黒の銃弾と黒い死神   作:夢幻読書

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第28話 半端

 

 

 

 

 

 ───悲鳴が、聞こえる。

 

 泣き叫ぶ声が、嘆き悲しむ声が、慟哭の声が、聞こえる。

 

 ───怨嗟が、聞こえる。

 

 許さないと呻く声が、言葉にならない殺意の声が、嗚咽と共に吐き出される声が、聞こえる。

 

 ガストレアになった元人間や、変異の始まった人の命を、この手で奪う。

 

 迅速に、逡巡なく、機械のように。

 

 そういう風に振る舞ってきた。無感情に、冷酷に命を刈り取る死神として。

 

 どんなに心がぐちゃぐちゃになりそうでも、自責の念に駆られようとも。

 少しでも躊躇ってしまえば、取り返しのつかない事態になってしまうから。

 

 道徳や倫理は、人を怪物から守ってはくれない。

 良心の呵責を言い訳に武器を振るわなければ、より多くの被害が出る。

 

 だから、殺した。

 遺族の目の前だろうと、命乞いをされようと、周りの人間から殺意や敵意を向けられようと。

 

 どの道、ウイルスに感染した人間を治療する方法がない以上、殺す以外の選択肢など存在しない。どうあっても、彼らを救うことは出来ない。

 

 そうやって、彼らの命を奪う度に、自分に言い聞かせてきた。

 

 けれど彼らの声が、止むことはなかった。

 

 悲鳴が聞こえる。

 怨嗟が聞こえる。

 

 なぜ生きている。

 何のために生きている。

 どうして生きている。

 

 霧に包まれた橋の上を歩く。

 この手で殺した人たちの声が、霧の向こうから聞こえてくる。

 

 先の見えない道を、ただ歩き続ける。

 

 しかし不意に、踏み出した足の方から、ぱしゃりと音がした。まるで水たまりを踏んだように。

 

 思わず足元に視線を落とすと、いつの間にか暗い沼の上に立っていた。

 

 ───なぜ生きている。

 

 黒い泥のような手が、足に、腰に、顔に、全身に絡みつく。

 

 ───何のために生きている。

 

 ゆっくりと、暗い沼に引きずり込まれる。

 

 ───どうして生きている。

 

 沈む、沈む、沈む。

 深く、深く、深く。

 

 息ができない。

 黒い手を振り解けない。

 心臓が破裂しそうなほどに脈動する。

 

 やがて思考は分解され、肺の中の空気をすべて吐き切り、漠然と死を認識して。

 

 そこで意識は断絶した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 蛇口のレバーを上げて水を出す。

 

 冷水を手で掬い、顔に掛ける。

 それを何度か繰り返すと、カネキは滴る水を拭うこともせず、洗面台の縁に両手を置いて俯いたまま、深く息を吸って、ゆっくりと吐き出した。

 

 やがて俯いていた頭を上げて、鏡に映る自分と相対する。

 

 寝不足のせいで目の下には隈が出来ており、その顔には一目で分かるほど疲労感が残っている。

 

 そんな鏡の中の自分をぼんやりと眺めていると、ツゥー……と、右目から黒いナニカが涙のように流れた。

 

 聖天子狙撃事件以降から流れるようになった、黒い涙。その間隔に規則性はなく、いつ流れるのかはカネキ自身にも分からない。

 

「……まだ、時間はある」

 

 黒い涙を落とすために再び顔を洗う。

 そうしてタオルで水気を拭き取ると、カネキは洗面所を後にした。

 

 ……最後まで、鏡に映る白い少年には気づかないまま。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 

 

 見渡す限りの藍色の世界。

 すべての生命の母である海の中を、水着姿で泳ぐ少女が二人。

 

 一人はモデル・シャークのイニシエーターである占部里津。そしてもう一人は、モデル・ドルフィンのイニシエーターである千寿夏世。

 

