り戻す。クロにとって男の言葉は、暗闇に差し込んだ唯一の光だった。

 

「じゃ、じゃあ……!」

 

「あぁ」

 

 ならば善は急げだ。男の気が変わらないうちに、今すぐにここを離れて───

 

 

 

 

 

「───()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 人間は、ここまで醜く笑うことができる生き物なんだと、クロはこの時初めて知った。

 

 男には最初からクロたちを助ける気なんてさらさらなかった。にも関わらず、わざわざクロに『助かるかもしれない』という希望を抱かせたのは、単純に()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「あぁ……やっぱ人が絶望した瞬間の顔ってのは堪んねぇなぁ」

 

 かつてクロは、ネストという男の笑みを見て、笑っているのに笑っていないという矛盾……その得体の知れなさに恐怖した。

 対して眼前の男が浮かべる笑みは悪意に満ちていた。弱者を甚振り、辱め、嬲ることに心の底から喜びを見出している、そんな顔。

 ネストの笑顔を『不気味』と表現するなら、目の前の男が浮かべる笑みはただただ『醜悪』だった。

 

「……は、はは…………」

 

 救いのなさすぎる現実を前に、今度こそ完全に心が折れた。自分の意思とは関係なく、乾いた笑いが口から漏れ、涙が頬を伝う。

 

「つーことでお前ら、終わったらちゃんとドラム缶に詰めとけよー」

 

 その言葉を合図に、バットに鉄パイプ、ナイフやノコギリを持った男たちが下卑た笑みを浮かべてゆっくりと近づいてくる。クロの方にはもちろん、

 

「く、ろな……」

 

 うつ伏せに倒れながら、懸命にこちらに手を伸ばすシロの方にも。

 

 そしてその光景は、

 

「………………………な」

 

「あ?」

 

 少女の折れた心を、再び繋ぎ直すには十分だった。

 

「……私の妹に、近寄るなぁぁぁああああああ!!!」

 

 血を吐くような咆哮。それは彼女の中から恐怖を吹き飛ばし、代わりに理性を焼き尽くすほどの憤怒を宿らせる。

 ふらつく足で立ち上がり、倒れ込むようにして前方に猛進。眼前に立ち塞がる男に体当たりするように押し退け、シロの元に駆け出す。

 

 しかし。

 

「が───ッ!?」

 

 ゴンッ!! と。突如、世界が揺すぶられるような衝撃が頭の左側から右側へと駆け抜けた。バランスを崩し、無様に地面を転がる。

 

 鈍く鋭い痛みを主張する頭の左側に手を持っていけば、どろりとした感触。そのまま持ち上げていた腕を下げ、真っ赤に染まった己の手と、鉄パイプを持つ男を見て、クロはようやく自身が鈍器で殴られたのだと理解した。

 

 そして、気づいた。

 

 本来バラニウム製の武器以外では傷つけることのできないはずの自分(喰種)の身体が、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 喰種の肉体は基本的にバラニウム金属で作られた物でないと傷一つ付けられない。ではなぜ、その辺の工事現場でよく見かける鉄パイプ如きで、クロに傷を負わせることができたのか?

 

 答えはそう難しくはない。

 もともと施設にいた時はウイルスを餓死しない程度しか与えられず、しかもそのほとんどがネストに負わされた怪我の再生に使われた。そして、施設を脱出してからの二年間、二人はただの一度もガストレアウイルスを摂取してこなかった。

 

 喰種がウイルスを摂取しないことで被るデメリットは再生力の著しい低下と赫子の脆弱化だけではない。

 肉体の強度が並の人間レベルにまで落ちるのだ。それこそ、本来なら銃弾や刃物も通さない頑強な身体が()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「おい、今ので死んでねーよな? こういうのは『反応』があるからおもしれーのに」

 

「大丈夫だって。血は出てるが死んじゃいねーし意識も飛んでねぇ。こいつは楽しめそうだ」

 

「ひひっ、それによく見りゃ結構な上玉じゃねーか。これも日頃の行いってやつかねぇ」

 

「っざ、けるな───がッ……!」

 

「あ、悪りぃ。聞こえなかったわ」

 

 立ち上がろうとして、頭と腕を乱暴に地面に押さえつけられた。

 カチャカチャと、金属が擦れ合う音が聞こえた。

 

「いやっ! やめて、やめてよぉ!!」

 

