黒の銃弾と黒い死神   作:夢幻読書

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第24話 現実と意図

 現実+意図=real+intention=real intention=本音

 

 

 

 

 鋼を打つような音が幾度も響き、同じ数だけ火花が弾ける。

 

 薄暗いフロアで繰り広げられる攻防は、もはや常人の目では捉えられない速度に達していた。

 曲刀が迫れば赫子で受け、捌ききれないものは躱すシロ。赫子が振るわれれば、曲刀で軌道を逸らし、突かれれば最小限の動作で避ける里津。

 

 未だ互いに傷一つ負っていないが、膠着状態であることに変わりはない。そんな現状を打開するため、先に戦術を切り替えたのは里津だった。

 

 下から掬い上げるように振るわれたシロの赫子を、避けることも逸らすこともせず、曲刀を交差させて正面から受け止める。当然、そんな事をすれば体重の軽い里津の体は簡単に浮かび上がる。だが、それこそが里津の狙いだった。

 無理に踏ん張ることはせず、吹き飛ばされた勢いすら利用してそのまま距離を取る。すると徐々に里津の輪郭はぼやけ、やがて闇に溶けるように完全に姿を消した。

 

 だが。

 

「無駄だよ。姿が見えなくても、私には君の位置が手に取るように分かる───こんな風にね」

 

「───ッ!」

 

 そう言って、シロは首を少し反らして頭上を見る。そこには、天井を蹴って落下しながら、二振りの曲刀を今まさに自分に振り下ろそうとする里津の姿があった。

 

 気配を消した上で死角から奇襲したにも関わらず、呆気なく居場所を特定された事実に両目を見開く里津を他所に、シロは赫子をがら空きな脇腹に向けて振るった。

 それに対し里津は、シロに振り下ろそうとした曲刀の軌道を上体を捻ることで強引に変更し、赫子に叩きつけた。

 

 鋼同士が打ち合うような音と同時に、里津の体がバットに打たれたボールのように吹き飛ぶ。何度も床を転がり、どうにか立ち上がるも勢いは止まらず、両足で床を削るように踏ん張ることでようやく停止する。

 今のでフードは脱げ、仮面もどこかへ飛んで行ってしまい、里津の素顔が露になる。赫子の衝撃を受け流し切れなかったことで、微かに痺れる両手を片方ずつ軽く振りながら、視線を鋭くする里津の口の端からは血が溢れていた。

 

 そんな彼女を視界に収めながら、シロはある結論に至った。

 

 慣れている。戦闘に、ではない。彼女の攻撃は首や目、関節や臓器、その他動脈が通っている部位など、人体のあらゆる急所を狙っているにも関わらず、そこに()()()()()()()()()()()()()

 

 確かに、喰種であるシロには驚異的な再生能力があり、例え里津の攻撃が当たったとしても死ぬことはない。だがそれは喰種であればの話であって、人間であれば即死、良くても致命傷だ。

 仮に、民警としてガストレアを幾度となく倒してきたイニシエーターたちに「人と同じ姿をした存在を相手に、ガストレアと同じように武器を振るえるか」と問えば、そのほとんどが首を横に振るだろう。

 

 要するに、何が言いたいのかというと。

 

「君、人を殺したことあるでしょ。それもかなりの数」

 

「…………」

 

「私たちもかなり殺してきたけど、君と同じぐらいの歳の当時の私たちと今の君を比べたら、間違いなく君の方が殺してるね」

 

 シロは断言した。目の前の少女は、自分たちよりもずっと幼い頃から殺しに手を染めていると。それは存在そのものを忌避され、迫害の果てに殺されることもある『呪われた子供たち』という里津の立場であれば、決してあり得ない話ではない。

 

 しかし。

 

「それだけ場数を踏んでるなら、私と君の実力差も分かるでしょ。勝てないよ、今の君じゃ」

 