 水着を着て海中を泳いでいる、と聞けば遊んでいるように思われるかもしれないが、二人が着用しているのは『泳ぐ』という機能を極限まで追求した競泳型の水着であり、時折背後を確認しながら時速50kmに匹敵する速度で海中を泳ぐ二人の表情は緊張と疲労感に満ちている。まるで、何かに追われているように。

 

 やがて、それぞれロレンチーニ器官とエコーロケーションで進行方向に一隻の船があることに気づいた二人は、一度深く潜ると急速浮上し、そのまま一気に海面から飛び上がって船の上に身を投げるようにして乗り込んだ。

 里津も夏世も、立っていることすら儘ならないのか、空を仰ぐように座り込んだり、両膝と両手をついた姿勢で荒い呼吸を繰り返していた。

 

 だが、状況は逼迫している。本当は呼吸が落ち着くまで待って欲しいが、そんな悠長なことはしていられない。

 息も絶え絶えに、夏世は船に乗っていた先客に向けて言葉を絞り出す。

 

「はあ、はあ……将監さん……はあ……接敵まで、11秒、ですっ……はあ……準備を」

 

「おう」

 

 応答と同時に先客───伊熊将監は、右手に持っていたバスターソードを逆手に持つと、弓のように腕を引き絞り、左手を照準器のように前に出した。

 

 直後、バチチチ……! と義肢である将監の()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「狙いは、水平より少し上へ……もう少し……そこです」

 

 接敵まで、残り3秒。

 海面に巨大な影が現れ、船の揺れが激しくなる。

 

「来るよ……!」

 

 接敵まで、残り2秒。

 息が整った里津と夏世は、万一に備えていつでも将監を連れて逃げられるように身構える。

 

「─────」

 

 接敵まで、残り1秒。

 将監は、夏世が予測した場所以外に視線を向けることなく、ただその瞬間だけを待つ。

 

 接敵(カウントゼロ)

 瞬間、海面が爆発したかのように弾け、大量の水飛沫を伴って姿を現したのは、将監たちが乗っている船を彼らごと丸呑みに出来るほど巨大な、真鯛の頭部とウツボの胴体を組み合わせたようなガストレアだった。

 

「■■■■■───!!!」

 

 真鯛に発音器官の類などないはずだが、ガストレアは確かに咆哮を上げながら、目の前の獲物を捕食しようと迫る。

 

 だがそれは、あまりに緩慢に過ぎた。

 

「───らァッ!」

 

 夏世が予測していたガストレアの出現位置に事前に狙いを定めていた将監は、ガストレアが射線に入った瞬間に投擲動作に移行していた。

 

 彼の右手から、稲妻の如き速度でバスターソードが射出される。

 それはガストレアの口の中に吸い込まれ、そのまま頭蓋を貫通し、一拍遅れて鮮血が貫通したバスターソードを追い掛けるように噴き出す。

 

「………………」

 

 ガストレアは水飛沫を上げながら仰け反るように後ろに倒れ込み、海の中に姿を消す。

 そうして再び、海面に仰向けに浮かび上がったガストレアは、絶命していた。

 

 将監が青空に向けて帯電した右手を掲げると、それに呼応するように先程投擲したバスターソードが高速で飛来する。

 それは磁石に引き寄せられる鉄のように、柄の部分から将監の右手に収まると、そのまま背中に担がれた。

 

「ステージⅡの海棲ガストレアの討伐依頼、これで達成ですね」

 

 遠くで待機していた別の船に、夏世が大きく手を振って合図を送る。

 すると、その船で狙撃の姿勢を取っていたカネキが立ち上がり、他の船員たちに指示を飛ばしている様子が見えた。

 

 彼らは民警。プロモーターとイニシエーター、二人一組でガストレアに立ち向かう、人類最後の希望である。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 

 

 東京湾に建造されたモノリス群の間を抜け、日本海の沖合から東京エリアに帰って来たカネキは、一旦里津たちと別れ、一人で市街地を歩いていた。

 

 実は東京エリアに戻ってきた当初、時刻は昼時、しかも仕事終わりでお腹も空いていると言うこともあり、昼食をどこで摂るかという話になった。

 