 唯一自由の利く目を動かして、シロの方に視線を向けた。

 血が目に入ったのか、視界は真っ赤に染まっていた。そして、グロテスクなほどに赤い世界で、服を剥ぎ取られる妹を見て───

 

 

 

「───助けて、お姉ちゃんっ!!!」

 

 

 

 ───今まで決して手放すまいとしていた何かが、あっさりと両手からこぼれ落ちた。

 

 

 

 

 

 気がつくと、クロは床に座り込み、泣きじゃくるシロに抱きしめられていた。

 

 そうして、なぜか泣きながら「ごめんなさい」と何度も何度も謝罪する妹を不思議に思いながら、ぼんやりとした意識のまま虚空に視線を彷徨わせる。

 

 ふと視界に、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 その触手からはポタポタと雨漏りのように血が滴り落ち、床に真っ赤な血溜まりを形成していた。

 

「──────」

 

 耳鳴りが酷い。さっきまではっきりと聞こえていたシロの声が、徐々に遠ざかっていく。

 

 シュルリ、と片目を覆っていた布が(ほど)け、爛々と光る赫眼が顕になり、視界が広がる。

 

(…………あぁ)

 

 赫子に向けていた視線を周囲に配る。そこにあったのは、惨劇の跡だった。

 

 上半身と下半身が泣き別れした者。

 踏み潰されたトマトのように床の染みになった者。

 首を無くした者。

 腹に風穴を空けた者。

 体を左右に引き裂かれた者。

 

 赤いペンキをバケツごとぶちまけたように、鮮血を撒き散らしながら周囲に転がる死体を、クロは無感動に見下ろしていた。

 

(……そっか。私、人を殺したんだ)

 

 あれだけ殺人に忌避感を抱いていたというのに、実際に事が起きて浮かんだ感想はそれだけだった。

 

 嬉しくもないし、悲しくもない。

 楽しくもないし、罪悪感もない。

 

 なんの感情も浮かんでこない。ただ、何かが欠けてしまったような喪失感と虚無感だけが、クロの内側を覆い尽くした。

 

 ふと、死体の一つがこちらを見つめていることに気づいた。

 

 否、一つだけではない。原形を留めている死体はもちろん、眼窩からこぼれ落ちているものも含め、この空間に存在する全ての眼球が、自分を捉えている。

 

 そしてそのことを知覚した瞬間、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「───え?」

 

 息を吸う間もなく水飛沫(みずしぶき)を上げて沼に呑み込まれ、暗闇の底へどんどん沈んでいく。

 

 水が冷たくて痛い。息ができなくて苦しい。

 苦悶の声は泡となって口から零れ、どんなに手足を動かして(もが)いても、まるで背中を誰かに引っ張られているみたいに下へ下へと引き摺り込まれていく。

 いや、実際に誰かに引っ張られているのだ。

 

 背中を掴む手をどうにか振り(ほど)こうとがむしゃらに体を捻り、拘束から抜け出す。

 そして水中だからと咄嗟に閉じていた目を何とか開けて、沼の底を見ると───

 

 

 

 

 

 ───()()()殺した人たちの手が、無数に自分へと伸びていた。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 

 

「────っ!!」

 

 弾かれたようにソファーから跳ね起き、素早く周囲を確認する。

 正面はベランダに通じているテラス戸。左は布団が収納されている押し入れ。右は耳を澄まさなくても生活音が聞こえるほど薄い壁。背後は玄関や台所へと続く引き戸。

 潜伏先として数週間前に借りた、何の変哲もないアパートの一室だ。

 

 周辺の気配を探り、たっぷり5秒も時間をかけて警戒を解く。

 

 ツゥー……と汗が頬を伝う。

 脳裏に浮かぶのは、無数の亡者たちに黒い沼底に無理矢理引きずり込まれる夢。その前にも何か別の夢を見ていたような気がしたが、思い出そうとすると頭痛がして、やがてどんな内容だったか分からなくなった。

 

 最悪の目覚めだ。黒い死神を殺したあの日から、ずっと同じような夢を見ている。 

 分からない。どうしてだ。今までこんな事、一度もなかったのに……。

 

 額を流れる汗を拭い、びしょ濡れになった服を脱いで、白地のシャツの上に薄手の黒いパーカーを羽織る。ズボンも内側が蒸れていたので、丈の短い白のホットパンツに履きかえる。