 経験も技術も、シロは里津よりも長い時間を掛けて積み重ねてきた。現状、里津の実力では自分には勝てないと、シロは驕りではなく客観的に判断した。

 

「もう止めない? 何度も言うけど、私たちの標的は金木研だけ。大人しくしてくれてたら、君には手は出さないから」

 

 故に、言葉を重ねる。この戦いに意味は無いと。邪魔をしなければ、命は助けると。

 

「……前から思ってたんだけどさ、アンタって結構お喋りだよね」

 

 それに対し、里津は億劫そうにシロを見やった。

 

「おかげでアンタがどういう奴かよーく分かったよ。アンタは、ただの半端者だ」

 

「…………」

 

「アンタがアタシの居場所を把握できてるのは()()()()からでしょ? 喰種には五感が特別優れてるのもいるってカネキから聞いてるよ。本当はアタシがこのビルにいるってことも気づいてたんじゃない? なのにどういう訳か、アンタはアタシの存在を姉に黙ってた。標的しか殺さない主義? 仕事の邪魔をしなければ命だけは助ける? 人殺しがなに善人ぶってんだよ。それともなに? もしかしてアンタ、『無関係な人間を殺さない私は善人』とか本気で思ってるわけ?」

 

 馬鹿にするように口の端を吊り上げながら、里津は続ける。

 

「中途半端なんだよ、全部。殺したいんなら殺して、殺したくないんなら殺さない。それだけでしょ。いちいち自分を正当化しないと人を殺せないなら、殺し屋なんか辞めたら? 簡単な話じゃん」

 

「……っ! な───」

 

 何も知らないくせに。そう口にしようと息を吸おうとした瞬間。

 

 漆黒の曲刀が、首の皮膚を裂きながら後方に走り抜けた。

 

「かっ───!?」

 

 逆流した血液が、口から勢いよく溢れ出す。慌てて血が噴き出る首に手を当てながら振り向く。

 曲刀の軌跡の先。そこに立つ、切っ先から血を滴らせる曲刀を肩に置く里津を見て、シロはようやく首を切られたことを理解した。

 

「こ、のッ、ガキ……ッ!」

 

「死ななくても、消耗はするんでしょ? ああ、言い忘れてたけど別にアタシは()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 確かに、単純な実力の話をすればシロの方が上だ。だが、この世界のありとあらゆる戦いが"単純な実力の話"だけで済むのなら、現実に格上殺し(ジャイアントキリング)なんて理不尽は発生しない。

 

 かつて里津は、現在も同じ屋根の下で暮らす格上の同居人を、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 どうすれば息の根を止められるのか、毎日毎日考え続け、そうして里津が導き出した結論は、意表を突くことだった。

 

 会話の途中で攻撃するなど当たり前。そして、どんな相手でも息を吸う瞬間だけは無防備になることに気づけば、それを利用して何度もその息の根を止めようとした。

 

 結局、それらがまともに通用したのは最初の一回だけだったが。

 

 だが今回、()()()を使うためにはその一回がどうしても必要だった。

 

 首の傷を再生させ、腰にある2本の赫子と、分離した一振りの剣型の赫子を構えるシロを尻目に、里津は刀身に付いた血を舐め、嗤う。

 

「さあ、第二ラウンドだよ」

 

 里津の目の周りに、滲むように花弁のような痣が浮かび上がった。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 

 

 基本的に、呪われた子供たちに毒物や薬品は効かない。体内のガストレアウイルスが、あらゆる異物から宿主を守ろうとするからだ。しかしこれは、あくまで人間に対して使う用量を想定しており、当然致死量の数倍以上を投与すれば、それが毒であれ薬であれ、ガストレアウイルスの恩恵を突破することは可能である。

 

 だが稀に、常人が摂取してもそこまで身体に影響のないものでも、呪われた子供たちが摂取すれば、一時的に肉体面、精神面のどちらか、あるいは双方ともに固有の変化を引き起こすことがある。

 