 週末のお昼と言うこともあり、飲食店は混み合っているだろうからと外食は早々に除外。

 ならば出前か、適当に何か作ろうかと、とりあえず帰宅するという方向で意見がまとまりかけた時、そういえば、と夏世が思い出したように言ったのだ。

 今日は週末。ならば、松崎とカネキからの頼みで一月前から土日限定で外周区の青空教室で先生をすることになった蓮太郎たちが39区にいるはずである。

 

 せっかくだから、みんなで食べませんか。

 

 夏世のその提案に里津や将監が了承し、彼女の瞳がじっとカネキを捉える。

 それにカネキは、里津たちに倣うように「いいよ」と微笑みながら答えた。

 

 ()()()()()()()()()()()と、心の中で苛立ちながら。

 

 本音を言うと、今のカネキは以前のように外周区の子供たちと積極的に関わりたくなかった。

 だって彼女たちにはもう、蓮太郎や木更がいる。あの子たちに必要なのは先生として知識を教え、彼女たちのことを大事に思ってくれる存在であって、金木研という個人ではない。

 

 だからカネキは、蓮太郎たちに先生の役割を譲ってから子供たちから少しずつ距離を置いた。里津たちが外周区に行こうと言っても、何かしら理由をつけて徐々に行く頻度を減らしていった。

 

 所詮、自分は代替品。

 彼女たちもこんな何の価値もない人間よりも、蓮太郎たちのような、人を救い、守るために戦える……誰かのために理不尽に立ち向かえる人間が傍にいてくれた方が、ずっと嬉しいはずだ。

 

 それなのに。

 

(……本当、余計なことをしてくれた)

 

 夏世に対する苛立ちが、燻るように溢れてくる。ここ最近寝不足だがらか、些細なことで苛々し、おまけにそれがなかなか治まらない。

 

 そもそも何だ、あの目は。まるでこちらの一挙手一投足を見逃すまいと観察するような、何か危ういものを見るような、あの目。

 彼女がそんな目で自分を見る理由が皆目見当もつかない。考えれば考えるほど苛立ちが募っていく。

 

「……………はぁ」

 

 やがてカネキは目を閉じて溜息をつき、頭の中で渦巻いていた諸々を思考の隅へと追いやる。

 

 結局、考えても分からないこと、解決しないことは棚上げにする以外に出来ることはない。

 どうにもならないことをどうにかしようとするから苛立つのだ。

 

(アレに比べれば、ずっとマシではあるんだけど)

 

 脳裏に浮かんだのは、数週間前にカネキの身に起きた『どうにもならないこと』。

 

 それの兆候が出始めたのは聖天子狙撃事件が終結してから暫くが経った頃。

 まず、自身が有するこの世界で起こる出来事に関する知識、()()()()()()()()()()()()()

 そこから徐々に、時系列順に知識は薄れていき、今ではもう「そういう知識があった」ということ以外思い出せなくなってしまった。

 

 辛うじて知識が消え去る前に重要な事柄を優先して思い出せるだけメモに書き殴ったが、もはやメモに書いてあること以上のことは永遠に分からない。例え書き損じている事柄があったとしても、それを確かめる術もない。せめて人の生死に関わる情報だけは書き切ったと信じたいが。

 

 とまあ、そんな感じで。今のカネキはちょっとしたことで気が立つが、超弩級の『どうしようもないこと』を経験したことですぐ落ち着けるという、一周回って安定した精神状態をしていた。

 

 そんな風に、思考に意識を割きながら歩いていたカネキの足が、大通りに店を構えている花屋の前で止まる。

 

 その入口で、店を経営してる一組の夫婦と共に、花束を手に背を向けて去っていく客を見送る少女がいた。薄灰色の生地に白色の細い横縞が入ったシャツの上に、スクエアネックで孔雀青と白藍のチェック柄の半袖のチュニックを着て、白のロングスカートを穿いた藍色の髪の少女だ。