 

「───ただいま。クロ、起きてる? 食材買ってきたよ」

 

 着替え終えると、ちょうど玄関の方からシロの声が聞こえた。

 どうやら私が惰眠を貪っていた間に、買い出しに行ってくれていたらしい。

 

「いま起きたトコだよ」

 

 ちゃぶ台の上に無造作に置かれた携帯を手に取り、時刻を確認する。……8時10分、か。それなりに寝てたみたいだな。

 

「依頼人から連絡はあった?」

 

 引き戸越しに投げかけられた問いに、携帯を操作して、着信履歴をチェックする。

 

「ううん、まだ何も」

 

 どうやら私が寝ている間に連絡があったという事はなさそうだ。

 

 携帯を懐に仕舞い、洗面台で顔を洗おうと引き戸を開けると、私が着てる服と配色が逆であることを除けば全く同じ格好をしたシロが、ビニール袋を片手に食材を冷蔵庫に移していた。材料から察するに……夕飯はオムライス、だろうか。まあ、空腹が満たせるなら何だっていい。どうせ味なんて分からないのだから。

 

「クロナ」

 

「ん?」

 

「大丈夫? 顔、真っ青だよ」

 

「───────」

 

 その言葉に、なぜか初めて人を殺した日の光景と、目覚める直前に見た奇妙な夢を思い出した。

 

「あぁ、えっと……少し変な夢を見ただけだよ」

 

「……そっか」

 

 少しの間を置いて相づちを打つと、シロは再び食材を冷蔵庫に入れ始めた。

 

 またあの癖だ。

 シロは隠し事をする時、一瞬黙ってから相づちを打つ。まるで、本当に言いたいことを一度飲み込んでるみたいに。

 そう言えば、シロがこんな風に自分の意見をあんまり言わなくなったのは、いつからだっけ。

 

 私はシロから視線を外して洗面台へ向かった。鏡に写った自分の顔は、シロの言う通り真っ青だった。

 

「……そう言えば、いつになったら依頼人から報酬をもらえるのかな。もう一週間も経ってるのに」

 

「確かにね。仮にも大阪の国家元首なんだから、報酬を渋るって事はないと思うけど……」

 

 水で濡れた顔をタオルで拭きながら、シロのもっともな疑問に同意しつつ居間に戻る。

 

 そう、本来なら私たちは今ごろ東京エリアを離れ、他所のエリアに移っているはずだった。

 

 殺し屋なんてモノを生業としている以上、仕事があった地域に留まり続けるのは下策。何がきっかけで足取りを掴まれるか分からないのだから、仕事を終えたらできるだけ早く他の都市へ移るのが定石だ。

 

 他所のエリアの移動法は───あの男の指図(アドバイス)に従うのは癪だが───飛行機や船では足が付きかねないため徒歩だ。一応『訳アリ』の人間を専門に"裏口"と"足"を提供してくれる連中もいるにはいるが、ただでさえ正規の空路や航路のコストは馬鹿にならないのに、奴らがふっかけてくる値段はその倍近く掛かる。はっきり言って論外だ。

 だからと言って、未踏査領域を徒歩で突っ切るなんて常識的に考えれば自殺行為以外の何物でもないが、そこは非常識の塊である喰種の面目躍如。何の問題もない。むしろ道中でガストレアウイルスも補充できるからメリットしかない。

 

 皮肉な話だが、正体が露見すれば『呪われた子供たち』と同様かそれ以下の目に遭ったり、研究素材(モルモット)として死ぬまで……いや、死んでも利用される私たち(喰種)にとっては、モノリスの内側(エリア内)ではなくモノリスの外側(未踏査領域)こそが安寧の地かもしれない。

 

 それはそれとして。未踏査領域を走破して他エリアのモノリスに到達したら、あとは罰ゲーム感覚でモノリスの周りを警備している自衛隊の連中をやり過ごして、さっさと内側に入ってしまえばいい。

 これで私たちの足取りは追えなくなる。まあ、キメラやドラゴンみたいな見た目の化け物が跋扈している危険地帯(ジャングル)を走って抜ける侵入者を想定しろって方が無理な話だとは思うけど。

 とはいえ、バラニウムの磁場の影響が最も小さいモノリスとモノリスの間の部分を精確に、素早く通り抜けないとその場から動けなくなるし、最悪そのまま死ぬから面倒なことに変わりはない。