 代表的な例を一つ挙げれば、ガストレアウイルスはアルコールも分解するにも関わらず、熊の因子を持つ呪われた子供たちは蜂蜜を摂取すると、酩酊にも似た状態に陥るという。

 

 これを『回帰』と言う。

 

 また、もともと呪われた子供たちはモデルとなった生物の性質に多かれ少なかれ影響を受けているものだが、『回帰』の発現にはそれらの影響の大小は関係ない。その呪われた子供たちにとってトリガーとなる()()を摂取すれば、誰でも『回帰』することが可能なのである。

 

 そして。

 

「───キヒャハハハハハハッ!!!」

 

 占部里津。モデル・シャークのイニシエーターである彼女の『回帰』のトリガーは、他者の血液。ひとたび摂取すれば、目の周りに花弁状の痣が浮かび上がり、身体能力は飛躍的に上昇する。

 

 だが、彼女の『回帰』が齎す変化は肉体面だけではない。

 

「ほらほらほらァッ!! もっと血を見せなよォ! もっとその顔を歪ませなよォ! 苦悶して、泣き喚く声を聞かせなよォ!」

 

「ぐっ……!」

 

 凶暴性と残虐性の増幅。際限なく湧き上がる加虐的な衝動。そして、他者の()()()血液を見る度、これらの特性は長く強く持続する。『回帰』が終わるその瞬間まで。

 

 歯を剥き出しにして笑う。最高の気分だ。久しく味わっていなかったこの感覚。この解放感。

 

 人を痛めつけるのが好きだ。人の血を見るのが好きだ。人を屈服させるのが好きだ。人の無様に泣き叫ぶ声が好きだ。

 

 それも、少し前まで自分のことを見下していた相手であれば尚の事。

 

 興奮が抑えられない。全身が火照って、昂っているの感じる。目の前の獲物が血を流して倒れる姿を想像するだけで、ゾクゾクとした快感が背中を駆け抜け、下腹部が疼いて仕方ない。

 

 見たい。一刻も早く、目の前の女が床を這いつくばり、みっともなく命乞いをする様を。

 

「……調子に」

 

 それは、一種の焦燥感だった。理由はともかくとして、敵を早く仕留めなければならないという心理に変わりはない。苛烈さを増す攻撃に比例して反射速度も上昇し、里津は僅かな隙であろうと見逃さず反応した。

 

「乗るなッ……!」

 

 例えそれが、意図的な隙だったとしても。

 

 里津の猛攻の最中、シロは敢えて腹部の防御を少し上にズラした。あたかも上半身への攻撃に怯んだかのように。

 

 吸い寄せられる視線と曲刀。シロの表情と武器を持った手は、完全に視界の外だった。

 

「───ッづ、ああああああ!?」

 

 突如暗転する視界。それと同時に、眼球に熱湯を流し込まれたような激痛が里津を襲う。思わず武器を取り落とし、両手で目を覆った。どろり、と生暖かい感触が指先から伝わってくる。

 

 里津の両目を潰したシロは、手に持った刀型の赫子を振って血を払い落とす。

 

 最初はなるべく彼女の体内侵食率を上げないように制圧しようとしていたが、止めた。もはやそんな余裕はシロにはない。

 

 こちらに背を向けて呻く里津に向けて躊躇なく、腰から伸びる一対の赫子をそれぞれ突き、薙ぎ、両手で握った刀型の赫子を振り下ろした。

 突き出された赫子は左の肺を、横薙ぎの赫子は右足を、刀型の赫子は右肩から左脇腹を。目を潰された状態で、三方向から繰り出される同時攻撃。武器はなく、回避はおろか防御することすら叶わない。

 

 詰みだ。

 

 そう確信していたからこそ───突如振り向き、こちらに飛び掛かってきた里津に虚を突かれた。

 

 ロレンチーニ瓶という器官がある。サメの仲間はこの器官によって、生物が筋肉を動かす際に発する微弱な電流と、それに伴って発生する磁場を感知することが出来る。例え目が見えずとも、周囲の状況はもちろん、地球の磁場を感じ取って自分の現在位置を正確に把握することすら可能なのである。