 客がある程度離れたところで、店に戻ろうと夫婦と少女が振り向き、カネキの存在に気づく。前髪は眉の上で、後髪は襟首あたりで切り揃えた藍色の髪を揺らしながら、眼鏡を掛けた少女の相貌が嬉しげに綻ぶ。

 

「先生!」

 

「こんにちは、モナちゃん。迎えに来たよ」

 

 何もカネキは、目的もなく街を散策していたわけではない。わざわざ里津たちと別れたのは、街で『職場体験』をしている外周区の子たちを迎えに行くためである。

 外周区に赴くことは無くなったものの、こういう送り迎えだけは、都合が合えば松崎の代わりにカネキが行っている。

 

「健一さん、奏子さん。いつもモナちゃんのこと、ありがとうございます」

 

「気にしなくていいんですよ。モナちゃんのおかげで、休日はお花がよく売れるんです」

 

「むしろお礼を言わなきゃいけないのは私たちの方ですよ」

 

 頭を下げるカネキに、伊和健一と、妻の奏子は朗らかに笑う。

 

 それに、良い人たちだ、とカネキは思った。

 

 『職場体験』は、力と感情をコントロールできる年長組の中でも、将来やりたい事がイメージ出来ている子たちを対象に行なっていて、体験先へはカネキが直接交渉に行き、相手側から許可を貰うことで成立する。

 この交渉の際、カネキは敢えて職場体験に来る子が()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 学校を経由せず、個人で頼みに来てる時点で大抵の人間は何かあると怪しむし、そうなれば例え呪われた子供たちであると言う明確な証拠がなくても、彼女たちを差別的に扱う可能性がある。

 それならばいっそ、初めから呪われた子供たちだとしても受け入れてくれるところを探そうとカネキは考えた。そもそも、彼女たちを人として扱わない所などこっちから願い下げである。

 ただ残念なことに、この世界は呪われた子供たちへの差別は一般的なもので、そのせいで希望通りの職場体験に行ける外周区の子は少ない。

 

 だからこそ、カネキは目の前にいる、伊和夫婦を人として尊敬する。

 彼らだって、他の奪われた世代と同じ経験をしてきただろうに、ガストレアに対する憎悪や嫌悪を決して呪われた子供たちには向けず、きちんと一人の『人間』として接してくれる。

 

 聖天子の統治が続けば、彼らのような人がもっと増えるのだろうか。呪われた子供たちを差別しない人が、彼女たちの味方になってくれる人が。

 聖天子の語る、呪われた子供たちが差別されない世界が、やってくるのだろうか。彼女たちが、生きるために罪を犯す必要がなくなる世界が、理不尽に命を奪われることのない世界が。

 

 そうなったらいいなぁ、と、カネキは目の前の夫婦と少女を見ながら、心の底から思うのだ。

 

「それじゃあモナちゃん。いつもの渡すから、少し待ってて」

 

 そう言って奏子は店の中に一度戻ると、その手に紫色の花が咲いている鉢植えを持って現れた。

 

「この()のこと、よろしくお願いね」

 

「はい!」

 

 手渡された鉢植えを、宝物のように胸に抱くモナに、健一と奏子は嬉しそうに笑った。

 

 モナは職場体験が終わると、夫婦から必ず花の咲いた鉢植えを渡される。

 仕事を手伝ってくれたご褒美というか、店の売り上げに貢献してくれた報酬のようなものだ。週に一つずつだが、おかげで39区の居住地(下水道)は今や色とりどりの花で彩られている。

 

「何て名前の花なの?」

 

 花屋を後にし、職場体験に参加しているもう一人のもとに向かいながら、カネキが尋ねる。

 するとモナは、ばっ、と勢いよくカネキの方に顔を向け、目をキラキラさせながら興奮した様子で話し始めた。

 

「気になりますか? 気になりましたね! ではご説明しましょうこの花はヒアシンスと言いましてこれは紫ですけど他にも赤や白もあって色によって花言葉も違って日本では『悲しみ』『初恋のひたむきさ』ですが海外では『ごめんなさい』や『許してください』と言った謝罪の花言葉になるそうですそれから」