 

「クロ、これからどうする?」

 

「どうするって、何を?」

 

「次はどこのエリアに行くかって話。私、博多エリアのラーメンが食べたいなー、なんて……」

 

「……じゃあ報酬を受け取ったらすぐ向かおうか」

 

 これから……これから、か。復讐を果たした今、私は何を目的に生きればいいんだろう。

 

 やりたいこと。

 ───分からない。

 

 やれること。

 ───わからない。

 

 やらなければならないこと。

 ───……なにも、わからない。

 

 ずるずる、と意識が暗闇に引きずり込まれていくような感覚。

 倦怠感が、息苦しさが、真綿で首を絞めるように思考と呼吸を侵していく。

 

(……ハッ。『人間の共通の敵は"退屈“である』、か)

 

 ある作品の、ある登場人物の台詞だ。作者の名前も、作品のタイトルも思い出せないが、曰く、それは風邪ようなもので、ちゃんと治療しなければ『生きるとは?』みたいな疑問に囚われてしまうらしい。

 

「……くだらない」

 

 思わず鼻で笑ってしまう。生きる目的? そんなものを必要とするのは、理由がなければ前に進むことのできない弱者だけだ。

 私は違う。私は奪う側で、奪われる側じゃない。私は弱くなんかない。私は、わたしは……。

 

「……ねぇクロナ」

 

「っ……! なに?」

 

 自分の名を呼ぶ妹の声に、いつの間にか下を向いていた顔をはっと上げる。シロの顔は私の方に向いておらず、けれどその声色はとても真剣で、思わず身構えた……が、続けられた言葉に、私はただ困惑した。

 

「私が買い物に行ってる間に一回出かけた?」

 

「? ううん、出てないけど」

 

 妙な事を言う。私は……自分で言うのもどうかと思うが、まだシロが家にいた時から買い出しに行って帰ってくるまでの間、ずっと寝ていた。

 というか、さっきからシロはどこを見て……

 

「───シロ。確認するけど、()()はシロが持って帰ってきた物じゃないよね?」

 

 シロの視線の先。そこにあったのは、下駄箱の上に何食わぬ顔で鎮座している、()()()()()()()()()()

 

 瞬時に意識を切り替え、警戒態勢に移行する。

 

 家主の片方が不在、片方が睡眠中に無断で設置された、白い紙で包装された箱。通販やデリバリーを頼んだ覚えもない。そもそも、いくら寝ていたからといって、シロ以外の人間が部屋に入ってくれば気配で気づく。という事は必然、下駄箱の上に箱を置いていった下手人は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……とりあえず、居間に持っていこう……慎重に」

 

「分かった」

 

 何が起きても対処できるように身構えつつ、周囲の気配を探る。

 ……大丈夫、動く気配はどこにもない。

 

「……軽いな」

 

 包装までされているのに、箱は空っぽなのではと思うくらいに軽かった。

 

 ちゃぶ台の上に静かに置き、向かい側に回ったシロと顔を見合わせ、短く頷く。

 

 赫子をナイフのような形状に変化させて分離し、箱を開けるために慎重に包みに切り込みを入れようとして───着信を知らせる電子音が鳴った。

 ただし音の発生源は私の携帯ではなく、あの男お手製の通信端末からだが。

 

『やあ、こんばんは』

 

「……………なんの用?」

 

 少しの葛藤を経て通話に出れば、予想通りの人物(顔無し)の声が聞こえ、眉間にシワが寄る。この男の声は、何度聞いても(かん)に触る。理由は自分でもよく分からないが、とにかく無性に苛々するのだ。

 

『今夜は月が綺麗だね』

 

「そうだな。死ね」

 

『ははは、これはいつにも増して手厳しい。もしかして悪いタイミングに電話しちゃったかな?』

 

 某文豪が言ったとされる、純文学的な表現を駆使した告白の言葉(冗談)を一切の間を置かずに叩き落とす。

 だと言うのに、特に気にした風もなく笑って流すその態度に、ますます苛立ちが募る。

 

「ご名答。切るぞ」

 

『せっかちだねぇ、せめて用件ぐらい聞こうよ』

 

「……チッ」

 

『え、いま舌打ちした?』

 

「気のせいだろ」

 