 

 目を閉じているのにも関わらず、赫子の刺突と横薙ぎをまるで見えているかのように躱し、シロの手を掴んで刀型の赫子の軌道を逸らし、そのまま喉元に噛みつこうと口を開けた。

 

 人間の柔肌など容易く突き破れるであろう鋭く尖った歯が、シロの首に迫る。だが、この時のシロには余裕があった。

 

 確かに驚きはあった。視界を完全に奪われた状態で、なぜそこまで動けるのかという疑問もある。しかし、それだけだ。肝心の攻撃手段が噛みつきでは、何の意味もないのだ。

 

 喰種の肉体は赫子か、バラニウムを加工した武器でなければ傷つけられない。このまま里津の歯が自分の首に触れたところで、へし折れるのが関の山だ。

 

 だから。

 

 そう思っていたからこそ、里津の鋸歯のように鋭い歯が()()()()()()()()()()()ことを理解できなかった。

 

「…………え?」

 

 シロは知る由もないが、里津がカネキに本気の殺意を向けていた当時、カネキが武器になりそうなものを彼女の目の届く場所には置かないように徹底していたため、唯一の武器である自身の鋭い歯を使って、何度もカネキの喉元を噛み千切ろうとしていた。

 

 当然、最初は喰種の皮膚を突破できず、逆に里津の歯が折れた。だが、サメの因子を持つ里津の歯はすぐに生え変わり、その度にカネキに噛みついた。

 

 噛みついては折れ、生え変わり。折れては生え、折れては生え、折れては生え。

 生え変わる度、自らの歯がより強く鋭くなっていき───ある日、突き立てた歯がその皮膚を食い破った。

 

 その頃にはすでにカネキへの殺意は消えていたので大事には至らなかったが、それまで頻繁に行っていた噛みつきはもはや癖になっており、眠っていると無意識に近くにある物を噛んでしまうため、それまで同じ部屋で寝ていたのだがこれを機に一人部屋を宛てがわれる事態となってしまった。

 

 つまるところ、里津の歯がシロの肌を貫くのは、当然の話だったのだ。

 

 シロの首に食らいつきながら、ズキリと鋭く焼けるような痛みを訴える右脇腹に顔を顰める。どうやら肉を浅く削がれたようだ。避けたと思っていたが、ギリギリ触れられていたらしい。

 思わず噛む力を緩めそうになるが、先の目潰し(気付け)()()の醒めた頭が冷徹に指摘する。ここを逃せば終わりだと。

 

「ゔぅゥゥッ───!!!」

 

 顎が砕けんばかりに噛む力を更に強める。口内に流れ込む大量の血液に溺れかけるも、それと同時にブチブチィッ! と肉が千切れる感触。首から鮮血を噴き出しながら、二、三歩後ろによろめいて、片膝をつくシロ。

 その様子を見て、里津は口の中の血と肉を吐き捨てながら踏み込む。

 

 姿勢を低くし、地面すれすれまで下げた拳を、全身のバネを使って掬い上げるように鳩尾に打ち込んだ。

 

「ごッ……!?」

 

 僅かに浮かび上がった体が力なく落下する。そんなシロの顎に容赦なく、膝蹴りが炸裂する。

 仰向けに吹き飛び、背中を床に強打したことで一瞬呼吸が止まる。そこへいつの間に回収したのか、取り落とした曲刀を手に跳躍し、振りかぶりながら落下する里津の姿が目に飛び込む。

 

 凶刃が迫る。

 動かなければ、と思った。大量の出血と顎に受けた衝撃によって脳を揺らされたことで碌に力が入らなかったが、それでも転がってその場から移動するなり、赫子を出して盾にすることぐらいは出来た。

 

 けれど、結果として。

 