 

 モナは花が好きだ。育てるのは勿論のこと、花言葉に至っては日本のものだけでなく、他の国のものも知っているほど好きだし、何より、彼女に花のことについて聞こうものなら、いつの間にか呼吸を忘れるほどの勢いで熱く饒舌に語るくらいに好きだ。

 

 ちなみにこの時のモナのことを外周区の子どもたちは『オタクモード』と呼んでおり、普段はその面倒見の良さから年少組に姉のように慕われている彼女も、この状態の時ばかりは「や!」と言われ距離を置かれている。

 なので、彼女が満足するまで花の話を聞いてくれるカネキや松崎、むしろ率先して花の話題を振ってくれる伊和夫婦にはよく懐いている。

 

 やがて話題がヒアシンスからカネキの名前繋がりで金木犀の話に移り、花言葉やフランス語では何と言うのかなどを語り終えたところで、ピンクと白を基調とした可愛らしい外観のケーキ屋が見えてきた。

 

 ここが、モナ以外のもう一人がお世話になっている職場体験先である。

 

 清涼感のある音色のドアベルを鳴らして、カネキとモナは店内に入る。すると、受付の前に立つ見るからに筋骨隆々で、毛先が上にカールした口髭を蓄えたスキンヘッドの男に、黒いシュシュでツーサイドアップにした金髪のセミショートヘアの少女が、椅子に座りながら紙を見せていた。

 白いコックコートを着こなす男と、黄色のキャミソールにワンショルダーの白いTシャツ、デニムのホットパンツ姿の少女の構図は、一見すれば空いた時間に子どもの遊び相手をしている店員のそれだ。

 

「師匠、こんなのはどうっスか!?」

 

「…………(首を横に振る)」

 

「じゃあこっち!」

 

「…………(少し間を置いて、首を横に振る)」

 

「それなら、これは!?」

 

「…………(即座に首を横に振る)」

 

「即答!? なんでっスか!?」

 

 溌剌に言葉を発する少女と、それを寡黙……と言うか一切言葉を発さずに応える男。

 対照的であり、同時に異様とも言えるその光景にしかし、カネキとモナが戸惑うことはない。彼らにとって、そのやり取りは見慣れたものだからだ。故に、二人はただ不思議そうに小首を傾げる。

 

「何やってるんですか、アレ」

 

「さあ、何だろうね?」

 

 疑問に思いながら、とりあえず二人の元へ向かう。

 

「こんにちは、柿池さん」

 

「こんにちは!」

 

 スキンヘッドの男、もとい、この店の店長である柿池暁彦に声を掛ければ、彼は軽く手を上げて応える。

 

「先生、それにモナ! ちょうど良いところに!」

 

 対して金髪の少女は、カネキたちに気づくや先ほど柿池に見せていた紙を持って駆け寄って来た。

 

「はいはい、どうしたの奏音ちゃん?」

 

 カネキがそう尋ねれば、奏音は不満そうな顔で柿池を指差した。

 

「聞いてくれっスよー、師匠が新作のケーキを作るのに私のアイデアを使ってくれるって言うから、さっきから色々アイデア出してるのに、全っ然使ってくれないんス!」

 

 これがケーキのデザインっス、と渡された複数枚の紙を受け取り、モナと一緒に覗き込む。そして。

 

((うわぁ……))

 

 その絵心の無さに、二人は揃って口を噤んだ。

 直前の会話から辛うじてソレがケーキであろうことは察せられるのだが、渡された紙に描かれたソレは形状・色合いを含めとてもケーキには見えなかった。

 

 敢えて言葉にするなら、人の顔にぶつけたパイを極彩色に染め上げたとでも言えばいいのだろうか。紙に描かれたソレは、そういう形と色をしていた。

 

 あと何故か、ケーキのデザインは似通っているのに、枚数を重ねるごとにケーキから無駄に毒々しいオーラや、口から煙のようなものを吐き出して倒れる人っぽいものが紙芝居のように書き加えられていた。

 

(この、口から出てる煙みたいなものは一体……)

 

(……もしかして、魂じゃないですか?)