 ナイフ(赫子)をシロに渡して箱を開けるのを促しつつ、深呼吸して精神を落ち着かせる。今すぐ通話を切りたいところだが、この男が大した用もなく連絡を寄越すはずがない。

 

「それで?」

 

『うん、単刀直入に言うとね───君たちを狙ってる連中がいるから、早いとこ東京エリアから出た方がいい』

 

「なに……?」

 

『報酬も諦めた方がいいね。彼は君らに一銭も払う気は無いみたいだから』

 

「───クロっ、これ」

 

 理解が追いついていない頭をどうにか働かせて顔無しの言葉を咀嚼していると、シロが困惑したように箱の中を覗いていた。つられて箱の底を見ると、シンプルなメッセージカードが一枚だけ置かれていた。

 

『この前はありがとうございました。これはその時のお礼です』

 

 手に取ったメッセージカードの内容に、シロと揃って首をかしげる。

 

「お礼って……」

 

「一体なんの……? いや、そもそも───」

 

 誰からのお礼?

 そう口にしようとした直前、何かがテラス戸を突き破って部屋の中に投げ込まれた。

 

 眼前を横切っていく、野球ボールほどの大きさの黒い物体。それを視認した瞬間、私とシロは同時にベランダへと駆け出した。

 

 テラス戸に突貫し、ガラスが砕け散る音を聞きながら東京エリアの夜空に躍り出る。

 

 直後、部屋が爆発し、凄まじい音と衝撃が背後から襲い掛かってきた。

 

「くっ……!」

 

 爆風によって空中で態勢を崩し、アパートの二階から受け身もとれずに裏庭に叩きつけられる。

 だが、大したダメージにはならない。落下時の衝撃で一瞬息がつまるが、それだけだ。

 

 すぐさま起き上がり、アパートを見上げる。ガスに引火したのか、私たちがいた部屋から炎が上がり、そこを起点にしてアパート全体に火が燃え移っていった。

 

「っ! まずいよ、隣の部屋や下の階に住んでた人たちが!」

 

「……大丈夫だよ」

 

「なんで断言できるの!?」

 

 今にも炎に包まれたアパートに飛び込んでいきそうなシロに、私は言った。

 

「さっき気配を探ったとき、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。今あそこには、誰もいないんだ」

 

 自分の愚鈍さに歯噛みする。

 

 違和感はあった。最初に気配を探ったとき、真っ先に気づくべきだった。

 すでに日が沈んでいるとはいえ、()()()()()()()()()()()()()()()。動く気配が一つもなかったこと自体がおかしかったのだ。

 

「クソッ、落ちたときの衝撃で(いか)れたか」

 

 十中八九この襲撃は、直前まで顔無しが話していた『私たちを狙ってる連中』によるものだろう。

 故に、手っ取り早く詳しい情報を得ようと再びヤツに連絡を取ろうと端末を見るが、画面は蜘蛛の巣状に割れ、どのボタンを押そうとうんともすんとも言わない。

 

「まあいい。敵が誰だか知らないが……」

 

 必ず殺す。

 シロとの約束で、基本的に暗殺の標的以外の人間は殺さないようにと心掛けてはいるが、相手がシロに手を出した以上そんなもの知ったことか。

 

 人間だろうが。

 喰種だろうが。

 呪われた子供たちだろうが。

 

 確実に、息の根を止めてやる。

 

 ドス黒い衝動の赴くまま物言わぬ 端末(ガラクタ)を握り潰し、顔を上げる。

 

 先の爆発音を聞きつけたのだろう。燃え盛るアパートの向こう側からは野次馬の声が、遠くからは消防車のサイレンが聞こえる。

 

 だが、そんなことはどうでもいい。

 

 私はアパートに背を向け、100メートルほど先にある住宅、その屋根の上を睨む。

 

「……見つけたぞ」

 

 月明かりが雲に遮られているせいで顔はよく見えないが、ミリタリーポンチョと呼ばれる黒い外套を夜風に靡かせ、悠然とこちらを見下ろす男がいた。

 わざわざあんな目立つところに、しかもご丁寧に殺気まで飛ばして。よほど自己顕示欲が強いのか、それとも単なる挑発か。まあどちらでも構いはしないが。

 

 シロも男の存在に気づいたようで、いつでも動けるように程よく脱力した状態で身構える。当然、周囲への警戒はそのままに。

 