 シロは身じろぎ一つせず、凶刃を受け入れるように目を閉じた。

 

 振り下ろされる2本の曲刀。それは過つことなく、シロの首を切断し、心臓を穿った。

 

 ───里津がその手を止めていなければ。

 

「……なんで抵抗しないのさ」

 

「……そっちこそ、私を殺すんじゃなかったの?」

 

 シロの言葉に、里津は鼻を鳴らす。

 

「アタシは殺しに抵抗がないって言っただけだよ。嫌いな奴に悪口言うのと一緒。でもアタシが人を殺すと、カネキが悲しむからさ。言いつけ守って、アタシもアイツみたいに相手がどんなにクズでも『殺し』はしないようにしてんの」

 

 覆い被さっていたシロから離れ、背中を向ける里津。油断しているわけではない。そも、彼女にとって視界の有無など関係ない。これは里津なりの『本当に殺す気はない』という意思表示だ。

 

「で? アンタは何で死のうとした訳?」

 

 ゴシゴシと、血に染まった目元を少し乱暴に擦り、瞼を開ける。再生した目に異常が無いか確かめながら、里津は問いかける。目の周りの痣は、消えていた。

 

「何で、か……」

 

 ぼーっと天井に視線を向けながら、シロはぽつりと溢した。

 

「クロナが初めて人を殺したのはね、私が原因なの」

 

 今でも鮮明に思い出せる。恐怖に震え、泣いて助けを求めた自分。それに応えて、あの場にいた全員を惨殺した姉。

 

「アタシには、ロリコンの変態野郎共の自業自得にしか思えないけどね」

 

「そうだね。だけどそもそも、私が()()()()()()()()()()()()()()()()、アイツらに捕まることもなかったんだよ」

 

 あの時、クロは自分たちが彼らに泳がされれていることに薄々勘付いていた。無論根拠などなかったが、嫌な予感を無視できなかったクロはシロに言ったのだ。お金は十分稼げたし、憂さ晴らしも出来たから手を引こう、と。

 

 だが彼らを甘く見ていたシロはそれを気のせいだと、心配し過ぎだと笑って耳を貸さなかった。

 

 結果、姉は人を殺した。そしてその日から、シロはクロの言うことに逆らうことも、意見することもなくなった。

 本当は、殺し屋になることにも反対したかった。だが、殺し屋を勧めた顔無しの()()()は尤もであったし、他に当てがある訳でもなく、そもそも一体どの口でそんなことを言えるというのか。

 

 姉はどこまでも自分に優しかった。二人で殺し屋になったのに、クロは決してシロに殺しをさせなかった。シロが標的を殺そうとした時は、半殺しにしてでも止めたこともあった。

 

 ナシロは手を汚さなくていい。そう笑った姉の言葉に安堵する自分に気づいて死にたくなった。直接手を下した訳じゃないから自分は人殺しじゃない? そんな訳があるものか。人が死ぬと分かっていて、それを実行するのが姉だと理解した上で加担した時点で、この手はどうしようもなく血に染まっているというのに。どこまで自分本位なんだと、自分自身を八つ裂きしたくて仕方なかった。

 

「だけど、まあ、結局自分で死ぬ勇気もなくてさ。君の言う通り、本当に中途半端だよね」

 

 いつからか、シロの中には消極的な自殺願望が芽生えていた。無抵抗で殺されるつもりはないが、必死に足掻いてまで生きようとも思わない。不完全ながら赫者に至ったクロを見て、そんな姉に守られ続ける自分はただのお荷物でしかなく、いっそ消えた方がいいのではと思うようになっていた。

 

「……死ぬ死なないはアンタの勝手だよ。興味もないし、他人のアタシがどうこう言う義理もないしね」

 

 でも、と。言葉を続ける里津の背中に目を向ける。

 

「伝えたいことがあるんなら、言えるうちに伝えておくべきだと思う。アンタよりも先に、姉が死ぬ可能性だってゼロじゃないんだし。───言いたかったことを一生言えなくなるのは、あんまりいい気分じゃないよ」