 

(なんでケーキの近くに魂が抜けた人たちが転がってるの……!?)

 

(分かんないですよ……! それにそれを言うならどうしてケーキからこんな禍々しいオーラが出てるんですか……!?)

 

 カネキとモナはそっと紙から目を上げて、柿池の方を見る。

 彼は困ったように目を閉じた。

 

 新作のケーキに奏音のアイデアを使うと言いながら、柿池が一向に首を縦に振らなかったのはまず間違いなくコレが理由だろう。

 

 カネキとモナはそっと紙から目を上げて、奏音の方を見る。

 彼女は自信満々な表情でこちらの反応を伺っていた。

 

 その自信は一体どこから来るのだろうと顔を引き攣らせながら、カネキとモナは順番に口を開いた。

 

「ね、ねぇモナちゃん、このケーキ? の周りに漂ってるものは何かな?」

 

「? 見ての通りっスよ、このケーキの美味しさが可視化されてるんス。普通にケーキ描いただけじゃ伝わらないと思って」

 

「じ、じゃあこっちの、ケーキの周りで倒れてるのは?」

 

「ああ、これっスか? このケーキのあまりの美味しさに、食べた人の魂が口から飛び出しちゃったんスよ」

 

 そうして「上手く描けてるでしょ?」と屈託なく笑う奏音を見ながら、どう答えるのが正解なのかとカネキがモナと共に苦悩していると。

 

「おー、これはなかなか独創的な絵だねぇ。昔取材に行った美術館にも、こんな感じの絵があったよ」

 

 隣からひょこっと、薄い緑の長髪の女が、カネキの手元を覗き込んでいた。

 

「─────」

 

 それに、カネキは顔から表情を消し去り、見開いた目で女を見た。

 

 いつから隣にいた? なぜ今まで気づかなかった?

 

 女の接近に気がつかなかったという事実に、まるで冷水を頭から浴びさせれたかのような感覚に襲われる。

 同時に、女の僅かな挙動も見逃してはならないと思った。

 

「……取材というと、記者の方ですか?」

 

「いやいや、私は作家だよ、青年」

 

 不審な動きを見せれば即座に奇襲できるよう、服の下で密かに赫子を形成する。

 一般人に喰種であることが露呈するリスクがあるが、それはこの際無視する。そんなことに意識を割いてどうこう出来る相手ではないと、嫌な確信があったからだ。

 

 カネキは、唐突に変化した自身の雰囲気に戸惑うモナたちを庇うように、女に向き直る。

 対して女は何をするでもなく、一見すると穏やかな、けれど何を考えているか分からない、妖しい微笑みを浮かべていた。

 

「初めてまして、金木研。少し話をしよう」

 

 

 

 




モナ・アーン
・10歳
・Blood type:A
・Size:140cm/38kg
・Gastrea model:イーグル
目が良すぎるため遠くのモノを見るのは問題ないが、近くのモノにピントを合わせづらく、子供たちの中で唯一メガネ(遠視用)を着用している。メガネがカネキとお揃いなのはモナの密かな自慢。

蜂ヶ崎 奏音(ハチガサキ カノン)
・10歳
・Blood type:B
・Size:138cm/35kg
・Gastrea model:ビー
快活で屈託のない笑顔が特徴で「〜っス」が口癖の少女。絵がド下手。「美味しそう」の感覚が人とはズレているが、料理やケーキはレシピ通りに作れる。

>花屋の夫婦
夫婦で花屋を営んでいる。モナのことを娘のように可愛がっており、将来的には自分たちの花屋を継いで欲しいと思っている。実子はガストレア戦争時に死亡している。

>ケーキ屋の店長
無口。人とのコミュニケーションは基本的にジェスチャーで済ませ、必要な時(主にジェスチャーだけでは伝わらない場合)にしか喋らない。
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