 そして、私たちが一歩前に踏み出した瞬間───雲が晴れた。

 

 

 

「──────」

 

 

 

 満月に照らされて、男の顔から影が払われる。

 

 日本人らしい黒い髪。

 歯を剥き出しにしたような口元と、右目を覆う眼帯を組み合わせたようなマスク。

 そして───血のように赤い妖光を放つ、左目の赫眼。

 

 その出で立ちは、紛れもなく。

 

 「黒い、死神……」

 

 生きていた。生き延びていた。

 そう認識した瞬間、思考が漂白され、感情に無風地帯が生まれる。けれどそれは僅かな時間。

 

 『なぜ生きている』だとか、『どうやって助かった』なんて疑問は湧かなかった。

 

 重要なのは、あの男が生きていたという事実のみ。

 

「………………殺す」

 

 自然と、そんな言葉が漏れた。

 

「………殺す」

 

 耳鳴りが激しくなり、左眼が熱を帯びる。

 許容できない。

 我慢ならない。

 あの男がこの世界に存在することを、一寸たりとも容認できない。

 

「殺す」

 

 激情などと言う生易しいものではない。一呼吸するたび、胸に渦巻く憎悪の感情は、先ほどまで何者かに抱いたものとは比べ物にならないほど肥大化し、真っ白になった思考を赤黒く染め上げていく。

 

「殺すッ!!」

 

 叫ぶと同時に、死神は私たちに背を向けて近くの民家の屋根から屋根へと跳び去っていった。

 

「逃すか! 追うよ、ナシロ!!」

 

「う、うん……!」

 

 地面を吹き飛ばす勢いで蹴りつけて近くの家の屋根に跳躍し、フードを目深に被りながら黒い死神と同じように住宅の屋根の上を跳んで追跡する。

 

「今度こそ、必ず殺してやる……!」

 

 ()()()()()()()

 私の意識は、完全に黒い死神にだけ向けられていた。襲撃者はヤツ一人だと視野を狭め、周囲への警戒はおろか妹のことすら気配を頼りにただ近くにいるという事実しか把握していなかった。

 

「クロ……」

 

 だから。

 

 

 

「ねえ、どうしてクロナは───笑ってるの?」

 

 

 

 独り言のように小さく呟かれた言葉は、私の耳には届かなかった。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 

 

「ほおほお……」

 

 騒ぎを聞きつけて集まった野次馬の中に、なぜか一人だけ炎上したアパートではなく、アパートの裏庭を覗いている女がいた。

 

「執筆の息抜きにと夜の散歩に繰り出してみれば、なかなか面白いことになってるじゃないか……と、ヤッベ。なんか気持ち悪くなってきた……」

 

 人混みに酔ったのか、女はよろよろとおぼつかない足取りで、炎上したアパートを観光名所気分で撮影している集団から抜け出す。

 女は「はー、どっこいせ」と優雅さや上品さとはかけ離れた、およそ淑女らしからぬ声と共にベンチに腰かけた。

 

 ふぅ、と息をつくと、女は満天の星空を見上げながら、口を裂くように笑んだ。

 

「青年が彼女らと()り合うのは完全に計算外だが……はてさて、どう転ぶかなぁ?」

 

 

 

 

 




安久 黒奈(ヤスヒサ クロナ)
・18歳
・Blood type:AB
・Size:160cm/48kg
・Like:両親、妹、黒、団子
・Hobby:将棋、チェス
・Respect:橘さん
・Rc type/Unique states:鱗赫/赫者(不完全)

安久 奈白(ヤスヒサ ナシロ)
・18歳
・Blood type:AB
・Size:160cm/48kg
・Like:両親、姉、白、オムライス
・Hobby:スポーツ、匂い当てゲーム
・Respect:橘さん
・Rc type:鱗赫

>未踏査領域は喰種にとって安寧の地
割とそうでもない。戦い慣れしていなければ普通に死ぬし、慣れていたとしても赫子を出せなければステージⅡやⅢのガストレアに捕食される。むしろ正体(ほぼ急所)さえ露見しなければ人間らしい生活を送れるあたり、エリア内の方がよほど安全。

>安久姉妹ハッピーエンドRTA
どこでもいいから児童養護施設に入る。彼女たちは幸せな人生を送りましたとさ。めでたしめでたし。
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