 

 淡々とした声だった。なのに、ひどく耳に残った。

 姉が自分よりも先に死ぬかもしれない。そんなこと、考えたこともなかった。そんなこと、想像も出来なかったから。

 

 もし今のまま、言いたいことを、思っていることを伝えないまま、クロナが先に死んでしまったら、私は───。

 

「アンタは自分の姉に、なんて言いたいの?」

 

「……………い」

 

 とても、小さな声だった。しかしそれは、今まで封じていた本音の蓋が外れた証左であり。

 

「もうっ、人を殺さないでって言いたい……っ!」

 

 言葉と共に、涙が溢れる。流すまいと目を閉じても、涙を留めることは出来ず、腕で目元を隠した。

 

(何やってんだろうなぁ、アタシ)

 

 背後から聞こえる嗚咽を耳にしながら、里津はらしくないことをしているなと心の中で自問する。

 敵対関係の、それを抜きにしても赤の他人でしかないシロを相手に、何を説教染みたことを言っているのだろうか、と。

 

 いや、本当は分かっている。身近な人がいつまでも傍にいると無条件に信じているシロに、昔の自分を重ねたのだ。

 

 脳裏を過るのは、最近思い出せるようになった、顔も名前も思い出せない少女のこと。

 

 自分たちの境遇を正確に把握できていなかったが故に、愚かにもずっと一緒に明日を迎えられると思い込んでいた、あの頃の自分を見ているようで、つい苛ついて、口を出してしまったのだ。

 

「……あーもう! いつまでも泣いてないで、早いとこ───」

 

 カネキとクロを止めに行こう。そう口にしようとした瞬間、建物全体が大きく揺れた。

 

「「!?」」

 

 上の階から轟音が降り注ぎ、建物の外に目を向けると、最上階にあったクレーンが夥しい瓦礫と共に落下していくのが一瞬見えた。そしてその直後、鉄の塊が地面に叩きつけられる、凄まじい激突音が響いた。

 

 里津とシロは無言で顔を見合わせると、カネキたちがいる階に向かうために同時に走り出した。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 

 

「どういうつもりかな、里津ちゃん」

 

「それはこっちのセリフだよ、なにさらっと殺そうとしてんのさ……!」

 

 実質屋上と化した目的の階に到達した里津が真っ先に目にしたのは、分離した赫子を手にその場から動かないクロに歩み寄り、今まさに止めを刺そうとするカネキの姿だった。

 咄嗟に二人の間に割り込み、振り下ろされた赫子を曲刀で受け止めながら、里津はカネキを睨む。

 

 僅かな拮抗の後、里津は受け止めていた赫子を左側に流し、そのまま体も回転させ、カネキの側頭部を狙った右回し蹴りを繰り出す。それをカネキは首を逸らすことで危なげなく回避するが、さらに続けて放たれた後ろ回し蹴りを躱すのに後退を余儀なくされる。

 

 バックステップで距離を取り、武器を構えたまま射抜くような鋭い視線を向けるカネキに対し、里津も迎え撃つように武器を構え、負けじと睨み返す。そんな二人を困惑した様子で見上げていたクロの元に、僅かに遅れてシロが駆け寄る。

 

「クロナ!」

 

「ナ、シロ? どうして……逃げてって、言ったのに……」

 

「ごめん、約束破って……だけどもう、自分に嘘つくのは止めにしたんだ」

 

「何を、言って……」

 

「私はクロに、お姉ちゃんに殺し屋を辞めてほしい。虫の良い話だってことは分かってる。でも! これ以上、クロに人を殺してほしくない。私はクロと、普通の人みたいに普通に生きたい」

 

「シロ……でも、私は……」

 

「クロナは、どうしたい?」

 

 シロの静かな問いに、クロは僅かに沈黙し。

 

「……生きたいよ。普通に、私だって、生きたいよ……!」

 

 涙と共に本音を零した。

 

「本当は、あの喰種が羨ましかった……! あんな風に、私たちも、真っ当な生活を送れたらって……! 黒い死神のこともっ。喰種なのに……! 私たちと真逆な生き方をしてるアイツのことが、ずっと羨ましくてっ……!」

 

「うんっ、うん……!」

 

 瓦礫に寄りかかったまま涙を流すクロに胸を貸しながら、シロも泣いた。やっと本音で話せたことが嬉しかったから。ずっと聞こうとしなかった本音が辛かったから。

 

 そして。

 

「……で? コイツらにはもう戦う意志はないと思うんだけど、なんでまだ武器を下ろさないわけ?」

 

「戦う意志がないという理由だけで殺し屋を、それも喰種を野放しにはできない」

 

 クロたちの会話からおおよその事情を把握した上で、カネキは武器を下ろさなかった。

 それに里津は苛立ちを顕にする。

 

「へぇー……親に売られた呪われた子供たちを薬漬けにする連中や、そいつらから買い取った呪われた子供たちを甚振ったり犯すのが大好きなゴミクズ共は殺さない癖に、()()()()()()()()()()()のコイツらは殺すんだ」

 

「そうだ」

 

「ふざけんなッ!!!」

 

 カネキの肯定の言葉に、里津は全身の血が沸騰したと錯覚するほどの怒りを覚えた。

 

「納得できるわけねぇだろ! そんなの! だったらアタシはどうなんだよ、今まで散々人を殺してきたアタシは!!」

 

「っ! 君の時とは事情が違う!」

 

「違わない!」

 

「いいや違う! 確かに、彼女たちが初めて殺人を犯した時の状況や、その後しばらくの殺人の理由には同情の余地がある」

 

「だったら!」

 

「でも、彼女たちは殺し屋になって自分たちとは関係のない人間を手にかけた! この時点で、僕がこの子たちを見逃す理由は存在しない!」

 

「っ、だとしても! なんで殺す必要があるっていうのさ!? 人は絶対に殺さないのがアンタの方針でしょ!!」

 

「その通りだよ、里津ちゃん。僕は()()は殺さない。君がさっき言ったように、例え相手が死んで当然のような悪人だろうと、例えその人が法で裁けなくても、どれだけ憎くても、僕は殺さない」

 

 ヒトは殺さない。そう口にしながらも、だが現実として、カネキはクロたちを殺そうとしている。それの意味することが分からないほど、里津は愚鈍ではなかった。

 

「……じゃあ何か。アンタは喰種は人間じゃないから殺しても良いって言いたいのか」

 

 カチカチ、と。握り締めた曲刀が小刻みに震え始めた。なんだ、そのクソみたいな理屈は。

 

 それでは、まるで。

 

「……だったら、アタシたち呪われた子供たちはどうなんだよ。なんでアタシは殺さなかった癖に、喰種のこいつらは殺すんだよ」

 

 里津は敢えて、頭の中で思ったことをそのまま言葉にはせず、遠回しな言い方をした。カネキと自分との間にある認識の違いを明瞭にするために。

 

「君たちは、人間だ。喰種(僕たち)とは違う。それにイニシエーターには、IISOがある」

 

 イニシエーターを管理・制御する組織である国際イニシエーター監督機構───通称IISO。

 IISOには問題を起こしたイニシエーターを収容したり、ペアが見つからないイニシエーターを一時的に保護するための施設が存在する。故にIISOは、イニシエーターにとってある意味で刑務所のような存在でもあるのだ。またその特性から、イニシエーターを飼い主()に捨てられた動物に喩えてIISOを『保健所』と揶揄する者たちもいる。

 

 だが、喰種にはソレがない。この世界には、()()喰種を管理する組織が存在しない。そもそも、喰種そのものが都市伝説レベルの存在なのだ。イニシエーターのように、喰種にとってのIISOはこの世のどこにもない。

 

「仮に、彼女たちをここで見逃したとしよう。でもそれで、彼女たちが再び僕の命を狙わない保証がどこにある? 僕の命を狙うだけならまだいい。これまでみたいに、もう殺しに手を染めないとどうして断言できる? 彼女たちの殺人の証拠を集めて刑務所に入れるって手もあるけど、素手でコンクリートを砕ける喰種に刑務所の壁なんて紙切れ同然だ。唯一喰種を収容できそうなのは政府だけど、過去に受けた拷問染みた研究の日々が待っているかもしれないのに、彼女たちが大人しく従うと思う?」

 

「─────」

 

 思いつく限りの選択肢を一つひとつ、カネキは丁寧に潰していった。言外に、自分の考えは変わらないことを示すように。

 我慢の限界だった。ここまでのカネキの台詞、態度、その()()()()()()()()()()()()。言いたいことは山ほどあるが、その前にまず一発ぶん殴ってやる。激情と共に里津は一歩踏み出そうとして。

 

「……待って」

 

 背後から掛けられたクロの力ない声が、その足を止めさせた。

 

「少しだけ、私に話をさせて」

 

 ロレンチーニ器官(レーダー)でカネキの挙動を把握しながら、クロの方に視線を向ける。ややあって、里津は舌打ちして視線を正面に戻した。好きにしろ、と言うことらしい。

 

「黒い死神、お前が私たちを殺そうとするのは、私たちが喰種で人殺しだから、って認識で合ってるか?」

 

「……そうだ」

 

「なら、ナシロは見逃してくれないか? この子は今まで誰も殺してない。私が殺させなかった。私は一切抵抗する気はない。だからどうか、妹だけは見逃してくれないか」

 

 それは、少しでもシロの生存率を上げるための言葉だった。決して死にたい訳ではない。先ほどシロに告白したように、今のクロは叶うなら二人で一緒に生きていきたいと心から思っている。だが、自分が死ぬだけで妹の命が助かるのなら、クロは躊躇うことなく命を捨てられる。

 

 そしてクロの提案にその場にいた全員が様々な反応をしたが、一番分かりやすい反応をしたのはシロだった。

 姉の紡いだ言葉の意味をどうにか咀嚼し、それと同時に口を開くが、シロが何か言葉を発するよりも先に。

 

「───ダメだ」

 

 カネキはその提案を一蹴した。

 

「どうして……!」

 

「簡単な話だよ。君の妹は、目の前で姉を殺した存在に何の感慨も浮かばない人間なのか?」

 

「……!」

 

「君が妹の立場だったらどうする? 彼女を目の前で殺した僕を殺したいと、復讐したいと微塵も思わないって断言できる?」

 

 だから、どちらか片方を見逃すという選択肢は存在しない。

 バキッ、とカネキは親指で人差し指の骨を鳴らす。

 

「君たちは、ここで摘む」

 

 話は終わりだ。そう告げるようにカネキが武器を構え直すと、クロは瓦礫に寄り掛かりながら立ち上がり、シロはそんな彼女を庇うように赫子を生み出して前に出た。

 そして。

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛……面倒くせぇぇ……」

 

 里津は考えることを放棄した。

 

「なぁ、そんなにコイツらのこと殺したいの?」

 

 天を仰いで心底うんざりしたように息を吐き出した後、里津はカネキに顔を向けた。その顔を見た瞬間、カネキは猛烈に嫌な予感を覚えた。

 

「り、里津ちゃん?」

 

「だったらさぁ……」

 

 里津はクロたちの方を振り返ると、彼女たちにゆっくりと歩み寄った。そしてごく自然にクロの背後を取って、膝裏を蹴り床に跪かせその首に曲刀を押し当てると。

 

「アタシが殺してやるよ」

 

「「「…………え?」」」

 

 それはそれは、とても素晴らしい笑顔で、とんでもなく物騒なことを口にしたのだった。

 

 

 

 

 

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